記録ID: 21364
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無雪期ピークハント/縦走
日高山脈
ペテガリ岳 ルベツネ岳 ヤオロマップ岳 コイカクシュサツナイ岳 1823峰
1987年06月04日(木) ~
1987年06月07日(日)


- GPS
- 80:00
- 距離
- 38.6km
- 登り
- 2,833m
- 下り
- 2,829m
コースタイム
6月4日ペテガリ小屋(8:30)→ペテガリ西尾根→コル(13:05)→ペテガリ岳山頂C1(14:40)
6月5日C1(5:00)→ルベツネ岳(6:50)→ヤオロマップ岳(13:30-14:20)→コイカクシュサツナイ岳C2(16:20)
6月6日C2(5:00)→1823峰(7:30-8:50)→コイカク(11:20-12:15)→尾根末端(13:50-14:10)→札内ヒュッテC3(17:00)
6月7日C3→十勝平野
6月5日C1(5:00)→ルベツネ岳(6:50)→ヤオロマップ岳(13:30-14:20)→コイカクシュサツナイ岳C2(16:20)
6月6日C2(5:00)→1823峰(7:30-8:50)→コイカク(11:20-12:15)→尾根末端(13:50-14:10)→札内ヒュッテC3(17:00)
6月7日C3→十勝平野
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
前の夏にナナシ沢の雪渓崩落で死んだババの追悼山行を、集中登山でやろうということになった。6月の学祭の一週間は、例年二年班は沢登り、一年班は残雪の山に小パーティーで繰り出す。この年だけはババの死んだ23峰に各々のルートから集まる企画になった。3パーティーが北から南から、そして東のコイカク尾根から、23に集中登山を行った。 僕は1年目4人と2年目を連れてペテガリから北上する計画をこしらえた。僕にとってもこれまでにペテガリは初めてだった。冬にとっておいたが、どうにも我慢ができずだ。西尾根を一日で登りきって、山頂の10mほど東側の雪渓が残っているところにテントを張る。6人もいるパーティーなので、ルームには大人数用のドームテントが無い。こんなところに体育会から借りたおもちゃみたいなファミリーキャンプ用テントを張る。最近まで積雪期だった身には本当は少し不安だった。 晴れた翌日、ペテガリカールの上を北へ。ルベツネは素晴らしい名前がついているのに縦走してしまえば存在感の薄い山だ。尾根の分岐点などになっていなくて、ペテガリからカムエクへの縦走路の途中になっている為だろうか。しかしペテガリ西尾根から見たルベツネはなかなかいい。ハイマツの緩やかな斜面が左側、右側はキムクシュベツの断崖のルベツネ岳に一休みした。向かいの39峰は進むにつれて角度を変え、その移ろい方が面白い。ここからが一番尖ってみえただろうか。ハイマツのふとんの上で残雪の北日高までが見渡せた。 ヤオロマップの名は、高校生の頃写真集で知った。そのひびきの良さに加え、日高の襞のついた白く細い稜線の写真が、異国情緒で僕をしびれさせた。そんな、高校生に感動を与えるような写真を撮れたらいいなあと今になって思う事がある。実際のヤオロマップは39峰への分岐にある、あまり目立たない山だが、それはコイカクから向かう場合だ。ペテガリからの縦走路、1599峰下の最低コルから見上げるヤオロマップは、ヤオロマップ川の盟主にふさわしい、堂々たる風格を持っている。南から登りついた山頂からは、残雪を残す中部日高山脈の山並みが一斉に臨まれる。なかでも見覚えのない角度からの39峰のとんがりが、印象に残った。 のどかなコイカクシュサツナイの山頂すぐしたにテントを張った。コイカク山頂で岩瀬、たいぞうが東尾根から連れてきた10人近い1年班パーティーと合流し総勢15、6人がコイカクの山頂に泊まった。残雪に映える39峰を見ながら乾杯し、はしゃぐ新人たちを眺めていた。彼らもこれからどんどん山が好きになっていって、いつかリーダーになるんだろうなどと考えた。未来を無くしたババのことが急にふびんに思えたりした。ナナシ沢へのなだらかなハイマツの斜面に寝ころんで星を見た。この時まで僕は中部日高に足を踏み入れたことがなかった。そろそろ冬の中部をやってみたいな、と構想をめぐらせた。 コイカクからは、いよいよ23を目指す。23は、ババが死んだ山だ。86年の夏、3年目の僕は山岳部のOBと一緒に3ヶ月間ネパールの植物調査にでかけていた。アンナプルナ、ランタン谷の旅を終えてカトマンズに帰ったときにその知らせを聞いた。石橋さんに電話をかけて、それが1823m 峰南面直登沢パーティーで、ババはくぐり抜けようとした雪渓が崩落して死んだと聞いた。野村さんと岩瀬が一人ずつくぐって、最後にババがくぐったときだけ雪渓が崩落したという。そんなことが起こるのだ。 日本に帰ったときにはすべての事後処理は終わり、冬の山行への準備でルームは普段の雰囲気を取り戻していた。僕にとっては、ババは知らないどこかへ行ってしまったとしか思えなかった。1年下で札幌出身の、ませた後輩だ。山に行きたいという情熱をいつも感じさせた。ジャイアントババに似ているからババと呼ばれた。3年目以上になってルームでリーダーをやるようになったババはどんなふうに僕と付き合っただろうか。 岩瀬たちのパーティーは39へ、我々は23へと登っていった。最低コルのあたりで三瓶が、腹が痛いというのでデポしていく。水でも飲んで冷やしたのだろう。坂を登った狭い頂上で、素晴らしい展望に恵まれた。間近に迫るピラミッドをしたがえたカムエクの姿。そのコイボクカールの美しさ。やがてその方向から札内川のピリカペタン沢を登ってきた岡島さんたちが現われ、みんなでお茶を沸かして飲んだ。ナナシ沢23南面直登沢にむかいてヘルメットや手ぬぐいをはずし、亡き友に捧ぐ歌、カメラーデンリートを歌う。コイカクの天場に帰り、まだ帰らぬ岩瀬たちのために、岡島さんが金タライにいっぱいのコーヒーを沸かして下山した。岡島さんはこういうイタズラが大好きなのだ。 |
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