記録ID: 21538
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
アジア
Gasherbulm II(8035m)
1998年06月01日(月) ~
1998年08月13日(木)

- GPS
- --:--
- 距離
- ---km
- 登り
- ---m
- 下り
- ---m
コースタイム
6/1 成田(12:55)→イスラマバード(20:15)PK853
MARGALA MOTEL 時差は4時間。北京経由でテンシャンの上を飛ぶ禁酒のPK航空で酒持ち込み12時間過ごす。ボゴダ上空でコクピットに入れてもらう。カラコルムはガスの中、ホテルは樹林の中。
6/2 Immigration office
荷物の点検、日パ旅行社(徳永、大隅、SADDIQ)
インパ核実験で来ている螺良・井上さんと食事
6/3 ジナーマーケット、アッパラマーケット リエゾンオフィサーはキャプテン・カン・ゼブ・チャン。インマル手続き忙殺
6/4 Islamabad(6:00)→アボッタバード(8:30)→ジジャール・断層の村(17:30)→チラール(21:30)泊 アボッタバードはキャプテンの実家でお茶代彼持ち。午後7時半、夕暮れにナンガパルバットを見る。
6/5 チラール(6:30)→ラキオト橋先(8:00)→スカルド(16:00) 田中体調壊す。今日から撮影。バスの中紹介カット。大きな集落はほとんどない。バス車中で遠藤にアララット、デマヴァンドの話聞くスカルド橋は徒歩で渡る。スカルドは広大な盆地。果物たくさん
6/6 荷物再梱包
ハイポーター顔見せ
買い物 田中復活ハイポーターと25キロに荷造りシムシャール出身とフーシェ出身の二派がある。日中熱暑夕方砂風で過酷気候ホテル前はポーター希望者で人だかり
6/7 スカルドで準備 キャプテンとバルチスタン服を買う、ウルドゥー文字を教わる。キャプテンは支払いをさせない。隊は若い三人が元気ない。
6/8 スカルドで準備 隊員一人ずつの声を撮る。夜はうらさびしい高級庭園シャングリラホテルで食事
6/9 スカルドをジープで発(8:30)→ハイデラバード(12:00)→トンガール2800m(16:00) サディックは徹夜で積み込み。夜のシガールは砂漠のオアシス。トンガールまでは恐怖の断崖道路。運転手はラナビー。ハイポーターはよく働く。今日人選。
6/10 高所順応の日
2855m発(7:00)→裏山4000m(10:00-30)→天場(12:30) 棚田の集落を抜け乾いた山へ。平田森山後藤は早い北原浅野遅い。大山池田は途中まで
6/11
曇り トンガル(7:30)→ビアフォ氷河分岐(11:00)→パンマー氷河で渡渉(14:00)→ガラリで渡渉(15:00-17:00)→ジュラ3100m ポーターの長い列を撮ろうと良い場所を探すが暫く無い。カメラアシスタントはシムシャール出身のアリムサとハシール。アリムサは最年少英語が一番うまい。渡渉は猛烈に冷たい。ガラリ(綱渡りかご)は一回三分渋滞。16時が過ぎ、対岸に泊まるポーターも居る。
6/12 曇→雨 ジュラ(6:30)→バルドゥマール先の河原で昼お茶ポーターたき火→パイユ3400m(14:00)
デュモルド川左岸を本流へ戻り、単調な石ころ河原を行く。天気は曇りやや寒い晴れていれば酷暑地獄のはず。トンガル以来ずっと木がなかったのにパイユだけが奇跡の森で広い枝、ポプラ、柳。しかしポーターはたき火だらけ。根津足を痛める。
6/13
晴→曇 休息の日
太陽熱温水で洗濯、遠藤さんの植樹数人インタ 夜、苦しくてテントの窓を開ける洗濯、洗髪。他のパーティーもいてにぎやか。急斜面の森の中、棚状にテント場。ヤギを殺す。酒を飲む。
6/14
曇
晴 パイユ(6:20)→リリゴ3500m(10:00) ハシール、アリムサ先に行ってしまう。短いが半日行程。田部井さんと寺井APの話をする。リリゴはトランゴ氷河分岐。トランゴタワーが見えた。キャプテンにウルドゥーを習う。孫の手を作る
6/15
曇→小雪→晴 リリゴ(6:30)→ウルドゥカス3860m(11:00) 延々モレーンの上。氷河だがガレ岩が表面を覆い。茶色。曇りで山の上の方は見えない。正面にカテドラルが少し見えるウルドゥカスは緑の草地あり。直ぐしたに軍の基地掘っ建て小屋風あり。パイユピーク、トランゴタワーが見える。
6/16
快晴 ウルドゥカス(6:10)→ビアーレ(9:10-11:30)→ゴレ(13;00) ガレガレの上を延々進む。巨大な山が続々。とりわけマッシャーブルムの茶色に惹かれる。ブロードピーク、正面三角のガッシャーブルム四峰がスゴい。その右に目指すGII発見。ゴレの風景はすばらしい。やっと砂埃のないところへ来た。元気ある人無い人に別れる。温水で洗髪。
6/17
快晴 ゴレ(6:30)→コンコルディア(9:30-11:00)→シャンマ4470m(12:00) 行程はほとんど雪の上。ムズタークタワーが節煙を上げ、ブロードピークが大きい。いくつもクレバス、小川を渡る。コンコルディアで平田さんの撮影。初めてK2を見る。シャンマはK2、チョゴリザ、バルトロカンリが見える丘の上。テント無しのポーターたちは島状態のガレに集まって石を積んでビニールをかけて野営。
6/18雪 シャンマ(6:48)→BC4840m
(12:00)最後の人は17時着 朝から降雪、終日晴れ間もあるが雪がやまない。ガッシャー氷河に入ったあたりから高所順応の壁を感じる。森山、渡辺は早い。BCについた人からインタビュー。夕方GIが姿を見せる。ポーターらは雪の中をズックで登ってくるのがスゴい。お金をもらって帰っていった。
6/19晴れ B.C動かず。朝一番、片道40分でGIIを見に行く。 今日は休みだがBC作りで結構働く大ドーム内を集会場らしくする。午後から体がだるくなる。発電器や無線アンテナなど組み立てる。息が苦しい。屁が臭い。
6/20
晴 腹の具合悪く休む
ドームテントの整理を齋藤らに任す ドームテントを住み良くする
武士道(新渡戸稲造)読み終わる
夜・兵庫岳連と夕飯キャプテンドームに
6/21
曇→晴→雪 BC(4:00)→5600mデポ地(7:40-8:30)→BC着(10:00) 歩き出すと調子がよい。アイスフォール帯も状態良し結構早くデポに付く帰りの時間は早くも雪が腐り出す。午後田部井さんにお茶を点ててもらう。
6/22
雪→晴 米山は休み読書(メスナー自伝)
東野,斉藤と2次隊は4:30発でデポキャンプへ向かうがアブドゥルが小さなクレバスに落ち、戻る 登山隊は午後、上部キャンプへの荷揚げの荷物分けをしているが、装備係が装備リストを把握していない様で作業が進まず、雰囲気が悪い。取材側は傍観。夜、キャプテンが来る。
6/23
晴→曇→晴 隊、取材隊とも昨日引き返しの続き。米山は読書。隊のサロンテントを作る。ハシール腹痛。 日中に気温いつものように上がらず過ごしやすい。ビール発酵樽の仕込み。ドームテントで豆を煮る。渡辺さん招く。東野誕生日ケーキ。隣に韓国の女性登山家池賢玉さん単独パーティー
6/24
曇→晴→曇 田中デポ往復
午前C1への荷造り、午後東野米山斉藤はアブドゥルの落ちた穴や氷河撮影 ハイポーターのデポ3日目
池賢玉と多少会話
6/25雪→晴 東野米山斉藤はデポ地往復
BC(4:00)→デポ(6:30-7:00)→BC(8:30)午後石川、イブラヒム、ラジャーブにインタ 朝は雪硬く、快適早いメンバーで行く。クレバスは広がってきている。兵庫岳連、池賢玉隊に会う。サロンテントで少々飲む。読書メスナー。
6/26
曇→晴 休み
ハイポーターはデポ往復 C1入りの隊ミーティングを撮る。午後は晴れ、結構寒かった。フネが一つ足りないのが発覚。
メスナー読み終える
6/27雪→曇→晴 BC(4:00)→デポ(6:30)泊(東野米山アリムサハシール)隊は石川森山根津渡辺後藤
歩行中はガス&雪到着後酷暑に。幅10センチのクレバスにトイレ作る。午後アリムサ、ハシールと同じテント。酒を飲ませたらハシールゲロ吐く。イスラム教徒で飲み慣れていないのに。
6/28
快晴 デポ(5:30)→C1(7:30)泊(東野米山アリムサハシール)隊は石川森山根津渡辺後藤 キャンプ1初めて泊まる。デポとの標高差はあまり無いが長い落とし穴だらけの氷河を歩く。行く手のルートがよく見える。イブラヒムの高笑い。少々頭痛。
6/29
快晴→曇→快晴 C1(5:30)→デポ地(6:30)→BC(8:00)(東野米山ハシールアリムサ)時間が遅いとクレバス隊の雪が緩むので朝動く ハシールとアリムサは1時半起きでデポ地逆ボッカ。BCのパーティーも増えてきた。午後はドイツ隊、池さんらを訪問。久しぶりに洗濯。
6/30
快晴 村口さん、堀井ドクター到着 昨日雪崩で死んだフランス人スキーヤーを上へ運んでいった。夕方ヘリコが搬出していく。午後、水場を作る。
7/1
雪→晴れ 斉藤、田中C1から下る BCに皆集合夕食ウナギ。読書「古武術の発見」読み終える。
7/2
湿雪 BC(4:00)→C1(9:20)(東野、米山、ハシール)(石川、根津、渡辺、後藤、森山、浅野) 朝から湿雪15キロ背負ってやや疲れる。到着後昼寝暖かい。雪は終日続く。大テントは快適夕方森山とイブラヒムが訪問。
7/3
晴れ 休み 朝まで雪。他パーティーは下山していく。どうせ2,3日は雪崩警戒で動けない。GIIふところの大雪崩三回。うち二回撮る。読書「武蔵野夫人」
7/4
晴れ 休み
テント張り、トイレ掘り 「武蔵野夫人」読了
7/5
晴れ→ガス→雪 C1(4:15)→C2・6400m(8:30-9:00)→C1(11:00)(東野、米山、ハシール+森山、石川、渡辺)
その他ほとんどのBCの人はC1へ上がる。 初めてC2を往復急斜面はすべてフィックスされている。途中からハイポーターがラッセル。テントを二つ張って下山。途中池さんとスペイン隊とすれ違う。C1へ戻るとほぼ全員登ってきていた。ハシールがC2手前の雪稜でデポ品見つける。
7/6
晴れ 休み。村口、斉藤は急斜面のユマーリング講習を撮影に行く テントひっくり返して整地。「天風先生座談」読了。午後缶酒開け飲む。
7/7
晴れ C1(4:00)→第一ギャップ往復撮影→C1(7:30-8:30)→BC(10:00) 初めてC2へ行く組、第二グループを撮る。村口、斉藤はそのままC2を往復。こちらは一気にBCへ下山。午後、よく眠る。インマルで家に電話。「暗夜行路」始め
7/8
晴れ 休み
村口、斉藤、田中C1→BCへ 昼飯後、今後の方針決める。醸造ビール味見。おおむね良し。パキスタン軍による対インド砲撃5,6発あり。
デポの品、アメリカ隊のものらしい。
7/9快晴 BC(4:30)→C1(8:30)(米山・ハシール)(石川、森山、根津、渡辺、浅野、高橋) 石川、森山、根津、渡辺、浅野は9:40頃着。高橋だけ10:30着ひどく疲労、石川が激励。午後昼寝。鍋の荷揚げが届いていない。登頂果たしたスペイン隊とすれ違う。
7/10
快晴 C1(4:30)→C2(8:30)(米山・ハシール)(石川、森山、根津、渡辺)+ポーター8人、初めてC2泊まり
個人装備荷物多く、やや疲れる。 C2のカメラはファインダーがイカれてる。到着後ハシールとアリムサにBC→C1ファインダーのリレーをしてもらう。C2には韓国の池さんがいた。登頂果たしたイギリス隊が帰ってくる。ほか、ドイツスペイン、USとにぎやか。
7/11
晴れ→曇→雪 C2(5:40)→C3(6:30-7:18)→C2(8:10) (米山・ハシール)(石川、森山、根津、渡辺)
ポーターはC3へ荷揚げ、テント張りC3下に古い死体あり。 短い時間でC3に付いてしまう。池さんが一人アタックねらいで泊っている。シルバー隊はC1へ下る。村口はC1からのC3往復。僕と村口はC2もう一泊。隣はオーストリア男女が登ってきた。
7/12雪→晴 C2(5:40)→C1(6:40-7:40)→BC(10:40)(米山村口ハシール)
第二グループが雪の中C2へ来た C1→BCは気温高く、クレバスがゆるゆる。何度も隠れクレバスにハマる。C2に二泊したため頭痛あり。お腹もユルユル。BCではUS隊のデポ疑惑でキャプテンハシールとUSテントへ。
7/13曇→晴 休み
第二グループは雪の中C3へ 午前、腹をこわして食欲無し。テント移動。シルバー隊は荷揚げがうまく管理できず、無線でもめている。
7/14曇り→晴 休み
午後、東野斉藤BCへ帰る。 隊を3次隊までに分けることにする
午後、酸素ボンベ講習会池田さんインタ
ヘリコが低空で往来、けが人を運ぶらしい。
7/15快晴 休み
午前「暗夜行路」
昼、ビールを出す午後、ビールのせいか息切れ 高橋さん登頂諦め渡辺さんに寄せ書き日章旗を渡す。
7/16曇→雪→曇 BC(4:00)→C1(8:30)(米山、村口、ハシール、モハメット)(石川森山、渡辺、根津) 天気は今日だけ悪いのか、下り坂なのか良くわからない。ひさしぶりのせいかとても疲れた。
夜中雪降る
7/17ガス→雪→晴 ハイポーターの休日朝一番でBCへ帰ってしまう。 どのパーティーもC2へ行かない。荷揚げ計画滞る。
7/18晴→曇 休みポーターの休み
日中はGII見えるが絹雲が流れ悪い兆候 昼はシルバー隊と共に麦とろ飯ホットケーキを呼ばれる。午後昼寝。夕方池さんを招いてカレーなど食べる。19日は誕生日とのこと。
7/19
雪→晴風 夜半からの雪5センチつもる。9時頃まで雪。石川の説得でポーターの荷揚げ始まるBC→C1 終日読書。熱く涼しい。おいしい食べ物は次第に無くなる。
7/20快晴 C1(7:20)→C2(10:00)(米山・村口・ハシール・ムハンマド)(石川森山渡辺根津)撮影なしで出る ポーター半分は引き続きC3へデポに行く。東野斉藤はBC→C1郡山隊は順化のためC2にむかっているが全員とても遅い。酸素残量早見表をザックに書き込む。ハイポーターはC3-C4間工作へ。
7/21
快晴→
ガス C2(4:20)→C3(6:30-7:30)→7400mC4(11:00) (米山・村口・ハシール・ムハンマド)(石川森山渡辺根津)C3-C4間は急なガレ休み場無し 初めての7400mに重荷で皆疲れたが、C4につくとストーブヘッドが届いていない。テントを張りながら、ずさんな荷揚げ計画に怒。クルバーンシャーが取りに戻る。彼もそのままアタック隊員に。(16:00)戻る。
7/22
快晴→ガス→晴 C4(4:20)→山頂(9:00-10:20)→C4(11:30-14:20)→C3(15:20)朝晴れバーナー不足で出発は遅い。結局米山がラッセルで日の当たるところで待ち受け。ハシール、ムハンマド共スピード出ず。 酸素を吸っているので低地のように行動できる。肩から山頂まではダラダラとフィックスしており、この待ち時間におかげで遅れたハシールの持つカメラを取りに行けた。頂上は忙しい。シルバー隊は30分足らずいただけで降りてしまう。下りは早い。C4でカメラを乾かす。とても疲れた。
7/23
雪風→晴 C3(8:16)→C2(9:00-10:00)→C1(11:30)二次隊の来るのを待ってC3で遅く起きる C3下で二次隊と会う。深瀬さんが非常に遅く、C2から助けに行く。村口さんはそれにつきあいC2に残る。二次隊はC4目指したが強風で諦めC2へ泊。夜は村口斉藤渡辺根津で晩飯。
7/24
雪→晴 休み。二次隊もC2で休み
一晩中雪で10センチ積もる。読書「暗夜行路」読了 朝から雪。熱くなったり寒くなったり。「トコロテンの夏」も読了。
7/25快晴 C1(7:30)→BC(11:00)
二次隊はC2→C4へ三次隊はC2→C3へ 堀井ドクター、サディックとすれ違う。15:00ころ一次隊は全員BCへ。ずいぶん変わっている。二次隊はC4で天気良いらしく平田さん感激の無線。ところが20:00頃浅野さん脳浮腫錯乱症状。午前3:30過剰な睡眠薬摂取のためと解る。BCでも寝ずの無線、キャプテンはヘリコ手配。
7/26ガス→雪 BC休み。二次隊アタック失敗浅野池田残し5:00発(平田、田部井、東野、後藤)8:00肩、9:30引き返し 出発時間が遅れ池田も残った。深瀬片柳BCに戻る。徹夜の田中午後寝る。
7/27
晴れ BC休み。第三次隊C4届かず引き返し14:00になっても着かないので池田隊長判断 C4にシュラフが足りない、食料も補給されていないなど問題。田中怒。ハガキを何人かに書く。ヨハネ藤原に電話。
7/28晴れ 東野斉藤アリムサらBCに戻る
浅野後藤BC戻る、三次隊遠藤北山C1へ戻る 兵庫岳連GIのC3で骨折事故夜遅くまでリエゾンオフィサーらテント占める。「シッダールタ」読了
7/29
晴れ C1にいた全隊員BCに下山。ためらいの握手 夕方村口お好み焼き作る。遠藤、深瀬、片柳インタ
夕飯、キャプテンの鶏肉差し入れ。「どくろ杯」読む
凄い流れ星
7/30晴れ時々小雪 休み
あまり暑くならない日。 夕方ビールを空けて大いに飲む平田、田部井、池田、渡辺、堀井、サディク、キャプテン
7/31晴れ→曇→小雪 朝、個別写真撮影
GIIの見える丘で平田、田部井、渡辺にインタ。梱包を始める。 夕方低地ポーター100人が1日早く来たので一部が下山を明日にしたいと言いだしまたもめる。夜森山が来て1時間静かに飲む。後、渡辺、掘、キャプテン、東野、斉藤、田中で盛り上がる
8/1晴れ BC片づけの日。BC最後のインタ1次隊員と隊長。夕方シムシャールのハイポーターが個人装備を低地ポーターに持たせたいとしてまたもめる。 低地ポーターの数100人では足りず、結局荷物をいくつか残し、再び取りに来る事になる。
夜は屋外で飲む。
8/2 BC(8:00)→VIRGO氷河左岸5080mアリcamp(16:00)バルトロ氷河を下りゴンドコロ峠への支流氷河を左へ。 出発前荷物分けが間に合わず2時間遅れる。行程は長い。荷物をうっかり17,8キロも持ってしまい疲れる。氷河上は所々渡るのにつらい流れあり。天場はテント晴れる場所少なくシルバー隊は大テントでザコ寝。
8/3快晴 アリキャンプ(2:30)→ゴンドコロ峠(5:30-7:00)→ヒュースパン(10:00) 峠の下りがガレガレなので朝早く出るのがここの決まりらしい。夜通しポーターの作業の声がしていた。真っ暗闇を出発。 氷河は凍り付き歩きやすい。夜が明けると結構な壁を登ることが解る。低地ポーターの中にはズックにクランポンの輩も多い。峠では日の出、ガッシャー山群、K2が見える。平田さんの骨埋め撮影。下りは急斜面と凍ったガレ。天場は花と緑の草地。一ヶ月ぶりだ。
8/4快晴 ヒュースパン4800m(6:20)→セイチョウ3700m(12:00)ヒュースパンで緑を見てほっとしたが氷河はまだ終わらない。左岸のモレーンを下る。次第に暖かくなる。 4000m上でビャクシンの樹林帯に入る。上の方ではバラの木の花が満開。マッシャーブルム見える。セイチョウは川の二股。日が暮れても暖かい高さに降りてきた。洗濯する。商店有り。鶏肉料理を食べる。人家まで2時間という。
8/5
晴れ→曇り→雨 セイチョウ(6:20)→フーシェ(9:00-13:00)→車に乗ってカンデ3000m(14:00)左岸の草道を下り田の畦を通り、フーシェの村はずれにマッシャーブルムを見る。 カンデへの手前で橋が壊れているのでジープはこの前後で乗り換えて往復。このためフーシェで時間待ち。低地ポーター達が給料でもめている。カンデは右岸支流からの土石流で真ん中が瓦礫のデブリ。学校の庭にテント張る。子供がしつこくペンをねだる。砂埃復活
8/6雨→曇り→晴 カンデ(8:00)→マチュール(9:30-11:00)→スカルド(14:30)小雨のため砂埃が立たず好都合。標高が下がると丁度刈り入れ時期の麦畑。杏の実がどこにいっても沢山。 マチュールでアブドゥーの家に行きお茶をごちそうになる。迷路のような家並み。そのあと公民館で昼食。肉や果物を食べる。イブラヒムの息子二人に会う。マチュールは比較的大きな集落。サディク、サラーム、ムハンマドもここの出身。雨上がりスカルドへ。K2モーテルは満室でフンザインへ。
8/7快晴→曇 朝ゆっくり起きて午前もう一度パッキング手持ちと後送りに分ける。午後昼寝。15:00田中佐藤とスカルドの町で買い物。ポロの試合見かける。 14日の建国記念日に向け、国旗やキノコ雲ミサイルバッジを売る人が多い。時々鉄砲の音。キャプテン両手にいっぱいバルチスタンのベストと帽子。チベット料理屋でチキンヌードル。骨董屋で100年前のカップ12.5ドル、キャプテンが値切る。K2モーテルで食事
8/8曇 スカルド(7:30)→チラス(16:00)
昨夜は遅くまでキャプテンと話していた。撮影隊5人と堀井ドクターとでスカルド出る。皆とお別れ。 途中道が壊れて不通、イスラマバードからの車と乗り換えの予定だったが、開通していてそのまま。一日バス旅。昼食のチャパティーとダルは品数多く食べ過ぎるほどおいしい。脳内音楽飽きた頃パノラマモーテル到着。
8/9晴れ チラス(6:30)→ベシャームで昼寝→イスラマバード(21:00)相変わらずのガタガタ道。何も成さずに唯窓の外を見ているのみ。 ベシャームのゲストハウスは珍しく食事がまずい。ナンガパルバットは帰り道はとうとう見えなかった。アボッタバードで日が暮れる。イスラマバードではマリオットホテルで豪華。ダブルベッドにルームサービスビールでゴキゲン。
8/10
雨→曇 イスラマバード→ラワルピンディー往復。朝はゆっくりして日パトラベルに挨拶に行く。出国許可書をとりに代筆屋へ行く 午後はラワルピンディの市場サラームが一日つき合う。地図、岩塩、骨董を見る。イタリア食堂で晩ホテルに帰ると大住さんが密輸ビールの差し入れ。
8/11 イスラマバード(10:00)→ラホール(15:00)モーターウエイでラホールへ途中は灌木のみの半砂漠帯、レンガの家が少々あるのみ。道がいいので読書が出来るほど。 ラホールは水路で大木の多い町。流行の食い放題レストランで遅い昼食、フォート隣のタージマハル風モスクを見る。赤い砂岩のモスク。インパ国境の旗下げ式を見る。空港では411キロ超過でエクセスは1700ドルに負けてもらう。
8/12 ラホール(4.5時間)→バンコク(6.5時間)→午後16時成田着 成田で麻薬犬に疑われる。渋谷で東野斉藤玉木と飲む。
MARGALA MOTEL 時差は4時間。北京経由でテンシャンの上を飛ぶ禁酒のPK航空で酒持ち込み12時間過ごす。ボゴダ上空でコクピットに入れてもらう。カラコルムはガスの中、ホテルは樹林の中。
6/2 Immigration office
荷物の点検、日パ旅行社(徳永、大隅、SADDIQ)
インパ核実験で来ている螺良・井上さんと食事
6/3 ジナーマーケット、アッパラマーケット リエゾンオフィサーはキャプテン・カン・ゼブ・チャン。インマル手続き忙殺
6/4 Islamabad(6:00)→アボッタバード(8:30)→ジジャール・断層の村(17:30)→チラール(21:30)泊 アボッタバードはキャプテンの実家でお茶代彼持ち。午後7時半、夕暮れにナンガパルバットを見る。
6/5 チラール(6:30)→ラキオト橋先(8:00)→スカルド(16:00) 田中体調壊す。今日から撮影。バスの中紹介カット。大きな集落はほとんどない。バス車中で遠藤にアララット、デマヴァンドの話聞くスカルド橋は徒歩で渡る。スカルドは広大な盆地。果物たくさん
6/6 荷物再梱包
ハイポーター顔見せ
買い物 田中復活ハイポーターと25キロに荷造りシムシャール出身とフーシェ出身の二派がある。日中熱暑夕方砂風で過酷気候ホテル前はポーター希望者で人だかり
6/7 スカルドで準備 キャプテンとバルチスタン服を買う、ウルドゥー文字を教わる。キャプテンは支払いをさせない。隊は若い三人が元気ない。
6/8 スカルドで準備 隊員一人ずつの声を撮る。夜はうらさびしい高級庭園シャングリラホテルで食事
6/9 スカルドをジープで発(8:30)→ハイデラバード(12:00)→トンガール2800m(16:00) サディックは徹夜で積み込み。夜のシガールは砂漠のオアシス。トンガールまでは恐怖の断崖道路。運転手はラナビー。ハイポーターはよく働く。今日人選。
6/10 高所順応の日
2855m発(7:00)→裏山4000m(10:00-30)→天場(12:30) 棚田の集落を抜け乾いた山へ。平田森山後藤は早い北原浅野遅い。大山池田は途中まで
6/11
曇り トンガル(7:30)→ビアフォ氷河分岐(11:00)→パンマー氷河で渡渉(14:00)→ガラリで渡渉(15:00-17:00)→ジュラ3100m ポーターの長い列を撮ろうと良い場所を探すが暫く無い。カメラアシスタントはシムシャール出身のアリムサとハシール。アリムサは最年少英語が一番うまい。渡渉は猛烈に冷たい。ガラリ(綱渡りかご)は一回三分渋滞。16時が過ぎ、対岸に泊まるポーターも居る。
6/12 曇→雨 ジュラ(6:30)→バルドゥマール先の河原で昼お茶ポーターたき火→パイユ3400m(14:00)
デュモルド川左岸を本流へ戻り、単調な石ころ河原を行く。天気は曇りやや寒い晴れていれば酷暑地獄のはず。トンガル以来ずっと木がなかったのにパイユだけが奇跡の森で広い枝、ポプラ、柳。しかしポーターはたき火だらけ。根津足を痛める。
6/13
晴→曇 休息の日
太陽熱温水で洗濯、遠藤さんの植樹数人インタ 夜、苦しくてテントの窓を開ける洗濯、洗髪。他のパーティーもいてにぎやか。急斜面の森の中、棚状にテント場。ヤギを殺す。酒を飲む。
6/14
曇
晴 パイユ(6:20)→リリゴ3500m(10:00) ハシール、アリムサ先に行ってしまう。短いが半日行程。田部井さんと寺井APの話をする。リリゴはトランゴ氷河分岐。トランゴタワーが見えた。キャプテンにウルドゥーを習う。孫の手を作る
6/15
曇→小雪→晴 リリゴ(6:30)→ウルドゥカス3860m(11:00) 延々モレーンの上。氷河だがガレ岩が表面を覆い。茶色。曇りで山の上の方は見えない。正面にカテドラルが少し見えるウルドゥカスは緑の草地あり。直ぐしたに軍の基地掘っ建て小屋風あり。パイユピーク、トランゴタワーが見える。
6/16
快晴 ウルドゥカス(6:10)→ビアーレ(9:10-11:30)→ゴレ(13;00) ガレガレの上を延々進む。巨大な山が続々。とりわけマッシャーブルムの茶色に惹かれる。ブロードピーク、正面三角のガッシャーブルム四峰がスゴい。その右に目指すGII発見。ゴレの風景はすばらしい。やっと砂埃のないところへ来た。元気ある人無い人に別れる。温水で洗髪。
6/17
快晴 ゴレ(6:30)→コンコルディア(9:30-11:00)→シャンマ4470m(12:00) 行程はほとんど雪の上。ムズタークタワーが節煙を上げ、ブロードピークが大きい。いくつもクレバス、小川を渡る。コンコルディアで平田さんの撮影。初めてK2を見る。シャンマはK2、チョゴリザ、バルトロカンリが見える丘の上。テント無しのポーターたちは島状態のガレに集まって石を積んでビニールをかけて野営。
6/18雪 シャンマ(6:48)→BC4840m
(12:00)最後の人は17時着 朝から降雪、終日晴れ間もあるが雪がやまない。ガッシャー氷河に入ったあたりから高所順応の壁を感じる。森山、渡辺は早い。BCについた人からインタビュー。夕方GIが姿を見せる。ポーターらは雪の中をズックで登ってくるのがスゴい。お金をもらって帰っていった。
6/19晴れ B.C動かず。朝一番、片道40分でGIIを見に行く。 今日は休みだがBC作りで結構働く大ドーム内を集会場らしくする。午後から体がだるくなる。発電器や無線アンテナなど組み立てる。息が苦しい。屁が臭い。
6/20
晴 腹の具合悪く休む
ドームテントの整理を齋藤らに任す ドームテントを住み良くする
武士道(新渡戸稲造)読み終わる
夜・兵庫岳連と夕飯キャプテンドームに
6/21
曇→晴→雪 BC(4:00)→5600mデポ地(7:40-8:30)→BC着(10:00) 歩き出すと調子がよい。アイスフォール帯も状態良し結構早くデポに付く帰りの時間は早くも雪が腐り出す。午後田部井さんにお茶を点ててもらう。
6/22
雪→晴 米山は休み読書(メスナー自伝)
東野,斉藤と2次隊は4:30発でデポキャンプへ向かうがアブドゥルが小さなクレバスに落ち、戻る 登山隊は午後、上部キャンプへの荷揚げの荷物分けをしているが、装備係が装備リストを把握していない様で作業が進まず、雰囲気が悪い。取材側は傍観。夜、キャプテンが来る。
6/23
晴→曇→晴 隊、取材隊とも昨日引き返しの続き。米山は読書。隊のサロンテントを作る。ハシール腹痛。 日中に気温いつものように上がらず過ごしやすい。ビール発酵樽の仕込み。ドームテントで豆を煮る。渡辺さん招く。東野誕生日ケーキ。隣に韓国の女性登山家池賢玉さん単独パーティー
6/24
曇→晴→曇 田中デポ往復
午前C1への荷造り、午後東野米山斉藤はアブドゥルの落ちた穴や氷河撮影 ハイポーターのデポ3日目
池賢玉と多少会話
6/25雪→晴 東野米山斉藤はデポ地往復
BC(4:00)→デポ(6:30-7:00)→BC(8:30)午後石川、イブラヒム、ラジャーブにインタ 朝は雪硬く、快適早いメンバーで行く。クレバスは広がってきている。兵庫岳連、池賢玉隊に会う。サロンテントで少々飲む。読書メスナー。
6/26
曇→晴 休み
ハイポーターはデポ往復 C1入りの隊ミーティングを撮る。午後は晴れ、結構寒かった。フネが一つ足りないのが発覚。
メスナー読み終える
6/27雪→曇→晴 BC(4:00)→デポ(6:30)泊(東野米山アリムサハシール)隊は石川森山根津渡辺後藤
歩行中はガス&雪到着後酷暑に。幅10センチのクレバスにトイレ作る。午後アリムサ、ハシールと同じテント。酒を飲ませたらハシールゲロ吐く。イスラム教徒で飲み慣れていないのに。
6/28
快晴 デポ(5:30)→C1(7:30)泊(東野米山アリムサハシール)隊は石川森山根津渡辺後藤 キャンプ1初めて泊まる。デポとの標高差はあまり無いが長い落とし穴だらけの氷河を歩く。行く手のルートがよく見える。イブラヒムの高笑い。少々頭痛。
6/29
快晴→曇→快晴 C1(5:30)→デポ地(6:30)→BC(8:00)(東野米山ハシールアリムサ)時間が遅いとクレバス隊の雪が緩むので朝動く ハシールとアリムサは1時半起きでデポ地逆ボッカ。BCのパーティーも増えてきた。午後はドイツ隊、池さんらを訪問。久しぶりに洗濯。
6/30
快晴 村口さん、堀井ドクター到着 昨日雪崩で死んだフランス人スキーヤーを上へ運んでいった。夕方ヘリコが搬出していく。午後、水場を作る。
7/1
雪→晴れ 斉藤、田中C1から下る BCに皆集合夕食ウナギ。読書「古武術の発見」読み終える。
7/2
湿雪 BC(4:00)→C1(9:20)(東野、米山、ハシール)(石川、根津、渡辺、後藤、森山、浅野) 朝から湿雪15キロ背負ってやや疲れる。到着後昼寝暖かい。雪は終日続く。大テントは快適夕方森山とイブラヒムが訪問。
7/3
晴れ 休み 朝まで雪。他パーティーは下山していく。どうせ2,3日は雪崩警戒で動けない。GIIふところの大雪崩三回。うち二回撮る。読書「武蔵野夫人」
7/4
晴れ 休み
テント張り、トイレ掘り 「武蔵野夫人」読了
7/5
晴れ→ガス→雪 C1(4:15)→C2・6400m(8:30-9:00)→C1(11:00)(東野、米山、ハシール+森山、石川、渡辺)
その他ほとんどのBCの人はC1へ上がる。 初めてC2を往復急斜面はすべてフィックスされている。途中からハイポーターがラッセル。テントを二つ張って下山。途中池さんとスペイン隊とすれ違う。C1へ戻るとほぼ全員登ってきていた。ハシールがC2手前の雪稜でデポ品見つける。
7/6
晴れ 休み。村口、斉藤は急斜面のユマーリング講習を撮影に行く テントひっくり返して整地。「天風先生座談」読了。午後缶酒開け飲む。
7/7
晴れ C1(4:00)→第一ギャップ往復撮影→C1(7:30-8:30)→BC(10:00) 初めてC2へ行く組、第二グループを撮る。村口、斉藤はそのままC2を往復。こちらは一気にBCへ下山。午後、よく眠る。インマルで家に電話。「暗夜行路」始め
7/8
晴れ 休み
村口、斉藤、田中C1→BCへ 昼飯後、今後の方針決める。醸造ビール味見。おおむね良し。パキスタン軍による対インド砲撃5,6発あり。
デポの品、アメリカ隊のものらしい。
7/9快晴 BC(4:30)→C1(8:30)(米山・ハシール)(石川、森山、根津、渡辺、浅野、高橋) 石川、森山、根津、渡辺、浅野は9:40頃着。高橋だけ10:30着ひどく疲労、石川が激励。午後昼寝。鍋の荷揚げが届いていない。登頂果たしたスペイン隊とすれ違う。
7/10
快晴 C1(4:30)→C2(8:30)(米山・ハシール)(石川、森山、根津、渡辺)+ポーター8人、初めてC2泊まり
個人装備荷物多く、やや疲れる。 C2のカメラはファインダーがイカれてる。到着後ハシールとアリムサにBC→C1ファインダーのリレーをしてもらう。C2には韓国の池さんがいた。登頂果たしたイギリス隊が帰ってくる。ほか、ドイツスペイン、USとにぎやか。
7/11
晴れ→曇→雪 C2(5:40)→C3(6:30-7:18)→C2(8:10) (米山・ハシール)(石川、森山、根津、渡辺)
ポーターはC3へ荷揚げ、テント張りC3下に古い死体あり。 短い時間でC3に付いてしまう。池さんが一人アタックねらいで泊っている。シルバー隊はC1へ下る。村口はC1からのC3往復。僕と村口はC2もう一泊。隣はオーストリア男女が登ってきた。
7/12雪→晴 C2(5:40)→C1(6:40-7:40)→BC(10:40)(米山村口ハシール)
第二グループが雪の中C2へ来た C1→BCは気温高く、クレバスがゆるゆる。何度も隠れクレバスにハマる。C2に二泊したため頭痛あり。お腹もユルユル。BCではUS隊のデポ疑惑でキャプテンハシールとUSテントへ。
7/13曇→晴 休み
第二グループは雪の中C3へ 午前、腹をこわして食欲無し。テント移動。シルバー隊は荷揚げがうまく管理できず、無線でもめている。
7/14曇り→晴 休み
午後、東野斉藤BCへ帰る。 隊を3次隊までに分けることにする
午後、酸素ボンベ講習会池田さんインタ
ヘリコが低空で往来、けが人を運ぶらしい。
7/15快晴 休み
午前「暗夜行路」
昼、ビールを出す午後、ビールのせいか息切れ 高橋さん登頂諦め渡辺さんに寄せ書き日章旗を渡す。
7/16曇→雪→曇 BC(4:00)→C1(8:30)(米山、村口、ハシール、モハメット)(石川森山、渡辺、根津) 天気は今日だけ悪いのか、下り坂なのか良くわからない。ひさしぶりのせいかとても疲れた。
夜中雪降る
7/17ガス→雪→晴 ハイポーターの休日朝一番でBCへ帰ってしまう。 どのパーティーもC2へ行かない。荷揚げ計画滞る。
7/18晴→曇 休みポーターの休み
日中はGII見えるが絹雲が流れ悪い兆候 昼はシルバー隊と共に麦とろ飯ホットケーキを呼ばれる。午後昼寝。夕方池さんを招いてカレーなど食べる。19日は誕生日とのこと。
7/19
雪→晴風 夜半からの雪5センチつもる。9時頃まで雪。石川の説得でポーターの荷揚げ始まるBC→C1 終日読書。熱く涼しい。おいしい食べ物は次第に無くなる。
7/20快晴 C1(7:20)→C2(10:00)(米山・村口・ハシール・ムハンマド)(石川森山渡辺根津)撮影なしで出る ポーター半分は引き続きC3へデポに行く。東野斉藤はBC→C1郡山隊は順化のためC2にむかっているが全員とても遅い。酸素残量早見表をザックに書き込む。ハイポーターはC3-C4間工作へ。
7/21
快晴→
ガス C2(4:20)→C3(6:30-7:30)→7400mC4(11:00) (米山・村口・ハシール・ムハンマド)(石川森山渡辺根津)C3-C4間は急なガレ休み場無し 初めての7400mに重荷で皆疲れたが、C4につくとストーブヘッドが届いていない。テントを張りながら、ずさんな荷揚げ計画に怒。クルバーンシャーが取りに戻る。彼もそのままアタック隊員に。(16:00)戻る。
7/22
快晴→ガス→晴 C4(4:20)→山頂(9:00-10:20)→C4(11:30-14:20)→C3(15:20)朝晴れバーナー不足で出発は遅い。結局米山がラッセルで日の当たるところで待ち受け。ハシール、ムハンマド共スピード出ず。 酸素を吸っているので低地のように行動できる。肩から山頂まではダラダラとフィックスしており、この待ち時間におかげで遅れたハシールの持つカメラを取りに行けた。頂上は忙しい。シルバー隊は30分足らずいただけで降りてしまう。下りは早い。C4でカメラを乾かす。とても疲れた。
7/23
雪風→晴 C3(8:16)→C2(9:00-10:00)→C1(11:30)二次隊の来るのを待ってC3で遅く起きる C3下で二次隊と会う。深瀬さんが非常に遅く、C2から助けに行く。村口さんはそれにつきあいC2に残る。二次隊はC4目指したが強風で諦めC2へ泊。夜は村口斉藤渡辺根津で晩飯。
7/24
雪→晴 休み。二次隊もC2で休み
一晩中雪で10センチ積もる。読書「暗夜行路」読了 朝から雪。熱くなったり寒くなったり。「トコロテンの夏」も読了。
7/25快晴 C1(7:30)→BC(11:00)
二次隊はC2→C4へ三次隊はC2→C3へ 堀井ドクター、サディックとすれ違う。15:00ころ一次隊は全員BCへ。ずいぶん変わっている。二次隊はC4で天気良いらしく平田さん感激の無線。ところが20:00頃浅野さん脳浮腫錯乱症状。午前3:30過剰な睡眠薬摂取のためと解る。BCでも寝ずの無線、キャプテンはヘリコ手配。
7/26ガス→雪 BC休み。二次隊アタック失敗浅野池田残し5:00発(平田、田部井、東野、後藤)8:00肩、9:30引き返し 出発時間が遅れ池田も残った。深瀬片柳BCに戻る。徹夜の田中午後寝る。
7/27
晴れ BC休み。第三次隊C4届かず引き返し14:00になっても着かないので池田隊長判断 C4にシュラフが足りない、食料も補給されていないなど問題。田中怒。ハガキを何人かに書く。ヨハネ藤原に電話。
7/28晴れ 東野斉藤アリムサらBCに戻る
浅野後藤BC戻る、三次隊遠藤北山C1へ戻る 兵庫岳連GIのC3で骨折事故夜遅くまでリエゾンオフィサーらテント占める。「シッダールタ」読了
7/29
晴れ C1にいた全隊員BCに下山。ためらいの握手 夕方村口お好み焼き作る。遠藤、深瀬、片柳インタ
夕飯、キャプテンの鶏肉差し入れ。「どくろ杯」読む
凄い流れ星
7/30晴れ時々小雪 休み
あまり暑くならない日。 夕方ビールを空けて大いに飲む平田、田部井、池田、渡辺、堀井、サディク、キャプテン
7/31晴れ→曇→小雪 朝、個別写真撮影
GIIの見える丘で平田、田部井、渡辺にインタ。梱包を始める。 夕方低地ポーター100人が1日早く来たので一部が下山を明日にしたいと言いだしまたもめる。夜森山が来て1時間静かに飲む。後、渡辺、掘、キャプテン、東野、斉藤、田中で盛り上がる
8/1晴れ BC片づけの日。BC最後のインタ1次隊員と隊長。夕方シムシャールのハイポーターが個人装備を低地ポーターに持たせたいとしてまたもめる。 低地ポーターの数100人では足りず、結局荷物をいくつか残し、再び取りに来る事になる。
夜は屋外で飲む。
8/2 BC(8:00)→VIRGO氷河左岸5080mアリcamp(16:00)バルトロ氷河を下りゴンドコロ峠への支流氷河を左へ。 出発前荷物分けが間に合わず2時間遅れる。行程は長い。荷物をうっかり17,8キロも持ってしまい疲れる。氷河上は所々渡るのにつらい流れあり。天場はテント晴れる場所少なくシルバー隊は大テントでザコ寝。
8/3快晴 アリキャンプ(2:30)→ゴンドコロ峠(5:30-7:00)→ヒュースパン(10:00) 峠の下りがガレガレなので朝早く出るのがここの決まりらしい。夜通しポーターの作業の声がしていた。真っ暗闇を出発。 氷河は凍り付き歩きやすい。夜が明けると結構な壁を登ることが解る。低地ポーターの中にはズックにクランポンの輩も多い。峠では日の出、ガッシャー山群、K2が見える。平田さんの骨埋め撮影。下りは急斜面と凍ったガレ。天場は花と緑の草地。一ヶ月ぶりだ。
8/4快晴 ヒュースパン4800m(6:20)→セイチョウ3700m(12:00)ヒュースパンで緑を見てほっとしたが氷河はまだ終わらない。左岸のモレーンを下る。次第に暖かくなる。 4000m上でビャクシンの樹林帯に入る。上の方ではバラの木の花が満開。マッシャーブルム見える。セイチョウは川の二股。日が暮れても暖かい高さに降りてきた。洗濯する。商店有り。鶏肉料理を食べる。人家まで2時間という。
8/5
晴れ→曇り→雨 セイチョウ(6:20)→フーシェ(9:00-13:00)→車に乗ってカンデ3000m(14:00)左岸の草道を下り田の畦を通り、フーシェの村はずれにマッシャーブルムを見る。 カンデへの手前で橋が壊れているのでジープはこの前後で乗り換えて往復。このためフーシェで時間待ち。低地ポーター達が給料でもめている。カンデは右岸支流からの土石流で真ん中が瓦礫のデブリ。学校の庭にテント張る。子供がしつこくペンをねだる。砂埃復活
8/6雨→曇り→晴 カンデ(8:00)→マチュール(9:30-11:00)→スカルド(14:30)小雨のため砂埃が立たず好都合。標高が下がると丁度刈り入れ時期の麦畑。杏の実がどこにいっても沢山。 マチュールでアブドゥーの家に行きお茶をごちそうになる。迷路のような家並み。そのあと公民館で昼食。肉や果物を食べる。イブラヒムの息子二人に会う。マチュールは比較的大きな集落。サディク、サラーム、ムハンマドもここの出身。雨上がりスカルドへ。K2モーテルは満室でフンザインへ。
8/7快晴→曇 朝ゆっくり起きて午前もう一度パッキング手持ちと後送りに分ける。午後昼寝。15:00田中佐藤とスカルドの町で買い物。ポロの試合見かける。 14日の建国記念日に向け、国旗やキノコ雲ミサイルバッジを売る人が多い。時々鉄砲の音。キャプテン両手にいっぱいバルチスタンのベストと帽子。チベット料理屋でチキンヌードル。骨董屋で100年前のカップ12.5ドル、キャプテンが値切る。K2モーテルで食事
8/8曇 スカルド(7:30)→チラス(16:00)
昨夜は遅くまでキャプテンと話していた。撮影隊5人と堀井ドクターとでスカルド出る。皆とお別れ。 途中道が壊れて不通、イスラマバードからの車と乗り換えの予定だったが、開通していてそのまま。一日バス旅。昼食のチャパティーとダルは品数多く食べ過ぎるほどおいしい。脳内音楽飽きた頃パノラマモーテル到着。
8/9晴れ チラス(6:30)→ベシャームで昼寝→イスラマバード(21:00)相変わらずのガタガタ道。何も成さずに唯窓の外を見ているのみ。 ベシャームのゲストハウスは珍しく食事がまずい。ナンガパルバットは帰り道はとうとう見えなかった。アボッタバードで日が暮れる。イスラマバードではマリオットホテルで豪華。ダブルベッドにルームサービスビールでゴキゲン。
8/10
雨→曇 イスラマバード→ラワルピンディー往復。朝はゆっくりして日パトラベルに挨拶に行く。出国許可書をとりに代筆屋へ行く 午後はラワルピンディの市場サラームが一日つき合う。地図、岩塩、骨董を見る。イタリア食堂で晩ホテルに帰ると大住さんが密輸ビールの差し入れ。
8/11 イスラマバード(10:00)→ラホール(15:00)モーターウエイでラホールへ途中は灌木のみの半砂漠帯、レンガの家が少々あるのみ。道がいいので読書が出来るほど。 ラホールは水路で大木の多い町。流行の食い放題レストランで遅い昼食、フォート隣のタージマハル風モスクを見る。赤い砂岩のモスク。インパ国境の旗下げ式を見る。空港では411キロ超過でエクセスは1700ドルに負けてもらう。
8/12 ラホール(4.5時間)→バンコク(6.5時間)→午後16時成田着 成田で麻薬犬に疑われる。渋谷で東野斉藤玉木と飲む。
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
シルバータートル隊の中高年パーティーの挑戦に同行する。年寄りたちの8000m峰挑戦。90年代を通して増えた中高年登山者たちの最高峰、シルバータートルはしかし、実力者ばかりではなかった。寄せ集めであるのは仕方がないとしてもあきらかに日本の冬山経験さえ不足している人が半数はいた。それらも含めてパーティーを編成した池田さんは、リーダーとして度胸と度量があったことにはまちがいない。どちらにせよ個人主体の判断がもとめられた隊である。主体的な判断という物は高所では必ずあてにならぬ物だ。 僕にとって初めてのカラコルム。イスラマバードから北へ向かい、ナンガパルバットの脇を奥地へ奥地へ。個人的に登るなら、ナンガパルバットだ。スカルドゥは砂埃の町、インダス川を奥へ。バルトロ氷河は長い旅、毎日次々現れる名だたる名峰を左に右に、メンバーの顔を憶えながら、山を見ながら調子を見ながら進む。途上で一番気に入った山はマッシャーブルム。品の良い鋭鋒と雪の斜面が目を引いた。ガッシャーブルムIV峰、ブロードピーク、K2との出会い、そしてガッシャーブルムI峰とチョゴリザが見えればもうベースだ。 GIIはベースの先15分ほど進んだ先で初めて見えた。一番楽な8000m峰とあって、各国パーティーがたくさん来ている。シルバー隊同様、自分の面倒が見られそうもないメンバーを含む隊も一見して分かる。人の多い山はろくな事がない。物が無くなったり、装備をあてにされたり、イライラすることも増える。 荷揚げはベースからクレバス帯を抜けて大雪原の中間部に借りのC1を作る。その先にC1を築く。クレバス帯はこれまで見たことがないほど深くて幅があった。さすが8000m峰だ。しかもたびたび踏み抜いた。 C1はG1のキャンプも兼ねているため人が多い。ここまでが雪原、ここから上は傾斜が強まる。先行パーティーがべったりとフィックスしてあった。かなり傾斜がある細目の稜線を登ったところがC2。途中の細いピナクルの上で足場をほっていたらアメリカ隊のデポを発見。この行程は細くて急でいやなルートだが、フィックスを張って、何度も往復すると大したことがなくなる。極地法登山とは、新鮮な緊張すべきルートを味気ないものに変えていってしまう方法である。 C2は、急斜面の中、段差のようになった比較的広いテラスだ。5600m。テントを勝手に使って汚す連中や、シュラフを貸してくれという連中がいて閉口する。 C3 (6300m)へは細くはないが急な雪面となる。けっこうラッセルもあるのだが、単調に高度を上げていく場所だ。C4直前で何年前のものかわからないミイラ化した死体のあるリッジを越えて、C3。まだ圧倒的な展望は得られない。チョゴリザとG1が相対し始める。ここで一泊したところで、高度順応の往復をいったんやめ、ベースにもどってアタックする段取りなのだが、最終キャンプの第4に一度もいかずに順応課程をやめるという作戦が腑に落ちなかった。隊員の中にはこのC3にもとどかぬ者や、着いても青息吐息の者も多かった。隊の方針は、本人がだめだと判断するまではやらせるというものだった。だが結果的には自分で判断のできる力のある者はほとんどいなかったのではないだろうか。 結局上部への高度順応課程をC3までで終え、アタック行程にはいった。第一次隊員は石川、森山、渡辺、根津と僕、村越、そしてハイポーターが合計5人だ。隊員は手堅い人選だ。森山さん以外はシルバーですでに八千を幾つものぼっている常連、森山さんはおそらく体力ナンバーワンだ。中では根津さんが一番よわってきていた様に思う。 C3から上は、隊員は誰一人いったこともないままハイポーターの作った7400mのC4へ。この高さは僕にも初めてだ。雪の少ない、もろい小岩がぽろぽろ落ちるような、いやな急斜面が続いた。さすがに酸素なしでこの高さは応える。だが、C4から上は酸素を使う計画なので、ここが無酸素の事実上の最高点と考えていいだろう。前回のチョモラーリもこの高さだった。 C4にはストーブが一つも届いていなかった。荷揚げ計画は当初からずさんだったが、失敗を修正しようという機能はどこにも働かず、ここで致命的なミスになった。超人クルバーンシャーがとりにもどった。日が暮れる前に戻ってきてやっと茶を飲めた。クルバーンシャーはアタック隊員に急遽加わった。 アタックの朝、隊員よりも手際よく出発するため、準備万端で待っていたが、本体はいつまでたっても発たない。前から撮れるチャンスでもあり、僕がラッセルにでる。ヘッドランプで照らす雪面は、膝くらいまで潜る。だが酸素の威力は凄い。日本の山と大して変わらないペースで前進する。特に指先も冷たくはない。薄明かり、雲海に茜、ロングが撮れる明るさになり、カメラを構え撮影する。韓国の単独女性、池賢玉ジ・ヒョンオクも登ってきた。斜面は急なのだがずいぶん高度にも傾斜にも慣れてしまったような気がする。雪が潜るせいか、滑落しそうな気が全然起きない。肩への急斜面を越えれば向こうが見えると期待して、コルに立ったが、雲海の霧が登り、ガスに巻かれる。たいした展望などない。ここからは風が一気に強くなった。 肩から上の雪面はよりいっそうのラッセルになる。メルバーンシャアたちハイポーターがほとんど先頭。隊員はその後ろをゆっくり着いていくので、僕は抜かしたくてしょうがないが、一応フィックスを張っているトップを抜かすのも悪いので待っている。それにハイビジョンカメラを背負ったハシールシャアがばてて、肩のあたりで座り込んでしまっている。この最後の200mほどの斜面さえ登ってしまえば山頂なのだが、カメラがなくては仕事にならないので、トップのラッセルを隊員たちと待つだけならばと、カメラを取りに戻る。酸素を吸っているので担いで帰っても全然へっちゃらだ。これなら次回はハイポーターはいらないくらいだと確信する。カメラをとって戻ると皆山頂直下の堅い急斜面のフィックス部分で順番待ちしている。この先は10mほどの雪稜を抜けると山頂だった。 山頂直下のフィックスで一人ずつ抜けるため、僕が登ったときには石川さんなどは入れ違いにあっというまに下ってしまった。全員そろっての記念撮影もしないで。低酸素の状況では性格がよく発揮される。山頂での撮影は不満足なものに終わってしまった。登山隊員が短時間で降りてしまい、ハイポーターたちと村口さんと池さんだけになってしまった。仕方がないので撮れるものを撮る。一時間近く山頂にいたことになる。コンコルディアで別れたK2が山頂にきて初めて見える。僕は到着直後の撮影からずっと酸素マスクをはずしていたが、大して影響はなかった。下りも必要が無く、使わなかった。 肩を過ぎて急斜面をC4にトラバースするあたりで石川さんはかなりスピードを落としてゆっくり歩いていた。急いで下っていった理由がわかった気がした。これだけ八千mばかり登っているから、自分の体の限界をよく知っているのだろう。 C4に帰ると、茶を飲んだ。もうなにもやる気が起きないが今日中にC3に戻らないとやばい。C3では本来の苦しい夜を味わう。酸素なしでは眠れやしない。 翌日登ってきた二次隊は、メンバーの睡眠薬服用による夜中の錯乱騒ぎと、不運な天候のため、肩から先の斜面を少し登ったところで引き返し。平田、田部井、東野は山頂を前に引き返した。 帰りのバルトロ氷河はゴンドゴロ峠を越えてマチュールを経由して帰った。峠からはカラコルムの八千m峰がそろって見えた。8000mで僕は強かった。またいつか登りにくることもあるだろうか。 |
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