鋸山石切場探索
- GPS
- 05:16
- 距離
- 5.9km
- 登り
- 510m
- 下り
- 508m
コースタイム
- 山行
- 4:03
- 休憩
- 1:13
- 合計
- 5:16
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
レジャーシート
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
カメラ
|
---|
感想
過去山行記録となります。
2020年5月30日
土曜日だけ嫁さんと休みが合いましたので鋸山へ
今回は前から計画していた麓にある石切場の探索をメインとしました。
なので今回は山頂は踏まなくてもいい気持ちで入山
朝一番はロープウェイ側の探索
とある文献によるとロープウェイ山麓駅の裏側に車力道が残っていることになっています。
事前調査としてグーグルMAPで見た感じだとそれっぽい道がありません。
唯一気になった場所は写真一枚目の神社への入口
しかし高さがなぁ・・・・積込港の金谷港へすぐの位置なのに高さがありすぎます。この上に車力道があったら最後は崖からズリ下ろすことになる。ウーン・・・・
一応鳥居がある上まで階段で行きましたがそれっぽい雰囲気は感じませんでした。
だとするならばロープウェイ第一駐車場自体が元車力道のあった谷で潰されてしまったのでは?と仮定します。
第一駐車場の一番奥へ行ってみると敷地の奥には谷が続いていてなんとなくそれっぽいものの車力道の明確な跡は見つけられません。
あまり目立つところでウロウロするのも良くないので諦めて次は第二駐車場へ。
2枚目の写真が第二駐車場から鋸山を見上げた写真です。予想ラインですが矢印引いた尾根で登るものと予想。
第二駐車場の奥の奥に先人の結んだテープがありました。おそらくとあるヤマッパーさんが結んだものと思われます。
3枚目の写真を見ると薄っすらと人が踏んだ跡も続いてます。ここが入口で間違いないでしょう。
奥に進むとすぐに広い広場になってました。恐らく集石場と思われます。
先人のテープはここから斜面に向かってますが、とある文献で気になる箇所があったため僕らはさらに奥へ進みます。
奥に進むと谷状になっていて下へ向かってます。恐らく最初に諦めた第一駐車場への谷に向かうと思われます。
谷の反対側を見ると上のほうに石切場がありました。斜面には石積みがあり(4枚目)、ここがお目当ての気になっていた麓の石切場であると想定されました。
斜面を上がると予想通りの中規模な石切場です。『M17金谷村石山図「並石」』(5・6・7枚目)となってる地点と思われます。「並石」は文字通りの石の質で、麓で採石されたものは山頂部の「上石」より質が下がると言う事です。
『M17金谷村石山図「並石」』の地点から東寄りに、ロープウェイ第一駐車場への車力道が残っていると思われるため、移動してみました。
注意深く観察すると車力道を見つけました(8枚目)。思っていたより保存状態は悪く、一部のみ車力道としての面影が残っているだけでした。
車力道からさらに奥の斜面が明るくなっており、森が切れるとは思ってました。
斜面を上がると段になっている先は石切場。ただしこの先は私有地と思われるため段の上には上がれません。
そっと覗くと壁面には彫刻あり、とても興味深いですが私有地のためこれ以上は近寄ってはいけません。
静かにその場を立ち去ります。
車力道の始点方向へ歩きます(11枚目)。するとやや広くなっている場所があり、集石場とわかりました。
集石場の先は急斜面になっており、ここから上は樋道になっていました(12枚目)。ただし昨年の台風の影響で倒木に表層の土ごと持って行かれていて危険な感じなのでこれ以上進むのは諦めました。
左側の私有地方向の尾根からも文献を読むと樋道が続いていて進めそうではありますが、見られてしまう可能性が高いため使えません。
仕方がないので少し戻った位置にある谷筋からの道を探ります。
谷筋も薄っすらと道の跡っぽいものがあり、それを利用して斜面に取り付きます。
上部には石積みがあり(13枚目)、やはりここも元々は石を降ろす道があったとは思われますが、進むにつれて道がなくなり荒れてきました。おそらく採石したときに使えないズリを捨てたのでしょう。大量の石に阻まれてしまいます。
この斜面も諦めて先人の方が作ってくれたロープウェイ下の尾根を利用するルートを進むことにしました。
尾根を行くのが安全かつ確実なのはわかってはいましたが、それに頼らずに新しい道を探し当てるのはなかなか難しいですね。
先人のルートは確立されていて確実です。テープに従いロープウェイ下の電線が張ってある斜面を抜けます(14枚目)
上を見るとロープウェイ山頂駅(15枚目)
先人のテープは尾根に続いてます。
この尾根がまた急斜面です。取り付けてくれてある残置ロープに頼らざる得ません。(16枚目)
残置ロープ脇にも石積みが上へ続いてますが、ロープウェイ下の石切場へと続く樋道なのかもしれません。
斜面を上がりきると平場になってました(17枚目)
切られてあとは降ろすだけの石材もいくらか残ってます。
ここの平場からは恐らく「索道」を利用して降ろしていたと思われます。索道を設置する台座と滑車が残ってました。
平場の奥には切割になっており(18枚目)、奥には石切り場が見えてます。
位置的に「安田(ジザエモン)」丁場と思われます。ロープウェイ山頂駅直下の丁場です。
切割は上から落ちてきた石で覆われてました。今思うと登れそうなので奥に行ってみれば良かった・・・。
東寄りに移動するともう一つ切割(19枚目)。
こちらも斜面上のズリみたいなものに覆われてます。ここも今思うと登れそう・・・。
文献によると先ほどの「安田(ジザエモン)」丁場と横方向で繋がっているとのこと。奥に進むと広い空間があった可能性があります。行かなかったことが悔やまれます。
この切割から先がすこし森が切れていて金谷の町並みが良く見えてました(20枚目)
ロープウェイ乗ってる人からも丸見えな感じですが、10時から始動のため、この時間はまだ大丈夫です。
隣の丁場への横移動の際、斜面にイワタバコの花が咲いてました(21枚目)
まだ咲き始めのようで開花しているのは少な目ではありますが、紫色の可憐な花を見ることが出来てラッキーでした。
少しだけ危険な斜面を抜けると再び切割(22枚目)
こちらは落盤によって閉塞しております。文献では「大落盤」となっているので丁場は崩れ落ちているのかもしれません。
さらに横移動すると樋道の斜面。樋道の始点はこのようになっていたんですね(23枚目)
樋道の始点のところにある丁場はみんなが大好き(?)な「チ〇チ〇彫刻」が掘られている丁場(24枚目)。
これは立派な芸術作品とのこと。見ると表層に結構な亀裂が入っているので将来崩れ落ちてしまうかもしれない。根元に「館山」と掘られている(25枚目)。
この丁場はさらに奥に別の丁場があるため脇に切割がある(26・27枚目)
緑がとても鮮やかで美しい
奥の丁場にはMさんが設置したと思われる「深い池」の看板(28枚目)
文献によると「横穴内に石積。深い池になっている」となっています。内部に水が溜まっていて深さがわからない。
東へ進むと「Q20丁場」(29枚目)
家に帰って文献見直すとこんな立派な丁場の更に上段に「十州一覧台直下の丁場」があると言うのだから恐れ入ります。どうやって上がることが出来るのだろうか
東へ進むと明るい斜面に出る(30枚目)。残丘と呼ばれるズリ石転落防止用の斜面です。
でもここも私有地がすぐそばにあり(31枚目)、どこが境界線かわからないので速やかに移動します。
関東大震災の時に大崩落を起こし5名の犠牲者を出した丁場を抜けると浅い横穴で廃止された丁場へ出る(32枚目)。
進むと『俵屋(松本石材)』の丁場。芳家石材の丁場と同じく機械掘りの跡有。
「天羽町」の文字と「松本」「山本」の文字が掘られています。
もう一つ前回発見できなかった文字を見つける(33枚目)
「KRCルービック 65.5.31」かな?企業名?
『俵屋(松本石材)』の横穴は小規模に崩落。これも大震災時?(34枚目)
よく見ると横壁に「37.4.5 諸岡」の文字(35枚目) 昭和37年かな?
俵屋とミカド丁場の間の残丘部を抜ける(36枚目)
切割の奥を覗くとリアカーのような残置された金属パーツあり。
もしかしたら近代石切りでの石降ろす手段の索道起点まで石材を運ぶネコ車のようなものなのかもしれない。
一般の登山道に合流して芳家石材の丁場で朝ごはんを食べる。もう夏ですね・・・暑いです。
下山時にネコさんに会いに行きました。ネコさんの首輪ちょっぴり赤さ増した?
車力道で下山。もう一つ気になる車力道があり、入口の道を進んでみたが私有地っぽいので諦めました。
奥に別荘5件あるから私道じゃない?うーん・・・もう一回行ってみるか。
お家に帰る前にうさポンさんと待ち合わせ。ラビットキャンプ場でお肉屋さんのハムカツと生のライチをご馳走になりました。大変美味しゅうございました!本当にありがとうございます♪
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