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Yamareco

記録ID: 3753156
全員に公開
ハイキング
東海

伊勢別街道を歩く(関〜江戸橋)

2021年11月17日(水) [日帰り]
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GPS
05:16
距離
20.6km
登り
61m
下り
120m

コースタイム

日帰り
山行
4:51
休憩
0:55
合計
5:46
9:33
12
東海道・関宿・東の追分
9:45
0:00
30
古厩・御厨の松跡
10:15
0:00
25
楠原宿・鈎の手
10:40
0:00
5
林・立場
10:45
0:00
15
旧明村役場庁舎
11:00
0:00
35
横山池
11:35
0:00
5
椋本・大椋
11:40
0:00
10
椋本・角屋
11:50
12:45
5
伊勢道・芸濃インター・昼食
12:50
0:00
40
三重大学農場前
13:30
0:00
30
中町・ぜにかけの松
14:00
0:00
20
青木地蔵
14:20
0:00
10
窪田宿・大常夜灯
14:30
0:00
49
一身田・専修寺
15:19
津・江戸橋・伊勢参宮道追分
天候 晴れ
過去天気図(気象庁) 2021年11月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
コース状況/
危険箇所等
高野尾〜窪田の狭い街道を往来する自動車が引っ切りなしに通過して危険を感じる。
東海道関宿・東の追分。伊勢別街道分岐。大鳥居・式年遷宮の年に内宮宇治橋南詰鳥居移設。関から津まで四里二六町。大阪・京・近江・伊賀方面より東海道・奈良道経由、北国街道〜関ヶ原〜巡見道経由で参宮。
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東海道関宿・東の追分。伊勢別街道分岐。大鳥居・式年遷宮の年に内宮宇治橋南詰鳥居移設。関から津まで四里二六町。大阪・京・近江・伊賀方面より東海道・奈良道経由、北国街道〜関ヶ原〜巡見道経由で参宮。
室町期は「参宮京街道」名称。江戸期は「いせみち・山田道・参宮道」とも。「伊勢別街道」の名は明治より。鈴鹿川・勧進橋を渡り南へ。江戸期、関宿・服部吉右衛門らが全国に勧進(寄付)呼びかけ、浄財で架橋。
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室町期は「参宮京街道」名称。江戸期は「いせみち・山田道・参宮道」とも。「伊勢別街道」の名は明治より。鈴鹿川・勧進橋を渡り南へ。江戸期、関宿・服部吉右衛門らが全国に勧進(寄付)呼びかけ、浄財で架橋。
古厩・鈴鹿駅家跡(鈴鹿川右岸)。律令期要衝。駅馬・駅使宿泊・休憩。倉歴道・奈良道で柘植〜加太〜鈴鹿川右岸(南)経由〜鈴鹿駅家。時代と共に鈴鹿の関や鈴鹿峠越(阿須波道)で関・鈴鹿川左岸の東海道が成立。
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古厩・鈴鹿駅家跡(鈴鹿川右岸)。律令期要衝。駅馬・駅使宿泊・休憩。倉歴道・奈良道で柘植〜加太〜鈴鹿川右岸(南)経由〜鈴鹿駅家。時代と共に鈴鹿の関や鈴鹿峠越(阿須波道)で関・鈴鹿川左岸の東海道が成立。
御厨の松跡は古厩象徴。「官衙・郡衛」施設?ここは鈴鹿川沿いの東海道河曲ルートと安濃川沿いの伊勢道(志摩路)分岐点。志摩路は市村(津・殿村)〜雲出(宮古・壱志)〜飯高(松阪)〜度会(伊勢)〜伊勢神宮
御厨の松跡は古厩象徴。「官衙・郡衛」施設?ここは鈴鹿川沿いの東海道河曲ルートと安濃川沿いの伊勢道(志摩路)分岐点。志摩路は市村(津・殿村)〜雲出(宮古・壱志)〜飯高(松阪)〜度会(伊勢)〜伊勢神宮
式内大井神社跡と関方面の山々。神社は駅家跡に設置か?「都追美井」駅家で使用する井戸清水を神格化?現在は関神社に合祀。周辺からは聖武天皇時代の重圏紋軒丸瓦や平瓦が出土。鈴鹿の関や斎王群行との関連。
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式内大井神社跡と関方面の山々。神社は駅家跡に設置か?「都追美井」駅家で使用する井戸清水を神格化?現在は関神社に合祀。周辺からは聖武天皇時代の重圏紋軒丸瓦や平瓦が出土。鈴鹿の関や斎王群行との関連。
石山観音分岐。江戸期17世紀中期頃より真言宗寺院別院(浄蓮坊)40体余りの半彫り石仏。鎌倉中期迄に遡るものも。巨岩岩山・馬の背。日本を代表する磨崖仏群。楠原宿集落との関係深いよう。
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石山観音分岐。江戸期17世紀中期頃より真言宗寺院別院(浄蓮坊)40体余りの半彫り石仏。鎌倉中期迄に遡るものも。巨岩岩山・馬の背。日本を代表する磨崖仏群。楠原宿集落との関係深いよう。
童子谷城跡(中ノ川)覚順和尚墓石・寿塔(五輪塔)。南北朝期に北朝・足利氏命で山田重勝が楠原支配。南朝・北畠氏に対抗する城砦構築。「応仁記」楠原落城?やがてその子孫は織田氏に従った。
童子谷城跡(中ノ川)覚順和尚墓石・寿塔(五輪塔)。南北朝期に北朝・足利氏命で山田重勝が楠原支配。南朝・北畠氏に対抗する城砦構築。「応仁記」楠原落城?やがてその子孫は織田氏に従った。
楠原・庭代(にわだい)。「庚申坂」左手(北)の道沿いの小さな森。やや離れて東に庚申塚。
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楠原・庭代(にわだい)。「庚申坂」左手(北)の道沿いの小さな森。やや離れて東に庚申塚。
庚申塚堂内。三面六忿怒形の青面金剛石像。台座に三猿。楠原宿・浄蓮寺・覚順が開眼供養。
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庚申塚堂内。三面六忿怒形の青面金剛石像。台座に三猿。楠原宿・浄蓮寺・覚順が開眼供養。
楠原宿・上町。風呂屋地蔵石像。中ノ川沿い地蔵堂内。中町、世古地域と合わせ三地蔵。地蔵盆に浄蓮寺住職供養。世古の地名は山田氏・家来「世古氏」が宿場の南東部を治めていたから。楠原西南の楠原向市場城跡関連。
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楠原宿・上町。風呂屋地蔵石像。中ノ川沿い地蔵堂内。中町、世古地域と合わせ三地蔵。地蔵盆に浄蓮寺住職供養。世古の地名は山田氏・家来「世古氏」が宿場の南東部を治めていたから。楠原西南の楠原向市場城跡関連。
楠原。新道10号線より中ノ川沿いに右に入ると楠原宿。問屋垣内など連子格子の家並みが美しい。保存状態もとても良好。やや人の気配がないのが気がかり。
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楠原。新道10号線より中ノ川沿いに右に入ると楠原宿。問屋垣内など連子格子の家並みが美しい。保存状態もとても良好。やや人の気配がないのが気がかり。
楠原・常夜燈。街道の明神社石標に導かれ、狭い路地を東進。10号線を越えて明神社参道が続く。「柴垣社広前」と刻まれる1813年。明神社(楠天神)周囲に電気柵あり近づけない。猪除け。「おさよの池」伝説など。
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楠原・常夜燈。街道の明神社石標に導かれ、狭い路地を東進。10号線を越えて明神社参道が続く。「柴垣社広前」と刻まれる1813年。明神社(楠天神)周囲に電気柵あり近づけない。猪除け。「おさよの池」伝説など。
楠原・鈎の手の東。上町・楠原公民館付近が高札場や問屋場があった場所。小さな道標があり「山下道」とある。「山下」は北東のフォレスト芸濃ゴルフ倶楽部の山を越えた亀山市山下を指す。鈴鹿川右岸の場所。
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楠原・鈎の手の東。上町・楠原公民館付近が高札場や問屋場があった場所。小さな道標があり「山下道」とある。「山下」は北東のフォレスト芸濃ゴルフ倶楽部の山を越えた亀山市山下を指す。鈴鹿川右岸の場所。
楠原・鈎の手枡形の南。左手は「亀屋」など旅籠跡。江戸期に椋本宿が台地上に移動して繁栄。楠原宿はやがて椋本宿の補助的な宿場に?京からの参宮道として多用。鎌倉期、足利義政や日野富子などもここを通過記録。
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楠原・鈎の手枡形の南。左手は「亀屋」など旅籠跡。江戸期に椋本宿が台地上に移動して繁栄。楠原宿はやがて椋本宿の補助的な宿場に?京からの参宮道として多用。鎌倉期、足利義政や日野富子などもここを通過記録。
浄蓮寺や蓮花寺の大屋根を見て南に出る。中ノ川(新玉橋)。中ノ川と丘陵で形成された楠原が一望。「畑坂」を上がって行くと立場茶屋の「林」集落の台地。
浄蓮寺や蓮花寺の大屋根を見て南に出る。中ノ川(新玉橋)。中ノ川と丘陵で形成された楠原が一望。「畑坂」を上がって行くと立場茶屋の「林」集落の台地。
芸濃町・林。地元のおじさんが親切に多くを教えてくれた。半世紀前は狭い街道をバスが通過。伊勢湾台風では大被害等等。文化財保存に熱心。写真左の小石標は、安濃川源流の錫杖湖へ至る「忍田」集落を指す。
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芸濃町・林。地元のおじさんが親切に多くを教えてくれた。半世紀前は狭い街道をバスが通過。伊勢湾台風では大被害等等。文化財保存に熱心。写真左の小石標は、安濃川源流の錫杖湖へ至る「忍田」集落を指す。
途中にあったはずの小堂や1847年石碑は近くに移設された。立派な家並みの集落を抜け、左カーブ。旧明村役場庁舎前。国登録有形文化財1916年建設。1889年奄芸郡忍田村・楠原村・中縄村・林村などが合併して明村に。
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途中にあったはずの小堂や1847年石碑は近くに移設された。立派な家並みの集落を抜け、左カーブ。旧明村役場庁舎前。国登録有形文化財1916年建設。1889年奄芸郡忍田村・楠原村・中縄村・林村などが合併して明村に。
役場前のパノラマ。中央の直線が南に向かう伊勢別街道。右が歩いてきた関からの街道。左は「蛭谷道」で伊勢湾・白子港に通じる道。約20km。
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役場前のパノラマ。中央の直線が南に向かう伊勢別街道。右が歩いてきた関からの街道。左は「蛭谷道」で伊勢湾・白子港に通じる道。約20km。
街道沿いに直線的に南へ続く「林集落」。普門寺は旧役場東。伝・最澄開基806年観音寺。信長伊勢侵攻で焼失1574年。やがて1720年「普門寺」と改名再建。現在は桜の名所。『幽霊の小袖』保管?
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街道沿いに直線的に南へ続く「林集落」。普門寺は旧役場東。伝・最澄開基806年観音寺。信長伊勢侵攻で焼失1574年。やがて1720年「普門寺」と改名再建。現在は桜の名所。『幽霊の小袖』保管?
10号線との交差点にある御神燈。「御神燈 右さんぐう道 左京道(1776)」先程の蛭谷道分岐点にあったがここへ移設。ここは大戦前には津新町からの安濃鉄道(軽便)終着駅があった所。10号線渡り「中縄」集落。
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10号線との交差点にある御神燈。「御神燈 右さんぐう道 左京道(1776)」先程の蛭谷道分岐点にあったがここへ移設。ここは大戦前には津新町からの安濃鉄道(軽便)終着駅があった所。10号線渡り「中縄」集落。
左より経ヶ峰〜稲子山〜摺鉢山〜錫杖ヶ岳〜三子山(鈴鹿峠)。錫杖湖西奥からは北に柚之木峠を越え加太へ、南へ向かうと伊賀越を越え長野峠で、東は長野氏居城の平木、西は伊賀街道が大山田や伊賀に向かう。山越え道
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左より経ヶ峰〜稲子山〜摺鉢山〜錫杖ヶ岳〜三子山(鈴鹿峠)。錫杖湖西奥からは北に柚之木峠を越え加太へ、南へ向かうと伊賀越を越え長野峠で、東は長野氏居城の平木、西は伊賀街道が大山田や伊賀に向かう。山越え道
横山池と経ヶ峰。中勢豪族・長野氏庶流・雲林院(うじい)氏。錫杖湖東の雲林院・林光寺に城(砦)構築。14世紀より16世紀後期(11代250年)まで続くが、信長伊勢侵攻で長野氏養子の織田信包に城を追われた1580年。
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横山池と経ヶ峰。中勢豪族・長野氏庶流・雲林院(うじい)氏。錫杖湖東の雲林院・林光寺に城(砦)構築。14世紀より16世紀後期(11代250年)まで続くが、信長伊勢侵攻で長野氏養子の織田信包に城を追われた1580年。
横山池・駒越翁彰功碑。丘陵性火山灰土 (黒ボク) 地帯で水不足深刻。1866年自費溜池。治水灌漑功績大。雲林院氏はその後、婿・矢部家定を頼り信長直臣。信長死後は秀吉勢で小牧・長久手。子・祐光は滝川一益・婿。
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横山池・駒越翁彰功碑。丘陵性火山灰土 (黒ボク) 地帯で水不足深刻。1866年自費溜池。治水灌漑功績大。雲林院氏はその後、婿・矢部家定を頼り信長直臣。信長死後は秀吉勢で小牧・長久手。子・祐光は滝川一益・婿。
椋本・西町・中町・枡形。周辺に高札場や問屋や本陣があった。奈良・平安期頃迄は、伊勢道(志摩路)は椋本から安濃川沿いに南下。津西部(長谷山東麓)通過し伊勢へ(鈴鹿駅〜市村駅〜宮古〜飯高〜度会〜伊勢神宮)
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椋本・西町・中町・枡形。周辺に高札場や問屋や本陣があった。奈良・平安期頃迄は、伊勢道(志摩路)は椋本から安濃川沿いに南下。津西部(長谷山東麓)通過し伊勢へ(鈴鹿駅〜市村駅〜宮古〜飯高〜度会〜伊勢神宮)
椋本・中町。どっしりと重厚な雰囲気の古民家が続く。火除け対策で道路幅広く(5〜8m)とり、街道を4ヶ所(西町・中町・横町・新町 )で鈎の手に曲げ、延焼を防ぐ工夫(焼き切り)。
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椋本・中町。どっしりと重厚な雰囲気の古民家が続く。火除け対策で道路幅広く(5〜8m)とり、街道を4ヶ所(西町・中町・横町・新町 )で鈎の手に曲げ、延焼を防ぐ工夫(焼き切り)。
椋本・瓦岡山・東日寺。本尊=薬師如来(伝・弘法大師作)江戸中期・大般若経六百巻所蔵。「瓦岡」は周辺の古地名。山門は朱色塗で1668年建立・伝。横山池建設で水没の千数寺の地蔵堂が移築されている。
椋本・瓦岡山・東日寺。本尊=薬師如来(伝・弘法大師作)江戸中期・大般若経六百巻所蔵。「瓦岡」は周辺の古地名。山門は朱色塗で1668年建立・伝。横山池建設で水没の千数寺の地蔵堂が移築されている。
椋本。巴屋製菓。創業明治35年。椋本や石山観音関連和菓子製造。この辺りが椋本宿の中心か。右に「霊樹大椋 従是二丁」の案内石標。
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椋本。巴屋製菓。創業明治35年。椋本や石山観音関連和菓子製造。この辺りが椋本宿の中心か。右に「霊樹大椋 従是二丁」の案内石標。
椋本。西方寺前小祠。浄土真宗本願寺派。1663年開山。写真は西方寺前にある五輪塔。付近には存仁寺、浄源寺、光月院など寺院多数。椋本神社付近には雲林院氏家老・野呂氏の大規模館があったよう(遺跡発掘)
椋本。西方寺前小祠。浄土真宗本願寺派。1663年開山。写真は西方寺前にある五輪塔。付近には存仁寺、浄源寺、光月院など寺院多数。椋本神社付近には雲林院氏家老・野呂氏の大規模館があったよう(遺跡発掘)
台地上の椋本宿を南に玉石垣に囲まれた坂を下る。椋の巨木が何本もそそり立つ。下の広場状の場所に降り立ち見渡すと東に一番巨大な椋が枝を広げていた。
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台地上の椋本宿を南に玉石垣に囲まれた坂を下る。椋の巨木が何本もそそり立つ。下の広場状の場所に降り立ち見渡すと東に一番巨大な椋が枝を広げていた。
樹齢は1500年以上?高さ約18m、幹周約8m。 平安期9世紀頃、坂上田村麻呂家来「野添大膳父子」が伊勢路流浪。ここに逃れ、巨大な椋(むく)を見つけ、草庵を営んだという伝説。
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樹齢は1500年以上?高さ約18m、幹周約8m。 平安期9世紀頃、坂上田村麻呂家来「野添大膳父子」が伊勢路流浪。ここに逃れ、巨大な椋(むく)を見つけ、草庵を営んだという伝説。
東廻りの傾斜のきつい坂道を登ると三叉路。大きな里程標や自然石の道標があり、左には先程の巴屋。横山池を2万両の自費で造った駒越家墓地は光月院付近。参宮の明治天皇が宿泊した駒越家の大邸宅は今はない。
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東廻りの傾斜のきつい坂道を登ると三叉路。大きな里程標や自然石の道標があり、左には先程の巴屋。横山池を2万両の自費で造った駒越家墓地は光月院付近。参宮の明治天皇が宿泊した駒越家の大邸宅は今はない。
明治43年道路里程標復元木製柱「津市元標へ三里三拾三丁八間」「関町元標へ弐里五丁五拾壱間」「大里村大字窪田へ弐里弐丁五間」自然石道標は江戸後期「左さんくう道」横に小さく「榊原道」伊賀街道・榊原温泉を指す
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明治43年道路里程標復元木製柱「津市元標へ三里三拾三丁八間」「関町元標へ弐里五丁五拾壱間」「大里村大字窪田へ弐里弐丁五間」自然石道標は江戸後期「左さんくう道」横に小さく「榊原道」伊賀街道・榊原温泉を指す
椋本宿・中町。江戸期創業。伊勢参宮講札など保存。旅籠形態と雰囲気。平成25年廃業。伊勢別街道講札博物館。椋本宿の旅籠20軒程「ゑびすや」「いづづや」など。明治期でも一日、百名以上の宿泊客もあったよう。
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椋本宿・中町。江戸期創業。伊勢参宮講札など保存。旅籠形態と雰囲気。平成25年廃業。伊勢別街道講札博物館。椋本宿の旅籠20軒程「ゑびすや」「いづづや」など。明治期でも一日、百名以上の宿泊客もあったよう。
角屋。伊勢参宮講札。宿泊者の大半は大阪、京都、滋賀など関西人。鉄道完成後も関西からの伊勢参宮者は関駅下車で伊勢別街道を歩き椋本宿泊の人多し。参宮客を惹き付ける魅力?伊勢神宮参宮行程の習慣化?
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角屋。伊勢参宮講札。宿泊者の大半は大阪、京都、滋賀など関西人。鉄道完成後も関西からの伊勢参宮者は関駅下車で伊勢別街道を歩き椋本宿泊の人多し。参宮客を惹き付ける魅力?伊勢神宮参宮行程の習慣化?
豊久野・高野尾。芸濃インターを越え、三重大学生物資源学部。定期的にセンター附帯施設農場の生産品(味噌、米、缶詰、トマト、ピーマン等の産品)を「三重大学農場ブランド品」として出荷販売。
豊久野・高野尾。芸濃インターを越え、三重大学生物資源学部。定期的にセンター附帯施設農場の生産品(味噌、米、缶詰、トマト、ピーマン等の産品)を「三重大学農場ブランド品」として出荷販売。
豊久野・高野尾。南を見る。左が長谷山、右が経ヶ峰。広がる大地。一番左はヤマギシズム豊里実顕地建物。周辺は園芸、庭木、農業一般、酪農、養鶏などが盛ん。
豊久野・高野尾。南を見る。左が長谷山、右が経ヶ峰。広がる大地。一番左はヤマギシズム豊里実顕地建物。周辺は園芸、庭木、農業一般、酪農、養鶏などが盛ん。
松のある古民家前。どの家も松を植えている。広々とした高野尾には、太平洋戦争末期に海軍簡易秘密飛行場が造られたよう。鈴鹿海軍航空隊関係。芸濃IC〜高野尾小学校前付近と聞く。
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松のある古民家前。どの家も松を植えている。広々とした高野尾には、太平洋戦争末期に海軍簡易秘密飛行場が造られたよう。鈴鹿海軍航空隊関係。芸濃IC〜高野尾小学校前付近と聞く。
高野尾。豊久寺。川端茅舎句碑あり「ひろびろと霜曼陀羅の芭蕉かな」寺の始まりは単なる草堂だったが、浄土真宗・十世真恵上人に帰依し真宗高田派寺院となる。中勢には真宗高田派の寺が多数。寺は錢掛松と関係。
高野尾。豊久寺。川端茅舎句碑あり「ひろびろと霜曼陀羅の芭蕉かな」寺の始まりは単なる草堂だったが、浄土真宗・十世真恵上人に帰依し真宗高田派寺院となる。中勢には真宗高田派の寺が多数。寺は錢掛松と関係。
ぜにかけの松。平安時代初頭、隠岐に流罪になった小野篁の妻が祈願の参宮旅に出た。この地で、ある男に神宮への道程を尋ね「十日通る豊久野、七日通る長縄手、三日通る三渡」都合20日余りかかると答えた。
ぜにかけの松。平安時代初頭、隠岐に流罪になった小野篁の妻が祈願の参宮旅に出た。この地で、ある男に神宮への道程を尋ね「十日通る豊久野、七日通る長縄手、三日通る三渡」都合20日余りかかると答えた。
これを聞き女が参宮参拝を諦め遙拝して松に銭束を掛けて帰る際、男が銭を取ろうとする。銭が蛇となり男に襲いかかり、驚き、嘘を謝罪。伊勢神宮まで女を案内。常夜燈1882年。堂には初代の松枯れ木が祀ってある。
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これを聞き女が参宮参拝を諦め遙拝して松に銭束を掛けて帰る際、男が銭を取ろうとする。銭が蛇となり男に襲いかかり、驚き、嘘を謝罪。伊勢神宮まで女を案内。常夜燈1882年。堂には初代の松枯れ木が祀ってある。
大里睦合町。地蔵堂。旧道はそのまま真っ直ぐ進むのか、2つの常夜燈が並び、その横に地蔵堂。街道は右カーブし進むが、旧道は東の志登茂川沿いに窪田宿へ進んだのかもしれない。睦合(むつあい)の地名は面白い。
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大里睦合町。地蔵堂。旧道はそのまま真っ直ぐ進むのか、2つの常夜燈が並び、その横に地蔵堂。街道は右カーブし進むが、旧道は東の志登茂川沿いに窪田宿へ進んだのかもしれない。睦合(むつあい)の地名は面白い。
地蔵堂内部。敬虔で味わい深い姿をした地蔵。坂を上がって行くと汐見坂。志登茂川支流の「中の川」にかかる小橋を渡る。
地蔵堂内部。敬虔で味わい深い姿をした地蔵。坂を上がって行くと汐見坂。志登茂川支流の「中の川」にかかる小橋を渡る。
青木地蔵。中に三体の地蔵。窪田宿入口。「汐見坂」は親鸞聖人がここより一身田の地や海浜を見たという口承地。一身田は約束された場所だったのか。
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青木地蔵。中に三体の地蔵。窪田宿入口。「汐見坂」は親鸞聖人がここより一身田の地や海浜を見たという口承地。一身田は約束された場所だったのか。
窪田宿本陣跡。明治天皇碑1869年(明治2)に本陣・國分又次郎宅で休憩。創建以来、伊勢神宮は歴代天皇が直接参拝せず「勅使」が代わり参拝。参拝は明治天皇が初めて?伊勢別街道を関から伊勢まで葱華輦に乗り参宮。
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窪田宿本陣跡。明治天皇碑1869年(明治2)に本陣・國分又次郎宅で休憩。創建以来、伊勢神宮は歴代天皇が直接参拝せず「勅使」が代わり参拝。参拝は明治天皇が初めて?伊勢別街道を関から伊勢まで葱華輦に乗り参宮。
窪田宿・仲福寺。阿弥陀如来坐像安置。ここから伊勢別街道は南へ。手前の六大院に室町期の千手観音像。窪田宿には約30軒の宿があり賑やかだったらしい。幹線道路発達と共に寸断され今はあまり情緒がない所に。
窪田宿・仲福寺。阿弥陀如来坐像安置。ここから伊勢別街道は南へ。手前の六大院に室町期の千手観音像。窪田宿には約30軒の宿があり賑やかだったらしい。幹線道路発達と共に寸断され今はあまり情緒がない所に。
窪田宿東端・大常夜燈1817。江州八日市の金物商・安村弥三郎らが神宮へ奉献燈。巨大常夜燈。高さ約8.6m。近江から神宮寄進のために大人数で運搬。大きすぎ、重すぎで、伊勢でなく窪田の旅籠「近江屋」付近に設置した
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窪田宿東端・大常夜燈1817。江州八日市の金物商・安村弥三郎らが神宮へ奉献燈。巨大常夜燈。高さ約8.6m。近江から神宮寄進のために大人数で運搬。大きすぎ、重すぎで、伊勢でなく窪田の旅籠「近江屋」付近に設置した
JR一身田駅を見る。江戸期、街道はこの鉄道の右を南に下り、志登茂川支流・毛無川に架かる例禊洲(れいけいす)橋を渡り、東折れして一身田小学校方面へ向かった。橋は斎王が禊ぎをした場所だが、今は田の中。
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JR一身田駅を見る。江戸期、街道はこの鉄道の右を南に下り、志登茂川支流・毛無川に架かる例禊洲(れいけいす)橋を渡り、東折れして一身田小学校方面へ向かった。橋は斎王が禊ぎをした場所だが、今は田の中。
毛無川・桜橋より西を見る。現在はJR線の東の道を南に下りて、街道はここ桜橋に来る。橋から西を見て藪の向こうが例禊洲橋跡。一身田小学校を巻くように街道は進むが、今日は一身田・専修寺を見学。
毛無川・桜橋より西を見る。現在はJR線の東の道を南に下りて、街道はここ桜橋に来る。橋から西を見て藪の向こうが例禊洲橋跡。一身田小学校を巻くように街道は進むが、今日は一身田・専修寺を見学。
毛無橋より唐門方面。専修寺(せんじゅじ)は、浄土真宗十派の一つ、真宗高田派。13世紀、親鸞が関東教化、栃木県真岡市高田に専修寺建立。親鸞は関西へ去るが、弟子達が関東で布教活動続行。
毛無橋より唐門方面。専修寺(せんじゅじ)は、浄土真宗十派の一つ、真宗高田派。13世紀、親鸞が関東教化、栃木県真岡市高田に専修寺建立。親鸞は関西へ去るが、弟子達が関東で布教活動続行。
橋より環濠。第十世・真慧は高田派中興の祖。東海、北陸地方に勢力拡大。本願寺・蓮如との確執。伊勢の中心寺、無量寿院建設。関東本寺が兵火炎上。歴代上人が一身田に居中し無量寿院が高田派本山・一身田専修寺に。
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橋より環濠。第十世・真慧は高田派中興の祖。東海、北陸地方に勢力拡大。本願寺・蓮如との確執。伊勢の中心寺、無量寿院建設。関東本寺が兵火炎上。歴代上人が一身田に居中し無量寿院が高田派本山・一身田専修寺に。
山門を見る(重要文化財)御影堂正面。専修寺伽藍の総門。五間三戸二階二重門形式。瓦に宝永元年(1704)銘。
山門を見る(重要文化財)御影堂正面。専修寺伽藍の総門。五間三戸二階二重門形式。瓦に宝永元年(1704)銘。
如来堂と御影堂。「証拠の如来」阿弥陀如来立像(快慶作 ・国指定重要文化財)本尊。御影堂は畳七百八十枚。全国の国宝木造建築で五番目に巨大な堂。
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如来堂と御影堂。「証拠の如来」阿弥陀如来立像(快慶作 ・国指定重要文化財)本尊。御影堂は畳七百八十枚。全国の国宝木造建築で五番目に巨大な堂。
専修寺釘貫門と山門。専修寺境内と門前町を分ける門。扉はなく両側親柱に貫通しただけ。前面の石橋を越え釘貫門を潜り、神聖な空間と世俗空間を別ける精神的な結界の役割。(専修寺サイトより抜粋)
専修寺釘貫門と山門。専修寺境内と門前町を分ける門。扉はなく両側親柱に貫通しただけ。前面の石橋を越え釘貫門を潜り、神聖な空間と世俗空間を別ける精神的な結界の役割。(専修寺サイトより抜粋)
百五銀行一身田支店前にある道標。「天保8年(1837) 右 江戸みち 右 さんぐう 左 御堂兼京道」
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百五銀行一身田支店前にある道標。「天保8年(1837) 右 江戸みち 右 さんぐう 左 御堂兼京道」
左=橋向通 中=門前町通 半世紀以上前、寒い冬の1月に親鸞聖人報恩講「お七夜」参詣。一身田の町の通りは人に埋め尽くされ、見世物小屋や露天が建ち並び、飲食店で熱い饅頭をほおばった。今は懐かしい想い出だ
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左=橋向通 中=門前町通 半世紀以上前、寒い冬の1月に親鸞聖人報恩講「お七夜」参詣。一身田の町の通りは人に埋め尽くされ、見世物小屋や露天が建ち並び、飲食店で熱い饅頭をほおばった。今は懐かしい想い出だ
黒門跡と環濠。寺内町の南側出入口。石橋の袂に番小屋と門。門は明六つ(午前6時)開門、暮六つ(午後6時)閉門。寺内町を取り巻く環濠。灌漑用水路でもある。
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黒門跡と環濠。寺内町の南側出入口。石橋の袂に番小屋と門。門は明六つ(午前6時)開門、暮六つ(午後6時)閉門。寺内町を取り巻く環濠。灌漑用水路でもある。
橋向町〜大古曽の森。伊勢別街道と寺内を繋ぐ通り。1658年以来、水茶屋25軒が営業を許可。遊女を抱え遊郭として発展。妻入造の家並みが名残か。
橋向町〜大古曽の森。伊勢別街道と寺内を繋ぐ通り。1658年以来、水茶屋25軒が営業を許可。遊女を抱え遊郭として発展。妻入造の家並みが名残か。
大古曽・伊勢木綿。絹(伊勢紬)、麻(津もじ)、木綿(伊勢木綿)の産地。臼井織布は『伊勢木綿』を製造する日本唯一の織屋。近鉄江戸橋駅の東にはおぼろタオル。明治41年より使いやすい美しいタオルを生産し続ける。
大古曽・伊勢木綿。絹(伊勢紬)、麻(津もじ)、木綿(伊勢木綿)の産地。臼井織布は『伊勢木綿』を製造する日本唯一の織屋。近鉄江戸橋駅の東にはおぼろタオル。明治41年より使いやすい美しいタオルを生産し続ける。
津・江戸橋・常夜燈(1777年)建立。伊勢参宮街道と伊勢別街道の追分・合流点に立つ。
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津・江戸橋・常夜燈(1777年)建立。伊勢参宮街道と伊勢別街道の追分・合流点に立つ。
江戸橋・道標。明治22年再建。「左 高田本山道 (小さい字で)東京占とをりぬけ」
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江戸橋・道標。明治22年再建。「左 高田本山道 (小さい字で)東京占とをりぬけ」

感想

伊勢参宮街道を歩く1 日永追分〜白子
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3611600.html
伊勢参宮街道を歩く2 白子〜津
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3638469.html
伊勢参宮街道を歩く3 津〜松阪
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3650309.html
伊勢参宮街道を歩く4 松阪〜伊勢
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3675422.html

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