赤井谷〜釈迦ヶ岳
- GPS
- 06:04
- 距離
- 10.8km
- 登り
- 990m
- 下り
- 977m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
赤井谷は「ほんみち教」の私有地であり、事前に連絡をして入山の許諾を得る必要あり。 赤井谷は薄い踏み跡あり 途中で左岸に渡渉する必要があるが、渡渉地点が分かりにくいので要注意 |
その他周辺情報 | 湯泉地温泉「滝の湯」 http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/08onsen/01onsen/04south_area/0708000050/ |
写真
感想
この週末、三連休は長男は予定がないらしく、久しぶりに山に行くというが、天気はあまり良くないようだ。土曜日は南の方角のみは辛うじて晴れ間がありそうで、大峰の釈迦ヶ岳に足を伸ばすことにする。
当初は土日にかけて泊まりがけで釈迦ヶ岳から八経ヶ岳への山行を考えるが、日曜日の天気が崩れる時間の予報が早まるので、日帰りの山行に変更する。釈迦ヶ岳は登山口までが非常に遠いのが難点であるが、登山口から釈迦ヶ岳への往復では物足りないので、赤井谷を周回することにする。
この赤井谷は下流にある花背からほんみち教の私有地なので、「ほんみち教」に電話をかけて、事前に入山の許諾を得る。
ところでほんみち教は天理教から分離した新興宗教の一つだそうだが、この花背には相当な山奥であるにもかかわらずその大規模な修道施設があるらしく、信徒の男子は中学を卒業すると3年間、修行のためにこの施設で過ごすらしい。そのために信者の多い大阪の泉南市では全国一高校の進学率が低く80%をわずかに超える程度らしい。現代の日本において若者がそのようなストイックな生活を送る場所があるというのが俄には信じられないところだ。電話の応対に出られた男性は極めて丁寧で、至って平穏な印象であったが、やはり若い時分にはそのような生活をされたのだろう。
京奈和自動車道は朝6時まで道路工事のために通行止めらしい。第二名阪と南阪奈道を経由して五條に向かう。五條を過ぎるといよいよR168で山あいに入ってゆくが、ここからが長い。R168から奥吉野発電所に向かう道に入ると先行する車がある。登山口までは先行する車の後について行くことになった。
登山口の駐車場はすでにほぼ埋まっており、10台目であった。駐車場ではすぐ隣の車では修験道の格好の男性が登山の準備をされておられる。登山口とはいえ既に尾根上のせいだろうか、北風が冷たく、早速にもフリースを着込む。
釈迦ヶ岳への稜線の方向には雲がかかっている。雲の中から辛うじて姿を見せるピークは古田の森のようだ。歩き始めると後ろから法螺貝の音が聞こえる。すぐ後ろから先ほど登山口で準備をされていた修験道の男性が快足で登って来られた。
P1434からわずかに尾根を南下する。風の影に入ったののだろうか、途端に風はほとんど感じられなくなる。尾根上をわずかに下がったところで小ピークca1350mの手前の鞍部から谷に向かって下降する明瞭な踏み跡が続いている。最初はテープやマーキングの類もないが、踏み跡を辿って下降するうちにところどころでテープも現れるようになった。
谷間には苔むした岩の間には羊歯が広がり、深い緑の世界が広がる。谷を下降するにつれ、広々とした緩斜面が広がるようになり、自然林の疎林には随所にブナやミズナラの大樹が現れる。
谷を流れる沢の手前に至ると明瞭な道が現れ、道沿いには青いペンキでマーキングがされている。下流の花背から登ってくる道なのだろう。
しばらくすると急にペンキのマーキングが無くなった。どうやら登山道は対岸に渡渉するらしい。大きな岩を繋いで、難なく渡渉することが出来る。渡渉すると左岸には木製の階段が整備された道が現れた。
左岸にも次々とブナやミズナラの大樹が現れる、大樹の樹々を見上げながらなだらかな河岸段丘を進む。大樹には悉く小さなプレートが付けられている。ほんみち教の方々が管理されておられるのだろう。
小さな支谷を過ぎるとその合流地点にはいくつか焚き火の跡がある。確かにテントを張りたくなるような場所である。しかし、沢が近いからといって果たしてここで焚き火をすることをほんみち教の方が許容してくれたるのかどうか疑問だ。
やがて道は谷沿いを離れて、左岸の斜面をトラバースしながら進むようになる。上流の小さな谷を横切ると丈の低い笹が繁茂する疎林の尾根を登る。尾根の後ろには古田の森のなだらかな笹原の稜線が綺麗に見えている。
稜線に近づくと、尾根上には紅葉したツツジ系の低木が頻繁に現れる。多くは特徴的な五葉なので、シロヤシオ・ツツジのようだ。やがて左手の稜線の鞍部に小さなお堂と青い小屋が見えてくる。深仙の宿に到着したようだ。
鞍部に至ると南西の方角に異容を誇る大日岳の鋭鋒が否応なく目を惹く。岩峰の周りでは樹々が色づいている。正面に見えるのは大台ヶ原から南に伸びる山並みだろう。その彼方には熊野灘の水平線が雲の色とは微妙に異なる海の間に一本の直線を引いている。
まずは水場を訪ねてみる。深仙の宿の北側にある大きな岩の中に差し込まれた小さなホースからわずかに水が滴り落ちていた。大峰奥駈道を縦走する際には貴重な水となるのだろう。どこから来たのであろうか、水場の下の容器の中では何匹もの線虫が蠢いていた。
深仙の宿では全くといってもいいほど風はなく、空気も暖かく感じられる。少し早いがここでランチとする。料理を始めると朝、我々のすぐ前に出発された単独行の男性が釈迦ヶ岳の方から降りて来られる。
この日は崎陽軒の焼売をまずフライバンで温める。焼売といえば蒸すものという先入観があったが、油で温めるのも悪くない。後半はサバのアヒージョにライスを投入してリゾット風にする。
釈迦ヶ岳にかけて好展望の尾根を登ってゆく。大峰の南部の山々の展望が広がる。東の方角で台高南部の山々の彼方で熊野灘の海が明瞭に見えるようになる。ここでも稜線の周囲ではシロヤシオのツツジのみが色鮮やかな紅葉を見せている。
山頂手前の鞍部からは笹原の中に樹が疎に生える釈迦ヶ岳の山頂一帯を俯瞰することが出来る。しかし、北の方角から古田の森の稜線に雲がかかり始めたと思うと、まもなく登山道の周りにもガスが立ち込めるようになる。どうやら山頂部は雲に包まれたようだ。
太尾からの登山道と合流すると途端に登山道は大賑わいだ。かなりの大人数のパーティーが山頂を目指して登っているようだ。わずかなひと登りで山頂に到着するが、山頂は先週に訪れた北アルプス並みに、あるいはそれ以上に人が大勢おられた。山名標と青銅の釈迦如来像を写真に収めると山頂を早々に退散する。
山頂からの下りでは数組の登山者達とすれ違うが、下降が一段落してかくし水のある平坦地に出ると全く登山者と出会わなくなる。隠し水はその名称とは裏腹に登山道脇に滾々と水が流れ出しており、登山道にも水の流れる音が聞こえるほどだ。どなたかが奈良で最も美味とサイトで書いておられたが、確かに美味しく感じられた。
登山道の脇では三張ほどテントが張られていた。このあたり一帯の平坦地は千丈平と呼ばれるところらしいが、なるほどその名の通り、かなり広々とした台地状の尾根が広がっている。尾根が大きく方角を変えるとことでは小さな池があった。
古田の森にかけて、広々とした笹原の稜線にはところどころで疎に生える樹々が幻想的な景色を見せてくれる。先頭を歩く長男の後ろ姿も霧にかすみがちになる。古田の森というのはp1618のピークの手前の小さな樹林をいうのだろうか。森というよりも小さな疎林といったところだ。
古田の森を過ぎると雲が上がったのだろう、途端にあたりの視界が晴れて、今度はまるで天空の稜線といった趣になる。左手の大峰奥駈道の稜線を視線で辿ると、雲の中から大日岳の鋭鋒とその左手に深仙の宿の小さな小屋が見える。
見晴らしの良い笹原の稜線を辿るうちにすぐにも最初に通ったp1431の小ピークに辿り着く。太尾の駐車場にかけての尾根は風もなく、朝に比べるとかなり暖かく感じらる。登山口に戻ると朝に停められていた車は何台か消えていたが、周囲に数多くの車が路駐してある。釈迦ヶ岳への爽快かつたおやかな稜線はそれなりの人気を博するだけのことはあるだろう。ここは季節を変えてまた訪れてみたいと思う魅力的なところだった。
登山口を離れると十津川沿いに南下して、湯泉地まで足を伸ばす。公衆浴場の滝の湯を訪れると幸い、すぐに入場出来たが、コロナ禍で入湯する客を大幅に制限しているようだった。硫黄の香りがする透明な温泉は柔らかく、ここまで足を伸ばした甲斐があったというのものだ。しかし、そのせいか京都までの帰路はなんとも長く感じられた。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する