高千穂の峰(過去レコです)。
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- GPS
- 32:00
- 距離
- 4.6km
- 登り
- 592m
- 下り
- 586m
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
飛行機
|
感想
Sさんからスキー旅行に誘われたが、「その日は墓参りに行かねばならないので」と断り、墓参りのついでに高千穂の峰に登ることにした。折角九州まで行くのだから開聞岳にも登ることにし、墓参りか山登りか、はたしてどちらがついでなのか分からない。2008年1月12日から14日までの3連休、天気予報は3日間とも雨マークがついており、雨中の登山になることを覚悟し、登山靴にはしっかりと防水スプレーをかけ準備万端整える。6時に自宅をタクシーで出て、名鉄電車でセントレアへ。ザックを背に、キャスター付きのトランクをコロコロ引きずって空港の中を歩き、慣れない搭乗手続きを済ませる。セキュリティーチェックのゲイト前は大混雑、余裕を持って来たつもりであったが、宮崎行き最終案内のアナウンスを聞きながら急いで機内に入る。8時20分発予定の飛行機は10分遅れで飛び立った。機長の説明によると、宮崎の本日の最高気温は23℃との事である。フライト中は雲の上を飛んでいても気流が安定せず、悪天候を実感する。
宮崎空港に到着し機外に出ると、以外や以外、空は晴れ渡り、初夏の温かさである。レンタカーで日南海岸を南下し、途中鵜戸神宮に参拝。駐車場から神社までの長い道を、階段を上ったり下ったり、額から汗がにじみ出して来る。駐車場までの帰り、Tシャツ一枚で歩いていても汗がしたたってくる。飫肥のお墓に参拝後、一路今夜の宿泊先である霧島へ。こんなに車が少なくって大丈夫なのかと思われる宮崎道からえびのへ向かい、霧島連峰の裾を走って新湯温泉国民宿舎新燃荘に着いたのは4時頃であった。ひなびた旅館の2階、一番奥の角の8畳程の広さの部屋に案内される。夕食前にひと風呂浴びる。硫黄の臭いのする乳白色の湯が惜しげもなく流れ出ている。とっても気持ちの良い湯である。身体の芯から温まって部屋に戻り、ビールと持参のウイスキーを飲むと眠気が襲ってくる。電話で夕食に呼び出され、1階の大広間に用意されたお膳に向かう。国民宿舎とバカにしてはいけません、次から次へと運ばれてくる美味しい料理を全て平らげる。部屋に戻ってテレビをつける、NHKの新型インフルエンザのドラマを見るが、じきに眠くなってウトウト、眠りについた。
翌朝はゆっくりと朝食を摂り、朝湯に漬かってから新燃荘を出発。高千穂河原の駐車場で登山靴をはき、空は快晴であるが、今日は昨日より10℃ほど寒くなるという予報なのでウインドブレーカーをはおる。駐車場の奥にある鳥居をくぐって広い砂利道を歩く。丸材を垂直に立て、直線的に組んだ素朴な形をした神明鳥居で、天孫降臨の地の鳥居にふさわしい雰囲気をかもし出している。天照大神が、孫のニニギノミコトに高天原から降りてこの国を治めよと命じ、三種の神器を譲り受けたニニギノミコトが7人のお供の神と、道案内人である猿田彦命と共に高千穂の峰に降りたという。参道を行くと、今は土台しか残っていない霧島神宮の古宮跡に至る。ニニギノミコトを祀った霧島神宮は、最初は御鉢噴火口と高千穂の峰の鞍部である脊門丘(せとお)にあったのだが、噴火で消失し天暦年間にこの地に再興され、文暦元年に再び大噴火で消失してしまったとのことである。広い石畳の階段状の遊歩道を登り、登山口に至る頃には汗が流れ出し、ここでウインドブレーカーを脱ぐ。遊歩道から分かれ登山道に入るが、雑木林の中に石畳の道が続く。軽石が点々と現れると、間もなく石畳は終わりを告げ、赤茶けた軽石が敷き詰められた登山道となる。高千穂の峰がちらちらと見えるようになると雑木林から抜け出し、木一本生えていない世界が広がる。溶岩が固まったゴツゴツした広い斜面はどこからでも登れそうであるが、一応矢印に従って登る。左手に中岳、新燃岳、韓国岳が連なっているのが見える。以前、韓国岳に登ったときはミルク色の世界で何も見えなかったが、今日は快晴、これが霧島連峰だ。黒い溶岩の固まりの上はこぶこぶで、段差があって登りにくい場所では、溶岩の間の赤土の斜面を登る。赤土は軽石が転がる砂礫状の斜面でズルズル滑る。あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら高度を上げ、お鉢噴火口の縁に登る。下から見上げてこの噴火口が頂上と思っていたが、お鉢の向こうにさらに高い山があり、その頂上には逆鉾らしき柱が見える。どうもそこが主峰の頂上のようであり、まだあの山に登らねばならないのかと思うとガックリする。お鉢の稜線にはぐるりと道がついているが、右回りの道は立ち入り禁止となっている。お鉢の中を覗き込むと、200m以上はあるだろうと思われる火口の底までえぐれ、ここに落ちたら上がって来られない蟻地獄の様相を呈している。所々から噴煙が立ち登り、火口の底は有毒ガスが充満しているものと思われる。落ちたら上がって来られないどころか、落ちたらガスにやられて死んでしまうのだろう。目を転じれば、主峰の頂上から山裾まで45度に一直線に真っ黒な山肌が延びている。お鉢と主峰の間は無残にも抉り取られ、赤い地肌が露出して大噴火を物語っている。荒々しい火山の光景、この地に天孫降臨の神話が生まれるのもさもありなん。お鉢の稜線(馬の背)を左回りに歩いて半周し、主峰への道を下って鞍部に至る。小さな石造りの神明鳥居の向こうに石積みがあり、その上にこれまた小さな石造りの祠がのっている。脊門丘と記されているところを見ると、ここが最初の霧島神宮の旧跡であろう。賽銭をあげ参拝し、ひと休みしてから主峰の登りにさしかかる。赤い砂礫の滑りやすい登りをジグザグにゆっくりゆっくり登る。振り返れば雲がお鉢を乗り越えて上がってきて、新燃岳も韓国岳も隠されてしまう。今日の天気予報は晴れのち曇り、そろそろ曇ってきたようだ。頂上には石が積まれ、その周囲は鎖が張り巡らされ、鳥居はアルミ製で、石積みの真ん中に天の逆鉾が刺さっている。神代の世界には鎖もアルミも似つかわしくなく、折角の神話の世界が台無しである。地元の人らしきおじさんが、坂本竜馬が天狗の鼻を掴んで逆鉾を抜き、「なんだこんなものか」と笑ったと話してくれる。なるほど取っ手の部分に天狗の鼻のような突起が両側に突き出ている。周りを鎖で囲んでいるのは、坂本竜馬のような不埒者が他にも大勢いるからだろう。鎖が無ければわたしも、抜きはしないでも触りには行っただろうな。霧島連山は雲におおわれてしまったが、裏手にクレーターを見おろす。霧島には20数個のクレーターがあり、まるで月面のようであると記されているが、そんな光景は見ることは出来ない。ドリップコーヒーを入れて飲み、ひとしきり高千穂の頂上を堪能して下山開始。ガスが立ち込め視界が悪くなった中、下山用の道をズリズリ滑りながら下る。脊門丘辺りまで下るとガスも晴れ、お鉢の底も見渡せる。お鉢の縁を回り、赤土の砂礫を避け、溶岩の固まりの上を選んで下る。足を踏み外したり、砂礫で滑って捻挫しないよう、下るのも気を使う。無事、高千穂河原に降り立ち、古宮に賽銭をあげ参拝。駐車場の食堂でうどんをすする。ゆっくり休んで、霧島神宮へ。霧島神宮の鳥居ははでな赤い明神鳥居で、笠木は反り上がり、柱は斜めになっている。社殿もおどろおどろしく、はではでにして、愚民を惑わす意図が感じられる。高千穂河原の古宮のシンプルな神明鳥居のほうが神代の世界らしくていいのだが。兎も角ここでも賽銭をあげ二拍一礼、霧島神宮三代の参拝を締めくくった。
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