身延山地・妙見寺─差越峠から粟倉山往復
- GPS
- 01:59
- 距離
- 3.5km
- 登り
- 477m
- 下り
- 480m
コースタイム
- 山行
- 1:49
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 1:59
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
落ち葉や倒木が多いけど、かつて小学生の通学路にも使われたという古道のため、ルートさえ外さなければ問題ない。 |
その他周辺情報 | 新早川橋近くにあるスーパーマーケット「セルバみのぶ店」で買い出し。 キャラクターか何かの聖地らしく、フィギュアを持ったオジサンがウロウロしてた(苦笑)。 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
靴
ザック
行動食
飲料
レジャーシート
地図(地形図)
ヘッドランプ
予備電池
日焼け止め
保険証
携帯
時計
タオル
ショートスパッツ
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感想
身延山の北稜線の粟倉山については、富士川クラフトパークや差越集落からの登頂記録は散見されるけど、東麓の妙見寺からの登頂記録は見かけたことがない。しかし、国土地理院の地形図には妙見寺から差越峠までの徒歩道が記載されており、早川町フィールドミュージアムの奥山冥利に掲載された記事によると、差越の子供は差越峠を越えて下山の学校に通っていたこともあったという。通学路だった道なら、使われなくなったとしてもそれなりの遺構が残っているだろう…と考え、妙見寺から差越峠を経ての粟倉山登山を企画した。
朝6:15に『キャラメルハウス』(自宅)を出発。妙見寺には11時到着の予定だったけど、道の駅『奥飛騨温泉郷上宝』周辺の国道471号が渋滞しており、廻り道をした影響で1時間遅れで妙見寺に着いた。私以外誰もいない静かな妙見寺を後にして、登山開始。地形図の表記どおり、しばらく車道歩き。地形図では車道がそのまま歩道になるような表現になってるけど、カーヴの先にアヤしい踏み跡を見つけ、そこに入っていく(標識等は何もない)。林業用と思われるピンクリボンがところどころ見つかったので、それに導かれるように沢筋に入っていく。沢沿いに歩いてくうちに、地形図上道があることになってる尾根からどんどん離れ、南側に誘導され始めたので、一旦沢に降りて渡って、尾根に向かって無理やり登り始める。踏み跡っぽいところを歩いてたつもりだけど、やがて土の急斜面となる。手がかりや足がかりになるものも少なく、滑落したら数十メートル真っ逆さま…という危機を、四つ足動物みたいに這って回避し、なんとか尾根上に出た。そこに道形を見つけた時、心底ホッとした。もし、古道が見つからない場合は敗退(来た道もそう簡単には戻れないケド…苦笑)も覚悟してた。古道に合流してからは比較的スムーズで、長年堆積した落ち葉や落ち枝、倒木で歩きにくさはあるものの、道に沿って黒い導水管が敷設されていることもあり、あまり迷うこともなく差越峠に到着。
この地域の地質のせいなのか、うるさい雑草もなく、木の間を縫うようにして登っていくと、送電線の鉄塔に出た。今回のコース中、展望に恵まれてるのはここだけ。天子山地の奥に姿を見せる富士山や、笊ヶ岳などの南アルプスの山がよく見えた。峠から鉄塔までは比較的ヤセ尾根だったけど、幅が出てくるようになって少し登ると、粟倉山の三角点に到着。ネット上で確認出来る登頂記録などで紹介されてる将棋の駒型の山名標は見当たらなかった。
頂上からの展望は、天子山地の一角が見えるのみで、ほぼ無し。10分頂上に居て、下山開始。クルマの関係で往路を戻るしかないので、差越峠まで戻る。古道は峠の直下が一番危険で、こんな道をよく小学生が通学で使ったな!…と思えるほど幅が狭いけど、おそらくこの地域の地質上、使われなくなってから崩れて今の状態になったと予想(苦笑)。いつも忠実に横を這ってるわけではないけど、使われなくなっている(ハズの)導水管が道に沿って敷かれてるため、この導水管を目当てにすれば迷うことはない。古道も下るうちに往年の道幅を取り戻していく。現在の車道との取り付き付近が一番解りにくかったけど、車道のほうが見えてたので、そっちのほうを目指して歩いて行き、無事車道に復帰した。車道に復帰した箇所(コンクリートの階段状になっている)がどこか見てみたら、今回私が入山した踏み跡から50 mほど妙見寺寄りの、ガードレールの切れ目のところだった(苦笑)。車道に出てからはちょっとの歩きで妙見寺に到着。
今回の探索の結論としては、妙見寺側からのルートでもヤブ漕ぎなどの苦労無く差越峠ー粟倉山に登れる。
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