瀬谷銀行跡と深見城
- GPS
- 03:58
- 距離
- 19.5km
- 登り
- 21m
- 下り
- 25m
コースタイム
- 山行
- 3:51
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 3:58
05:57 自宅 - 07:08 瀬谷銀行跡 - 07:24 瀬谷消防署 - 07:46 瀬谷神明社 - 08:18 石佛神石碑 - 08:46 八雲神社- 09:03 深見城跡 - 09:07 境川の東屋 - 09:55 自宅
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年07月の天気図 |
アクセス |
自宅発着 ルート図は自宅から書いてません(笑) |
コース状況/ 危険箇所等 |
深見城跡周辺は、山道があり雨後に滑るようなところ(天竺坂)がある。その他はすべて舗装路なので、膝を痛めないように注意 瀬谷ふるさと歴史さんぽ道ガイド(ここには、瀬谷駅、三ツ境駅周辺の5つのコースが紹介されている) https://www.city.yokohama.lg.jp/seya/shokai/bunkazai/sanpo/sanpomichi.html |
写真
感想
今日は仕事が休みだったのだが、午後から天気が悪いとの予報だったので近場でトレーニングを兼ねたウォーキングのハイキングにした。前回、銀行坂の説明に出て来る瀬谷銀行という名前が気になっていたので、職場にあった住宅地図を見ていたら、瀬谷銀行跡なる表示があるではないか!まだ、建物があるのだろうか?と検索して見たが見当たらなかった。個人宅の敷地の中の様なので周りから眺めるだけでもと行ってみる事にする。今朝のラジオ深夜便を留守録した、石原裕次郎集と小林麻美のインタビューを聴きながら歩く。瀬谷銀行はすぐに見つかったので、その周辺を歩いてみると、なかなか古い建物や神社など、森や畑とのどかな雰囲気の景色があったりして飽きることが無かった。境川に戻って前回、携帯電話のカメラではうまく写せなかった、石佛神石碑を撮ろうと今回は普通のカメラを持って来たので、光の加減も良く、三回目にしてようやく綺麗に写真に撮ることが出来た、三角地帯の石碑には
『この一連の石佛神は深見字坊之窪二〇四四番地東北隅に鎮座してあった、地神塔、賽の神及び深見砂原、中原と坊之窪、諏訪との四辻に鎮祭の猿田彦大神、青面金剛に三猿を刻した庚申塔である、昭和五十三年仲秋大和市に於いて附近の道路を拡張整備するに際し、この地に御動座願い奉るに当り、我々の祖宗の信仰して鎮座願った理由を我等信徒の知り得る所を謹刻して以って永久に我が郷土を守護し賜らんことを祈念し奉る、地神塔は土地の守護神であり、古くから農業を守られた、文久元年酉の日社日に建つ、賽の神は坊之窪氏子中とあり建立年月日不祥なるも、他郷から悪病 悪霊の侵入を防ぎ村内の安全を守らる、 庚申塔の北側は両側に中丸家、山崎家、高橋家の氏名があり、我等の祖宗が享保六年巳十一月吉日建立、南の庚申塔は右の石神と同一の規模であり、建立者山崎家、高橋家、中丸家と判讀出来る、碑面磨滅して剥落しているが前記三氏族の建立したことは確かである、猿田彦大神は明治八年乙亥方二月建立妙法講中とある、今前記建立者の子孫相謀り、祖考の遺徳を偲び、子孫の康寧を祈念し、御動座の意を子孫に傳へんとしてこの辞を刻す
昭和五十四年三月吉日
坊之窪 妙法講中 』と記されていると下記ページに出ていたし自分で撮った写真から一部判読不明ながら大体読むことが出来た。が
そのページの元となるリンク先はすでに閉鎖されてしまったヤフーブログにあったようだ。
下記ページより貼り付け
https://sanpo-nikki.com/etc/fukami_sekibutsushin/
そしてまた、境川から、深見城跡へ行って前回は城の中心部?の林の中を歩いたので、今回は、周辺から一周するように歩いてみることにする。そうすると、八雲神社とか天竺坂とか、前回見られなかった説明板なども発見と境川へ出る道もわかった。川沿いから城跡へ歩いて行けることがわかったのが大発見だった。川沿いからは入口が全く分からなかったので、ビックリだった。ただ、半袖、短パンで草むらを歩くのはちょっと立ち止まれないので、止めた方がいいだろう。
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