今日は久し振りに、宇佐山に登ります。山頂部にある「宇佐山城址・三の丸跡」周りの一部樹木が伐採されて見晴らしが良くなり、「宇佐山テラス」と命名されました。そこからの展望を楽しむ為です。宇佐山東麓にある、「近江神宮」の「一の鳥居」前まで、やって来ました。
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今日は久し振りに、宇佐山に登ります。山頂部にある「宇佐山城址・三の丸跡」周りの一部樹木が伐採されて見晴らしが良くなり、「宇佐山テラス」と命名されました。そこからの展望を楽しむ為です。宇佐山東麓にある、「近江神宮」の「一の鳥居」前まで、やって来ました。
「宇佐山」への登山口「宇佐八幡宮参道」へは、色々なルートがありますが、今日は遠回りして、「近江神宮」境内の北寄りにある遊歩道から登ります。「神宮の森」内を歩いて行くと、右手には「吟友の碑」がありました。また、境内の「二の鳥居」前広場には、たくさんの「句碑」が建立されています
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10/29 10:18
「宇佐山」への登山口「宇佐八幡宮参道」へは、色々なルートがありますが、今日は遠回りして、「近江神宮」境内の北寄りにある遊歩道から登ります。「神宮の森」内を歩いて行くと、右手には「吟友の碑」がありました。また、境内の「二の鳥居」前広場には、たくさんの「句碑」が建立されています
遊歩道の様子です。陽が良く射し込んでいます。
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10/29 10:20
遊歩道の様子です。陽が良く射し込んでいます。
左折して、鮮やかな朱色の「楼門」下に出て来ました。「近江神宮」は、今や「百人一首・競技かるた」の聖地となり、この「楼門」が競技大会を目指す選手たちの「シンボル」となっています。
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10/29 10:25
左折して、鮮やかな朱色の「楼門」下に出て来ました。「近江神宮」は、今や「百人一首・競技かるた」の聖地となり、この「楼門」が競技大会を目指す選手たちの「シンボル」となっています。
「手水屋」がありました。コロナ禍の予防対策で、「手洗い用の杓子」が撤去されています。
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10/29 10:25
「手水屋」がありました。コロナ禍の予防対策で、「手洗い用の杓子」が撤去されています。
代りに、「消毒スプレー」が設置されていました。
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10/29 10:25
代りに、「消毒スプレー」が設置されていました。
境内の南側にある、「大駐車場」に出て来ました。
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10/29 10:27
境内の南側にある、「大駐車場」に出て来ました。
駐車場の一画に、「境内案内図」がありました。
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10/29 10:27
駐車場の一画に、「境内案内図」がありました。
駐車場の西南隅にある、「よいこのもり保育園」門扉前まで、歩いて来ました。門扉左側の脇道に、進みます。
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10/29 10:28
駐車場の西南隅にある、「よいこのもり保育園」門扉前まで、歩いて来ました。門扉左側の脇道に、進みます。
脇道に入ると右手に、「自然の道・歴史の道」の標識が立っています。
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10/29 10:28
脇道に入ると右手に、「自然の道・歴史の道」の標識が立っています。
前記の脇道を100m程進むと、「宇佐山」中腹にある「宇佐八幡宮」への参道入口です。
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前記の脇道を100m程進むと、「宇佐山」中腹にある「宇佐八幡宮」への参道入口です。
「しっかりと!」、標識が出ています。
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10/29 10:30
「しっかりと!」、標識が出ています。
参道入口では、二手に分岐していますが、途中で合流します。丁度、居合わせた御夫婦には、左の「緩い道」を案内致しました。私は右手の「急な道」で、登ります。
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10/29 10:30
参道入口では、二手に分岐していますが、途中で合流します。丁度、居合わせた御夫婦には、左の「緩い道」を案内致しました。私は右手の「急な道」で、登ります。
「宇佐八幡宮」への参道を、登って行きます。「表門」前の「表参道」と「神輿道」の分岐までは、急登が続きます。
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10/29 10:31
「宇佐八幡宮」への参道を、登って行きます。「表門」前の「表参道」と「神輿道」の分岐までは、急登が続きます。
前記、「一の鳥居」の右脇に、「八幡宮(表門)まで、300m」の標柱。(※ 念の為、表門をくぐってから、八幡宮の本殿までも、約200m程の距離があります。)」 この急登区間、今では余り苦になりませんが、山歩きを始める前までは、登るたびに苦痛でした。
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前記、「一の鳥居」の右脇に、「八幡宮(表門)まで、300m」の標柱。(※ 念の為、表門をくぐってから、八幡宮の本殿までも、約200m程の距離があります。)」 この急登区間、今では余り苦になりませんが、山歩きを始める前までは、登るたびに苦痛でした。
右手に、「御神示」の跡を示す石を祀る「御足形(おあしがた)」を見て、登って行きます。
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右手に、「御神示」の跡を示す石を祀る「御足形(おあしがた)」を見て、登って行きます。
「御足形」の説明板。
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「御足形」の説明板。
参道の様子です。カメラを上に向けたので、実際よりも勾配が緩く見えます。
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参道の様子です。カメラを上に向けたので、実際よりも勾配が緩く見えます。
左側の標石は、「近江神宮」との「境界石」の様です。
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左側の標石は、「近江神宮」との「境界石」の様です。
「八幡宮(表門)まで、100m」の標石です。
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10/29 10:37
「八幡宮(表門)まで、100m」の標石です。
上に、「表門」が見えてきました。この前で分岐しており、右手の「表門」に向かうのが「表参道」で、左手の道が「神輿道」です。いずれも「八幡宮本殿」前に登って行きます。
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上に、「表門」が見えてきました。この前で分岐しており、右手の「表門」に向かうのが「表参道」で、左手の道が「神輿道」です。いずれも「八幡宮本殿」前に登って行きます。
「表門」をくぐり、「表参道」を登って行きます。
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「表門」をくぐり、「表参道」を登って行きます。
「金殿井(かなどのい)」前まで、登って来ました。
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10/29 10:39
「金殿井(かなどのい)」前まで、登って来ました。
「金殿井」の様子です。格子の奥に、井戸があります。
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10/29 10:40
「金殿井」の様子です。格子の奥に、井戸があります。
「金殿井」説明板。
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10/29 10:40
「金殿井」説明板。
「金殿井」から少し参道を登ると、十字分岐です。右折して「参道」から「業務用車道」に出て、道なりに登って行きます。
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10/29 10:41
「金殿井」から少し参道を登ると、十字分岐です。右折して「参道」から「業務用車道」に出て、道なりに登って行きます。
「宇佐山」山頂の城址に、直接登る時は看板方向に直進して登って行きますが、本日は先に「宇佐八幡宮本殿」にお参りするので、左折して「八幡宮」の業務用車道を登って行きます。
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10/29 10:41
「宇佐山」山頂の城址に、直接登る時は看板方向に直進して登って行きますが、本日は先に「宇佐八幡宮本殿」にお参りするので、左折して「八幡宮」の業務用車道を登って行きます。
古くからある、大きな「宇佐山城址」の案内看板です。復路では、ここに降りて来ます。
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10/29 10:41
古くからある、大きな「宇佐山城址」の案内看板です。復路では、ここに降りて来ます。
車道を登って行くと、「八幡宮本殿」の手前に、山頂への登山道に繋がる取り付きがありました。「本殿」にお参り後、ここから山頂に向買う予定です。
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10/29 10:43
車道を登って行くと、「八幡宮本殿」の手前に、山頂への登山道に繋がる取り付きがありました。「本殿」にお参り後、ここから山頂に向買う予定です。
「宇佐八幡宮本殿」に、お参りします。
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10/29 10:43
「宇佐八幡宮本殿」に、お参りします。
「宇佐八幡宮」の御由緒です。
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「宇佐八幡宮」の御由緒です。
コロナ禍の影響で、拝殿の「お参り用鈴紐」が取り外されていました。代わりに「文明の利器」です。箱の上に手をかざすと、「鈴の音」が鳴り響きます。
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10/29 10:45
コロナ禍の影響で、拝殿の「お参り用鈴紐」が取り外されていました。代わりに「文明の利器」です。箱の上に手をかざすと、「鈴の音」が鳴り響きます。
お参りを、無事に済ませました。
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10/29 10:45
お参りを、無事に済ませました。
お参りを済ませて、「宇佐八幡宮本殿」の右手に回って来ました。先述の「宇佐山」山頂へ登る登山道への取り付きです。すぐ目ノ前の尾根上に登山道が通っているので、以前は適当に登っていましたが、判り易く一箇所にまとめられました。
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10/29 10:53
お参りを済ませて、「宇佐八幡宮本殿」の右手に回って来ました。先述の「宇佐山」山頂へ登る登山道への取り付きです。すぐ目ノ前の尾根上に登山道が通っているので、以前は適当に登っていましたが、判り易く一箇所にまとめられました。
取り付きから20m程登ると、登山道に合流します。左折して登って行きます。
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10/29 10:54
取り付きから20m程登ると、登山道に合流します。左折して登って行きます。
登山道の様子です。宇佐山は単独峰で中腹以上の四面は急峻です。山腹をジグザグに登る時は楽ですが、斜面直登となる箇所は急登降となります。
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10/29 10:55
登山道の様子です。宇佐山は単独峰で中腹以上の四面は急峻です。山腹をジグザグに登る時は楽ですが、斜面直登となる箇所は急登降となります。
標高240mまで、登って来ました。
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10/29 10:55
標高240mまで、登って来ました。
ジグザグの折り返し箇所です。行き過ぎない様に、ロープが張られています。
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10/29 10:57
ジグザグの折り返し箇所です。行き過ぎない様に、ロープが張られています。
先行のモデルさんは、「山の師匠」さんです。久し振りに、御一緒しました。「傘寿」を越えられても、お元気です!
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10/29 10:58
先行のモデルさんは、「山の師匠」さんです。久し振りに、御一緒しました。「傘寿」を越えられても、お元気です!
「案内標識」は、たくさん設置されています。
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「案内標識」は、たくさん設置されています。
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10/29 11:02
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斜面の直登箇所は、地形上どうしても急登になってしまいます。
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斜面の直登箇所は、地形上どうしても急登になってしまいます。
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10/29 11:05
ここは右上に折り返して、登って行きます。
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ここは右上に折り返して、登って行きます。
戦国時代、織田信長の命により築かれた「宇佐山城」の初代城主「森可成」(森蘭丸の父)。二代城主「明智光秀」の名前が出て来ました。
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10/29 11:08
戦国時代、織田信長の命により築かれた「宇佐山城」の初代城主「森可成」(森蘭丸の父)。二代城主「明智光秀」の名前が出て来ました。
「宇佐山城」は、「浅井・朝倉連合軍・宗教勢力と比叡山延暦寺・地元豪族等」と対峙した、「織田信長」方の最前線でした。
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10/29 11:08
「宇佐山城」は、「浅井・朝倉連合軍・宗教勢力と比叡山延暦寺・地元豪族等」と対峙した、「織田信長」方の最前線でした。
この時「織田」軍は窮地に追い込まれており、何とか和平に持ち込んで息を繋ぎ、その後の盛り返しに繋がる転換点となった重要な拠点です。
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10/29 11:08
この時「織田」軍は窮地に追い込まれており、何とか和平に持ち込んで息を繋ぎ、その後の盛り返しに繋がる転換点となった重要な拠点です。
「宇佐山城」の「縄張り図(北側)」です。
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10/29 11:08
「宇佐山城」の「縄張り図(北側)」です。
「縄張り図(南側)」。
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10/29 11:08
「縄張り図(南側)」。
ここは、注意箇所です。標識に沿って左上に登らず、直進します。道なりに一旦下り、山の斜面に沿って左に回り込むと、補助ロープの張られた急登が待っています。
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10/29 11:08
ここは、注意箇所です。標識に沿って左上に登らず、直進します。道なりに一旦下り、山の斜面に沿って左に回り込むと、補助ロープの張られた急登が待っています。
急登箇所を、登って行きます。
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10/29 11:10
急登箇所を、登って行きます。
標高330mまで、登って来ました。もう少しです。
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10/29 11:10
標高330mまで、登って来ました。もう少しです。
左「本丸跡・二ノ丸跡」。右「三ノ丸跡・宇佐山テラス」。直進「搦手道(からめてみち)跡の一部を利用したと思われる放送施設の作業道」の、山頂部のコル分岐が、見えて来ました。
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10/29 11:10
左「本丸跡・二ノ丸跡」。右「三ノ丸跡・宇佐山テラス」。直進「搦手道(からめてみち)跡の一部を利用したと思われる放送施設の作業道」の、山頂部のコル分岐が、見えて来ました。
コルに、登り着きました。
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10/29 11:11
コルに、登り着きました。
向きを変えて、右手の「三ノ丸跡・宇佐山テラス」に登ります。左手に下るのは「作業道」で、西側の大津市と京都市を結ぶ、通称「山中越え」に降り着きます。
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向きを変えて、右手の「三ノ丸跡・宇佐山テラス」に登ります。左手に下るのは「作業道」で、西側の大津市と京都市を結ぶ、通称「山中越え」に降り着きます。
「三ノ丸跡」は、少し高くなっています。
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10/29 11:11
「三ノ丸跡」は、少し高くなっています。
登り切ると、平坦に均されています。
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10/29 11:11
登り切ると、平坦に均されています。
「山の師匠」は、先着済みです。その後、3名の方が登って来られて、計5名で展望を楽しむ事になりました。
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10/29 11:11
「山の師匠」は、先着済みです。その後、3名の方が登って来られて、計5名で展望を楽しむ事になりました。
「縄張り図」がありました。
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10/29 11:12
「縄張り図」がありました。
東隅に向います。
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10/29 11:12
東隅に向います。
「宇佐山テラスからの風景」説明図が、ありました。
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10/29 11:12
「宇佐山テラスからの風景」説明図が、ありました。
「三ノ丸跡・宇佐山テラス」の、東端に来ました。
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10/29 11:13
「三ノ丸跡・宇佐山テラス」の、東端に来ました。
東側、「琵琶湖大橋から、三上山」方面の展望です。身を乗り出してみると、「比良山系」の一部も望めます。
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10/29 11:14
東側、「琵琶湖大橋から、三上山」方面の展望です。身を乗り出してみると、「比良山系」の一部も望めます。
「南東〜南方向(柳ヶ崎〜大津港方面)です。樹木に遮られてほとんど見えません! こちらも出来れば、お願いしたいですね!」。
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10/29 11:15
「南東〜南方向(柳ヶ崎〜大津港方面)です。樹木に遮られてほとんど見えません! こちらも出来れば、お願いしたいですね!」。
「三ノ丸跡・宇佐山テラス」からコル分岐に戻り、南側の「本丸跡・二ノ丸跡」に向う為、コンクリート階段を登って行きます。
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10/29 11:25
「三ノ丸跡・宇佐山テラス」からコル分岐に戻り、南側の「本丸跡・二ノ丸跡」に向う為、コンクリート階段を登って行きます。
「本丸跡」には、NHKのテレビ送受信用の設備やアンテナ塔が建てられています。
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10/29 11:27
「本丸跡」には、NHKのテレビ送受信用の設備やアンテナ塔が建てられています。
同上。
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10/29 11:27
同上。
建物の西側斜面には、資材運搬用のモノレールが設置されていました。
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建物の西側斜面には、資材運搬用のモノレールが設置されていました。
「本丸跡」〜「二ノ丸跡」方面に、向います。
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「本丸跡」〜「二ノ丸跡」方面に、向います。
途中のこんもりした小高い場所の手前には、石仏が安置されていました。
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10/29 11:28
途中のこんもりした小高い場所の手前には、石仏が安置されていました。
小高い場所のピークには、小さなケルンが積まれています。ここが現在では、「宇佐山」の最高所です。ここは、「櫓跡」と言われています。この付近の東側に「虎口」があった様です。
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10/29 11:28
小高い場所のピークには、小さなケルンが積まれています。ここが現在では、「宇佐山」の最高所です。ここは、「櫓跡」と言われています。この付近の東側に「虎口」があった様です。
「二ノ丸跡」に方向に下って行きます。「木柵と鉄条網で四角形に区切られた場所(※ 縄張り図から推定するとと、ここは「貯水槽」跡ではないでしょうか?)」を越えて進むと、また下に平坦地がありました。
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10/29 11:30
「二ノ丸跡」に方向に下って行きます。「木柵と鉄条網で四角形に区切られた場所(※ 縄張り図から推定するとと、ここは「貯水槽」跡ではないでしょうか?)」を越えて進むと、また下に平坦地がありました。
一段降りて来ました。「ここも、二ノ丸跡の一画でしょうか?」。
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10/29 11:30
一段降りて来ました。「ここも、二ノ丸跡の一画でしょうか?」。
その先に、進みます。南方向に下って行くと、南方に延びる細い尾根がありました。「縄張り図」を見ると、この尾根筋に「大手道」があった様です。危険そうなので諦めて東方向に回りました。
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10/29 11:31
その先に、進みます。南方向に下って行くと、南方に延びる細い尾根がありました。「縄張り図」を見ると、この尾根筋に「大手道」があった様です。危険そうなので諦めて東方向に回りました。
東斜面に、回って来ました。
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10/29 11:32
東斜面に、回って来ました。
また下に、小さな平坦地がありました。少し斜面を下って、東側の斜面を覗いて見ました。「この先は誰かが探索したかな?」というような感じで、道らしきものはありません。自己責任で、慎重に進みます。
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10/29 11:32
また下に、小さな平坦地がありました。少し斜面を下って、東側の斜面を覗いて見ました。「この先は誰かが探索したかな?」というような感じで、道らしきものはありません。自己責任で、慎重に進みます。
少し回り込むと、石垣に積まれた石が残っていました。上を見上げると、石垣らしきものが見えます。
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10/29 11:33
少し回り込むと、石垣に積まれた石が残っていました。上を見上げると、石垣らしきものが見えます。
前記の石垣です。「ここだけ、上から下にかけて人工的な角張った筋が延びています。いったい何でしょうか?」
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10/29 11:33
前記の石垣です。「ここだけ、上から下にかけて人工的な角張った筋が延びています。いったい何でしょうか?」
東側斜面の様子です。
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10/29 11:35
東側斜面の様子です。
左上(西側)に、先述の「木柵と鉄条網に囲まれた四角形の一画」が見えて来ました。先に進んでも危険なだけなので、ここで戻る事にしました。
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10/29 11:36
左上(西側)に、先述の「木柵と鉄条網に囲まれた四角形の一画」が見えて来ました。先に進んでも危険なだけなので、ここで戻る事にしました。
木の根っ子や枝をつかんで、山頂部の通路に戻って来ました。先述の「貯水槽跡」と思われる場所に、戻って来ました。
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10/29 11:37
木の根っ子や枝をつかんで、山頂部の通路に戻って来ました。先述の「貯水槽跡」と思われる場所に、戻って来ました。
小高い場所の東側を、通ります。
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10/29 11:43
小高い場所の東側を、通ります。
「本丸跡」から、降りて来ました。「本丸跡」東側の斜面に向います。
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「本丸跡」から、降りて来ました。「本丸跡」東側の斜面に向います。
「本丸跡」の東側に、回って来ました。少し南方向に進むと、崩れた石垣跡が見えます。
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10/29 11:46
「本丸跡」の東側に、回って来ました。少し南方向に進むと、崩れた石垣跡が見えます。
ここにも、石仏が安置されていました。「虎口跡」付近まで行って見たかったのですが、「師匠」からお声がかかり、今日はここで戻ります。
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10/29 11:46
ここにも、石仏が安置されていました。「虎口跡」付近まで行って見たかったのですが、「師匠」からお声がかかり、今日はここで戻ります。
登山道に戻って、下山します。
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10/29 11:47
登山道に戻って、下山します。
登山道脇に、見覚えのある石です。ちょっとお邪魔して見にいきます。「本丸石垣」の標識が、立てられています。
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10/29 11:49
登山道脇に、見覚えのある石です。ちょっとお邪魔して見にいきます。「本丸石垣」の標識が、立てられています。
二個の石が、ありました。先程も、二個の石が転がっていましたが、場所と石の形が異なります。以前にこの辺りを探索しましたが、足元不安定で難儀しました。ここで戻ります。
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10/29 11:49
二個の石が、ありました。先程も、二個の石が転がっていましたが、場所と石の形が異なります。以前にこの辺りを探索しましたが、足元不安定で難儀しました。ここで戻ります。
登山道に、戻って来ました。
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10/29 11:53
登山道に、戻って来ました。
下って行きます。
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10/29 11:54
下って行きます。
ドンドン下って、往路で通った「宇佐山城址・大看板」前の、「八幡宮」業務用車道に降りて来ました。
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10/29 12:02
ドンドン下って、往路で通った「宇佐山城址・大看板」前の、「八幡宮」業務用車道に降りて来ました。
ここにも「宇佐山城」と、「織田信長」「森可成」「明智光秀」の関係を示す説明板がありました。
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10/29 12:02
ここにも「宇佐山城」と、「織田信長」「森可成」「明智光秀」の関係を示す説明板がありました。
「豊平稲荷社」を右に見て、下って行きます。
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10/29 12:04
「豊平稲荷社」を右に見て、下って行きます。
同上。
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10/29 12:04
同上。
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参道を下って行きます。
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参道を下って行きます。
「一の鳥居」まで、下って来ました。
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「一の鳥居」まで、下って来ました。
「大津京のランドマーク・マリー」よりも、低くなりました。
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「大津京のランドマーク・マリー」よりも、低くなりました。
左手の「山の神」に、お参りしました。
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左手の「山の神」に、お参りしました。
「宇佐八幡宮参道」の登り口まで、降りて来ました。
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「宇佐八幡宮参道」の登り口まで、降りて来ました。
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