記録ID: 4125507
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ハイキング
房総・三浦
横浜市・鎌倉市の市境ハイキング(大丸山、天園)
2022年03月30日(水) [日帰り]
![情報量の目安: S](https://yamareco.org/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 06:28
- 距離
- 16.5km
- 登り
- 465m
- 下り
- 492m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:02
- 休憩
- 1:44
- 合計
- 6:46
8:40
8:42
8分
円海山
12:08
12:08
8分
天園ハイキングコース入口(瑞泉寺入口)
14:28
ゴール地点
天候 | 曇り後晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
JR港南台駅〜円海山〜大丸山〜天園〜永福寺跡〜頼朝の墓〜鶴岡八幡宮〜JR鎌倉駅 |
その他周辺情報 | 鎌倉アルプスを一部踏破 |
写真
ここにも「横浜市最高地点 159.4m」の看板あり!
【注】「大丸山」の「横浜市最高地点」は「158.6m」だったから、こちらが高いが、「ここは鎌倉市」では?
※(横浜市)栄区上郷町と書いてあった!
--- 微妙な説明が看板に書いてある!
【注】「大丸山」の「横浜市最高地点」は「158.6m」だったから、こちらが高いが、「ここは鎌倉市」では?
※(横浜市)栄区上郷町と書いてあった!
--- 微妙な説明が看板に書いてある!
「貝吹地蔵」の案内看板に導かれて、木の根っこをよじ登って覗いてみた!
◆「貝吹地蔵」のいわれ
瑞泉寺の裏山、天園ハイキングコース途中の急斜面にある地蔵は貝吹地蔵と呼ばれている。
元弘三年 (1333)に新田義貞の鎌倉攻めで北条高時が敗れた時、高時の首を敵に渡すまいと家来たちが首を持って逃げ回った。
その時、首をどこに埋めたらよいか思案していたところ、地蔵が法螺貝を吹きながら首を埋める場所を案内してくれたという伝承がある。
※現在、その付近にある瑞泉寺裏山にあるやぐら群のいくつかの穴は北条高時等の「首やぐら」であるという説もある!
【注】上記解説は主に、下記サイトの説を元に黒田(温泉)が要約しました!
「貝吹地蔵」
http://www.nikaido-kamakura.net/data01/141/141.html
◆「貝吹地蔵」のいわれ
瑞泉寺の裏山、天園ハイキングコース途中の急斜面にある地蔵は貝吹地蔵と呼ばれている。
元弘三年 (1333)に新田義貞の鎌倉攻めで北条高時が敗れた時、高時の首を敵に渡すまいと家来たちが首を持って逃げ回った。
その時、首をどこに埋めたらよいか思案していたところ、地蔵が法螺貝を吹きながら首を埋める場所を案内してくれたという伝承がある。
※現在、その付近にある瑞泉寺裏山にあるやぐら群のいくつかの穴は北条高時等の「首やぐら」であるという説もある!
【注】上記解説は主に、下記サイトの説を元に黒田(温泉)が要約しました!
「貝吹地蔵」
http://www.nikaido-kamakura.net/data01/141/141.html
「天園」のハイキング道路の「瑞泉寺」側の下山口に到着。
【注】「通行止め」の「立て看板」があった。
本日も、途中「ハイキングコース」の倒木の撤去作業が実施されていて、ハイカーは一時通行停止させられた!
【注】「通行止め」の「立て看板」があった。
本日も、途中「ハイキングコース」の倒木の撤去作業が実施されていて、ハイカーは一時通行停止させられた!
史跡永福寺跡について
史跡永福寺跡はJR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久5年(1194)に三堂が完成しています。鎌倉幕府から手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。
【注】以上は「鎌倉市」の、下記ホームページから転載
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html#:~:text=%E5%8F%B2%E8%B7%A1%E6%B0%B8%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E8%B7%A1%E3%81%AFJR,%E3%81%8C%E5%AE%8C%E6%88%90%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
史跡永福寺跡はJR鎌倉駅の北東約1.8km、鎌倉市二階堂字三堂他に所在する、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡等、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久5年(1194)に三堂が完成しています。鎌倉幕府から手厚く保護されましたが、応永12年(1405)に焼失し、以後は再建されませんでした。
【注】以上は「鎌倉市」の、下記ホームページから転載
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html#:~:text=%E5%8F%B2%E8%B7%A1%E6%B0%B8%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E8%B7%A1%E3%81%AFJR,%E3%81%8C%E5%AE%8C%E6%88%90%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
「鎌倉宮」の「厄割り石」について
鎌倉宮にある、厄や災いを割るといわれる「厄割り石」。
素焼きの陶器・かわらけに息を吹きかけて自分の中にある厄をのせ、石を目掛けて思い切りかわらけを投げ、厄を割る。
鎌倉宮にある、厄や災いを割るといわれる「厄割り石」。
素焼きの陶器・かわらけに息を吹きかけて自分の中にある厄をのせ、石を目掛けて思い切りかわらけを投げ、厄を割る。
「法華堂」について
【注】写真の説明とは、同じではありません!
頼朝の墓の東側には鎌倉幕府2代執権北条義時の法華堂が有りました。
元仁元(1224)年6月13日に没した義時は、『吾妻鏡』によると、「前奥州禅門(義時)を葬送す。故右大将家(頼朝)の法華堂の東の山上をもって墳墓となす。」とあります。
【注】後述の「法華堂」跡の説明に関連あり!
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
【注】写真の説明とは、同じではありません!
頼朝の墓の東側には鎌倉幕府2代執権北条義時の法華堂が有りました。
元仁元(1224)年6月13日に没した義時は、『吾妻鏡』によると、「前奥州禅門(義時)を葬送す。故右大将家(頼朝)の法華堂の東の山上をもって墳墓となす。」とあります。
【注】後述の「法華堂」跡の説明に関連あり!
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
「法華堂」跡の説明。
【注】下記の説明文は、「看板」とは別のものです。
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
義時法華堂の先の西側にやぐらがあります。これは宝治元(1247)年に北条氏・安達氏と三浦氏が戦った宝治合戦で、三浦泰村以下500人が頼朝の法華堂にこもり自決した三浦一族の墓所と伝わっています。
ここに相模の名族三浦氏は滅亡しました。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
【注】下記の説明文は、「看板」とは別のものです。
平成17年に行われた発掘調査により、一辺が8.4mの方三間の建物跡が確認され、『吾妻鏡』の記事が実証されました。現在は法華堂の場所がわかるように、杭とロープで表示されています。
義時法華堂の先の西側にやぐらがあります。これは宝治元(1247)年に北条氏・安達氏と三浦氏が戦った宝治合戦で、三浦泰村以下500人が頼朝の法華堂にこもり自決した三浦一族の墓所と伝わっています。
ここに相模の名族三浦氏は滅亡しました。
◆出典
「史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」について
https://www.kanagawa-kankou.or.jp/?p=we-page-entry&spot=409739
「北条義時法華堂」の説明について
【注】現地で「QRコード」を読み込んだが、私の「スマホ android バージョン11.0」では、エラーとなった!
◆「鎌倉市の文化財保護担当課」に電話電話したら、「android系」は、「QRコードのリンク先」にリンクできない機種が多いとのこと。
※「テキスト文」の「説明サイト」を作成中で、あと10日ほどで完成予定とのこと。
【注】現地で「QRコード」を読み込んだが、私の「スマホ android バージョン11.0」では、エラーとなった!
◆「鎌倉市の文化財保護担当課」に電話電話したら、「android系」は、「QRコードのリンク先」にリンクできない機種が多いとのこと。
※「テキスト文」の「説明サイト」を作成中で、あと10日ほどで完成予定とのこと。
「義時の法華堂」の奥に二つの石段がある。
東側(向って右側)の石段を上ると、薩摩島津氏の祖といわれる島津忠久の墓がある。
島津氏の系図では島津忠久は頼朝の子となっているとのこと!
西側(向って左側)の石段を上ると、大江広元と毛利季光の墓がある。
こちらは長州藩毛利家により造られたもの。
東側(向って右側)の石段を上ると、薩摩島津氏の祖といわれる島津忠久の墓がある。
島津氏の系図では島津忠久は頼朝の子となっているとのこと!
西側(向って左側)の石段を上ると、大江広元と毛利季光の墓がある。
こちらは長州藩毛利家により造られたもの。
「JR鎌倉駅」に到着した。
ここを「ゴール」と予定していたので、「マック」に入り、「コーヒー」と「桜もちパイ」で反省会をした。
※「桜もちパイ」は季節限定のスィーツだが、とても美味しかった!
◆マックの「桜もちパイ」のPRサイト
https://www.mcdonalds.co.jp/campaign/sakuramochi-pie/
ここを「ゴール」と予定していたので、「マック」に入り、「コーヒー」と「桜もちパイ」で反省会をした。
※「桜もちパイ」は季節限定のスィーツだが、とても美味しかった!
◆マックの「桜もちパイ」のPRサイト
https://www.mcdonalds.co.jp/campaign/sakuramochi-pie/
感想
このコースは、3月下旬、「山桜」が満開で素晴らしい。
又、冬の晴れた朝は、「富士山」が綺麗にみえるという。
「鎌倉殿の13人」にまつわる「史跡回り」を組み込むとバリエーションが楽しめる!
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構成と個々の解説素晴らしいですね。
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