天城を抜けて海に堕天 HAPPY PARTY TRAIN★チャリレコ(修善寺ー天城山隧道ー下田)
- GPS
- --:--
- 距離
- 58.8km
- 登り
- 1,302m
- 下り
- 1,345m
コースタイム
ついでに今年の最初で最後の海水浴も兼ねてしまおう。
帰りは伊豆急の呑みで('◇')ゞ
※海水浴場と帰宅乗車駅は当日決めることに
伊豆箱根鉄道・駿豆線修善寺駅まで輪行
7:30修善寺駅(県349、以下国414)ー8:40浄蓮の滝ー9:00天城山隧道分岐ー9:40天城山隧道9:50−10:40峰山トンネルー11:00撮り鉄(蓮台寺駅周辺)−11:30下田MaxBalu(昼飯)11:45−下田・鍋田浜(海水浴)13:30−(買い物など)14:20伊豆急下田駅
伊豆急行・伊豆急下田駅から輪行帰宅
天候 | 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2019年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
帰り:伊豆急行・伊豆急下田駅から輪行帰宅 全線自転車を使用 |
コース状況/ 危険箇所等 |
河津七滝高架橋(ループ橋): 強風時は通らないこと 修善寺→下田方面行(下り勾配)で使うこと |
写真
装備
個人装備 |
ロードレーサー+SPDペダル(歩ける自転車靴)
|
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感想
■根府川駅
大正11年12月・熱海線(国府津ー熱海間)の駅として真鶴駅と共に開業した。
今は東海道本線の駅であるが、熱海線は熱海止まり(熱海駅は大正14年開業)の盲腸線だったのである。
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大正11年当時は丹那トンネル(昭和9年)が供用されておらず、東海道本線は国府津から北に廻るいわゆる御殿場ルートで沼津に達していた。
※川端康成が伊豆を旅した大正7年に至っては、国府津以西に熱海線すら敷設されていなかった(小田原〜熱海の人車鉄道のみ)
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■今日より96年前、大正12年9月1日11時58分、、
根府川駅落成開業から9か月後のことである。
9月1日は、八朔(はっさく、旧暦8月1日)にあたり、その年の新穀を納める節句で、各地の神社で祭礼が催され、農家では御赤飯などの御馳走を用意して、節句を祝う習わしがあった。子どもたちはお祭りや御馳走を楽しみに、始業式もそこそこに家路を急ぎ、教師たちもニ学期の準備があるものの、この日は土曜日で子どもたちが帰った学校でも、くつろいだ雰囲気があったに違いない。そんな日の正午前、皆が昼食の膳に着こうとしていた
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当日の正午頃、山岳の鳴動を聞く間もなく、強震で家屋が倒壊し、阿鼻叫喚の折から、裏山の中腹に亀裂を生じて赤土が見え始めたので、屋外にいた村民が不思議の目を見張っていると、それが全村を埋めた第一の山津波であった。
震災被害地の中でも根府川は高さ270尺(約82m)、延長17町(約1.85km)にわたって崩落し、一村の大部分を埋没しただけに、ここばかりは一種新たな恐怖心をおこさしめる。
地響きとともに目で見えるほどの物はことごとく、海岸まで押し出された。村民はお祭りに牛が曳く屋台にでも乗ったような気持ちで、海岸に落ちたのに気づき、驚いて山へ駆け上がって海の方を見ると、もう小山のような巨浪が海岸に襲来して、海岸を洗い浚っていた。恐怖した村民は無我夢中で逃げて、隣の部落の米神境まで落ち延びた時、はじめて村長以下村の者が大半死んだことが判った。
この時、圧死者または埋没された者が150戸で406名に及んだ。そして一家全滅したのが8戸、70の老人と2歳3歳の小児のみが取り残されたのが18戸ある。
生き残った村人は食料も所持金も埋められて、喰うに食なく、着るに衣なく、幼老男女は1つの大きなバラックを建てて、一家族のように慰め合って、郡や他町村からの配給品や見舞い品で辛くも露命をつなぎ、どうして復興せしむるのか全然考えも出ない。ただ2、3丈も埋まった赤土の中に埋まった自家を掘り出したいと焦っているのも哀れだ。
「大正大震災記」時事新報社
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■根府川の被害状況
大船から熱海にかけて、震度7相当の激震に襲われた。
白糸川では、上流4キロの大洞山が崩壊し、山津波となって大量の土砂が谷を時速50キロでかけ下ったとされる。白糸川橋梁は、橋脚六本のうち五本が切断され、三連のアンダートラス桁のうちの1本と橋脚3本は、100メートル先の海中に埋まってしまった。
川沿いの集落では159戸のうち78戸が埋没し289名の死者を出した。根府川駅は地すべりで駅構内すべてが海へと崩れ、たまたまやって来た列車は45メートル下の海へと転落、全乗客150名のうち約100名が死亡・行方不明となる大惨事となった。
震災忌絶景駅を今過ぐる ほの香
海中に駅舎ありなん震災忌 ほの香
訓練とはしやぐ子供ら震災忌 ほの香
■乗れるうちに乗っておけ!!
天城に行くには函南で下車するのがデフォだが今日は三島から乗り換えて修善寺まで行く計画なのだ。
目的は、、 三島 ←HAPPY PARTY TRAIN→ 修善寺
とりま画像を見て頂いた方が早いでしょう(;'∀')
風に稲ハッピーパーティなる電車 ほの香
■楽しい天城越
下田街道の難所・天城峠。主要街道でもないのに楽しいことこの上なし。川端康成の伊豆の踊子、松本清張の天城越えに影響を受けていることもあり、碓氷峠と同じかやや上の楽しい峠。
途中にある、狩野川・浄蓮の滝・山葵田、そして天城山隧道。抜ければ下田
※さっさと伊豆縦貫道を完成させて自動車交通を減らしてほしいぞ
秋まひる路肩ずらりと六地蔵 ほの香
国境(くにざかい)ペダル緩めばつくつくし ほの香
■海水浴(下田駅からチャリで5分の穴場?)
前年の平成30年は異常な暑さだったため、8連荘での「チャリ+海水浴」をその時々に適した8海水浴場で達成
最初は水が澄んで好印象の下田の「九十浜(くじゅっぱま)」と思ったが、潮通しが
良すぎ水温低いと読んで(;'∀')パス、少々湾地形になっている、鍋田浜を選んだという訳。
初入浴の鍋田浜、水温も透明度も、プライベート感も大当たり!!
■生牡蠣
鍋田浜の両翼は断崖で、伊豆にありがちなプライベート的ビーチ。当日は超絶な干潮で、なんと岩牡蠣の群れをハケーン!!
名産の地域でない限り、牡蠣に漁業権は設定されないので太ったやつを心ゆくまで頂くことにします(^^ 適当なゴロタ石を落としてカラを割り、割れた牡蠣ガラを使い貝柱を切る→海水で洗えば桶ww プリンプリン (゜д゜)ウマー
ももが濡れやがて髪まで海水浴 ほの香
岩牡蠣を剥がして浦の九月かな ほの香
リゾートは地の人ばかり秋夕焼 ほの香
四肢浮べ一湾の夏惜しみけり ほの香
■まとまりを欠いてしまったが(;'∀')
「HAPPY PARTY TRAIN」に乗れたことも良かったし、天城から海水浴への堕天は素晴らしい時間の経過だった。
海水をソースにしたぷりぷりの牡蠣にありがとうだった。
また、この日は防災の日で、謂れの大震災は亡き祖母から”怖かった”と繰り返し聞かされたが、知れば知るほど恐ろしい地震である。
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