虎丸山・能岳・八重山から上野原市役所
- GPS
- 03:44
- 距離
- 7.2km
- 登り
- 469m
- 下り
- 482m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
明日から天気が崩れるので早春の花の見納めとばかり再び上野原駅から、今度は八重山方面に出かけてみた。始発に乗り立川経由で上野原駅に6時半過ぎに到着し、6時38分のバスで新井まで行き、そこから虎丸山に向かう。7時前、西シ原集落を通って虎丸山登山口に向かう。立派な家構え、手入れの行き届いた庭を持つ家が多い。八重山は水越八重さんが昭和の初めに上野原町と小学校に寄贈した山で現在は小学校と上野原市が管理しており、素晴らしいハイキングコースとなっている。上野原市に福市長室のお話ではこの周辺には水越姓の方々がお住まいだが、八重さんの関係者かどうかはわからないようだ。この山々や権現山、扇山などをしばしば訪問したのはもう十年以上前になるが、先日の坪山に続く上野原巡りとなる。ヤマレコの記録を見ると2013年以来過去3回来ており、いずれも八重山駐車場から入っているようだ。
7時2分過ぎ、登山道に入るとまず右側に古い祠があり、おそらく古くは村戸村を結ぶ道の分岐が有ったかも知れない。廃道のような踏み跡は右側の八重山入口駐車場から延びる虎丸岳への稜線に通じているようだ。マムシグサやイカリソウ、スミレなどが目を楽しませ、赤い実がなっていた。古い鳥居が現れ、国際児童年に関する石碑が立っている。虎丸山へは最初が少し急登だったがやがて緩やかになり、やがて駐車場からの道を合わせ、再び急な登りになると7時半前に祠のある虎丸山に出る。一息入れ、そこから一旦急坂を下り、山風呂からの道を合わせると、少し展望が開け権現山などが見える。ミツバツツジの咲く緩やかな登り坂になると、左に馬頭観音がある。この馬頭観音は全国的には厳しい顔つきのものが多いが、ここでは柔和な表情が目立ち、厳しい山越えの道で息絶えた馬たちを供養したものかもしれないという。八重山への牧道と別れ、右からの八重山登山口駐車場から続く道と合流し、能岳への最後の登りとなる。
8時過ぎ、山頂に到着。付近にはシュンランが咲き、ラッキー。ここで見ることが出きるとは予想していなかったがかつてそんなことがあったかも知れない。
能岳から八重山まではシュンランを探しながらの明るく楽しい尾根道。もうそろそろ終わりかと思われたシュンランをたくさん見ることができてラッキーだった。8時30分過ぎ、八重山山頂付近からは富士山をはじめの丹沢の大室山から犬越路、桧洞や権現山、扇山の山並み奥多摩の笹尾根や、大菩薩など多くの山々を見ることが出きる。ただし春霞がかかり富士山は次第にボヤけてきた。早朝に登ったのは正解だったようだ。ここでもシュンランや山桜などを見ながら八重山展望台に向かう。シュンランコースは登山道の崩落で通行できないらしい。
9時ごろ、展望台の手前に寄贈者の八重さんの記念碑がある。五感の森の鐘をたたいて通過し、9時7分ごろ展望台に到着。確かにこれまで樹林に邪魔されて見えにくかった富士山をはじめとする山々が一気に視界が開けてよく見える場所だ。これまでの記録を見ると、なんと今までこれらの展望台に入っていなかった。初めて見る大展望だった。正面には丹沢の山並みと富士山、道志山塊、扇山と権現山の稜線までが展望台の図に乗っていた。デッキのデスクの上には詳しい山名同定図が置いてある。
春蘭の他、山桜や大島桜など、様々な桜やツツジを見ながら下山を続ける。途中の分岐でどちらを選ぶべきかわからなくなり、明るい方の道を選ぶ。結局合流するであろうと予想した。明るい道を進むと以前尋ねたことのある光景となる。9時半過ぎ、一段高いところにベンチのある休憩所、その周辺には春蘭も咲いている。9時半ごろからようやくハイカーと出会い始める。その先でまたも分岐があり、広い方でなく狭い踏み跡だけの山道を下ると再び合流、10時前にようやく登山口の駐車場に降り立った。ここは4度目ということになる。ここで一息入れ、トイレなどを済ませて次の秋葉山に向かう。秋葉山はたぶん3度目かな?上野原中学校から少し下ると上野原市遊歩道入口があり、見慣れた墓地に出ると展望が開ける。秋葉山の道標があり、それに従って墓地の横を上ると山道となり、途中東屋があり、その先に秋葉山への入り口がある。鳥居のある階段を登ると、途中にはイカリソウや春蘭も咲いており、展望の開けた秋葉山山頂に出る。山頂には祠(秋葉神社か?)があるが、樹木が生い茂って展望は奥多摩側だけが樹林の間から少し見えるだけだった。山頂の別の側にもう一つの急な階段があり、それを下ると元の道と合流する。その道を行けば根本山に出るが、今日は市役所に用事があるので根本山に向かわず、まっすぐ下の集落に降りる道を選ぶ。この道は初めてで道標はないが道はとても良い。下っていくと、休憩舎と「忠魂碑」がある広場に出る。樹木の間から集落やおそらく四方津の御前山や倉岳山方面かと思われる山並みも見える。下まで降りると、この道はこの地域の財産区が管理するエリアである旨が看板に書かれていた。
ここから650m先の市役所に向かう。市役所のロビーには「うす」に関するロビー展示。上野原市内で収集した民俗資料の展示だ。現在市内には民俗資料や埋蔵文化財を展示する施設がない。展示室にはこうした展示施設に関するアンケートがあり、今後どのように展示施設を考えるべきか、市が苦慮している事情がうかがわれる。市職員の話では上野原市は以前は北都留郡に属する上野原町と南都留郡に属する秋山村に分かれ、合併により上野原市として独立、wikiによると大月市と都留市は1954年に市として独立し、現在北都留郡は丹波山村が残り、南都留郡は道志村が残った。いずれもハイキング、登山基地として知られた場所だ。
旧秋山村には民俗資料館があったが、今は市内の民俗資料の収蔵庫になっていて、見学施設にはなっていない。一方埋蔵文化財に関しては、大野貯水池の地近くにある廃校が収蔵施設となっているという。展示施設をどうするかが、今後の大きな課題という。
電話とメールのやりとりで指定された副市長室を訪ねると、担当の政策秘書課の東山氏が出てこられ、約束の上野原町誌を受け取る。上中下三冊の分厚い資料で上の原町時代、1975年ころの発行。先史時代から現代までのこの地域の歴史が記載されている貴重な資料で、時間のある時にじっくり読んでみたいものだ。甲州街道の通るこの地域の複雑な歴史、かつては宿場町として栄えた場所、養蚕で栄えた地域、昭和のエネルギー革命以前の薪炭材で栄えた時代など、また八重さんの山の寄贈で示すような江戸時代以降の大地主の出現など、時代とともに大きな変貌を遂げた地域の山里の歴史は興味深い。今は上野原市の奥地の住民の多くは首都圏への通勤者となっているのではないだろうか?先日33号線から小菅村に続く道路を走る坪山行きのバスの車窓からみた風景から、この地域の歴史を知りたいと思うようになり、今回市役所とのやり取りとなった。ずっしり思い町誌をザックに辛うじて詰め込んで上野原駅に向かった。途中、ヤマレコで見かけた日大明誠高校付近にある「ハシドイ」という蔵を改装した喫茶店で休もうとしたが、予約客でいっぱいで入れず、近くのバス停からバスで駅に向かい、帰宅の途についた。
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