「JR港南台駅」からスタート
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3/30 7:43
「JR港南台駅」からスタート
「円海山」の登山口から、ハイキングコースに入る。
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3/30 8:18
「円海山」の登山口から、ハイキングコースに入る。
「円海山」(153.1m)の山頂辺りの展望。
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3/30 8:28
「円海山」(153.1m)の山頂辺りの展望。
山桜が満開で綺麗だった!
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3/30 8:36
山桜が満開で綺麗だった!
「A-1」のポイントが、「富士山」の絶好の展望地とのこと!
※当日は、あいにく曇天で「富士山」の姿なし!
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3/30 8:44
「A-1」のポイントが、「富士山」の絶好の展望地とのこと!
※当日は、あいにく曇天で「富士山」の姿なし!
晴れていたら、あの山の向こうに「富士山」のはず!
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3/30 8:38
晴れていたら、あの山の向こうに「富士山」のはず!
山桜の点在する風景は、「ミニ吉野山」さながらだ!
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3/30 8:39
山桜の点在する風景は、「ミニ吉野山」さながらだ!
「相模の海」が左手に見える場所も!
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3/30 8:44
「相模の海」が左手に見える場所も!
「A-2」は「いっしんどう広場」という。
※展望なし。
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3/30 8:54
「A-2」は「いっしんどう広場」という。
※展望なし。
ここは、「関東の富士見百景」の看板あり!
※もしかしたら、今日のルート上、一番の「富士山ビュースポット」かも知れない! ---
といっても、今日は「富士山」なし!
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3/30 8:56
ここは、「関東の富士見百景」の看板あり!
※もしかしたら、今日のルート上、一番の「富士山ビュースポット」かも知れない! ---
といっても、今日は「富士山」なし!
「武蔵と相模のの国境」、---との「説明」があった!
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3/30 9:05
「武蔵と相模のの国境」、---との「説明」があった!
幽玄な雰囲気の山道!
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3/30 9:16
幽玄な雰囲気の山道!
「大丸山」に登る階段の下!
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3/30 9:45
「大丸山」に登る階段の下!
階段は約140段!
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3/30 9:46
階段は約140段!
「大丸山」の山頂に到着!
※標高156.8m
---- ここが「横浜市の最高所」というのが定説!
【注】この先に、別の「横浜市の最高所」があった!?
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3/30 9:52
「大丸山」の山頂に到着!
※標高156.8m
---- ここが「横浜市の最高所」というのが定説!
【注】この先に、別の「横浜市の最高所」があった!?
「大丸山」山頂にて記念撮影!
※今回の「ガイド役」の友人の「Fさん」と私。
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3/30 9:53
「大丸山」山頂にて記念撮影!
※今回の「ガイド役」の友人の「Fさん」と私。
「市境」の石柱あり。
※「横浜市」と「鎌倉市」の「市境」である。
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3/30 11:03
「市境」の石柱あり。
※「横浜市」と「鎌倉市」の「市境」である。
「天園」の手前で、かなりの「登り坂」あり!
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3/30 11:08
「天園」の手前で、かなりの「登り坂」あり!
「天園休憩地」の「始点」の標識あり!
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3/30 11:11
「天園休憩地」の「始点」の標識あり!
ここも、かなりの「坂道」だ!
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3/30 11:13
ここも、かなりの「坂道」だ!
ここにも「横浜市最高地点 159.4m」の看板あり!
【注】「大丸山」の「横浜市最高地点」は「158.6m」だったから、こちらが高いが、「ここは鎌倉市」では?
※(横浜市)栄区上郷町と書いてあった!
--- 微妙な説明が看板に書いてある!
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3/30 11:15
ここにも「横浜市最高地点 159.4m」の看板あり!
【注】「大丸山」の「横浜市最高地点」は「158.6m」だったから、こちらが高いが、「ここは鎌倉市」では?
※(横浜市)栄区上郷町と書いてあった!
--- 微妙な説明が看板に書いてある!
「横浜市最高地点(栄区上郷町) 159.4m」からの展望。
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3/30 11:15
「横浜市最高地点(栄区上郷町) 159.4m」からの展望。
上の「横浜市最高地点」から、少し先に行くと、こういう「相模湾」も見渡せる!
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3/30 11:18
上の「横浜市最高地点」から、少し先に行くと、こういう「相模湾」も見渡せる!
コース中一番の「悪路」で、雨上がりで滑り易かった!
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3/30 11:22
コース中一番の「悪路」で、雨上がりで滑り易かった!
「← 瑞泉寺経由鎌倉宮」の道標あり!
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3/30 11:24
「← 瑞泉寺経由鎌倉宮」の道標あり!
2019年の箱根、鎌倉辺りを襲った台風の傷跡が生々しく残っていた!
杉の大木が幹の途中から無残に無数がへし折れていた!
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3/30 11:27
2019年の箱根、鎌倉辺りを襲った台風の傷跡が生々しく残っていた!
杉の大木が幹の途中から無残に無数がへし折れていた!
「貝吹地蔵」の案内看板に導かれて、木の根っこをよじ登って覗いてみた!
◆「貝吹地蔵」のいわれ
瑞泉寺の裏山、天園ハイキングコース途中の急斜面にある地蔵は貝吹地蔵と呼ばれている。
元弘三年 (1333)に新田義貞の鎌倉攻めで北条高時が敗れた時、高時の首を敵に渡すまいと家来たちが首を持って逃げ回った。
その時、首をどこに埋めたらよいか思案していたところ、地蔵が法螺貝を吹きながら首を埋める場所を案内してくれたという伝承がある。
※現在、その付近にある瑞泉寺裏山にあるやぐら群のいくつかの穴は北条高時等の「首やぐら」であるという説もある!
【注】上記解説は主に、下記サイトの説を元に黒田(温泉)が要約しました!
「貝吹地蔵」
http://www.nikaido-kamakura.net/data01/141/141.html
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3/30 11:41
「貝吹地蔵」の案内看板に導かれて、木の根っこをよじ登って覗いてみた!
◆「貝吹地蔵」のいわれ
瑞泉寺の裏山、天園ハイキングコース途中の急斜面にある地蔵は貝吹地蔵と呼ばれている。
元弘三年 (1333)に新田義貞の鎌倉攻めで北条高時が敗れた時、高時の首を敵に渡すまいと家来たちが首を持って逃げ回った。
その時、首をどこに埋めたらよいか思案していたところ、地蔵が法螺貝を吹きながら首を埋める場所を案内してくれたという伝承がある。
※現在、その付近にある瑞泉寺裏山にあるやぐら群のいくつかの穴は北条高時等の「首やぐら」であるという説もある!
【注】上記解説は主に、下記サイトの説を元に黒田(温泉)が要約しました!
「貝吹地蔵」
http://www.nikaido-kamakura.net/data01/141/141.html
「ヤブツバキ」が散る風情ある山道。
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3/30 11:49
「ヤブツバキ」が散る風情ある山道。
「いろは紅葉」の葉が朝日に透けて、その下に「ヤブツバキ」の紅い花が綺麗だった!
※肉眼で見た素晴らしい光景は「スマホのカメラ」では再現出来ず、残念!
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3/30 11:53
「いろは紅葉」の葉が朝日に透けて、その下に「ヤブツバキ」の紅い花が綺麗だった!
※肉眼で見た素晴らしい光景は「スマホのカメラ」では再現出来ず、残念!
「歴史的風土瑞泉寺特別保護区」の標識。
【注】この辺りに、前記「瑞泉寺裏山やぐら群の穴」と思われる「巨石をくり抜いた穴」が散在している!
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3/30 11:55
「歴史的風土瑞泉寺特別保護区」の標識。
【注】この辺りに、前記「瑞泉寺裏山やぐら群の穴」と思われる「巨石をくり抜いた穴」が散在している!
「歴史的風土瑞泉寺特別保護区」の付近の風景。
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3/30 12:00
「歴史的風土瑞泉寺特別保護区」の付近の風景。
「瑞泉寺 →」の道標あり。
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3/30 12:01
「瑞泉寺 →」の道標あり。
「天園」のハイキング道路の「瑞泉寺」側の下山口に到着。
【注】「通行止め」の「立て看板」があった。
本日も、途中「ハイキングコース」の倒木の撤去作業が実施されていて、ハイカーは一時通行停止させられた!
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3/30 12:07
「天園」のハイキング道路の「瑞泉寺」側の下山口に到着。
【注】「通行止め」の「立て看板」があった。
本日も、途中「ハイキングコース」の倒木の撤去作業が実施されていて、ハイカーは一時通行停止させられた!
「瑞泉寺」の山門。
※「瑞泉寺」は「水仙の花」で有名だが、今は「水仙の花」は終わったので、立ち寄らず先を急いだ!
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3/30 12:10
「瑞泉寺」の山門。
※「瑞泉寺」は「水仙の花」で有名だが、今は「水仙の花」は終わったので、立ち寄らず先を急いだ!
「永福寺跡」の遺跡があった。
※「鎌倉殿の13人」の「大河ドラマ」の主人公「北条義時」ゆかりの地とされる!
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3/30 12:16
「永福寺跡」の遺跡があった。
※「鎌倉殿の13人」の「大河ドラマ」の主人公「北条義時」ゆかりの地とされる!
「永福寺」は、正しくは「永福寺」(ようふくじ)と読む---との説明あり!
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3/30 12:16
「永福寺」は、正しくは「永福寺」(ようふくじ)と読む---との説明あり!
「永福寺」の入口に「鎌倉殿の13人 北条義時ゆかりの地」の幟旗がある!
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3/30 12:17
「永福寺」の入口に「鎌倉殿の13人 北条義時ゆかりの地」の幟旗がある!
「永福寺」の「案内図」
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3/30 12:32
「永福寺」の「案内図」
「永福寺」の遺跡の風景-01
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3/30 12:34
「永福寺」の遺跡の風景-01
「永福寺」は「二階堂」とも言ったようである。
ここに「阿弥陀堂」等の建造物があったとのこと。
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3/30 12:34
「永福寺」は「二階堂」とも言ったようである。
ここに「阿弥陀堂」等の建造物があったとのこと。
「永福寺」の遺跡の風景-02
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3/30 12:34
「永福寺」の遺跡の風景-02
「史跡永福寺跡」の想像図
【注】前記「鎌倉市」のホームページからトリミングして転載!
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3/30 12:43
「史跡永福寺跡」の想像図
【注】前記「鎌倉市」のホームページからトリミングして転載!
「鎌倉宮」の鳥居。
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3/30 13:10
「鎌倉宮」の鳥居。
「鎌倉宮」にて。
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3/30 13:11
「鎌倉宮」にて。
「鎌倉宮」の「厄割り石」について
鎌倉宮にある、厄や災いを割るといわれる「厄割り石」。
素焼きの陶器・かわらけに息を吹きかけて自分の中にある厄をのせ、石を目掛けて思い切りかわらけを投げ、厄を割る。
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3/30 13:12
「鎌倉宮」の「厄割り石」について
鎌倉宮にある、厄や災いを割るといわれる「厄割り石」。
素焼きの陶器・かわらけに息を吹きかけて自分の中にある厄をのせ、石を目掛けて思い切りかわらけを投げ、厄を割る。
「鎌倉宮の厄割り石」---1個 200円
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3/30 13:13
「鎌倉宮の厄割り石」---1個 200円
私も、「厄割り石」を投げて、見事粉々に!
--- しかし、私は、うっかり「息を吹きかけ」なかったです!
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3/30 13:15
私も、「厄割り石」を投げて、見事粉々に!
--- しかし、私は、うっかり「息を吹きかけ」なかったです!
「頼朝の墓」の案内看板
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3/30 13:28
「頼朝の墓」の案内看板
「頼朝の墓」に登る石段
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3/30 13:29
「頼朝の墓」に登る石段
「頼朝の墓」の説明
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3/30 13:30
「頼朝の墓」の説明
「頼朝の墓」にお参り!
現在の頼朝の墓は薩摩藩主島津重豪により、安永8(1779)年に建てられた。
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3/30 13:32
「頼朝の墓」にお参り!
現在の頼朝の墓は薩摩藩主島津重豪により、安永8(1779)年に建てられた。
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の石碑
江戸時代には法華堂は石段下に移された。
明治の神仏分離により、頼朝を白旗大明神として祀る白旗神社となり、現在も石段の下にある。
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3/30 13:34
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」の石碑
江戸時代には法華堂は石段下に移された。
明治の神仏分離により、頼朝を白旗大明神として祀る白旗神社となり、現在も石段の下にある。
「法華堂」について
【注】写真の説明とは、同じではありません!
頼朝の墓の東側には鎌倉幕府2代執権北条義時の法華堂が有りました。
元仁元(1224)年6月13日に没した義時は、『吾妻鏡』によると、「前奥州禅門(義時)を葬送す。故右大将家(頼朝)の法華堂の東の山上をもって墳墓となす。」とあります。
【注】後述の「法華堂」跡の説明に関連あり!
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
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3/30 13:34
「法華堂」について
【注】写真の説明とは、同じではありません!
頼朝の墓の東側には鎌倉幕府2代執権北条義時の法華堂が有りました。
元仁元(1224)年6月13日に没した義時は、『吾妻鏡』によると、「前奥州禅門(義時)を葬送す。故右大将家(頼朝)の法華堂の東の山上をもって墳墓となす。」とあります。
【注】後述の「法華堂」跡の説明に関連あり!
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
「北条義時の墓」の案内看板。
【注】しかし、この看板に導かれて、「法華堂」跡に行くも、「北条義時の墓」はどこにもないようだった!
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3/30 13:36
「北条義時の墓」の案内看板。
【注】しかし、この看板に導かれて、「法華堂」跡に行くも、「北条義時の墓」はどこにもないようだった!
「法華堂」跡に到着。
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3/30 13:38
「法華堂」跡に到着。
「法華堂」跡の説明。
【注】下記の説明文は、「看板」とは別のものです。
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
義時法華堂の先の西側にやぐらがあります。これは宝治元(1247)年に北条氏・安達氏と三浦氏が戦った宝治合戦で、三浦泰村以下500人が頼朝の法華堂にこもり自決した三浦一族の墓所と伝わっています。
ここに相模の名族三浦氏は滅亡しました。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
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3/30 13:38
「法華堂」跡の説明。
【注】下記の説明文は、「看板」とは別のものです。
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
義時法華堂の先の西側にやぐらがあります。これは宝治元(1247)年に北条氏・安達氏と三浦氏が戦った宝治合戦で、三浦泰村以下500人が頼朝の法華堂にこもり自決した三浦一族の墓所と伝わっています。
ここに相模の名族三浦氏は滅亡しました。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
「法華堂」跡の遺跡。
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3/30 13:38
「法華堂」跡の遺跡。
「法華堂」跡の「三浦一族の墓所」への石段。
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3/30 13:37
「法華堂」跡の「三浦一族の墓所」への石段。
「北条義時法華堂」の説明について
【注】現地で「QRコード」を読み込んだが、私の「スマホ android バージョン11.0」では、エラーとなった!
◆「鎌倉市の文化財保護担当課」に電話電話したら、「android系」は、「QRコードのリンク先」にリンクできない機種が多いとのこと。
※「テキスト文」の「説明サイト」を作成中で、あと10日ほどで完成予定とのこと。
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3/30 13:39
「北条義時法華堂」の説明について
【注】現地で「QRコード」を読み込んだが、私の「スマホ android バージョン11.0」では、エラーとなった!
◆「鎌倉市の文化財保護担当課」に電話電話したら、「android系」は、「QRコードのリンク先」にリンクできない機種が多いとのこと。
※「テキスト文」の「説明サイト」を作成中で、あと10日ほどで完成予定とのこと。
「義時の法華堂」の奥に二つの石段がある。
東側(向って右側)の石段を上ると、薩摩島津氏の祖といわれる島津忠久の墓がある。
島津氏の系図では島津忠久は頼朝の子となっているとのこと!
西側(向って左側)の石段を上ると、大江広元と毛利季光の墓がある。
こちらは長州藩毛利家により造られたもの。
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3/30 13:39
「義時の法華堂」の奥に二つの石段がある。
東側(向って右側)の石段を上ると、薩摩島津氏の祖といわれる島津忠久の墓がある。
島津氏の系図では島津忠久は頼朝の子となっているとのこと!
西側(向って左側)の石段を上ると、大江広元と毛利季光の墓がある。
こちらは長州藩毛利家により造られたもの。
一番献花の多い、左側の石段の上にあった「三浦氏一族墓所」がこれ!
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3/30 13:40
一番献花の多い、左側の石段の上にあった「三浦氏一族墓所」がこれ!
「桜並木」を走る、観光客を乗せた「人力車」。
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3/30 13:52
「桜並木」を走る、観光客を乗せた「人力車」。
「鶴岡八幡宮」の鳥居。
※これは「裏門」か?
【注】「鶴岡八幡宮」の鳥居は、「一の鳥居」、「二の鳥居」、「三の鳥居」等、幾つかの「鳥居」がある!
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3/30 14:01
「鶴岡八幡宮」の鳥居。
※これは「裏門」か?
【注】「鶴岡八幡宮」の鳥居は、「一の鳥居」、「二の鳥居」、「三の鳥居」等、幾つかの「鳥居」がある!
「鶴岡八幡宮」の三の鳥居の近くに「太鼓橋」があり、左右に「池」がある。
厳密には1つの池だが、「境内に向かって右が源氏池」、「左が平家池」で、「併せて源平池」という。
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3/30 14:03
「鶴岡八幡宮」の三の鳥居の近くに「太鼓橋」があり、左右に「池」がある。
厳密には1つの池だが、「境内に向かって右が源氏池」、「左が平家池」で、「併せて源平池」という。
これは、「何池」?
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3/30 14:03
これは、「何池」?
「さざれ石」とその説明看板!
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3/30 14:07
「さざれ石」とその説明看板!
「段葛」にわたる手前の交叉点の人出の様子。
※平日(3/30 水)にも関わらず、もの凄い人出だった!
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3/30 14:14
「段葛」にわたる手前の交叉点の人出の様子。
※平日(3/30 水)にも関わらず、もの凄い人出だった!
「段葛」の桜は満開!
※人物を入れないでの写真撮影は不可能!
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3/30 14:19
「段葛」の桜は満開!
※人物を入れないでの写真撮影は不可能!
「段葛」の説明。
※「段葛」は「源頼朝」が「妻政子」の安産を願って、従来の参道を整備し、現在の「段葛」の形式を作った。
【注】平成28年に100年振りに再整備された。
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3/30 14:25
「段葛」の説明。
※「段葛」は「源頼朝」が「妻政子」の安産を願って、従来の参道を整備し、現在の「段葛」の形式を作った。
【注】平成28年に100年振りに再整備された。
◆今日の「ハイキングコース」は全長「16.5Km」、徒歩 5時間2分、休憩 1時間44分、合計 6時間46分だった。
振り返ってみると、随分頑張ったものだ!
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◆今日の「ハイキングコース」は全長「16.5Km」、徒歩 5時間2分、休憩 1時間44分、合計 6時間46分だった。
振り返ってみると、随分頑張ったものだ!
構成と個々の解説素晴らしいですね。
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