中尾から焼岳(過去レコです)。
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.5km
- 登り
- 1,197m
- 下り
- 1,189m
天候 | 雨。 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
とくに危険個所はありません。 |
写真
感想
平成14年6月22日、朝2時12分に自宅を出発した。4時に出るつもりであったが、2時前に目が覚めてしまった。幾らでも計画が変更できるのが、単独行の良い所である。東海北陸道を清見でおり、高山から平湯まで一気に走り、5時前に平湯バスターミナルに着いた。大坂ナンバーのバスが2台駐車しており、トイレの前に登山姿の人達の行列ができていた。その行列に加わって、前の人に何処へ行くのかと尋ねると、焼岳へ行くとの事である。上高地か中の湯から登るのであろうが、何処から登るのか、その人は知らないようだった。昨夜10時に大坂を出発して先程到着したらしい。バスには「焼岳、平湯温泉」と書かれており、登山ツアーで連れて行ってもらうのだから何も知らなくても良いようだ。平湯を下り栃尾温泉から新穂高に向かう途中、右にそれて中尾温泉に入った。民宿やペンションが立ち並ぶ中を通り過ぎると林道となり、しばらくすると車止めに行きあたった。その少し手前の無人の作業場が駐車場となっていた。まだ5時半であったので少し眠ろうとしたがウグイスの鳴き声も子守唄にならず、身支度を整え6時丁度に駐車場を出発した。林道の脇の登山心得の看板には「単独登山はやめよう」と記されており、不安がよぎったがそのまま行く事にした。車止めをかいくぐって林道を少し歩くと道が左にカーブする右手前に細い道があり、登山口の案内が見えた。「峠まで3.5辧¬1時間50分」とあり、本に書かれてい3三時間とは随分違っていた。すぐに小さなせせらぎをわたり、登りが始まった。何処からただよって来るのか硫黄の臭いがする林の中の、日の当たらない道を登って行った。35分程登ると、細い道から急に開けた場所に出た。草で被われているが、どうも林道の終点のようで、奥の細い道の入り口に再び登山口の標識が掛けられていた。ここから5分程登ると1450m地点、白水の滝の標識があり、遠くに見える滝は多分温泉なのだろう、硫黄で黄色くなった崖を流れ落ちていた。この辺りからは明るいブナの森となり、道端には色んな花が咲いていた。長さ3センチ程のラッパの先が5裂した黄色のオオバミゾホオズキ、白色の散房状の花が一塊づつ咲いているミヤマカラマツ、薄紅色の先がギザギザした鐘状の花を咲かせているイワカガミ、細長い葉が6枚輪生し茎の先に小さな白い花がついている花はオククルマムグラだろうか。花を楽しみながら登るうち、霧はいつしか雨に変わり、レインウェアーを着込んだ。昨日から晴れ上がり天気予報もこの週末は晴れのことであったが、ただでさえ山の天気はままならぬのにおまけに梅雨なのだからいたしかたがない。道は踏み固められ、ぬかるんでいる所は無かったが、木の根の階段は滑りやすくゆっくりとつづら折りの道を登って行った。道が平坦になった所の右手に、この山奥に相応しく無いコンクリーの雨量観測所があり、それを過ぎると左手の岩の下に「秀綱の中尾峠超え」と題した立て札が立っていた。三木秀綱は飛州高山の松倉城主であったが、秀吉の命を受けた金森長近の飛騨攻めにより落城した。落武者となって信州波田城をめざし、険阻な道を選び中尾峠を超すためこの地で一夜を明かしたとの事である。鎧兜を身に付けていたのだろうか、肉体的にも精神的にもさぞかし辛かった事であろう。ここから道は溝状となり、その中をあるいはその縁を登って行くと、やがて左に焼岳小屋への道が分かれていた。ここら辺りから周りの景色は変わり、笹が増え、立ち枯れの木がみられるようになった頃に広々とした峠に出た。ここが中尾峠なのだろう。真ん中に大きな岩があり、その左を少し下って行くと霧が強風に流され、眼下に上高地の大正池と赤い屋根の帝国ホテルがちらっと見えた。あわててカメラを取り出すも、すぐに霧に隠れてしまう。右手に焼岳があるのだろうが雨と霧で何も見えず、道も定かではない。登り始めて3時間も経つのに未だにひとっこ一人会わず、心細くなりここら辺りで引き返そうかと座り込んで思案していた。右手を見ると、霧の中から行列を組んで元気に下りて来る人達が出て来た。平湯のバスターミナルであったツアーの人達であろうか、人の姿を見て気を取り直し、ちょっと先まで行ってみようという気になった。砂利の混じった火山岩のゴロゴロした道を登ると8合目の札が立てられており、「危険地域、これより頂上までは落石や浮石等があり大変危険ですので十分注意してください」と記されていた。尾根に出ると岐阜県側からの強風にあおられて、雨が下から吹き上がって来た。火山岩に白いペンキで○印や矢印が書かれており道に迷うことは無かったが、硫黄の臭いが立ちこめる中、有毒ガスの心配をしながら岩に手をかけ這い上がるのは少々スリリングであった。下りて来る沢山の人と行き交う事がなかったら、決して一人で登る事は無かっただろうと思いつつ雨の中を這い上がって行った。岩かげに腰をおろし休んでいると、珍しく単独行の人が下りてきたので「頂上まではどれくらいですか」と尋ねると、「もうすぐそこが九合目ですよ」と親切に教えて呉れた。山口県から東京に仕事で来ているのだが、その間あちこちの山に登っていると云う。6月の始めに尾瀬に行ったが水芭蕉が満開で綺麗だったとか、先週は木曾駒に、去年は大雪山に行って来たとか、相当の山好きの人のようである。夜行で松本まで来て、松本電鉄の駅が開くまで新聞紙を敷いて浮浪者と一緒に寝て、始発の電車で新島々に着き、バスに乗り、中の湯で降ろしてもらったとの事であるが、とても自分には出来ない事だと感心した。9合目を過ぎると雪渓が現れ、左に中の湯へ下りる道が分かれていた。さらに進むと、黄色のいかにも有毒ガスそのものというガスが噴出している脇を早々に通り抜け、下を見れば恐くて登れないような道を岩を掴んで這い上がり、10時20分ようやく北峰頂上に着いた。視界は全く無く、本に書かれてある素晴らしい眺望を見る事は出来なかった。おまけに、手袋を脱いでザックからおにぎりを取り出して食べる僅かの間に、指がしびれてしまう程の寒さであった。頂上に上がってくる人達も何人かいたが、ゆっくり休んでいる人はいず、何も見えないのを確かめて皆さんすぐに下りて行ってしまった。10時45分に下山開始。中尾峠までの道では登りの人と行き交う事もあったが、峠から中尾までは登りと同様、人に会う事はなかった。足はふらふらになり、滑ってつま先が伸びると腓のこむらがえりを起こした。時々ストレッチングを繰り返しながら慎重に下り、13時35分に駐車場に無事到着した。
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