記録ID: 1879703
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ハイキング
東海
徳川家康の霊柩の道を辿る・久能街道(駿府城→久能山)
2019年06月02日(日) [日帰り]
![情報量の目安: S](https://yamareco.org/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 04:25
- 距離
- 11.5km
- 登り
- 162m
- 下り
- 39m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:51
- 休憩
- 0:34
- 合計
- 4:25
10:01
14分
スタート地点
10:52
11:00
10分
八幡神社
11:10
11:35
35分
清見そば(昼食)
12:10
12:10
26分
東名高速下
12:36
12:36
80分
大谷放水路
13:56
13:56
14分
東照宮参道下
14:10
14:10
16分
東照宮参道上
14:26
ゴール地点
ログでは追手門スタートとなっていますが
実際は駿府城本丸御殿からスタートしています。
また、ゴールは家康の墓の前としました。
実際は駿府城本丸御殿からスタートしています。
また、ゴールは家康の墓の前としました。
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
★スタート地点 JR東海道本線 静岡駅徒歩20分 静岡鉄道 新静岡駅徒歩10分 ★ゴール地点 日本平ロープウエイ 久能山駅徒歩10分 久能山東照宮を見学後は日本平までロープウエイで行き、 静鉄バスに乗り換え静岡駅へ向かいました。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
徳川家康は元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没すると、 密かに久能山に運ばれ、通夜も行なわれずに埋葬されています。 その時に使用された道筋が久能街道です。 埋葬された翌年に日光へ改装されたのが定説ですが 実際は日光をはじめ全国の東照宮には御霊が安置されているのみで、 家康の亡骸は今も久能山にあると言われています。 久能街道は全体的にほぼ平坦ですが 久能山東照宮の参道は拝殿まで1159段の階段があります。 ただ、石段は歩きやすいもので15分もあれば上ることが出来ます。 特に危険個所についてはありません。 久能山東照宮は拝観時間が決まってる点だけは注意です。 |
写真
駿府城は天守が焼失した後は天守台だけが残っていました。廃城後の明治29年に天守台が取り壊され、その土砂で本丸堀が埋め立てられています。現在発掘調査中で2020年2月まで実施とのことです。
かつて追分には久能山東照宮里程標塔(大正4年)があったのですが静岡駅前に移動されています。街道はJRの線路と交差する手前で消滅しています。コイン駐車場の先を左斜め方向に進んだ道筋になっていました。
迂回中・JRの高架の手前にあった日切地蔵尊。久能山東照宮に向かって建てられています。かつては安南寺の中にあったのですが安永年間に行者が門前で倒れてしまって以降は疫病が蔓延するようになり、門前に移動して収まったという話です。自分の心の中で「いついつまでお参りするので願いを聞いてください」など日数を決めてお参りするとご利益があるそうです。
かつての八幡神社の様子。江戸時代の山は今より広大で南幹線を越えた先まで広がっていたそうです。明治になっての石切によって現在の大きさになり東名高速建設時は用土として山全体が行政に買い取られ平地になる計画もあったといいます。
ここで神社の手前にあった戦後に作られた道(A)と再び合流します。実は帰ってからわかったことですが(A)の道の南半分は本来の旧道かもしれません。具体的にはローソンのある辺りの東側にある道筋です。写真にある2車線道路部分は昭和12年の航空写真を見ると真新しい感じに見えるのと、今昔マップにおいても大きく蛇行した道筋になっていて直線道路になっていないのが理由です。
石垣いちごは今は「久能いちご」と呼ばれていますが、昼間に太陽の熱で暖められた石垣を用いて夜間の土壌の温度の低下を防ぐ方法で本来は初夏の食べ物が真冬でも食べられるようになりました。静岡は冬でも温暖で地形的にも久能山の斜面が適していて大いに発展していきます。それまで砂地だった当地は米作に向かない土地でサツマイモなどの栽培が主でした。家康が好物だった折戸茄子の栽培もしていたのですが、石垣いちごの成功から折戸茄子の栽培が一気に衰退していきます。
久能山東照宮への参道が見えてきました。久能山は海底の地層が隆起した山です。砂が堆積した砂瀝層でできているためにとても脆く、雨水や波に浸食され今の形になっています。ちなみに三保半島は久能山が波で削れた砂で島として形成されたもので次第に砂が堆積して半島となっていきます。
久能城だった当時はこれほど立派な石段ではなかったものの城の大手門につながる道として機能していました。生前、家康は「久能城は駿府城の本城」と言っていたほどで駿府城は平城なので防御は弱いので久能山を最後の砦として考えていたと思われます。
拝殿は国宝です。よく見ると葵の御紋が逆さになっているものが何個かあります。「あえて中途半端なままにする」考え方がありますが、完成すれば後は「朽ちるのみ」となってしまうことから家康公を祀る神社として永久的に残っていくことを願ってのものからなのだそうです。
撮影機器:
装備
個人装備 |
ザック(1)
手ぬぐい(3)
日焼け止め(1)
帽子(1)
サングラス(1)
行動食(2)
ペットボトル(500ml)(1)
カメラ(1)
iPhone(充電器含む)(1)
折り畳み傘(1)
ザックカバー(1)
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感想
街道シンポジウムの一環で歩いてきました。
静岡は以前に3年間住んでいた場所だったのですが
当時は何も考えずに車で走っていた場所が実は街道だったなんて
趣味が変われば見方が変わるもので新たな発見がいくつもありました。
なお、
今回の街道歩きの記録は
以下のブログでもまとめてみました。
http://borabora.seesaa.net/article/466220177.html
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