1017 春日大社にて、イチョウの葉っぱもすっかり落ちてしまっている
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11/28 10:17
1017 春日大社にて、イチョウの葉っぱもすっかり落ちてしまっている
1035 滝坂の道入口、ここから山道に入っていくが舗装されているか石畳になっている所が多い
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11/28 10:35
1035 滝坂の道入口、ここから山道に入っていくが舗装されているか石畳になっている所が多い
1041 石畳の道も落ち葉で埋め尽くされようとしている
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11/28 10:41
1041 石畳の道も落ち葉で埋め尽くされようとしている
1048 ゴロゴロした岩の景観になってくる
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11/28 10:48
1048 ゴロゴロした岩の景観になってくる
1058 最初に出てくる橋、通行注意の看板がある
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11/28 10:58
1058 最初に出てくる橋、通行注意の看板がある
1109 首切り地蔵、この先の地獄谷園地新池ほとりで暫く日光浴休憩する
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11/28 11:09
1109 首切り地蔵、この先の地獄谷園地新池ほとりで暫く日光浴休憩する
1139 前回見逃して大回りをしてしまったが、ここから左に入るのが芳山への登山口のようだ、この後峠の茶屋で小休止
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11/28 11:39
1139 前回見逃して大回りをしてしまったが、ここから左に入るのが芳山への登山口のようだ、この後峠の茶屋で小休止
1206 暫くこんな道を歩いている、県道184号線
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11/28 12:06
1206 暫くこんな道を歩いている、県道184号線
1216 ここから県道を外れて右(写真では正面)の東海自然歩道に入っていく
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11/28 12:16
1216 ここから県道を外れて右(写真では正面)の東海自然歩道に入っていく
1243 間違えそうだったが、右の山に登る方に案内があった
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11/28 12:43
1243 間違えそうだったが、右の山に登る方に案内があった
1301 円成寺の池、この後が長いので拝観はパス
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11/28 13:01
1301 円成寺の池、この後が長いので拝観はパス
1311 一部を除いてほとんどの分岐点にこのような案内が立っているのであまり迷うことはない
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11/28 13:11
1311 一部を除いてほとんどの分岐点にこのような案内が立っているのであまり迷うことはない
1316 農耕地帯の中を進んできたが、ここから左の山道に入っていく
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11/28 13:16
1316 農耕地帯の中を進んできたが、ここから左の山道に入っていく
1335 夜支布(ヤシュウ)山口神社、ヤギュウと読むのが正解のようだ
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11/28 13:35
1335 夜支布(ヤシュウ)山口神社、ヤギュウと読むのが正解のようだ
1341 広々と広がる柳生の里
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11/28 13:41
1341 広々と広がる柳生の里
1341-2 水木古墳、6世紀後半に作られた、この地域を治めた首長の墓と言われている
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11/28 13:41
1341-2 水木古墳、6世紀後半に作られた、この地域を治めた首長の墓と言われている
1400 奈良市青少年野外活動センター、こどモード村
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11/28 14:00
1400 奈良市青少年野外活動センター、こどモード村
1430 きれいな石畳の道が暫く続いている
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11/28 14:30
1430 きれいな石畳の道が暫く続いている
1433 下は石畳の道だが落ち葉で埋まっている、ガサガサ踏みしめて歩くのも気持ちが良い
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11/28 14:33
1433 下は石畳の道だが落ち葉で埋まっている、ガサガサ踏みしめて歩くのも気持ちが良い
1437 この辺りは地理院地図のルートからはずれていたのでコースミスしたかと思ったが正解だったようだ
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11/28 14:37
1437 この辺りは地理院地図のルートからはずれていたのでコースミスしたかと思ったが正解だったようだ
1450 疱瘡(ホウソウ)地蔵、1319年の刻銘があり、疱瘡よけを祈願して作られたといわれる
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11/28 14:50
1450 疱瘡(ホウソウ)地蔵、1319年の刻銘があり、疱瘡よけを祈願して作られたといわれる
1450-2 疱瘡地蔵、巨大な石に彫られている
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11/28 14:50
1450-2 疱瘡地蔵、巨大な石に彫られている
1457 柳生の里観光案内図、ここからバスで帰る予定だったが、まだ時間があるので観光はそこそこにして笠置を目指すことに
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11/28 14:57
1457 柳生の里観光案内図、ここからバスで帰る予定だったが、まだ時間があるので観光はそこそこにして笠置を目指すことに
1502 柳生八坂神社、1654年柳生宗冬が造営したとされる
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11/28 15:02
1502 柳生八坂神社、1654年柳生宗冬が造営したとされる
1503 柳生八坂神社拝殿、奥の方に本殿が見える
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11/28 15:03
1503 柳生八坂神社拝殿、奥の方に本殿が見える
1510 柳生の摩利支天山の沿革が記されていた
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11/28 15:10
1510 柳生の摩利支天山の沿革が記されていた
1510-2 柳生の摩利支天山から見た柳生の里、雨も上がって青空が見えてきたが、この後もまた雨に降られる
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11/28 15:10
1510-2 柳生の摩利支天山から見た柳生の里、雨も上がって青空が見えてきたが、この後もまた雨に降られる
1517 旧柳生藩家老屋敷、内部の見学はパスして先を急ぐ
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11/28 15:17
1517 旧柳生藩家老屋敷、内部の見学はパスして先を急ぐ
1528-2 お墓の頂上にある十兵衛杉、柳生十兵衛三厳が植えたと言われるが、樹齢約350年で落雷のため枯れてしまった
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11/28 15:28
1528-2 お墓の頂上にある十兵衛杉、柳生十兵衛三厳が植えたと言われるが、樹齢約350年で落雷のため枯れてしまった
1529 十兵衛杉から眺めた柳生の里
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11/28 15:29
1529 十兵衛杉から眺めた柳生の里
1545 阿対の石仏、室町時代の作とされる阿弥陀如来で、流行病よけの願を聞いてくれるとされ、左の地蔵菩薩は豆腐を供えると子どもが授かると言われる
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11/28 15:45
1545 阿対の石仏、室町時代の作とされる阿弥陀如来で、流行病よけの願を聞いてくれるとされ、左の地蔵菩薩は豆腐を供えると子どもが授かると言われる
1555 かさぎゴルフ倶楽部、時間が遅いせいかコロナのせいかひっそりしている
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11/28 15:55
1555 かさぎゴルフ倶楽部、時間が遅いせいかコロナのせいかひっそりしている
1610-2 笠置山観光マップ、遅くなったが折角なのでぐるっと回ってくることに
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11/28 16:10
1610-2 笠置山観光マップ、遅くなったが折角なのでぐるっと回ってくることに
1620 後醍醐天皇行在所跡、1331年9月28日夜北条方の奇襲を受け笠置寺全てが灰塵となった、ここが笠置山山頂のようだ
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11/28 16:20
1620 後醍醐天皇行在所跡、1331年9月28日夜北条方の奇襲を受け笠置寺全てが灰塵となった、ここが笠置山山頂のようだ
1623-2 貝吹き岩、1331年の元弘の戦の際勤王軍が士気を高めるためこの上でホラ貝を吹いたと言われる
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11/28 16:23
1623-2 貝吹き岩、1331年の元弘の戦の際勤王軍が士気を高めるためこの上でホラ貝を吹いたと言われる
1624 貝吹き岩から見た木津川の眺め
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11/28 16:24
1624 貝吹き岩から見た木津川の眺め
1625 もみじ公園の紅葉もすっかり葉を落とし、休憩所の屋根がきれいに色付いている
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11/28 16:25
1625 もみじ公園の紅葉もすっかり葉を落とし、休憩所の屋根がきれいに色付いている
1627 赤く染まった木津川の風景、先ほどと反対側
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11/28 16:27
1627 赤く染まった木津川の風景、先ほどと反対側
1630 前方の大小の岩の間を抜けていく、ここが一番狭かった
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11/28 16:30
1630 前方の大小の岩の間を抜けていく、ここが一番狭かった
1632 先ほどと同じ方向だが、日が沈み落ち着いた感じになった
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11/28 16:32
1632 先ほどと同じ方向だが、日が沈み落ち着いた感じになった
1633 ここも巨大な石という感じ、碑が建っていたがよく分からない
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11/28 16:33
1633 ここも巨大な石という感じ、碑が建っていたがよく分からない
1634 ゆるぎ石、1331年後醍醐天皇が鎌倉幕府の奇襲を受けた際、武器としてここに運ばれたが使われなかった、重心が中央にあり人の力で動くとされる
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11/28 16:34
1634 ゆるぎ石、1331年後醍醐天皇が鎌倉幕府の奇襲を受けた際、武器としてここに運ばれたが使われなかった、重心が中央にあり人の力で動くとされる
1637 太鼓石、上の大きな石を支えているようでちょっと怖い
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11/28 16:37
1637 太鼓石、上の大きな石を支えているようでちょっと怖い
1639 胎内くぐり
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11/28 16:39
1639 胎内くぐり
1640 虚空蔵磨崖仏、奈良時代渡来人が作ったと言われる、巨大な石の彫刻
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11/28 16:40
1640 虚空蔵磨崖仏、奈良時代渡来人が作ったと言われる、巨大な石の彫刻
1649 残りモミジ
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11/28 16:49
1649 残りモミジ
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