開聞岳(過去レコです)。


- GPS
- 56:00
- 距離
- 6.1km
- 登り
- 784m
- 下り
- 784m
天候 | 曇り。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2004年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
鹿児島で学会、この機会に開聞岳に登る事にした。平成16年7月21日、朝7時の名古屋空港発の飛行機で鹿児島に行き、昼から一般演題5題の座長をこなし、その夜は鹿児島のホテルに泊まった。翌日、レンタカーで学会会場を発ち、薩摩半島を横断して東シナ海を見、枕崎を回って指宿に向かった。頴娃(えい)町の瀬平公園から見た開聞岳は、左右対称の端正な姿を海にせり出し、薩摩富士の名にふさわしい秀麗な山であった。指宿では大浴場の温泉で色んな風呂に入り、夕食時には芋焼酎をしこたま飲んだ。
翌朝5時に起床し、妻を置いてレンタカーで開聞町に行った。2合目登山口の手前の道路脇に車をとめ、6時に「ここは二合目、あと3.5辧廚琉篤發立つ登山道に入った。暗い森の中、溝状の登山道を登るとじきに汗が吹き出て来る。今年は猛暑で、1昨日は東京で39.5℃の最高気温を記録している。風は全く届かない。「ここは二・五合目」の案内に着く迄に、すでにたっぷりと汗をかいている。軽石のような石を踏みつつ密林の中を行くが、登山道は良く手入れされ、木製の階段も設けられている。開聞町役場の広報スピーカーから流れる音が聞こえ、ラジオ体操が始まる頃にはその音も小さくなっている。ラジオ体操の音楽を聞きながらひたすら登る。6時50分、「ここは五合目、あと2.0辧廚琉篤發立ち、木立が途切れている展望所に到着。男が2人、相当くたばっている様子で休んでおり、「あとどれ程あるのか?」と聞くので「あと1時間半程でしょう」と答える。ガスのため展望は全く得られないが、ベンチに腰をおろしひと休みする。タオルを絞るとビチャビチャと水がしたたり落ちる。2人の男は一向に発つ様子はなく、2人を置いて先に進む。相変わらずの森の中の道で眺望は無いが、道は右手にカーブし開聞岳を廻り込んでいるのが判る。六合目辺りからは軽石状の石は無くなり、大きめの石が現れ始める。開聞岳は火山で、下部はコニーデ型、上部はトロイデ型のトロコニーデであるが、登山道の形状の変化もこの二重火山によるものであろうか。七合目からは密林から抜け出て明るくなり、左手の展望が開け、そろそろ海側に廻り込んでいる筈だがガスのため何も見えない。代わりに、鮮やかに咲くクルマユリの花に慰められる。明るくなったのも束の間、再び木のトンネルの中に入る。葉っぱから露がしたたり落ち、汗とともに全身ビショ濡れである。この山は夏に登るものではないとブツブツ云いながら登る。「仙人洞」という案内が立ち、暗闇の奥に洞がある。山伏の修行場であったとの事であるが、暑さに耐え忍ぶ修行でもしていたのだろうと不謹慎なことを思ってしまう。「ここは九合目、あと0.4辧廚琉篤發立っているが、この400mが急登である。ロープの付いたハシゴを登り、大岩をよじ登り、汗まみれになって8時35分、頂上に着いた。所用時間は2時間35分であった。大岩が重なる頂上は、乳白色の世界が広がるだけで眺望は全く無い。展望案内図の石板が2枚埋め込まれており、誰もいないのを幸いにこれに腰をおろして一服する。「開聞岳、標高922m」の柱が立てられているが、現在は標高が2m修正され、924mが正しい。トラバースの連続で、丁度360度ぐるりと螺旋状に廻って登って来た事になるのであるが、景色が見えずその過程を実感する事は出来なかった。「皇太子殿下登山御立所、昭和63年7月20日」の石板があるのを見て、今日は7月23日、きっと同じように暑い日に汗をかきながら登られたに違い無いと思う。ゲンナリする暑さの中を登られるその姿を想像し、我が身と重ね合わせてニンマリ。頂上のすぐ下には赤い鳥居が立ち、その奥に石の祠が祀られている。麓の枚聞神社の奥の宮との事で、この薩摩一の宮の祠に手を合わせ、9時に頂上を発った。七合目辺りでガスがとぎれ、眼下に長崎鼻に続く海岸線を垣間見る事が出来たのが、本日唯一の眺望であった。この暑さの中、幾人もの人が登って来るのに出会ったが、登る時に会った2人組にはついぞ会う事なく、10時半に登山口に帰り着いた。往復の所用時間は4時間5分であった。ザックに詰め込んだ500佞離撻奪肇椒肇襪蓮4本全て空になっていたが、それでも喉の乾きを抑える事が出来なかった。諸国に富士は多かれど、富士山は登るものでは無く眺めるだけにした方が、心に残るのではなかろうか。本日の薩摩富士もまたしかり。
妻はホテルからバスで「フラワーパークかごしま」に行き、そこから長崎鼻に移っていた。長崎鼻公園の駐車場で妻を拾い、山川町の海岸で本場の砂蒸しを体験した。昨日、ホテルの砂蒸しに入らなかったのは正解で、もし入っていたらここに寄る事はなかっただろうと思いながら、海を眺め、波の音を聞きながら、砂に埋まってまどろんだ。
サツマ芋畑と茶畑の中の道を知覧に向かい、「特攻平和会館」を訪れたが、涙無しで見る事は出来なかった。イラクで自爆テロが頻発しているが、同様の事が日本で行われていたのはそう遠い日の事では無い。夢のかなたにおいやられそうな事実、戦争中の日本人の狂気を今知る事は大切な事である。自衛隊がなし崩し的に軍隊化しているが、日本はいかなる戦争もしてはいけないし、いかなる戦争に加担してもいけない。
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