赤岩峠〜秩父鉱山(日窒鉱山)とともに賑わい/往来路
- GPS
- --:--
- 距離
- 5.2km
- 登り
- 729m
- 下り
- 714m
コースタイム
- 山行
- 3:29
- 休憩
- 0:26
- 合計
- 3:55
天候 | ☀ ・最低/最高気温 (熊谷:20.1/30.3℃) (秩父:16.9/28.5℃) ・昼間の時間: 14:36 (日出:4:28 日入:19:04) ・29日の気象[全国] : 気象人 http://www.weathermap.co.jp/kishojin/diary_detail.php?date=2020-06-29 |
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過去天気図(気象庁) | 2020年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
「大滝総合支所入口」を左に見て,すぐのT路信号を右折します。 「滝沢ダム」を左に見て さらに進み、県道210号線(中津川方面)へ 右折します。 「中双里集落」を経て,さらに上流へ。 「中津川集落」へは左折し (ここ 出合からは,河川は中津川の支流 神流川へと変わります),その後 県道は狭く屈曲して、両側の崖は 恐ろしく切り立ち、河川は恐ろしくV。さらに上へ。 「雁掛トンネル」を経て,県道は「林道・金山志賀坂線」になり 小倉沢へ。 「赤岩橋」手前の,県道が広くなったところに駐車しました。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
「赤岩峠」へは,(株)ニッチツ敷地を通るため,許可が必要な場合が あります。同敷地内に、車は入れません(鎖で閉鎖されてます)。 旧社宅前を通って 取り付き(登山口)は、小さな石板碑のみがあり、 沢沿いに山へ入っていきます。 ・ルートはやや荒れてはいますが、道形はしっかりしていて、 迷ったり、外すことはありません。 ・指導標は、ありません。 ・上武県境尾根は、小岩稜や痩せ尾根がありますが、特に危険と いうことではありません。また指導標はありませんが、石杭と「県界 見出標」が赤く、ところどころにあります。 ・「赤岩峠(1,435m)」,「雁掛峠(1,365m)」には、古き良き [祠]があります。 「秩父鉱山」当時の 人の往来や、物資の交流が偲ばれます。 |
写真
感想
◎ トップの画像は,「赤岩峠」ではなくて「雁掛峠」にしました。
何故かと言うと,山名板がプラスティックで,相応しくないから。
◎ 今年の"陽性"の梅雨の中、ほぼ全国的に「梅雨の晴れ間」となり、
この時期として 外すことの出来ない絶好の山行きとなりました。
(したがって防犯ボランティアは,急遽お休みして。
・・・・・・゜・(ノД`)・゜・。)
◎ 写真と証言でよみがえる「秩父鉱山」に続き「続・秩父鉱山」。
(同時代社刊、2017年9月22日)
最近は,災害により この付近の急峻な地形から、県道&市道,林道
などの不通が多く、そのため,最近は ここ「中津川流域」に,あまり
足を踏み入れることが少なくなりましたが,この本を契機に,
訪れようという気になりました。
( ※ 以下の記述は,上の本からの抜粋ではありません)
・この地は,何やら最近「廃墟の村」的な扱いで、脚光を浴びている
向きもあるようですが、ちょっとスポットの当て方がどうかな?。
「昭和時代発展の礎/遺構」とでもしたら,いいと思います(^▽^)/。
・「赤岩峠」とか「雁掛峠」,「六助峠」などは 実は「秩父鉱山」に
とって,発展上 重要な関連があるのです。
・現・秩父市中津川字小倉沢で、戦前から「秩父鉱山」として採掘
されていて(今も操業・現螢縫奪船)、全盛時(昭和10年代〜
昭和30年代)には、約3,000人の人々が鉱山に従事,生活していました。
戦前に、この地 中津の山奥で "鉱山町"として,小中学校,郵便局、
映画館、購買所、集会所、診療所等の"リトルタウン"があった
のですから、今思うと,想像できない"別世界"で,ちょっと驚き!!。
・そんな"異次元"の中津川奥を見下ろす「赤岩峠/赤岩岳」に、
2004年10月16日の(赤岩峠〜赤岩岳〜雁掛峠)以来,16年ぶりの
「赤岩峠」行きとなりました。
・この時期,前後して「上武県境」の山々&峠には,頻繁に
訪れました。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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大怪我してから3.5カ月過ぎました。
首、腕、手指が痺れ痛くて困ったもんです。
回復はまだまだ先の様です。
「続・秩父鉱山」を読み、気になっていた赤岩峠道、雁掛峠に帯同下さり有難う御座いました。
昔、この峠を越して日窒鉱山へ通っていた人達を偲びつつ・・・と、
思っておりましたが峠の祠以外はあまり面影は感じられませんでした。
只、赤岩峠道は昔の人達が踏み固めており、しっかりと残っておりましたね。
しかし、またしても私の先達で道間違いやってしまった
梅雨の晴れ間で天気も良く、楽しかったです。
また、リハビリ登山にお付き合い下さい。
宜しく
「梅雨」 の晴れ間という、絶好のタイミング!!。
旧・秩父鉱山/社員寮脇から入った峠道 は、あまり
面白みがなかった。
景色も見えないし、そして「赤岩峠」山名板。プラスティック板だった。
「祠」は別としても、ちょっと雰囲気が違いますね 。
「続・秩父鉱山」を読んでいく気になって、「雁掛峠」まで
行ったから、まああっ.....良しとしますか 。
今度は「牛首峠」かな ?。ちょっとだけ長丁場 !!。
また飲みながら ,相談しましょう 。
fuyaさま、keyさま。こんばんは
フォロワーのkazu5000です。
古い記録から舐めるようにいつも拝見し、勝手に憧れております
さて、六助峠についてですが、山と高原地図では宗四郎山の北西にある山吹峠にカッコ書で山ノ神、六助と記載があります。
しかし、原全教の「奥秩父回帰」の「冬の初旅」の章にある「中津川から神流川へ」には、六助沢沿いの母子の住む炭焼き小屋で茶を戴いたことが書かれています。その後、六助峠を越えて十国峠街道に降っていることから推察すると、六助の頭の東側の鞍部が本来の六助峠ではないかと思うのです。独りよがりの勝手な想像ですが、、、
下記の写真は、当該ページです。写真をクリックすると全体が表示されます。
登山口の石碑、には「左 赤岩神社入口 右 群馬縣上野村ニ至ル 柳瀬鉱業所」と掘られていたのですね
上野村と柳瀬鉱業所しか解読できずに難儀していました
今後ともご指導よろしくお願いいたします。
おつかれさまでした〜
kazu5000さん、こんばんは
爺二人の「赤岩峠」に、コメントいただき ありがとう
ございます。
fuya0123は、2006年前後「上武県境」付近に 盛んに
登ってました。
「林道・上野〜大滝線」という「天丸トンネル」へ行く
”悪路”も, 当時はパジェロに乗っていたものですから、
通ることが出来ました。
その「天丸トンネル」の埼玉県側入口右脇の小沢を登ると、
当時確か「山吹峠へ」と小さく書いてあったのを覚えて
おります。
ですから、トンネルの西側鞍部が「山吹峠=六助峠」だった
という理解でおります。
・・・・・(間違っていたら、ごめんなさい🙇)
また、この林道は 秩父側がよく通行止めになるので、上野村側
からも何回か入っておりました。
原全教の「奥秩父回帰」に記述されている、六助沢云々も
知っておりましたが、この貴重な本は持ってません。
何しろ、この頃の記録と記憶が,あまり無くて。
教えていただきまして、ありがとうございました 。
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