記録ID: 6383052
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
日高山脈
カムイエクウチカウシ山南西稜(静内〜カムエク〜1823峰〜コイカク〜中札内)
2023年12月26日(火) ~
2024年01月03日(水)



- GPS
- 200:00
- 距離
- 74.8km
- 登り
- 3,711m
- 下り
- 3,371m
コースタイム
2年前の正月に1839峰から見えたのはデコレーションケーキの生クリームのようなアレだ。脳味噌にべったり焼き付いて離れない。焦げている。あの白く美しいラインは行かないとね。
※近年のAACHの変態達は単独で跋扈しているが、一人だと前半の道道111号で心折れそうなライン。
12/26
0630小樽発−1130静内着−1340静内農屋(歩行開始)−1820 C1(高見ダム手前c263地点) 夕方べちゃ雪
忘れ物が不安だ。多くのパーティーが忘れもので時間を削ったり、気持ちを削がれたりしている。何度も何度も確認して結局記憶があやふやになって出発の朝も再度確認した。強迫性神経症か俺は。
今日はJR・バスで静内農屋まで移動後に4時間程歩きたいところだ。静内バスターミナルでパートナー西田氏と落ち合った。500m程歩いたところのセコマのカツ丼を食しチャージしておく。
路線バスで農屋まで行くのだが車窓から山の積雪状況など遠望としても山はガスってて見えない。ここは競走馬の産地としても有名なので馬ばかり見える。白い息の馬達は防寒のためのバスタオルなどを被されている。積雪が少ないと山が出来上がっていない可能性がある。懸念されるのはシカシナイ尾根登りの藪処理と全体を通してバリズボラッセルだ。どうなることやら。
正月の山行は一般的に厳冬期と呼ばれる1月中〜2月よりも厳しくシビアなのは十分知っている。日も短く天候が不安定なのだ。文句を言っても始まらないが、バスを降りて歩き出す。約100kmのカムエク南西稜への旅が始まる。まずは双川ダム、静内ダム、高見ダムのダムツアー。10日分の荷が肩に食い突く。西田も辛そうだ。途中道路工事中の方々の横を会釈して過ぎる。足首くらいに積雪が出てきたところでスノーシューを装着すると食い込みが若干軽減した気がした。歩行速度も上がったがこんな時は靴擦れに注意しなければならない。核心の一つは長い前半の道道111号とそれに伴う靴擦れなのだ。ほくでん車両2台にヘッドライトでまぶしく照らされる。日が暮れてからの終業なのか仕事納めなのか。遅くまでご苦労様です。我々の行き先を告げて挨拶する。湿雪でべちゃべちゃになりながら暗闇の中を歩き、小沢の横でC1。夜間も歩けるが初日から消耗は避ける。どっしりと山にかじりつきジリジリ進むのが今回の指針だ。沢から水を汲み取ったのでガソリン節約になる。荷は軽くならないが燃料は大切だ。飯を喰うとやる気が出てきたので現金なもんだ。帰ったら本気で就職活動をしようと思う。 寝るころになるとクソべちゃ雪は止んだ。
12/27
0710発−1540 C2(コイボク右岸c360付近) 晴れのち風、降雪無し、夜間風
今日一応掲げる目標は清和橋、だが行けるのか。五万図でもあと2枚先だ。出発して1.5hr程で高見ダムへでる。ダムを取り囲む道はクネクネしていてずいぶん登らせたりダム岸からから離れてからまた戻るを繰り返してくれたり、と本当に進まない。山を超えてまたダムや長い橋の繰り返し。車が通って乗せてくれるというシチュエーションを期待するも一台も通らない。やはり昨日で仕事納めか。そんなことに期待しているってことは帰りたいってことなのか。自分たちのやる気や胆力を試されているのか。本当に俺らは南西稜へ行きたいのか。途中にこの高見の開拓記念碑がある。この地は昭和4年に旧土人保護法の下、土人給与地としてアイヌに解放され開拓が始まったが、昭和6年の満州事変の勃発やあまりにも遠僻地であるがゆえに入地は一旦断念された。昭和22年に戦争の引揚者により再開拓が始まったが、やはり遠僻地問題とこの奥地でも発生した宗教問題(創価学会の信者と非信者が二分)等により、昭和40年には全戸が離農し廃村になったそうだ。やがてそれらは問題ともにまとめてダムの底に沈むことなった。戦後父母が死に物狂いで開拓した土地を離れる悲しみや現代で流行っている宗教2世問題があったかもしれない。見え隠れするのは貧困とこの凍り付いた大地と自然の厳しさだ。その後に現在の静内町が青少年研修所や高見キャンプ場などをおこしたのだが、道道111号工事中止とともにそれらも水泡に帰すことになったのだ。今はもはや人の営みや文化などをこの地で感じることはできない。
ようやくダムを抜けコイボクシュシビチャリ川沿いを北に進路を取ると路上に冷たい風が走り膝ラッセルに。コイボク川は地図から想像するより深い渓谷となっている。きっと大物がかかるに間違いないし岩壁もありいろいろ遊べそうだ。道道111号は完成しなかったので自然は回復しつつあるが原始状態へ近づけば近づくほどカムエク南西稜へのアクセスは困難を極めることになるのだろうか。暗くなるまで比較的無心で歩く。コイボク右岸c360付近をC2とする。今宵も沢の水を利用させてもらうことにする。しかも風を避けられウォッシュレットとしても沢を利用できるという好物件である。キレイな月明かりを眺めながらこの水にシカフンと病原体が混ざってないことを祈る。この夜は西田飯。流派は違うがとても美味いしパワーが出そうだ。流石は山岳ガイドの飯で参考になる。
結局この日は作業車の往来はなし。車とすれ違った時にいかにして乗せてもらうか考えながら歩いたのだが徒労に終わったわけだ。実に浅ましい。そんなやる気のないような2名が文句をヒィヒィいいながら歩くの図、の一日。ガソリン・食料には余裕があるので安心だ。夜間ビョウビョウっと風が走っていた。
12/28
0710発−1000カイジ橋で迷走−1115橋の巻き終了−1210清和橋−1440 C3(シカシナイ尾根c950)
晴れ 快晴
まだ帰れる、引き返すなら今のうちの三日目の朝。俺の小指にマメが、、、と嘆いて出発する。道中行動食を沢山食った。ナナシ沢を越えるとラッセル2割増しになる。これぁシカシナイ尾根にもある程度雪がついているかもしれないなどとゴキゲンになったらば、地図に出ていない作りかけの橋(カイジ橋と西田氏命名)に出てしまい迂回するのに1時間ちょいタイムロス。無心で歩くのも大切だが廃道とはいえ時々地図を見る必要がある。
遺棄された送電線跡をたどる。この電信柱を作った人は毎日どのようなことを考えていたのだろうか、トンネルを掘削していた人は工事中止になりどのような気持ちだったろうか。道道111号は2003年に工事が中止された。皆、喰うために働いているってのは当然だが一生懸命やって完成させようとしていた人もいるのではないか。工事関係者ではなくても完成を待ち望んでいた人もいたはず。中止を望む世論も強かっただろうがいろいろな人がいていろいろな思惑があって、破壊と創造を繰り返して血と骨と肉を軋ませながら人間経済は回るのだろうか。やがて作りかけの千石トンネルを過ぎ、そのわきの林道を迂回してポイント・清和橋へ向かう。
これから山に取り付くのに、退廃的な雰囲気に満ちた遺構を通過すると近い未来に良からぬことがおこるのではないか少しネガティブ思考になる。尾根取り付きの清和橋に着いて呆然とする2名。懸念していた通り第一に通過するシカシナイ山取り付きは藪の急斜面だった。VBするには少し早い、かといってキリのいいところまで登る時間があるかどうかはわからない。だがこの場所は風が強く凍り付いていてVB不適だと目を見合わせる。まぁ行ってみますか。ということで藪をひっつかみヒィヒィ登る。標高をあげると雪が乗っかってきて歩き難いし危ないし滑るし汗がでるし、はぁはぁいう。マメが悪化してそうでオーノーな気分。ただ藪はそんなに濃くないクマイザサ。稜上にでてもVB適地はなかなか無いが、灌木と藪の中の緩やかな斜面を見出し、ノコで伐採しまばらな雪を盛って固めて無理やりテンバに造成する。ガソリン使用料を計算すると三晩で600佞両暖颪世辰拭かなりイケている。
12/29
0725発−1340シカシナイP−1640 C4(c1550コル)
晴れ 快晴 無風
いきなりバリズボ膝〜ももラッセル。昨日の延長線上にいるわけだから当然だわな。汗だくで二人とも外套を外しインナーonlyでラッセル。滝のような汗が本日のテーマか。
少しくらいそよ風がほしい、でも風が吹くと寒いからやめてくれだの今日の人間はなかなかうるさい。シカシナイP。ようやく頂上と呼ばれるものの一つ目に立った。もう昼過ぎだ。稜線は連なっていて先が見えないし時間も時間なので山頂直下でVBにしようか、と合致する。疲労を防ぐためにも1400には幕営しているdailyというのが今回のタクティクスだった。ところが下降しだすと雪が底当たりして若干硬くなったような気がするのでゲーム続行となる。先ほど話し合った内容をお互い反故にしポイント・C1550コルを目指す。多分VB適地はその地点以外はない。ヘッデンギリの1640到着、ってかもう充分暗い。疲れた。コルの木がポヤポヤしているところを1m程深く掘り下げてそれを城壁として幕営。ラジヲでは31日の天気が悪いらしい。長時間行動で疲れたから明日は停滞し回復に勤しみたいところだが、そうなると風吹きすさびそうで風雪によっては消耗する可能性の高いこの場所で2停滞する羽目になることが予想されるので明日も行動することにする。とても気が進まないが致し方ない。
12/30
0740発−1000 P1821−1620カムエクP−1720 C5(ピラミッド手前c1700コル)
朝は風あり。 ガスってるが夕方晴れる。
もう進むしかない。天気は良くない。雪が舞って視界も100m程。日高側からの冷たい風を感じるがコル地形なので仕方ないものとする。まずはP1821まで。結構キツイ。細いし急だし雪庇を避けるとジャングル灌木で埋まりながらザックもシューもストックもひっかかりお祭りワッショイだ。Keepバリズボ膝〜モモおっと首。いつものことだが何が何だかわからなくなってくる。とりあえず頑張っている俺に誰か金をくれないだろうか、承認欲求ってやつが俺の足をすすめるのか、オヤジになっても褒められるのは嬉しい。そりゃそうで蔑まれるといい気はしないのと同じことだろ。だがそんなに承認欲求を満たしたいわけではない。俺は山登りとかクライミングに意味はないということを最近とても理解している。ただのヒマつぶしだ。脳内のドパミン作動性の報酬系路が関係している依存症かもしれない。でも文化の継承をしているのかもしれない。宗教の一つかもしれない。山岳信仰ってのが昔からある。だが登っても執着と煩悩は放下できないばかりか、それらが露わになってくる気がするのは俺だけか。目瞑って5秒歩けば解脱できる。そん時は空だ。脳ミソがトロけてきた頃に雪が底当たりしてきた。そして細くなってきたってことは南西稜の核心は近い。五日目でEPの出番、お鉢が回ってきて嬉しいだろうお前ら。一応細引き5mm 20mは持ってきているので準備万端だったが 核心はなんとなくヒモなしクライムダウンで通過。このほうが安全で早いと思われた。そこを通り過ぎると岩稜帯。いつの間にかカムエクまでの稜線が見える。きっとこいつは空と海まで続いている。稜線はカチカチでアイゼンがきしむのでようやく気持ちいい。振り返ると稜線に西田が映える。ここでは誰もがヒーローになれるであろう。だからと言って一歩一歩勝ち誇った恍惚の表情で歩けるという時間的余裕はない、カムエクの登りはサクサク進むが結構なげぇ。オレンジが黒紫に変わったころカムエク頂上を踏む。すぐさまヘッデン着けて南稜へのカチカチな稜線を降る。完全に行動予定時間を越えているがこれから安全なVBポイントを探さなければならない。出来れば雪洞を掘れるようなトコ。こんなに積雪が少ないと望みは薄いが明日は停滞予定なのだ。片っぽしかない目を皿にして探す。ピラミッド手前のコルの手前斜面で良さげな吹き溜まりをdetect。疲れていても1.5hrかけて∩を完成(∩=雪洞)。明日は大晦日だし悪天予報なので休みにして喰いまくるんだ。
12/31
停滞 0600起床 ガス 降雪+ 風+(1/1は12/30のカチカチ稜線ではなく埋まった)
ゆっくり起きる、クソしに外に出ると視界無し。雪もちらつくが詳しくは確認せずそそくさと雪洞へ戻る。昨日の疲れもあるし予定計画にようやく追いついたので停滞の一択。やることは嵐をやり過ごし、喰って充電して体勢を整えるのだ。
雪洞の中はドライでウォールも濡れていないので快適そのものだ。ココが人里離れた日高の山中であることを忘れさせてくれるほどラグジュアリー気分で燃料も余っているので焚き放題なので暖かいし喰い放題(目途が立ったので喰って荷を軽くしたい思惑あり)。湿ったシェラフを乾かす。しばらくここにいたい。行動できないほどの天候ではないが、今日やることはこのホテルカムエクで整えることだ。
1/1
0720発−1020 1602コル(1807南)−1530 1823P−1620 C7(1560コル)
晴れ
初日の出ってヤツを長いこと見ることがなかったが美しいもんだ。ピラミッド背後から黄金が登る。こんな御褒美があるとは。そんな朝は初っ端からEP。昨日の嵐のせいか斜面はリセットされて膝ももラッセルと埋まる。もはや安定のラッセルだ。一昨日はカチカチだった尾根はどこへった。
ピラミッドを越え、正面に見えるP1807の登りラッセルを嫌いショートカットトラバースすることに。今回は積雪が少なく雪崩リスクが少ないからこそこのラインを選んだのだが急傾斜だし部分的に氷だし脹脛の疲労がたまるし意外に長いし途中で渡邊アイゼンが分解するし(2年前1839峰でも分解)、大して早くなかった気もしたしリスクがデカかったので正直に尾ネるべきだった。1807を越えると目の前に1823峰への急斜面が控えているのが見える。ラッセルがあまりにも酷なので足回りをスノーシューに換装したりEPに戻したりして1823峰のピークへ。見た目よりこの稜線は長い。1823峰はカムエク南西稜から見るとバットレスのような風情で迫力があったことを思い出しながら通過。その南のc1620コルでC7とする。ナナシからの吹上には2年前は煮え湯を飲まされているので十勝側斜面に降りて雪洞∩を掘ろうと作製に取り掛かったが積雪が少なくブッシュが出てきたので伐採して半雪洞程度にせざるを得ない。十勝側斜面なのでナナシからの風は防げるが十勝側からの風も警戒する必要があるので掘り下げてブロックを積み全ての風の流れから守るように幕営する。幕を設営出来るだけで御の字である。
1/2
0130テント潰れる−0730発−1240 コイカク分岐−1510コイカク尾根基部−1820 C8札内ヒュッテ
なまら強風 気温はマイルド 少々ガス
深夜、顔が押しつぶされ目が覚める。雪に圧迫されテントのウォールが迫っていた。起きた西田がテントウォールを蹴った瞬間ポールがバキッといって折れる。一時間前に目が覚めたときは異常なしだったので状況がよくわからない。
まずは状況確認と生存域確保除雪しなければならないのでフル装備で外に出てみると、滝のように絶え間なくグラニュー糖スノーシャワーが半雪洞に流れ込んできているのだった。ナナシからの吹上風がこの液体のような雪を運んできているのだ。西田にはテント形状keepしてもらいつつ朝食の炊事をしてもらい、渡邊はグラニュー糖を掻き出すのだが全く間に合わないので雪ブロック、ストック、笹、枝等をミキサーしたものとテントフライを外し半雪洞に蓋をする形でアンカー兼壁にして飯を食いながら夜明けを待つ。またしてもナナシの吹上にやられてしまった。
強風で視界が確保されてない場合はこのクソ狭い空間で停滞しなければならないのでゲンナリする。西田が稜線にでて「行けそうだ」とのことで出発する。薄暗いし風もビュウビュウだし手も冷たいし朝から膝〜ももラッセルなので性格が悪くなりそうになる。
スノーシューで吹き飛ばされそうになりながらよろめき埋まりつつ歩いていると体幹がよれてふらつく。コイカクの岩稜帯でEPにする。お互いに近くで会話していてもなにを言っているかよく聞こえない。コイカク岩稜帯のルーファイを話す。西田は、全部正面から行けるんでないの?と言っていたが俺には西田の言っている意味がわからなかった。あのデカイ岩どもはどうすんだ?巻けるのか?などと不安に思ったのだ。
行動食を喰って、防寒着を着込んで、グローブを暖かいものに替えて歩き出すと、全てが明白になった。「俺はこの強風に呑まれていた」と。
岩稜帯にとりかかると、全ての岩が5倍の大きさに見えていたようだ。何も問題は無かった。ただ風に耐えながら登らないと剥がされて谷底に吹き飛ばされそうだ。
あともう少しだけ風が強ければ飛ばされている。簡単なクライミングだが、今回クォークを持ってきて良かった。クライミング系のアックスは登攀的な要素が入る登りは本当に楽だし安心できるのだ(今回二人ともクォーク、尾根縦走にクォークは無くねぁかってお互いに笑って揶揄していたのだが)。コイカク尾根を下降し、コイカク川を暗くなる中、時々川に片足突っ込みながら夜空の中、札内ヒュッテまで歩く。
札内ヒュッテは入るのは初めてだが、暖かく快適だ。残った食料を喰いまくり大消費祭をしてお互いの今季のこれからの予定などを話し合い、腹の探り合いをする。
1/3 0840発−1130ピョウタン滝P下山
下山。道道111号をピョウタン滝Pまで歩く。札内側のこの道路は整備が行き届いている。この開発中の道路(日高側はもはや遺構と言ってもいい)の恩恵によりカムエク南西稜というラインがある。もしもその存在がなければ、このラインへの取り付きは困難を極めるだろう。そもそもどんなラインも人工物の存在があってこそ、文明の存在があってこそ成し得るのだ。人里離れたところで行われるプリミティブな山行であっても所詮文明の産物のギア類に守られているし、文明開発の名残やそれを頼って登る。どんなに自然を愛していても原始の自然が原始のままだと人間には見ることは叶わないのだ。開発の名残をみて、「何でこんな開発をするのだろう」と卑下する者もいるが、人間文化や人類とは自然を破壊しつつ生きるものだと思う。「美しい自然だ」、「あるがままの自然が一番良い」とは言ってもその目ん玉の裏では文明の炎が、石油の焔がたち温室効果ガスを撒き散らしているがために年々雪が少なくなり、今回のように藪を漕ぎ雪洞を作れないということにつながっているのかもしれない(イグルーという手も有ったが今回の雪量では俺にとっては不得手)。
この自然がいつまでも残ってほしいとは思いつつも人の手が入っていないと人様が宣う自然ではない。所謂、人が形容する自然ではない。自然というのは人間が作り出した表現なのかもしれない。Cogito ergo sum.ってやつだ。
ともあれ日高の稜線は美しい。北海道の山屋は日高で強くなる。10年ほど前に、日高全山縦走敗退したが、次はこれかな。昔と比べると体力はないけど。
※近年のAACHの変態達は単独で跋扈しているが、一人だと前半の道道111号で心折れそうなライン。
12/26
0630小樽発−1130静内着−1340静内農屋(歩行開始)−1820 C1(高見ダム手前c263地点) 夕方べちゃ雪
忘れ物が不安だ。多くのパーティーが忘れもので時間を削ったり、気持ちを削がれたりしている。何度も何度も確認して結局記憶があやふやになって出発の朝も再度確認した。強迫性神経症か俺は。
今日はJR・バスで静内農屋まで移動後に4時間程歩きたいところだ。静内バスターミナルでパートナー西田氏と落ち合った。500m程歩いたところのセコマのカツ丼を食しチャージしておく。
路線バスで農屋まで行くのだが車窓から山の積雪状況など遠望としても山はガスってて見えない。ここは競走馬の産地としても有名なので馬ばかり見える。白い息の馬達は防寒のためのバスタオルなどを被されている。積雪が少ないと山が出来上がっていない可能性がある。懸念されるのはシカシナイ尾根登りの藪処理と全体を通してバリズボラッセルだ。どうなることやら。
正月の山行は一般的に厳冬期と呼ばれる1月中〜2月よりも厳しくシビアなのは十分知っている。日も短く天候が不安定なのだ。文句を言っても始まらないが、バスを降りて歩き出す。約100kmのカムエク南西稜への旅が始まる。まずは双川ダム、静内ダム、高見ダムのダムツアー。10日分の荷が肩に食い突く。西田も辛そうだ。途中道路工事中の方々の横を会釈して過ぎる。足首くらいに積雪が出てきたところでスノーシューを装着すると食い込みが若干軽減した気がした。歩行速度も上がったがこんな時は靴擦れに注意しなければならない。核心の一つは長い前半の道道111号とそれに伴う靴擦れなのだ。ほくでん車両2台にヘッドライトでまぶしく照らされる。日が暮れてからの終業なのか仕事納めなのか。遅くまでご苦労様です。我々の行き先を告げて挨拶する。湿雪でべちゃべちゃになりながら暗闇の中を歩き、小沢の横でC1。夜間も歩けるが初日から消耗は避ける。どっしりと山にかじりつきジリジリ進むのが今回の指針だ。沢から水を汲み取ったのでガソリン節約になる。荷は軽くならないが燃料は大切だ。飯を喰うとやる気が出てきたので現金なもんだ。帰ったら本気で就職活動をしようと思う。 寝るころになるとクソべちゃ雪は止んだ。
12/27
0710発−1540 C2(コイボク右岸c360付近) 晴れのち風、降雪無し、夜間風
今日一応掲げる目標は清和橋、だが行けるのか。五万図でもあと2枚先だ。出発して1.5hr程で高見ダムへでる。ダムを取り囲む道はクネクネしていてずいぶん登らせたりダム岸からから離れてからまた戻るを繰り返してくれたり、と本当に進まない。山を超えてまたダムや長い橋の繰り返し。車が通って乗せてくれるというシチュエーションを期待するも一台も通らない。やはり昨日で仕事納めか。そんなことに期待しているってことは帰りたいってことなのか。自分たちのやる気や胆力を試されているのか。本当に俺らは南西稜へ行きたいのか。途中にこの高見の開拓記念碑がある。この地は昭和4年に旧土人保護法の下、土人給与地としてアイヌに解放され開拓が始まったが、昭和6年の満州事変の勃発やあまりにも遠僻地であるがゆえに入地は一旦断念された。昭和22年に戦争の引揚者により再開拓が始まったが、やはり遠僻地問題とこの奥地でも発生した宗教問題(創価学会の信者と非信者が二分)等により、昭和40年には全戸が離農し廃村になったそうだ。やがてそれらは問題ともにまとめてダムの底に沈むことなった。戦後父母が死に物狂いで開拓した土地を離れる悲しみや現代で流行っている宗教2世問題があったかもしれない。見え隠れするのは貧困とこの凍り付いた大地と自然の厳しさだ。その後に現在の静内町が青少年研修所や高見キャンプ場などをおこしたのだが、道道111号工事中止とともにそれらも水泡に帰すことになったのだ。今はもはや人の営みや文化などをこの地で感じることはできない。
ようやくダムを抜けコイボクシュシビチャリ川沿いを北に進路を取ると路上に冷たい風が走り膝ラッセルに。コイボク川は地図から想像するより深い渓谷となっている。きっと大物がかかるに間違いないし岩壁もありいろいろ遊べそうだ。道道111号は完成しなかったので自然は回復しつつあるが原始状態へ近づけば近づくほどカムエク南西稜へのアクセスは困難を極めることになるのだろうか。暗くなるまで比較的無心で歩く。コイボク右岸c360付近をC2とする。今宵も沢の水を利用させてもらうことにする。しかも風を避けられウォッシュレットとしても沢を利用できるという好物件である。キレイな月明かりを眺めながらこの水にシカフンと病原体が混ざってないことを祈る。この夜は西田飯。流派は違うがとても美味いしパワーが出そうだ。流石は山岳ガイドの飯で参考になる。
結局この日は作業車の往来はなし。車とすれ違った時にいかにして乗せてもらうか考えながら歩いたのだが徒労に終わったわけだ。実に浅ましい。そんなやる気のないような2名が文句をヒィヒィいいながら歩くの図、の一日。ガソリン・食料には余裕があるので安心だ。夜間ビョウビョウっと風が走っていた。
12/28
0710発−1000カイジ橋で迷走−1115橋の巻き終了−1210清和橋−1440 C3(シカシナイ尾根c950)
晴れ 快晴
まだ帰れる、引き返すなら今のうちの三日目の朝。俺の小指にマメが、、、と嘆いて出発する。道中行動食を沢山食った。ナナシ沢を越えるとラッセル2割増しになる。これぁシカシナイ尾根にもある程度雪がついているかもしれないなどとゴキゲンになったらば、地図に出ていない作りかけの橋(カイジ橋と西田氏命名)に出てしまい迂回するのに1時間ちょいタイムロス。無心で歩くのも大切だが廃道とはいえ時々地図を見る必要がある。
遺棄された送電線跡をたどる。この電信柱を作った人は毎日どのようなことを考えていたのだろうか、トンネルを掘削していた人は工事中止になりどのような気持ちだったろうか。道道111号は2003年に工事が中止された。皆、喰うために働いているってのは当然だが一生懸命やって完成させようとしていた人もいるのではないか。工事関係者ではなくても完成を待ち望んでいた人もいたはず。中止を望む世論も強かっただろうがいろいろな人がいていろいろな思惑があって、破壊と創造を繰り返して血と骨と肉を軋ませながら人間経済は回るのだろうか。やがて作りかけの千石トンネルを過ぎ、そのわきの林道を迂回してポイント・清和橋へ向かう。
これから山に取り付くのに、退廃的な雰囲気に満ちた遺構を通過すると近い未来に良からぬことがおこるのではないか少しネガティブ思考になる。尾根取り付きの清和橋に着いて呆然とする2名。懸念していた通り第一に通過するシカシナイ山取り付きは藪の急斜面だった。VBするには少し早い、かといってキリのいいところまで登る時間があるかどうかはわからない。だがこの場所は風が強く凍り付いていてVB不適だと目を見合わせる。まぁ行ってみますか。ということで藪をひっつかみヒィヒィ登る。標高をあげると雪が乗っかってきて歩き難いし危ないし滑るし汗がでるし、はぁはぁいう。マメが悪化してそうでオーノーな気分。ただ藪はそんなに濃くないクマイザサ。稜上にでてもVB適地はなかなか無いが、灌木と藪の中の緩やかな斜面を見出し、ノコで伐採しまばらな雪を盛って固めて無理やりテンバに造成する。ガソリン使用料を計算すると三晩で600佞両暖颪世辰拭かなりイケている。
12/29
0725発−1340シカシナイP−1640 C4(c1550コル)
晴れ 快晴 無風
いきなりバリズボ膝〜ももラッセル。昨日の延長線上にいるわけだから当然だわな。汗だくで二人とも外套を外しインナーonlyでラッセル。滝のような汗が本日のテーマか。
少しくらいそよ風がほしい、でも風が吹くと寒いからやめてくれだの今日の人間はなかなかうるさい。シカシナイP。ようやく頂上と呼ばれるものの一つ目に立った。もう昼過ぎだ。稜線は連なっていて先が見えないし時間も時間なので山頂直下でVBにしようか、と合致する。疲労を防ぐためにも1400には幕営しているdailyというのが今回のタクティクスだった。ところが下降しだすと雪が底当たりして若干硬くなったような気がするのでゲーム続行となる。先ほど話し合った内容をお互い反故にしポイント・C1550コルを目指す。多分VB適地はその地点以外はない。ヘッデンギリの1640到着、ってかもう充分暗い。疲れた。コルの木がポヤポヤしているところを1m程深く掘り下げてそれを城壁として幕営。ラジヲでは31日の天気が悪いらしい。長時間行動で疲れたから明日は停滞し回復に勤しみたいところだが、そうなると風吹きすさびそうで風雪によっては消耗する可能性の高いこの場所で2停滞する羽目になることが予想されるので明日も行動することにする。とても気が進まないが致し方ない。
12/30
0740発−1000 P1821−1620カムエクP−1720 C5(ピラミッド手前c1700コル)
朝は風あり。 ガスってるが夕方晴れる。
もう進むしかない。天気は良くない。雪が舞って視界も100m程。日高側からの冷たい風を感じるがコル地形なので仕方ないものとする。まずはP1821まで。結構キツイ。細いし急だし雪庇を避けるとジャングル灌木で埋まりながらザックもシューもストックもひっかかりお祭りワッショイだ。Keepバリズボ膝〜モモおっと首。いつものことだが何が何だかわからなくなってくる。とりあえず頑張っている俺に誰か金をくれないだろうか、承認欲求ってやつが俺の足をすすめるのか、オヤジになっても褒められるのは嬉しい。そりゃそうで蔑まれるといい気はしないのと同じことだろ。だがそんなに承認欲求を満たしたいわけではない。俺は山登りとかクライミングに意味はないということを最近とても理解している。ただのヒマつぶしだ。脳内のドパミン作動性の報酬系路が関係している依存症かもしれない。でも文化の継承をしているのかもしれない。宗教の一つかもしれない。山岳信仰ってのが昔からある。だが登っても執着と煩悩は放下できないばかりか、それらが露わになってくる気がするのは俺だけか。目瞑って5秒歩けば解脱できる。そん時は空だ。脳ミソがトロけてきた頃に雪が底当たりしてきた。そして細くなってきたってことは南西稜の核心は近い。五日目でEPの出番、お鉢が回ってきて嬉しいだろうお前ら。一応細引き5mm 20mは持ってきているので準備万端だったが 核心はなんとなくヒモなしクライムダウンで通過。このほうが安全で早いと思われた。そこを通り過ぎると岩稜帯。いつの間にかカムエクまでの稜線が見える。きっとこいつは空と海まで続いている。稜線はカチカチでアイゼンがきしむのでようやく気持ちいい。振り返ると稜線に西田が映える。ここでは誰もがヒーローになれるであろう。だからと言って一歩一歩勝ち誇った恍惚の表情で歩けるという時間的余裕はない、カムエクの登りはサクサク進むが結構なげぇ。オレンジが黒紫に変わったころカムエク頂上を踏む。すぐさまヘッデン着けて南稜へのカチカチな稜線を降る。完全に行動予定時間を越えているがこれから安全なVBポイントを探さなければならない。出来れば雪洞を掘れるようなトコ。こんなに積雪が少ないと望みは薄いが明日は停滞予定なのだ。片っぽしかない目を皿にして探す。ピラミッド手前のコルの手前斜面で良さげな吹き溜まりをdetect。疲れていても1.5hrかけて∩を完成(∩=雪洞)。明日は大晦日だし悪天予報なので休みにして喰いまくるんだ。
12/31
停滞 0600起床 ガス 降雪+ 風+(1/1は12/30のカチカチ稜線ではなく埋まった)
ゆっくり起きる、クソしに外に出ると視界無し。雪もちらつくが詳しくは確認せずそそくさと雪洞へ戻る。昨日の疲れもあるし予定計画にようやく追いついたので停滞の一択。やることは嵐をやり過ごし、喰って充電して体勢を整えるのだ。
雪洞の中はドライでウォールも濡れていないので快適そのものだ。ココが人里離れた日高の山中であることを忘れさせてくれるほどラグジュアリー気分で燃料も余っているので焚き放題なので暖かいし喰い放題(目途が立ったので喰って荷を軽くしたい思惑あり)。湿ったシェラフを乾かす。しばらくここにいたい。行動できないほどの天候ではないが、今日やることはこのホテルカムエクで整えることだ。
1/1
0720発−1020 1602コル(1807南)−1530 1823P−1620 C7(1560コル)
晴れ
初日の出ってヤツを長いこと見ることがなかったが美しいもんだ。ピラミッド背後から黄金が登る。こんな御褒美があるとは。そんな朝は初っ端からEP。昨日の嵐のせいか斜面はリセットされて膝ももラッセルと埋まる。もはや安定のラッセルだ。一昨日はカチカチだった尾根はどこへった。
ピラミッドを越え、正面に見えるP1807の登りラッセルを嫌いショートカットトラバースすることに。今回は積雪が少なく雪崩リスクが少ないからこそこのラインを選んだのだが急傾斜だし部分的に氷だし脹脛の疲労がたまるし意外に長いし途中で渡邊アイゼンが分解するし(2年前1839峰でも分解)、大して早くなかった気もしたしリスクがデカかったので正直に尾ネるべきだった。1807を越えると目の前に1823峰への急斜面が控えているのが見える。ラッセルがあまりにも酷なので足回りをスノーシューに換装したりEPに戻したりして1823峰のピークへ。見た目よりこの稜線は長い。1823峰はカムエク南西稜から見るとバットレスのような風情で迫力があったことを思い出しながら通過。その南のc1620コルでC7とする。ナナシからの吹上には2年前は煮え湯を飲まされているので十勝側斜面に降りて雪洞∩を掘ろうと作製に取り掛かったが積雪が少なくブッシュが出てきたので伐採して半雪洞程度にせざるを得ない。十勝側斜面なのでナナシからの風は防げるが十勝側からの風も警戒する必要があるので掘り下げてブロックを積み全ての風の流れから守るように幕営する。幕を設営出来るだけで御の字である。
1/2
0130テント潰れる−0730発−1240 コイカク分岐−1510コイカク尾根基部−1820 C8札内ヒュッテ
なまら強風 気温はマイルド 少々ガス
深夜、顔が押しつぶされ目が覚める。雪に圧迫されテントのウォールが迫っていた。起きた西田がテントウォールを蹴った瞬間ポールがバキッといって折れる。一時間前に目が覚めたときは異常なしだったので状況がよくわからない。
まずは状況確認と生存域確保除雪しなければならないのでフル装備で外に出てみると、滝のように絶え間なくグラニュー糖スノーシャワーが半雪洞に流れ込んできているのだった。ナナシからの吹上風がこの液体のような雪を運んできているのだ。西田にはテント形状keepしてもらいつつ朝食の炊事をしてもらい、渡邊はグラニュー糖を掻き出すのだが全く間に合わないので雪ブロック、ストック、笹、枝等をミキサーしたものとテントフライを外し半雪洞に蓋をする形でアンカー兼壁にして飯を食いながら夜明けを待つ。またしてもナナシの吹上にやられてしまった。
強風で視界が確保されてない場合はこのクソ狭い空間で停滞しなければならないのでゲンナリする。西田が稜線にでて「行けそうだ」とのことで出発する。薄暗いし風もビュウビュウだし手も冷たいし朝から膝〜ももラッセルなので性格が悪くなりそうになる。
スノーシューで吹き飛ばされそうになりながらよろめき埋まりつつ歩いていると体幹がよれてふらつく。コイカクの岩稜帯でEPにする。お互いに近くで会話していてもなにを言っているかよく聞こえない。コイカク岩稜帯のルーファイを話す。西田は、全部正面から行けるんでないの?と言っていたが俺には西田の言っている意味がわからなかった。あのデカイ岩どもはどうすんだ?巻けるのか?などと不安に思ったのだ。
行動食を喰って、防寒着を着込んで、グローブを暖かいものに替えて歩き出すと、全てが明白になった。「俺はこの強風に呑まれていた」と。
岩稜帯にとりかかると、全ての岩が5倍の大きさに見えていたようだ。何も問題は無かった。ただ風に耐えながら登らないと剥がされて谷底に吹き飛ばされそうだ。
あともう少しだけ風が強ければ飛ばされている。簡単なクライミングだが、今回クォークを持ってきて良かった。クライミング系のアックスは登攀的な要素が入る登りは本当に楽だし安心できるのだ(今回二人ともクォーク、尾根縦走にクォークは無くねぁかってお互いに笑って揶揄していたのだが)。コイカク尾根を下降し、コイカク川を暗くなる中、時々川に片足突っ込みながら夜空の中、札内ヒュッテまで歩く。
札内ヒュッテは入るのは初めてだが、暖かく快適だ。残った食料を喰いまくり大消費祭をしてお互いの今季のこれからの予定などを話し合い、腹の探り合いをする。
1/3 0840発−1130ピョウタン滝P下山
下山。道道111号をピョウタン滝Pまで歩く。札内側のこの道路は整備が行き届いている。この開発中の道路(日高側はもはや遺構と言ってもいい)の恩恵によりカムエク南西稜というラインがある。もしもその存在がなければ、このラインへの取り付きは困難を極めるだろう。そもそもどんなラインも人工物の存在があってこそ、文明の存在があってこそ成し得るのだ。人里離れたところで行われるプリミティブな山行であっても所詮文明の産物のギア類に守られているし、文明開発の名残やそれを頼って登る。どんなに自然を愛していても原始の自然が原始のままだと人間には見ることは叶わないのだ。開発の名残をみて、「何でこんな開発をするのだろう」と卑下する者もいるが、人間文化や人類とは自然を破壊しつつ生きるものだと思う。「美しい自然だ」、「あるがままの自然が一番良い」とは言ってもその目ん玉の裏では文明の炎が、石油の焔がたち温室効果ガスを撒き散らしているがために年々雪が少なくなり、今回のように藪を漕ぎ雪洞を作れないということにつながっているのかもしれない(イグルーという手も有ったが今回の雪量では俺にとっては不得手)。
この自然がいつまでも残ってほしいとは思いつつも人の手が入っていないと人様が宣う自然ではない。所謂、人が形容する自然ではない。自然というのは人間が作り出した表現なのかもしれない。Cogito ergo sum.ってやつだ。
ともあれ日高の稜線は美しい。北海道の山屋は日高で強くなる。10年ほど前に、日高全山縦走敗退したが、次はこれかな。昔と比べると体力はないけど。
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
今回使用ギアの一部:
13年使用のスノーシュー。
14年履いているのスパン靴。
19年使用のグリベルアイゼン(今回バラけたけど、すいません西田さん)。
15年履いているのBDソロイストグローブ。
17年前に佐藤裕介氏に憧れて買った重い旧クォーク。
13年使用のスノーシュー。
14年履いているのスパン靴。
19年使用のグリベルアイゼン(今回バラけたけど、すいません西田さん)。
15年履いているのBDソロイストグローブ。
17年前に佐藤裕介氏に憧れて買った重い旧クォーク。
感想
ナナシからの吹上風を甘く見てはいけない。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:860人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する