記録ID: 2796037
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ハイキング
東海
妙法が岳(両界山横蔵寺〜谷汲山華厳寺)
2020年12月12日(土) [日帰り]
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- GPS
- --:--
- 距離
- 19.8km
- 登り
- 1,306m
- 下り
- 1,297m
コースタイム
天候 | 薄曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
ほぼ全行程東海自然歩道だから、道迷いの心配はない。ただ、アップダウンの多いロングコースだから、それ相当の装備、体力が求められる。 (私は過去に、80代ぐらいのご夫婦を助けたことがあった。)「両古刹を繋ぐありがたい道だから」と、安易な装備、気持ちでの入山は避けたい。 |
その他周辺情報 | バスの時刻は事前に調べておきたいものだ。夏に歩いた時は午後3時すぎに一本あったのだが、無くなっていた。冬場は1日3本(朝、昼、夜)しか運行されていない。従って帰りは県道を延々8キロも歩かされるはめになってしまった。タクシーも30分ぐらい待たないと来てくれない。(コロナで運行車両を減らしているらしい) 山道は楽しいが、登山靴、ザック背負っての車道歩きは惨めで、恰好悪い。とくに日暮れ時は冷たい風が身にしみる。 |
写真
横蔵三十八坊と呼ばれた大伽藍を持っていたからには、どこかに奥の院もあったはずだと以前から予想をつけていたのだが。。きょう、丸山(562P)の頂上にこれを見つけた。戦火を逃れて、これだけが残ったのだろう。それを麓の農民が何代にもわたって守り続けて来たのだらうか。夏は藪に覆われていて近づけないだらうが、今の季節なら、かすかな踏み跡を辿ることが出来る。
シャクナゲ平を登り切った尾根を、南に向かってヤブを漕ぐ。
シャクナゲ平を登り切った尾根を、南に向かってヤブを漕ぐ。
落ち葉のコンチェルト(アルバート・ハモンド)。ふかふかの絨毯の上をザワザワと四拍子でリズムを刻んで歩いてみた。
5年ぐらい前のカタクリの頃、この付近でギフ蝶の乱舞を観たことがあった。
5年ぐらい前のカタクリの頃、この付近でギフ蝶の乱舞を観たことがあった。
谷汲山華厳寺奥の院。埼玉から来たという妙齢のご婦人(50歳ぐらいか?)が、ひとり数珠を手に線香をあげ、一心に祈っていた。満願堂から1時間以上かけて登って来たさうだ。道中の三十三体のお地蔵ひとつひとつに祈って来たのだらう。汗となみだで化粧も流れてしまった。
ここまで平服スニーカーで登って来るひとは相当な信者だ。いい加減な若者カップルは大抵、20番札所で引き返す。
ここまで平服スニーカーで登って来るひとは相当な信者だ。いい加減な若者カップルは大抵、20番札所で引き返す。
撮影機器:
感想
NHK大河「麒麟が来る」で延暦寺の焼き討ちを観たのだが、横蔵寺のことはどこにも出てこなかった。延暦寺の分身と云われたこの山もまた、同じ時期に織田信長によって焼かれていた。作者のうっかり見落としかもしれないが、歴史の片隅に葬り去られてしまったようで、がっかりしてしまった。
大勢の焼け残った僧兵が比叡山から、この山に逃れて来たことはあまり知られていない。横蔵三十八坊と云われた大伽藍群には、千人以上の僧兵を匿える余裕があったと数少ない記録のなかに残されている。
開山そのものも伝教大師最澄によるとされているから、思想様式すべてが延暦寺とうり二つだったのだらう。
谷汲山華厳寺も同じ天台宗だが、横蔵寺は開祖最澄の手によるとされている。華厳寺よりもはるかに大きな伽藍だったことが想像できないだらうか。
夏にはヤブに埋もれてしまうから、この時期しかないと、探検してみた。何かの本で読んだ「奥の院」の存在を確かめたかったのだ。
夏にはとても歩けそうにない獣道を辿って行って、横蔵丸山の山頂にそれを見つけた。名前こそ、近代になって白山神社に変えられてしまったが、まぎれもなく「横蔵寺奥の院」に違いない。
そんなものを見つけたところで、どうと言うことはないのだらうが、大満足で礎石に腰掛け、一服つけた。
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