大楠山(前田橋〜阿部倉)→三浦一族の衣笠城址をつないで
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- GPS
- 05:32
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 549m
- 下り
- 538m
コースタイム
天候 | 晴れだが雲多い |
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過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰り 衣笠駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
大楠山は指導標完備、登山道完備 大楠山登山口(阿部倉)→衣笠城址→衣笠公園→衣笠駅はルートが複雑で、GPS必須 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
日よけ帽子
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
コンパス
笛
計画書
GPS
筆記用具
常備薬
保険証
携帯
時計
タオル
カメラ
|
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感想
目的は、三浦一族の衣笠城址だった。せっかくだから大楠山にもと、両者を結ぶルートを「らくルート」で作成。まあ山も深くないし、とルート研究はいい加減に済ませて、ヤマレコアプリ頼みで出発した。
<このルートについて>
大楠山(前田橋→阿部倉)は、登山道も指導標も完ぺき。森林は普通の雑木林という感じだったが、阿部倉付近の渓流は思いのほか素敵だった。
問題はその後だった。阿部倉からは車道歩きだったんですね、しかしこの車道が複雑。農道みたいな細い道を、ヤマレコアプリと睨めっこし続けた。
衣笠城址のある山にはいると、再び登山道になった。この入口付近がわかりにくいが、その後はよく整備されていた。
この衣笠城址のある山の山頂付近はかなり急峻だ。下山道はこの日で一番の急峻さ。衣笠城址が山城であることがよくわかる。山城らしいというべきか。
衣笠山=衣笠公園は、まったく別の山だったとは知らなかった。衣笠城址の山から一旦、県道に降りて、再び衣笠山に登る。
衣笠公園からは、裏口から出るのが一番近い。しかしこの道はわかりにくい。逆ルートだとGPSなしではたどりつけないのではないか。少し遠回りになるが正門(衣笠神社)を回った方が良いかもしれない。裏口からだと、衣笠駅の線路の逆に着いてしまうので、ここで迂回する必要がある。
<衣笠城址について>
衣笠城址は、「神奈川中世城郭図鑑」(戎光祥出版 2015)によると、遺構はほとんど残っていないとのことだが、雰囲気はあった。三浦義明らが畠山らに破れた衣笠合戦。吾妻鏡にある、三浦義明が一人のこり、三浦義澄らを逃したという歴史が思い浮かぶ。その後、三浦義澄らは安房で頼朝と合流したわけだ。
せっかくだから「神奈川県史」(石井進『鎌倉武士の実像』1987平凡社に所収)を紐解いてみよう。
大矢部川が古東海道(かつての東海道は三浦半島を横断し東京湾口を船で渡って安房に上陸し上総−下総-常陸と北上した)の南側につくった東向きに開ける大きな谷間、ここが三浦氏一族の本拠地であった。この谷間のもっとも奥、標高は百メートルに足らぬとはいえ、半島の脊梁をなす大楠山脈の余波のつくった要害の地がある。ここが衣笠城である。周囲は切り立った崖で山すそを流れる大谷戸川・深山川が自然の堀となっている。大手口を丘陵の上へと登れば何段か案外にひろい平場があり、又、よい湧水にもめぐまれている。まさしく城をきずくのに格好の地であった。(p78)
コメント
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