記録ID: 21427
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積雪期ピークハント/縦走
十勝連峰
十勝岳、三段山ほか
1984年12月22日(土) ~
1984年12月26日(水)
- GPS
- 104:00
- 距離
- 23.0km
- 登り
- 2,217m
- 下り
- 2,210m
コースタイム
1年3班
12月22日旭川→上富良野→白銀荘・午後特出しスキー場で練習
12月23日D尾根方面旧Zまで
12月24日白銀荘(6:00)→標高1560mでシーデポ(8:00)→十勝岳(9:25-40)→シーデポ(10:50)→緑の館(11:45)→北尾根に向かう→白銀荘(13:10)
12月25日白銀荘(6:00)三段山往復ほか
12月26日下山
12月22日旭川→上富良野→白銀荘・午後特出しスキー場で練習
12月23日D尾根方面旧Zまで
12月24日白銀荘(6:00)→標高1560mでシーデポ(8:00)→十勝岳(9:25-40)→シーデポ(10:50)→緑の館(11:45)→北尾根に向かう→白銀荘(13:10)
12月25日白銀荘(6:00)三段山往復ほか
12月26日下山
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
●1984年12月(冬合宿) 【ルート】白銀荘BC 【日程】1984.12.22から5日間 【メンバ】ROOM全員 1年3班/笹瀬、藤原、米山、 【行程】 初めての冬合宿で白銀荘をベースに20数人の部員全員が集まる。普段は数人のパーティーで山に行く山岳部では、部員全員が一同に山に登る、年に二度だけの機会だ。白銀荘管理人の杉山夫妻は実に北海道らしいおおざっぱな管理人だ。おばさんは、「北大さんは臭い」と遠慮無くいうのが口癖だった。 良く晴れた2日目、1年目の僕たちは3班合同で北尾根から十勝岳を目指した。まだ暗い冬至近くの朝5時、黙々と靴をはいて準備する。1日7時間半のフル行動へ、溜息を吐きラテルネをつけて出発。不安と緊張に満ちた気が重い一時だ。タンネの森から火砕流溶岩台地へ抜ける頃青い夜が明け、樹木の死に絶えた裸の雪面が一面に広がる。早くもここから吹きさらしだ。イオウ山と名づけられた小ポコから磁石をきって登りだす。 前十勝岳までの広い斜面をシールワークのまだ下手糞な1年目が10人近く、のこのこと登っていく。前十勝岳手前でアイゼンにはき変える。アイゼンバンドを厚手の手袋をはずさずに手早く縛り上げるのが1年目の課題なのだが、要領の悪い者はいつまでももたもたしている。前十勝岳の生きている噴火口のへりを歩く。風向きに助けられて煙は谷側へ流れていた。 本峰のピークまでバリバリのシュカブラを踏んづけて登頂。つめたい風が吹き付ける十勝連峰の最高峰だ。ふもとの富良野の平原、白金牧場の広がりが遠く見える。下り、凍傷にならぬよう目出帽を下げ、良く見えないので蹴躓いてよく転んだ。前十勝岳辺りで腰を降ろしているとコゾーさんたちの2年班がOP尾根を下降しているのが見えた。OP尾根は振り子沢源頭のバリエーションだ。雪稜の細い尾根が大砲岩に突き上げている。対岸のこちらから見ると物凄く急な壁に見える。2年班は凄いなあ、と感心した。この時の1年3班のメンバーはジェットシン、藤原さん、じじい、中村だったか。 三段山からの下りで隣パーティーの一年目、本多が骨折した。巨体の上に体が硬いので、スキーでこけると毎度破滅的なかんじだったが、ヒザのじん帯を痛めてしまった。スキー初心者の一年目をいきなり山に連れて行って山スキーを仕込むのが山岳部の方法だが、中にはやはりついていけない人もいる。本多は日が暮れてからスノーボートで引っ張り降ろされてきた。 三段山は白銀荘からまっすぐ登ったところにある樹林限界を突き抜けた山だ。楽な地図読みで帰ってこられるので、全天候で行ける。しかも下りは天然のスキー場のような痛快スロープだ。 1991年頃記述 |
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