記録ID: 3741526
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ハイキング
関東
所澤道
2021年11月14日(日) [日帰り]
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- GPS
- 04:08
- 距離
- 31.3km
- 登り
- 44m
- 下り
- 23m
コースタイム
天候 | 8:20 新中野駅 晴れ 10℃ 13:23 所沢駅 晴れ 15℃ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年11月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
舗装道路歩き。路側帯狭い箇所の車両通行には注意。 |
写真
8:31
中野区
青梅街道の鍋屋横丁交差点。左は厄除けで有名な妙法寺への道。直進し、新中野駅出入口前にこれから行く所澤道の追分がある。少し先の中野区立追分公園内の石神井道(所澤道)案内板によると江戸時代は江戸と西郊を結ぶ道として賑わっていたとのこと。
中野区
青梅街道の鍋屋横丁交差点。左は厄除けで有名な妙法寺への道。直進し、新中野駅出入口前にこれから行く所澤道の追分がある。少し先の中野区立追分公園内の石神井道(所澤道)案内板によると江戸時代は江戸と西郊を結ぶ道として賑わっていたとのこと。
9:00
中野区
早稲田通りを西へ進む。こちら阿佐ヶ谷北にある地蔵尊に彫られた年は寛永7年(1630年)、享保7年(1722年)、正徳5年(1715年)と読める。一番古いものは徳川家光の頃のものだから貴重だ。
中野区
早稲田通りを西へ進む。こちら阿佐ヶ谷北にある地蔵尊に彫られた年は寛永7年(1630年)、享保7年(1722年)、正徳5年(1715年)と読める。一番古いものは徳川家光の頃のものだから貴重だ。
9:36
杉並区
早稲田通りから旧早稲田通りへ。
こちら井草にある祠には寛保元年(1741年)の庚申塔と寛政5年(1793年)と彫られた供養塔がある。庚申塔には「右たなか(旧田中村)道」「左志やくじ(石神井)道」、供養塔には「右 新高野へのミち」「左 中野へのミち」とあり、道標も兼ねてたとのこと。案内板より。
杉並区
早稲田通りから旧早稲田通りへ。
こちら井草にある祠には寛保元年(1741年)の庚申塔と寛政5年(1793年)と彫られた供養塔がある。庚申塔には「右たなか(旧田中村)道」「左志やくじ(石神井)道」、供養塔には「右 新高野へのミち」「左 中野へのミち」とあり、道標も兼ねてたとのこと。案内板より。
10:59
西東京市
保谷駅から清瀬駅までの区間はやや道不明瞭。地図を見ながら行く。天神社近く(写真右)に道標を兼ねた道祖神がある。碑の側面には「左 田無宿」「右 引又道」。文化13年(1813年)のもの。
西東京市
保谷駅から清瀬駅までの区間はやや道不明瞭。地図を見ながら行く。天神社近く(写真右)に道標を兼ねた道祖神がある。碑の側面には「左 田無宿」「右 引又道」。文化13年(1813年)のもの。
感想
江戸時代に江戸と郊外を結んだ道を訪ねる。
先々週の清戸道に続くシリーズ。今日は中野で青梅街道から分かれて埼玉県所沢市へ至る所澤道を歩いてきた。
この道はもう少し知られても良いのでは。道中お地蔵様や庚申塔多く、石神井近辺は三宝寺や氷川神社を始め寺社あり。けっこう見どころ多かった。
石碑に刻まれた年代を良く観るようになった。旧いものを見つけると嬉しい気分になる自分を発見。
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