綾部市境09 金谷峠 空山 三坂峠 袋峠 小西 私市
- GPS
- 05:55
- 距離
- 11.3km
- 登り
- 501m
- 下り
- 535m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年10月の天気図 |
---|---|
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
2022年5月から綾部市境を巡る縦走を開始。テント泊で一気に行きたいところだがまずは日帰りで線をつないでいく。 今日は、先日歩き終えた金谷峠から市境に復帰し、由良川平野部の私市を目指す。半日程度のコースだったので、あやバスで金谷峠に近い小畑中バス停までいって、そこから金谷峠の入口まで舗装道を歩いて移動した。山に入っていく道の入口には、丹波丹後歴史街道(小畑 金谷〜大江 室尾谷 約3キロ)の看板がある。かつては生活の道、今は歴史の道として、整備の手が入っているのだろう。 |
その他周辺情報 | 綾部市境巡り全10日の記録一覧 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/search_record.php?place=%B0%BD%C9%F4%BB%D4%B6%AD&uname=daisukena&request=1 |
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感想
2022年5月から綾部市境を巡る縦走を開始。テント泊で一気に行きたいところだがまずは日帰りで線をつないでいく。
今日は、先日歩き終えた金谷峠から市境に復帰し、由良川平野部の私市を目指す。半日程度のコースだったので、あやバスで金谷峠に近い小畑中バス停までいって、そこから金谷峠の入口まで舗装道を歩いて移動した。山に入っていく道の入口には、丹波丹後歴史街道(小畑 金谷〜大江 室尾谷 約3キロ)の看板がある。かつては生活の道、今は歴史の道として、整備の手が入っているのだろう。
まず、ちょっと嬉しかったことを1つ。先日金谷峠から下山した際、里に降りる峠道の途中で目詰まりを起こしていた排水管の土砂を取り除いて水を通したのだが、1週間経っても排水がしっかりと機能していた。峠道に水が流れてしまい道が削られていた状態のだが、排水管に再び水を通したことで道の保全に一役買ったんじゃないかなぁと嬉しい気持ちになった。
そこから少し峠に近づいたところにも、水が峠道に流れてしまっている箇所があった。そこは道に水が流れたままの状態で10年くらいの月日が経ってしまったのだろう。道は大きく陥没してしまっていて既に歩きにくい状態で、獣などが迂回に使っている別のルートが新たな人の道になりつつあるようだった。ただもう少し上流に登っていくと、水の流れを変えられそうなポイントがあったので、水が峠道ではなくすぐそばの川に流れるよう、ストックと足を使って簡単な治水工事?を行った。近くの集落の人たちは、かつてはこうした峠道の整備を定期的に行っていたのだろう。自分もそうした「道普請」に少しだけ加われる気がして20分くらい夢中で作業した。そのせいで予定時間より少し遅れてしまった。
空山までの尾根はアップダウンがあり少し時間はかかったけれど、歩きやすかった。空山は、頂上がちょっとした広場のようになっていて、その周りを道のような狭い平坦な部分が囲んだ地形になっている。守備の堅い山城のような感じがしたのだが、少し調べても、空山が山城だったというような話は出てこなかった。山城だったというのは僕の思い過ごしかもしれないが、何かのための人為的な地形であることは間違いと思う。
空山から三坂峠までの道もなだらかで歩きやすい。三坂峠に降りる手前の下りはいくつか踏み跡があってやや複雑だが、どのルートをとっても峠道には辿り着けるので、そこから峠に復帰すれば良い。その後は小刻みなアップダウンを繰り返して袋峠に到着。国土地理院の地図とはややずれているが、地形通りのところに尾根を切り込んだ小ぶりな峠があった。
袋峠を越えると、市境は不可解なルートを取る。これまで稜線を通っていた市境は綾部側の谷に降り、そして峠のような地形のあたりで稜線に復帰、その後しばらくして再び稜線から外れて福知山市側に降りていく。この市境と稜線の食い違いの背景にあるのは、戦後になって旧佐賀村が福知山市と綾部市に分割して編入され、その市境となった私市の集落も2つの市に分割されたことが原因だろうと思われる。現在でも「福知山市私市」と「綾部市私市町」が市境を隔てて隣接する。
旧佐賀村はなぜ2つの市に分割されたのだろう。その要因を分析した論文を見つけた。論文では、旧佐賀村には「奥佐賀」と「口佐賀」という異なる生活圏が合わさっていたこと、そのうち奥佐賀では戦後になってカトリックへの集団改宗が進み、キリスト教の受容が進んでいた奥佐賀と私市の西側が福知山市にまとめて編入されることになり、残りが綾部市に編入された、とする説が論じられていた。こうした込み入った事情により、私市の集落の人たちの当時の土地所有に沿う形で市境が引かれたと考えると、稜線から外れて引かれた市境の背景が浮かび上がってくる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg/58/4/58_357/_pdf
市境巡りとしてはその複雑な市境の上を歩く選択肢もあったのだが、市境を厳密に歩くことよりも綾部を囲む山々の全体像を掴むことが僕の市境巡りの目的だったので、綾部側の谷には下りずに引き続き稜線を進み、私市円山古墳を目指した。すると西側に少し気になる谷の地形が見えて、少し迷ったのだが結局、この私市の谷を散策することにした。
谷の奥まったところには平坦な広い湿地帯があり、それが人の手によって造成されて田んぼとして使われていたように見える。谷に湧き出た水を活用するための水路も整備されている。田んぼはやがて杉林に転用されたようで今では杉林になっているが、場所によっては下草が生えて荒れているところもある。瓦やタイルが散乱している箇所もあり、かつては作業小屋なども建っていたのだろう。昔の車がナンバープレートの外された状態で捨てられていて、リアガラスが割れ、車内のシートには苔が生えている。この谷はいつ頃、開拓されたのかは分からないが、日本の農村の近現代史を垣間見るような風景だった。
僕は2016年あたりから登山に徐々に惹かれていって、綾部に引越したことをきっかけに綾部の市境巡りを始めた。その当時はなぜ自分が山に惹かれるのかはよくわからなかったが、こうして歩いているうちに、自分は「自然」そのものよりも、人々がその土地でどんな暮らしを歩んできて、それが歴史のどのような流れの中にあるのかという「人間」にやはり興味があるのだなということが、次第に分かってきた。もしかしたらそれが綾部市境巡りの一番の収穫だったのかもしれない。
大きなため池を左手に見ながら里に降りていくと、佐須我神社があった。前にも書いたが、境内には遥拝所と書かれた石柱が設置されており、高嶽に向かっているようにも見える。こうして綾部市境を巡る山歩きは9割方終わり、残すはシデ山〜洞峠の区間のみとなった。
コメント
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次回はシデ山ー洞峠とのこと、11月中旬が紅葉のベストです。ぜひ。
鳥垣渓谷〜シデ山〜洞峠〜古屋は、11月中旬の紅葉がベストとお聞きしたので、今週土曜に歩くことにしました。楽しみです!
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