石鎚山
- GPS
- 02:48
- 距離
- 6.7km
- 登り
- 569m
- 下り
- 956m
コースタイム
08:50 石鎚神社成就社 08:57
09:15 八丁坂 09:16
09:35 前社森 09:36
09:47 夜明峠 09:48
10:01 二の鎖元 10:02
10:19 石鎚山 10:23
10:34 天狗岳 10:36
10:43 石鎚山 10:45
10:55 二の鎖元 10:56
11:03 夜明峠 11:04
11:11 前社森 11:12
11:30 八丁坂 11:31
11:44 石鎚神社成就社 12:17
12:33 山頂成就駅
天候 | 雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
山麓下谷駅から山頂上成就社駅までロープウェイ。 ロープェイ:一人1900円のところ割引があって往復1200円。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
道の状況(危険箇所など):ロープウェイで上まで行けてしまうので楽なコースです。危険個所は山頂から天狗岳にかけてです。さらに積雪があったため道は消えてました。 登山ポストの有無: 下山後の温泉や飲食店情報:石鎚成就社付近はお土産屋さん等あり。 |
写真
感想
今回は未踏の四国の山へ。
12月で雪も考えられるのでしたが結局石鎚山へ。
石鎚山ロープウェイではスキー場もオープンということでスキー客が殆どでした。
でも山頂を目指すひとも日曜ということで2,30人くらいはいたと思います。
久々の雪山にワクワクと不安で行きましたがそれほど心配はいりませんでした。
ロープウェイの途中から雪となり終始降ってましたがそれほど影響はありません。
それは気温がマイナスで雪が乾いているため濡れることはありません。
濡れているのは自分の汗です。
成就社まではみんなで行って参拝。
それからpefさんと、chibi-pefちゃんは神社付近のお土産屋さんでのんびり。
一人で山頂往復に行ってきました。
八丁坂は気がつかずスルーして気がついたら前社森まで、だいたい1時間20分の予定が30分強で到着。
今日は早く往復できるという確信に。
このあたりから雪が増えアイゼン装着。
後ろに滑らず快適。
久々に雪の感覚。
久々だと楽しいですね。
山頂は吹雪きであまり滞在できず天狗岳を往復。
そのまま下山。
下山は雪なのでかかとで滑りながら。
さらにスピードアップ。
あっという間に下山。
概要
石鎚山は、山岳信仰(修験道)の山として知られる。日本百名山、日本百景の一つであり、日本七霊山のひとつとされ、霊峰石鎚山とも呼ばれる。石鎚山脈の中心的な山であり、石鎚国定公園に指定されている。
正確には、最高峰に位置する天狗岳(てんぐだけ、標高1,982m)・石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974m)・南尖峰(なんせんぽう、標高1,982m)の一連の総体山を石鎚山と呼ぶ。
三角点は天狗岳や弥山には設置されておらず、弥山の北西にある1,920.63mのピークに三等三角点「石鎚山」が設置されている。神社の敷地を避けたものと思われる。石鎚山系の一等三角点「面河山」は南西側の二ノ森山頂(1,929.24m)に設置されている。
第三紀の1500万年前ごろまで、活火山として活動しており、山体は三波川変性帯を覆う、安山岩からなる[4]。この安山岩は山頂の南側の面河渓谷を中心とする直径約7kmに分布しており、カルデラを形成していた。ちなみに、このカルデラは日本で一般的なじょうご型カルデラではなく、環状割れ目噴火によるバイアス式カルデラである。約2万年前の最終氷期にこの辺りは周氷河作用がはたらき、岩石が砕かれ岩稜の山が形成されたと推定される。
山岳信仰
石鎚山は古くから山岳信仰の山とされ奈良時代には修行道場として知れ渡りった。役小角や空海も修行したとされ山岳仏教や修験道が発達し、信仰の拠点として石鎚神社、前神寺、極楽寺、および横峰寺がある。また成就社は奥前神寺とも呼ばれていた。
古代の石鎚山は笹ヶ峰、瓶ヶ森および子持権現山が石鎚信仰の中心であったとする説、あるいは現在の石鎚山と笹ヶ峰の東西2つの霊域を想定する説がある。新居浜市の正法寺では現在も笹ヶ峰の石鎚権現の別当を主張している。
平安時代前半には神仏習合が行われたとされ、山岳信仰特有の金剛蔵王権現および子持権現が祀られた。天正年間には河野通直、村上通聴が社領、1610年(慶長15年)には豊臣秀頼が成就社を寄進した。寛文年間には小松藩主一柳氏、西条藩主松平氏の帰依により社殿が整備された。
江戸時代には信者の増加に伴い、別当職や奥前神寺の地所をめぐって西条藩領の前神寺と小松藩領の横峰寺との間に紛争が起こった。古来、石鉄山社別当は前神寺が専称していたのに対し、1729年(享保14年)に横峰寺が「石鉄山横峰寺別当」の印形を使用したのが発端であるとされ、双方が京都の御所に出訴するに至った。そこで「石鉄山社別当」は前神寺が専称し、「仏光山石鉄山社別当」は横峰寺が称するとの裁決が下された。
1871年(明治4年)の神仏分離により、石鎚蔵王権現は石鎚神社に、前神寺および横峰寺は真言宗に所属することとなった。明治時代以降は石鎚神社、前神寺、横峰寺はさらに多くの信者を集めるに至った。毎年、7月1日から10日までの間に「お山開き」の神事が執り行われ、多くの信者が参拝登山に訪れる。古くからお山開きの期間中は女人禁制とされてきたが、現在では7月1日だけが女人禁制となり、女性は山頂まで登る事が出来ない。
石鎚山中腹 石鎚登山ロープウェイを下車し徒歩約20分の場所に御鎮座。御祈願、ご祈願を行い、土小屋遥拝殿とならび霊峰石鎚山への登拝の重要な拠点となっています。
成就社は、千三百年余の昔、石鎚山開山の祖、役小角が石鎚山頂を拝さんとして、心身を清め山頂を目指しましたが、どうしても山頂に至る事ができず、力尽きて下山しようとしたところ、成就社境内で、ひたすらに斧を研いでいる一人の白髪の老人に出会いました。小角は、不思議に思ってわけを尋ねてみると「この斧を研いで針にする」とのことでした。この言葉に小角は感銘し、再び行を続け、西日本最高峰の石鎚山を開山することができました。
因みに、この時の老人が石鎚大神(石鎚毘古命)だと伝えられ、以来小角の心願が叶ったことから、ここを「成就社」と称し、お社が祀られ、今に全国各地より諸願成就の成就の宮として広く尊崇を集めています。また、小角は山頂より下山し、遥かに山頂を見返し、「吾が願い成就せり」と改めて石鎚山を拝したところが、現在の成就社境内に建立されている「見返遥拝殿」の所だと伝えられています。この故事に倣い不屈の精神を培い、物事の成就を祈り、またその願い事を叶えるお社、それが文字通りの「成就社」であり、表石鎚の成就の地名の由来でもあるのです。
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