すべては尾瀬から始まった(過去レコです)。
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- GPS
- 56:00
- 距離
- 18.9km
- 登り
- 219m
- 下り
- 222m
コースタイム
天候 | 晴れ。 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所はありません。 |
写真
感想
小学校時代、運動会の走りっこでは常にビリで、父親に「ニノイチ」と云われた。どう云う意味かと尋ねると、「次のレースの走者よりは先にゴールに入るだろうから、二番目の一番」との返事であった。これは冷やかしなのか励ましなのか、真意は理解出来なかった。自分でも情けないと思い、必死になって走ったが、天性の運動痴はどうしようもなく、運動会が近づくと鬱陶しい日々が続いた。
学生時代、歩くと下肢がしびれ、少し休むと再び歩くことが出来るという症状が出現。いわゆる間歇性跛行と云うやつだ。歩くこともままならず、ましてや山に登るなんて事は思いもよらず、山登りをする学生仲間には、半分やっかみ、半分本音で、「アホと煙は上にのぼりたがる」と毒づいていた。
時は巡り42歳。小学生の息子を連れて地元岐阜の金華山に登った。僅か300mちょっとの低山であるので子供はスイスイと登ってしまったが、肥満体となってしまったわたしは、休憩を何度か取りつつ、息も絶え絶えにやっとのことで頂上にたどり着いた。もう歩いて下る元気は無く、ロープウエイに乗って下り、以来、再び山に登るなんて事は思いもよらなかった。
さらに時は巡り55歳。今年の夏休みには何処へ行こうかと考えている時、女房の恭子さんが「るるぶ群馬」という雑誌を買って来た。二頁見開きで、尾瀬の紹介が載っていた。その見開き頁を何気なく見て、もう少し尾瀬について知りたいと思うようになり、今度は「るるぶ尾瀬」という本を買った。綺麗な写真が一杯載っていて、今年の夏は尾瀬に行こうということになった。しかし、読むうちに尾瀬の中へは車が入れないという事が判明し、取りあえず歩く練習をすることと、体重を落とすことにした。サン(イヌ)の散歩がてら、毎日一時間程歩いた。食事の量は減らし、昼の弁当は必ず一部食べ残すことにした。小さい頃から「食べ残しはいけない」と教えられてきた身には、何か後ろめたさが感じられたが、減量するために道徳を捨てた。恭子さんも食事の内容に気をつけてくれ、ぐんとカロリ-が減った。歩くことに自信が出はじめたので、アウトドアショップでズックのトレッキングシューズとリュックザックとストックを購入した。この靴をはいて、ザックを背負って木曽川の土手を数回歩き、尾瀬行きの準備は終わった。88圓△辰紳僚鼎癲△劼鳩酥召任瓩任燭80圓僕遒繊8塋の荷物を下ろしたようなもので歩くのも軽快になった。
なにせ始めての体験で、余裕を持って行こうというわけで、一日目は尾瀬の手前で泊まり、次の日に尾瀬に入り、尾瀬ヶ原を散策後山小屋に一泊するという二泊三日の計画を立てた。戸倉温泉の宿に夕方到着し、夕食時に宿の主人と話していると、「鳩待ち峠の駐車場は朝早く行かないと一杯になって、今日もパトカーが路肩駐車の取り締まりをしていた。戸倉の駐車場に車をおいて、そこからタクシーで他の人と乗り合って峠まで行くといいですよ」と云う。翌日、朝早く宿を出て駐車場に行くとタクシーの姿は見えず、仕方が無いのでそのまま車で峠まで行くと駐車場は半分程空いていた。取りあえず鳩待ち峠まで来ることが出来たことに安心し、小屋の前で宿が用意してくれたおむすびを食べ、しばらく休んでから峠を降りにかかった。木道の下からはみ出した巨大なミズバショウの葉っぱに驚き、道路脇のリンドウやサワギキョウに慰められて下り、途中小休止も入れたが1時間程で無事、山の鼻に降り着いた。「ルルブ尾瀬」にはコースタイムとして1時間とあったが、わたし達は小休止も入れて1時間で着いたので大いに気を良くした。本日宿泊予定の山の鼻小屋の場所を確認してから、待望の尾瀬ヶ原に向かった。林を抜けると展望が開け、燧ケ岳に向かって木道が続く、写真で見たあの尾瀬があった。前方に燧ケ岳、振り返れば至仏山、二つの山の対照的な名前と、それに相応しい姿はもう忘れることは無いだろう。池塘や浮島を始めて見た。三又を真直ぐ進むと、行き交う人もまばらとなり、遠く燧ケ岳を望みながら、静かな広々とした尾瀬ヶ原を二人占めにする。ダケカンバの木立に囲まれた竜宮小屋のベンチに腰を下ろし、ひと休み。さほどの疲れも無く、もう少し足を延ばすことにする。地図の上では竜宮十字路から下田代十字路までは40分とあったが、竜宮小屋を発つとすぐに小屋の屋根が幾つか見え始め、間もなく下田代十字路に着いた。弥四郎小屋の前のベンチに腰を掛け、この場所には似つかわしくないと思いつつクレープを食べた。口を濯いだ湧き水は、夏なのになんと冷たいことか。思わずゴクリ、美味しい! 十字路から北に向かい、すぐに赤田代に。これを左へ曲がり、橋を渡ると山裾の林の中の道となり、尾瀬ヶ原は見えなくなった。鬱蒼とした林の中をしばらく登って行くと、大勢の人が休憩している東電小屋があった。小屋の売店ではビールを売っており、大喜びでグイ。ひと缶では喉は潤せず、もうひと缶グイ。酔いがまわり、リュックを枕にベンチに仰向けになり、しばし昼寝をむさぼる。いつまでも寝ているわけにはいかないので、起き上がり山裾を下ると、水量のある透明な川にヨッピ橋という変った名前の吊り橋がかかっていた。その川の流れの美しさに感動しながら吊り橋を渡ると、眺望が開け、木道の続く緑豊かな尾瀬ヶ原に戻った。「ルルブ」お勧め撮影ポイントで、燧ケ岳をバックに三脚を立て記念撮影。木道の脇の池塘に、パカッと開いた小さな睡蓮が浮かび、なんとも可憐な風情を漂わせている。おそらくヘリで運んだものであろう、新しい材木がワイヤーにからまれて木道脇に並んでいる。古びた木道を新しいものに変えている最中で、作業の人が気持ち良さそうに昼寝をしている。街中では見られないのどかな情景である。多くの人が行き交う三又のベンチでひと休み。みんなニコニコいい顔をしている。それを見ているだけで、ここに来て良かったとしみじみ思った。三又から、おだやかな姿の至仏山を眺めながら木道を辿り、山の鼻小屋に着いた時は3時を過ぎていた。花の盛りは過ぎ、ミズバショウもニッコウキスゲも咲いてはいない夏の終わりであったが、絶好の天気のもと、尾瀬ヶ原を思う存分味わう事が出来、今日一日よくも歩いたもんだと二人して感動し合った。山小屋初体験であるが、宿泊客は少ないのだろう、八畳ほどの部屋を二人で占領し、早々と眠りについた。ふすま一枚向こう隣の人は、我々より先にイビキをかきつつ寝ており、早く寝て、早く起きる山小屋の生活を学習した。
翌朝早く小屋を出ると、朝霧に覆われた幻想的な尾瀬があった。山の鼻からしばらくは平坦な道のりで、朝のヒンヤリとした空気をたっぷり吸い込み、身も心も洗われる。平坦な木道を過ぎ、木や石の階段を恭子さんについてゆっくり登っていると、大きな荷物を背負った若いボッカさんに追い越される。最後に急な階段をひと頑張りすると鳩待ち峠に出た。山の鼻から1時間少々、トレーニングの効果か、足の痛みも無く全く疲れも感じなかった。燧ケ岳にも至仏山にも登ったわけではないが、わたしにとっては大満足の尾瀬であった。
onisan今晩は。
onisanの山登りの原点は尾瀬だったんですね。
あれから20年(綾小路きみまろか)随分と沢山の山を登ったようで、過去レコの数半端ないですね‼
これからもコロナに負けず元気で山登りしてください。
onikenさん、おはようございます。
外出自粛要請期間中、以前登った山々の記録をyamarekoにアップしてきました。そしてとうとう初めての山に行きつきました。どの山も懐かしく振り返りつつのアップですが、中には忘れてしまった山もあります。写真を紛失してしまった山も多く、ヤマレコとしては不完全なものが多いですが、まだ少し残った山についても追加していきたいと思います。
有難うございました。
ご夫婦で尾瀬を歩き通して感動し合うって、うらやましいです。とても素敵ですね!onisanの過去レコで私も感動しました!
gameranさん、おはようございます。
昔の記録を見返して、懐かしさ一杯で過去レコをアップしています。よくもまあこんなに色んな山に登ったもんだと我ながら感心しています。今はもう厳しい山には登れませんが、今暫く山歩きを楽しめたらいいな。
有難うございました。
たくさんいろんなお山を知っているので、かなり若い頃から登られているのかと
思ってました。
原点の尾瀬は記憶に鮮明に残りますね!
これからもず〜っと楽しいお山をお楽しみください。
私も尾瀬の水の美味しさをずっと覚えています。
andounouenさん、こんばんは。
一部を除いて緊急警戒事態が解除されました。
でありますが、不要不急の外出は控えるようにとの要請は続くようです。
判らない事はありませんが、健康の為の外出については不要不急に当たらないと考えます。ぼちぼち山登りを再開される方が増えて行く事でしょう。
onisanさん(サンサン:笑)、こんにちは。
過去記録を、楽しませていただいております。
過去記録キャンペーンのおかげで、onisanの記録に出会えました。
順に拝見していますが、そうですか、山歩きは尾瀬からだったのですね。
私は実家が群馬で、父と至仏を歩いたり、友人と皿伏を歩いたり、相方と裏燧林道を歩いたり・・・しています。
西上州と呼ばれる妙義山などがある地域の出身なので、尾瀬が地元とは言えません。それでも、onisanご夫妻の山歩きが鳩待峠から始まったことを知り、嬉しいです。上毛かるたでは、「仙境尾瀬沼 花の原」とうたわれています。
何年か前に、尾瀬の自然を考える講義を聞きならがら尾瀬ヶ原を歩きました。木道の修繕のことが感想文に書かれていたので、参考まで貼り付けておきます。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-987226.html
onisanのこの記録を拝見して改めて過去記録の良さ、面白さを感じました。こちらの過去記録にこの記録のURLを紹介しました。
私の過去記録を見る方は、一部の友人知人に限られており、ご迷惑をおかけすることはないと思いますが、お知らせ申し上げます。事後承諾で失礼しておりますが、不都合あれば、お知らせくださいませ。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2322047.html
末筆ですが、段落分け、ありがとうございます♪
引き続き、順に記録を拝見いたします。
ramisukeさん、こんばんは。
ramisukeさんの過去レコに、わたしの過去レコをご紹介頂き有難うございます。過去レコ、不十分な記録でお恥ずかしい限りですが、お褒め頂き大変嬉しく光栄です。
まだ少し残っていますので、もう暫く過去レコアップ続けさせて頂きます。
今後とも宜しくお願いいたします。
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