大村宿の中心部はアーケード商店街。
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9/25 7:14
大村宿の中心部はアーケード商店街。
本陣があった場所。大きな公共施設になっていました。
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9/25 7:22
本陣があった場所。大きな公共施設になっていました。
ここで左へ。直進は玖島城(大村城)や武家屋敷が密集する地域。街道はそれらを迂回するような道筋を取ります。
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9/25 7:30
ここで左へ。直進は玖島城(大村城)や武家屋敷が密集する地域。街道はそれらを迂回するような道筋を取ります。
大村は軍都ということで戦時中に大きな空襲がありましたが中心部から少し離れたこの辺りでは古い民家を散見できました。
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9/25 7:30
大村は軍都ということで戦時中に大きな空襲がありましたが中心部から少し離れたこの辺りでは古い民家を散見できました。
ここを右へ。大村線をくぐります。
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9/25 7:40
ここを右へ。大村線をくぐります。
奥の山は春日神社。その境内には旧円融寺の庭園があります。
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9/25 7:44
奥の山は春日神社。その境内には旧円融寺の庭園があります。
ここでの本来の道筋は直角でした。石積みに沿って鳥居前へ。
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9/25 7:45
ここでの本来の道筋は直角でした。石積みに沿って鳥居前へ。
この手前で左に折れるのですが痕跡が僅かながら残っているので辿ることが可能です。
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9/25 7:45
この手前で左に折れるのですが痕跡が僅かながら残っているので辿ることが可能です。
このシャッターがあるラインが旧道だったと思われます。
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9/25 7:49
このシャッターがあるラインが旧道だったと思われます。
ここを左へ。ちなみに坂を直進すれば武家屋敷があり見学が可能です。
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9/25 7:48
ここを左へ。ちなみに坂を直進すれば武家屋敷があり見学が可能です。
広大な墓地がある坂を上っていきます。ここは宿場の外にあたる場所です。
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9/25 7:53
広大な墓地がある坂を上っていきます。ここは宿場の外にあたる場所です。
この先の街道は峠越えを選びます。地図を見れば一目瞭然で海沿いは険しい地形だったことを想像できます。
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9/25 8:05
この先の街道は峠越えを選びます。地図を見れば一目瞭然で海沿いは険しい地形だったことを想像できます。
この先で県道に合流します。
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9/25 8:08
この先で県道に合流します。
荒川坂への旧道ですが県道建設時に極端に掘り下げてしまっているので半ば消滅しています。ここは標高を維持するために左の道で迂回します。
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9/25 8:21
荒川坂への旧道ですが県道建設時に極端に掘り下げてしまっているので半ば消滅しています。ここは標高を維持するために左の道で迂回します。
ここを左。おそらくレベル的には消滅した旧道と同じものだと思います。ちなみに角には長崎街道の標識があったので長崎側から歩く分には迷うことはないでしょう。
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9/25 8:24
ここを左。おそらくレベル的には消滅した旧道と同じものだと思います。ちなみに角には長崎街道の標識があったので長崎側から歩く分には迷うことはないでしょう。
この急坂を下ります。
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9/25 8:25
この急坂を下ります。
荒川坂。かなりの傾斜です。
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9/25 8:26
荒川坂。かなりの傾斜です。
川を渡った先に亀山坂が見えています。
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9/25 8:28
川を渡った先に亀山坂が見えています。
右手に病院専用の坂道がありますが旧道は左。
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9/25 8:30
右手に病院専用の坂道がありますが旧道は左。
このように坂のピークでうまく繋がっています。
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9/25 8:31
このように坂のピークでうまく繋がっています。
道なりに交差します。
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9/25 8:36
道なりに交差します。
「この道は長崎に繋がっている」とTwitterでつぶやいた場所。
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9/25 8:37
「この道は長崎に繋がっている」とTwitterでつぶやいた場所。
JR岩松駅近く。鈴田番所があった場所です。
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9/25 8:43
JR岩松駅近く。鈴田番所があった場所です。
道なりに右へ。
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9/25 8:44
道なりに右へ。
日置峠の手前。本来の道は左を登ります。ただ、途中でがけ崩れや戦時中の防空トンネル建設によって道筋は消滅しています。
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9/25 8:55
日置峠の手前。本来の道は左を登ります。ただ、途中でがけ崩れや戦時中の防空トンネル建設によって道筋は消滅しています。
良い感じの上り坂。なぜこの辺りはわざわざ山へ入っているかですが下に流れる鈴田川の影響があったものと思います。
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9/25 8:57
良い感じの上り坂。なぜこの辺りはわざわざ山へ入っているかですが下に流れる鈴田川の影響があったものと思います。
ここまでは進むことは出来ますが藪が酷く引き返しました。
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9/25 8:59
ここまでは進むことは出来ますが藪が酷く引き返しました。
県道で迂回します。左手の山の中腹に日置峠があると思われます。
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9/25 9:02
県道で迂回します。左手の山の中腹に日置峠があると思われます。
旧道はこの辺りに出てくるようです。竹藪に入ってみると路盤など痕跡を見ることができました。
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9/25 9:05
旧道はこの辺りに出てくるようです。竹藪に入ってみると路盤など痕跡を見ることができました。
このまま県道を進んでいきますが本来の旧道は斜め右方向に弧を描く感じで通っていたそうです。
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9/25 9:06
このまま県道を進んでいきますが本来の旧道は斜め右方向に弧を描く感じで通っていたそうです。
鈴田川を渡って左へ。
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9/25 9:09
鈴田川を渡って左へ。
鈴田一里塚跡。時おりこういう標識があって有難いです。
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9/25 9:21
鈴田一里塚跡。時おりこういう標識があって有難いです。
ここを右へ。ちなみに左は天保年間以降の道筋となっていて川沿いを経て古松大神宮付近に繋がります。
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9/25 9:24
ここを右へ。ちなみに左は天保年間以降の道筋となっていて川沿いを経て古松大神宮付近に繋がります。
国道を渡ってその先の旧道へ。
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9/25 9:27
国道を渡ってその先の旧道へ。
大村線の線路をくぐった先を左へ。この付近は鉄道建設によって元の道筋がよくわからなくなっています。
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9/25 9:28
大村線の線路をくぐった先を左へ。この付近は鉄道建設によって元の道筋がよくわからなくなっています。
右手に古松大神宮。道なりに左へ。
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9/25 9:31
右手に古松大神宮。道なりに左へ。
かつての道筋は川の左岸に沿ってありました。大村線をくぐってから橋までの道筋は新設された道です。ちなみに、先ほど紹介した天保年間以降の道筋はここに繋がります。
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9/25 9:33
かつての道筋は川の左岸に沿ってありました。大村線をくぐってから橋までの道筋は新設された道です。ちなみに、先ほど紹介した天保年間以降の道筋はここに繋がります。
ここを右へ。鈴田峠が始まります。上り口は諸説ありこの少し先で右に折れていたというのもありますが痕跡は見つけられませんでした。
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9/25 9:36
ここを右へ。鈴田峠が始まります。上り口は諸説ありこの少し先で右に折れていたというのもありますが痕跡は見つけられませんでした。
徐々に勾配がきつくなっていきます。
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9/25 9:43
徐々に勾配がきつくなっていきます。
ここを右へ。看板があるので安心です。
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9/25 9:46
ここを右へ。看板があるので安心です。
日の当たる場所は軽い藪となっていました。この先で農道と交差します。
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9/25 9:49
日の当たる場所は軽い藪となっていました。この先で農道と交差します。
この先で農道と合流します。道なりに。
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9/25 9:50
この先で農道と合流します。道なりに。
ここを右へ。
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9/25 9:55
ここを右へ。
この辺りは舗装が途切れていました。
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9/25 9:58
この辺りは舗装が途切れていました。
左手の墓は武士と馬のもの。命を受けて成し遂げての帰路、大雪のため亡くなったといいます。
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9/25 10:00
左手の墓は武士と馬のもの。命を受けて成し遂げての帰路、大雪のため亡くなったといいます。
奥に見える旧道へ進みます。
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9/25 10:02
奥に見える旧道へ進みます。
この先で農道と旧道が分かれます。右を直進。
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9/25 10:07
この先で農道と旧道が分かれます。右を直進。
遠くに大村の町が見えました。
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9/25 10:12
遠くに大村の町が見えました。
ここから本格的な峠道となります。
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9/25 10:13
ここから本格的な峠道となります。
驚いたことに立派な石畳が残っていました。
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9/25 10:16
驚いたことに立派な石畳が残っていました。
日陰が多い影響なのか藪とはなっておらず道筋がしっかりしています。
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9/25 10:21
日陰が多い影響なのか藪とはなっておらず道筋がしっかりしています。
駕籠立場跡。私も腰掛けて休みたかったのですが藪蚊が多くて休むことが出来なかったです。
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9/25 10:23
駕籠立場跡。私も腰掛けて休みたかったのですが藪蚊が多くて休むことが出来なかったです。
意外と道幅が広いのは車両を通せるようにした影響と思われます。
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9/25 10:26
意外と道幅が広いのは車両を通せるようにした影響と思われます。
鈴田峠。
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9/25 10:28
鈴田峠。
峠の横に硯石があります。
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9/25 10:29
峠の横に硯石があります。
展望はないですが広々とした空間になっていました。
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9/25 10:30
展望はないですが広々とした空間になっていました。
峠から先は少々荒れている感じです。
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9/25 10:39
峠から先は少々荒れている感じです。
この辺りまでは道幅が広いのですが、この先で狭くなり新道と分かれる形になります。ちなみにここで言う新道とは地理院地図に表示がある道で明治以降に車両を通すために整備された別ルートのことを指しています。
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9/25 10:43
この辺りまでは道幅が広いのですが、この先で狭くなり新道と分かれる形になります。ちなみにここで言う新道とは地理院地図に表示がある道で明治以降に車両を通すために整備された別ルートのことを指しています。
江戸道上には大渡野番所跡があります。
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9/25 10:43
江戸道上には大渡野番所跡があります。
江戸道は一見すると登山道のような様相です。反面、新道はどこを通っていたかわからないほど消滅してしまっています。
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9/25 10:44
江戸道は一見すると登山道のような様相です。反面、新道はどこを通っていたかわからないほど消滅してしまっています。
切通し。
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9/25 10:47
切通し。
途中で合流してきた新道と思われる道筋。
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9/25 10:51
途中で合流してきた新道と思われる道筋。
ここからはある程度の道幅になります。
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9/25 10:53
ここからはある程度の道幅になります。
出口はすぐそこ。
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9/25 10:59
出口はすぐそこ。
いきなりこの光景となります。
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9/25 11:01
いきなりこの光景となります。
振り返って見るとどこが峠の入口かわからないほど鬱蒼としているのがわかります。
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9/25 11:02
振り返って見るとどこが峠の入口かわからないほど鬱蒼としているのがわかります。
下り坂を進みます。
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9/25 11:06
下り坂を進みます。
茶屋があった場所。そして近くには一里塚もあったそうです。
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9/25 11:17
茶屋があった場所。そして近くには一里塚もあったそうです。
左へ。
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9/25 11:18
左へ。
国道と交差します。
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9/25 11:26
国道と交差します。
ここは右へ。
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9/25 11:38
ここは右へ。
直進。
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9/25 11:41
直進。
雲仙普賢岳でしょうか。薄っすらと見ることができました。
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9/25 11:43
雲仙普賢岳でしょうか。薄っすらと見ることができました。
ここを左へ。
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9/25 11:46
ここを左へ。
巨石があります。かつて石茶屋と呼ばれる休憩所がありました。
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9/25 11:46
巨石があります。かつて石茶屋と呼ばれる休憩所がありました。
ここを右へ。右手に学校がありますがその影響で道筋が一部消滅しています。
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9/25 11:49
ここを右へ。右手に学校がありますがその影響で道筋が一部消滅しています。
斜め左方向にある旧道へ。
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9/25 11:52
斜め左方向にある旧道へ。
この細い道がそれです。
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9/25 11:52
この細い道がそれです。
路地のような場所を進みます。
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9/25 11:54
路地のような場所を進みます。
そしてここが永昌宿追分。諫早中心部や多良海道は左。右へ行けば長崎です。
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9/25 11:55
そしてここが永昌宿追分。諫早中心部や多良海道は左。右へ行けば長崎です。
寄り道して永昌交差点まで来ましたが先ほどの追分からここまでの旧道は完全に消滅しています。永昌宿は実質諫早でもあるのですが何故諫早と呼ばないかは諫早の中心部はまだずっと先だったからと思われます。永昌を宿場とすることで諫早城下を通らせないで済みますし街道を往く人にとっても距離が短縮できるメリットが大いにあったことでしょう。
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9/25 12:04
寄り道して永昌交差点まで来ましたが先ほどの追分からここまでの旧道は完全に消滅しています。永昌宿は実質諫早でもあるのですが何故諫早と呼ばないかは諫早の中心部はまだずっと先だったからと思われます。永昌を宿場とすることで諫早城下を通らせないで済みますし街道を往く人にとっても距離が短縮できるメリットが大いにあったことでしょう。
ちなみに永昌宿追分から永昌交差点は正面の家の建っている辺りを直進して下っていたと思われます。
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9/25 12:17
ちなみに永昌宿追分から永昌交差点は正面の家の建っている辺りを直進して下っていたと思われます。
永昌宿追分から先へ進みます。
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9/25 12:19
永昌宿追分から先へ進みます。
県道を横断します。
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9/25 12:21
県道を横断します。
この辺りの道筋には松並木が植わっていたそうです。
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9/25 12:25
この辺りの道筋には松並木が植わっていたそうです。
ここは直進。
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9/25 12:34
ここは直進。
JR線をくぐった先の旧道を進みます。
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9/25 12:43
JR線をくぐった先の旧道を進みます。
道なりに斜め右へ。
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9/25 12:46
道なりに斜め右へ。
右へ。ここは島原城からの道との追分です。
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9/25 12:53
右へ。ここは島原城からの道との追分です。
この図によると長崎-島原の道は島原街道と呼ばれ海岸沿いを通ってるのですが、ここで分かれる道は大村方面から諫早市中を通らずに島原へ抜ける需要がメインのように思います。言わば島原街道の別ルートといった感じでしょうか。
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9/25 12:54
この図によると長崎-島原の道は島原街道と呼ばれ海岸沿いを通ってるのですが、ここで分かれる道は大村方面から諫早市中を通らずに島原へ抜ける需要がメインのように思います。言わば島原街道の別ルートといった感じでしょうか。
追分らしい雰囲気が残っています。
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9/25 12:55
追分らしい雰囲気が残っています。
佐代用姫橋を渡って向こう側へ。資料によるとこの付近に一里塚や「さや御前」もあったようですが見当たらなかったです。
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9/25 13:02
佐代用姫橋を渡って向こう側へ。資料によるとこの付近に一里塚や「さや御前」もあったようですが見当たらなかったです。
島原道路の高架付近の旧道は直線に改められています。かつては左へ弧を描くような道筋でした。
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9/25 13:06
島原道路の高架付近の旧道は直線に改められています。かつては左へ弧を描くような道筋でした。
農林技術開発センター付近の道筋も大きく変更されています。校舎に沿った空間が旧道の道筋だったと思われます。
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9/25 13:09
農林技術開発センター付近の道筋も大きく変更されています。校舎に沿った空間が旧道の道筋だったと思われます。
校舎の先は駐車場になっています。古地図を照らし合わせてみても旧道の痕跡といっていいでしょう。この駐車場の出口から旧道が復活しています。
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9/25 13:11
校舎の先は駐車場になっています。古地図を照らし合わせてみても旧道の痕跡といっていいでしょう。この駐車場の出口から旧道が復活しています。
お馬の水。この辺りからはアップダウンが多くなっていくので馬にとって有難い水だったと思われます。
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9/25 13:13
お馬の水。この辺りからはアップダウンが多くなっていくので馬にとって有難い水だったと思われます。
貝津橋を渡った先にあった貝津茶屋跡。諫早方面を眺めが良いものでした。
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9/25 13:22
貝津橋を渡った先にあった貝津茶屋跡。諫早方面を眺めが良いものでした。
諫早インターの手前には工業団地が建設されてしまい旧道は完全に消滅してしまっています。
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9/25 13:25
諫早インターの手前には工業団地が建設されてしまい旧道は完全に消滅してしまっています。
昭和40年代の航空写真には道筋が見えるので出来るだけ昔と同じ場所を通るように迂回しました。
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9/25 13:27
昭和40年代の航空写真には道筋が見えるので出来るだけ昔と同じ場所を通るように迂回しました。
この付近から復活するのですが4車線の広い道なのでどこを通っていたか不明瞭な状態が続きます。道路の向こう側に渡ります。
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9/25 13:34
この付近から復活するのですが4車線の広い道なのでどこを通っていたか不明瞭な状態が続きます。道路の向こう側に渡ります。
道路の向こう側。鉄分が含んだような川が流れていました。
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9/25 13:35
道路の向こう側。鉄分が含んだような川が流れていました。
この交差点を右へ。
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9/25 13:36
この交差点を右へ。
この先で高速道路の高架をくぐりますが旧道は直線状に改められています。
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9/25 13:37
この先で高速道路の高架をくぐりますが旧道は直線状に改められています。
道なりに坂を上っていくと住宅地へ。
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9/25 13:46
道なりに坂を上っていくと住宅地へ。
ここは左。
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9/25 13:55
ここは左。
ここを右へ。赤松坂に入ります。ここはかつての追分。
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9/25 14:03
ここを右へ。赤松坂に入ります。ここはかつての追分。
赤松坂の名前の由来は入口付近に松の大木があったからで今も若い松の木が植わっているのはその名残かもしれません。
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9/25 14:04
赤松坂の名前の由来は入口付近に松の大木があったからで今も若い松の木が植わっているのはその名残かもしれません。
赤松坂。距離は短いですが昔ながらの道筋です。石が敷き詰められています。
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9/25 14:05
赤松坂。距離は短いですが昔ながらの道筋です。石が敷き詰められています。
この辺りは幅広になっていますが荷車同士の離合を考慮してのもののようです。
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9/25 14:06
この辺りは幅広になっていますが荷車同士の離合を考慮してのもののようです。
赤松坂の出口。右へ。
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9/25 14:06
赤松坂の出口。右へ。
道なりに進んで県道に合流します。向こう側へはトンネルを利用しましょう。
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9/25 14:14
道なりに進んで県道に合流します。向こう側へはトンネルを利用しましょう。
トンネルには長崎街道の絵図が描かれています。
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9/25 14:14
トンネルには長崎街道の絵図が描かれています。
旧茶屋への県道の道筋。道路沿いには松が植えられています。
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9/25 14:19
旧茶屋への県道の道筋。道路沿いには松が植えられています。
ここを右へ。再び坂道となります。
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9/25 14:20
ここを右へ。再び坂道となります。
右手にある井戸の辺りが上の茶屋の跡。そして殿様も利用した下の茶屋が別にありました。
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9/25 14:24
右手にある井戸の辺りが上の茶屋の跡。そして殿様も利用した下の茶屋が別にありました。
そこそこの上り坂。本来の旧道は右手を進んでいたのですが砂防ダム建設によって消滅してしまっています。
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9/25 14:26
そこそこの上り坂。本来の旧道は右手を進んでいたのですが砂防ダム建設によって消滅してしまっています。
おそらくこの先の広くなっているあたりで合流していたようです。
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9/25 14:32
おそらくこの先の広くなっているあたりで合流していたようです。
右下を見ると薄っすらと路盤が確認できました。
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9/25 14:32
右下を見ると薄っすらと路盤が確認できました。
その旧道跡の延長上に左に折れる痕跡もあったのですが消滅しているように見えます。
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9/25 14:33
その旧道跡の延長上に左に折れる痕跡もあったのですが消滅しているように見えます。
ここを右へ。本来であれば消滅していた旧道は左からここに出てきます。
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9/25 14:36
ここを右へ。本来であれば消滅していた旧道は左からここに出てきます。
右手に一里塚跡。佐賀県内を歩いた時は長崎街道で現存なのは神崎付近の1つだけと言われていたのですが長崎県内に入ると彼杵付近のものと2つも現存があり驚いてしまいました。
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9/25 14:37
右手に一里塚跡。佐賀県内を歩いた時は長崎街道で現存なのは神崎付近の1つだけと言われていたのですが長崎県内に入ると彼杵付近のものと2つも現存があり驚いてしまいました。
昔ながらの道筋に歩きやすいよう石板が敷かれてあります。
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9/25 14:37
昔ながらの道筋に歩きやすいよう石板が敷かれてあります。
一里塚の中には石を高く積み上げて塚を保護したものがありますがこの一里塚はその様子がわかる貴重なものです。石自体は家で使うにはちょうど良い大きさなので大抵は明治以降になると持ち去る人が多かったようです。
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9/25 14:38
一里塚の中には石を高く積み上げて塚を保護したものがありますがこの一里塚はその様子がわかる貴重なものです。石自体は家で使うにはちょうど良い大きさなので大抵は明治以降になると持ち去る人が多かったようです。
坂道の出口。右へ。
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9/25 14:40
坂道の出口。右へ。
群境石。長崎県内は丁寧に色を付けているものが何個か見かけました。昔はこういう感じで色付けが多かったのでしょうね。
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9/25 14:40
群境石。長崎県内は丁寧に色を付けているものが何個か見かけました。昔はこういう感じで色付けが多かったのでしょうね。
大村湾が見えます。遠くに見える町は大村城下なのでぐるっと回ってきたのがよくわかります。
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9/25 14:41
大村湾が見えます。遠くに見える町は大村城下なのでぐるっと回ってきたのがよくわかります。
茶屋の跡。
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9/25 14:41
茶屋の跡。
ここは左へ。
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9/25 14:44
ここは左へ。
清水神宮の湧水。昔から枯れることなく今も冷たい水が湧き出ています。
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9/25 14:48
清水神宮の湧水。昔から枯れることなく今も冷たい水が湧き出ています。
この付近は井樋ノ尾峠と呼ばれる場所。ここに駕籠立場がありました。
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9/25 14:58
この付近は井樋ノ尾峠と呼ばれる場所。ここに駕籠立場がありました。
何かが立っていたであろう空間。ここからの眺めも良いものでした。
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9/25 14:59
何かが立っていたであろう空間。ここからの眺めも良いものでした。
このような道が続きます。
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9/25 15:07
このような道が続きます。
道標のある右手を進みます。椎の木坂です。
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9/25 15:12
道標のある右手を進みます。椎の木坂です。
ここもそれほど長くはないですが昔ながらの道筋です。
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9/25 15:14
ここもそれほど長くはないですが昔ながらの道筋です。
茶屋の跡。建物は古いものなので当時からの可能性があるものと思います。
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9/25 15:18
茶屋の跡。建物は古いものなので当時からの可能性があるものと思います。
このような水くみ場もありました。
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9/25 15:20
このような水くみ場もありました。
ここで左から井樋ノ尾観音からの道と合流します。右へ。
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9/25 15:22
ここで左から井樋ノ尾観音からの道と合流します。右へ。
この民家の脇が旧道です。
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9/25 15:30
この民家の脇が旧道です。
その旧道。
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9/25 15:31
その旧道。
旧道を経て先ほどの道に再び合流します。
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9/25 15:31
旧道を経て先ほどの道に再び合流します。
高速道路の下をくぐりますが脇に旧道の痕跡が残っています。
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9/25 15:37
高速道路の下をくぐりますが脇に旧道の痕跡が残っています。
旧道の痕跡。
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9/25 15:40
旧道の痕跡。
この辺りは常盤坂と呼ばれる場所。なだらかな下り坂です。
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9/25 15:42
この辺りは常盤坂と呼ばれる場所。なだらかな下り坂です。
ここを左へ。
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9/25 15:59
ここを左へ。
古賀の藤棚茶屋跡。小川家は古賀人形を制作する家で農業のかたわら作るようになったのが発祥といわれています。
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9/25 16:01
古賀の藤棚茶屋跡。小川家は古賀人形を制作する家で農業のかたわら作るようになったのが発祥といわれています。
今も昔と同じように藤棚の場所で休むことが出来ます。
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9/25 16:04
今も昔と同じように藤棚の場所で休むことが出来ます。
地蔵橋。
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9/25 16:13
地蔵橋。
このお地蔵さんは、川で洗濯していた女性が戦いに赴く兵団の長に合戦場への距離を聞かれ3町ほどと言ったところ兵長は3里と聞き間違えそのまま進みます。当然ながら敗退して帰ってくるわけですが、女性はまだ洗濯をしていたので殺されてしまいます。それで夜な夜な人魂が出るようになったので建立したとのことです。
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9/25 16:11
このお地蔵さんは、川で洗濯していた女性が戦いに赴く兵団の長に合戦場への距離を聞かれ3町ほどと言ったところ兵長は3里と聞き間違えそのまま進みます。当然ながら敗退して帰ってくるわけですが、女性はまだ洗濯をしていたので殺されてしまいます。それで夜な夜な人魂が出るようになったので建立したとのことです。
ここを右へ。この辺りは道なりです。
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9/25 16:18
ここを右へ。この辺りは道なりです。
この橋を渡ると堤防上を進みます。
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9/25 16:34
この橋を渡ると堤防上を進みます。
堤防上の道が旧道にあたるのですが河川の流れが昔と随分と違う場所が多くなっています。かといって車が通る迂回路は全くの別の道なのでどうせ歩くなら本来の道に近いほうが賢明かもしれません。
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9/25 16:37
堤防上の道が旧道にあたるのですが河川の流れが昔と随分と違う場所が多くなっています。かといって車が通る迂回路は全くの別の道なのでどうせ歩くなら本来の道に近いほうが賢明かもしれません。
ここを左。この辺りで数少ない旧道の痕跡です。
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9/25 16:42
ここを左。この辺りで数少ない旧道の痕跡です。
この角でこの日を終えました。
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9/25 16:43
この角でこの日を終えました。
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