ひたちなか海浜公園・ひたちなか市埋蔵文化財センター・磯浜古墳群と茨城県歴史館訪問
- GPS
- --:--
- 距離
- 35.0km
- 登り
- 107m
- 下り
- 101m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
|
写真
感想
天気も良さそうなのでひたちなか市、大洗、水戸の遺跡と博物館に行ってみた。始発の電車を乗り継いで勝田で海浜線に乗り換え那珂湊に出る七年前の11月に同じ那珂湊から虎塚古墳とジオパーク、海浜公園を自転車でめぐった記録が残っている。今回は埋蔵文化財センターは同じだがさらに南下して大洗の最近国史跡となった磯浜古墳群に向かう予定。その前に駅から9キロ近い海浜公園のネモフィラを見に行くか迷ったがとりあえず混雑覚悟で走ってみることに。前回は秋のコキアの紅葉を見たが今回はどうか?勝田駅で海浜公園直行便のバスが出ていたがまた勝田に戻らねばならないのでチャリで走ることにした。勝田駅で那珂湊線のフリー切符を入手し、那珂湊駅で下車してレンタサイクルの手続きをしてスポーツタイプのeバイク=電動タイプを選んでスタート。しかしひたちなか海浜公園に行くつもりが間違えてただ海浜公園とGoogleまっぷに入力したら別の海浜公園があるらしく方向が大洗の方を目指してしまい気がついて引き返しひたちなか海浜公園と入れ直して245号線を真っ直ぐ進む。八キロの道のりだが電動なので坂も苦ではなくスポーツタイプなのでそこそこスピードも出るので三十分かからずに案外楽に走れた。猛烈に混むかと予想したがさほどのこともなく公園西口ゲート前に駐輪し切符を買って中に入る。流石に大勢が並んでいるように見えたがさほど時間をとられず中に入れた。
みはらしの丘まで確かに混んでいたが前の人を抜いて歩ける程度の、混み方だった。意外とスムースにみはらしの丘に到着、目の前にネモフィラで埋め尽くされた丘があり、人の列が丘の上まで続いていた。ネモフィラの丘を撮影しながら登ると目の前に太平洋が見えはじめ、丘の上では良く見えるようになった。一番の高台まで列が続いていたが途中で丘を降りることにした。一番上の丘はネモフィラの色が見えない部分がありあるいは花が終わっているか開花しなかった場所があるようだ。もうこれ以上見ることもないととっとと西口ゲートに戻る。すぐチャリを回収しひたちなか市埋蔵文化財センターに向かう。五キロ程走って虎塚古墳の案内のある道に出てすぐ目的地に出た。
今回の目的は「海、古墳ー海洋民の痕跡を辿る」という企画展を見ること。展示の冒頭、これから訪ねる大洗町の磯浜古墳群のことが展示されていた。ひたちなか市には前期古墳がないのだが磯浜古墳群は前期古墳だからだ。現在は別の行政区となってはいるがこの時代ではおそらく一体の地域と考えて良いだろう。この古墳群は東は太平洋、西は涸沼、涸沼川、北は那珂川で南は台地が切れ島状の地形となり水上交通の要衝であった。全長101mの前方後円墳は当時この地域最大の古墳で那珂川河口域の海の古墳の始まりを告げるものだった。
磯浜古墳群が終わる頃ひたちなか市の海岸部で古墳築造が開始される。三ッ塚第三古墳群で、70メートルクラスの帆立貝形古墳や50メートルの大型円墳などがあり、第12号墳から出土した壺形埴輪は日下ヶ塚古墳や車犖妬の影響が見られ特異な形をしているようだ。
今回は訪ねる余裕がなかったがひたちなか市の太平洋沿岸には北から川子塚古墳磯崎東古墳群、礒合古墳群、入道古墳群、三ッ塚古墳群、新道古墳群など三キロに渡り100基以上の古墳が連なっている。
センターの刊行物を数冊購入し、早朝4時に朝食を食べたので11時前には腹ペコになり、センター前におあつらえ向きのベンチがあるのでここで簡単なコンビニ二百円コンビニ弁当でで昼食、磯浜古墳群まで電動チャリを走らせる。
那珂川を渡りさらに涸沼川を渡って海側に向かって下ると磯浜古墳群の案内がある。それに従って進むと最初に車犖妬がある。その手前の幼稚園の敷地内に五本松下古墳の地下部分が保存されているとどこかに書いてあったのを思いだし戻って幼稚園を探し当てたが連休で閉まっていて中に勝手に入るわけにも行かずそれらしき建物の方向を撮影して車犖妬に戻る。途を開けて中に入れるとあったので中に入り墳丘に登ってみる。大きな円墳でかなりの高さがあり、下が良く見える。海まで見渡せる。
すぐ先に姫塚古墳があるので立ち寄る。小振りな古墳でこれは上まで登らず撮影だけして次の日下ヶ塚古墳に向かう。細い路地を進むと案内があり人がやっとすれ違える位の細い路地を進むと看板がありその奥に古墳がある。墳丘から降りてくるカップルとすれ違い墳丘に登ってみるここからは大洗の港や海が見渡せる。海上交通のランドマークとして十分機能しそうだ。この古墳の海側に平坦な盛り土出てきている場所があったが実はこれがこれから行こうとしている磯浜海防陣屋跡だったようだ。後から気がついたのだがそれと分からす道を下って探し回ったが見付からず、それも当然でその場所と分からず下ってしまったのだ。一旦諦めて今日は当初予定していた幕末と明治の博物館にもよらずに一目散で那珂湊の駅に戻ってチャリを返却し次の勝田駅行きの電車を待つ。二十分ばかりあったので資料館に立ち寄ることも出来たかもしれないが今日は早めに切り上げて帰宅したいので水戸に向かい最後の目的地の茨城県立歴史館に向かう。
ひたちなか市を後にして勝田に戻り、水戸に出る。北口バス停の4番で13時25分のバスに乗り込み、歴史館に一番近いバス停を運転手に尋ね、結局青年会館前で下車、少し戻って歴史館に向かう。今日の目的は企画展の「三昧塚古墳ビフォーアフター」でかつて明治大学などを含め発掘調査が行われたこの古墳とそれと関連する遺跡の意義を再考する展示。
三昧塚古墳は大量の副葬品を出土し、古墳は行方市指定文化財で、出土品は国の重要文化財tなっている。今回はその重要文化財に指定された出土品の保存修復が終了したことを記念して開催された特別展で、とりわけ金銅製馬形飾付冠や甲冑、石製模造品など、めったに見ることのできないものを多く見ることができてきたかいがあったというものだ。
三昧塚古墳:霞ヶ浦沿岸の沖積地に営まれた前方後円墳で、全長85m、後円部径47m、前方部幅36.5m、後円部高さ8m、前方部高さ6mの規模を有します。周囲は濠でめぐらされ、約2mの深さを有していたと考えられます。墳丘には円筒埴輪が三重にめぐらされていました。 後円部の中心には、墳頂下2.7mに箱式石棺が置かれ、伸展葬の形で遺骸が埋葬されていました。副葬品としては、金銅製馬型飾付冠、金銅垂飾付耳飾、平緑変形四神四獣鏡等があり、ほかにも短甲、鉄鏃、そして円筒・形象(人物・動物)植輪等の遺物も確認されています。
この古墳の成立は、5世紀後半と考えられ、行方市の代表的かつ当時の古墳文化を考察する際の重要な遺跡となっています。
この古墳は、昭和30年早春、霞ヶ浦堤防工事で墳丘が削平されましたが、その後、3度にわたる発掘調査を経て、平成17年に復元整備されました。(行方市HP)
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