綾部市境10 鳥垣渓谷 シデ山 上林峠 中津灰 洞峠 古屋
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- GPS
- 08:55
- 距離
- 13.3km
- 登り
- 1,022m
- 下り
- 883m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年11月の天気図 |
---|---|
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
2022年5月から綾部市境を巡る縦走を開始。テント泊で一気に行きたいところだがまずは日帰りで線をつないでいく。 今回は綾部市境の南東を巡るルート。京丹波町との境界がほとんどで、同峠付近のみ南丹市美山町との境界。歩きやすそうなルートだったので今回は4人組でのハイキング。最初は鳥垣渓谷づたいに川を何度も渡りながら登り、稜線に出たらそこは紅葉街道。アップダウンを繰り返すことで地質や植生の具合も少しずつ変化し、また太陽光の角度も変わりながら、さまざまな表情を見せてくれる。 |
その他周辺情報 | 綾部市境巡り全10日の記録一覧 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/search_record.php?place=%B0%BD%C9%F4%BB%D4%B6%AD&uname=daisukena&request=1 |
写真
感想
2022年5月から綾部市境を巡る縦走を開始。テント泊で一気に行きたいところだがまずは日帰りで線をつないでいく。
今回は綾部市境の南東を巡るルート。京丹波町との境界がほとんどで、洞峠付近のみが南丹市美山町との境界。比較的歩きやすそうなルートだったので、今回は妻と友人を誘って4人組でのハイキング。最初は鳥垣渓谷づたいに川を何度も渡りながら登っていく。稜線に出るとそこは紅葉街道。尾根を歩きアップダウンを繰り返すうちに地質や植生が少しずつ変化し、時間の経過に伴って太陽光の角度も変わりながら、さまざまな表情を見せてくれた。
以前、シデ山から鳥垣渓谷に下山したときは、日没が迫っていたので「かみおりと登山口」に下りてきたのだが、今回は念願の渓谷沿いの道を登る。石を足場に川を跨いでいくこと7-8回、特に渡りにくいとは感じなかったが、もしかしたら水量が多いタイミングだと少し難しいかもしれない。最後の滝を過ぎた後の斜面を登る道が細くて慎重な足運びが必要だったが、それを過ぎれば「かみおりと登山口」からの道と合流して歩きやすくなる。
みと広場を越えてしばらく登ると稜線に出る。せっかくここまできたのでシデ山に立ち寄って景観を楽しんだ後、稜線を東に向かって歩く。
稜線は途中やや急勾配なところもあるが、全般的に歩きやすい。稜線上に古道の跡がないのは、上林街道が北側をほぼ同じ角度で通っていること、南側(京丹波町)は山間地で人口があまり多くないこともあり、稜線を東西に移動する必然性がなかったかもしれない。南北を通過する峠道としては、上林峠があり、近畿自然歩道の案内看板やベンチが設置されていた。他にも峠のような地形が1-2箇所あった気もするが、明確な跡は見つけられなかった。
古屋への下りは、当初は大トチやモーモーさんの湧水を通るルートを考えていたが、洞峠で同行者の体力が限界を迎えたようなので、古屋までの最短ルートで下山。朝ご飯をあまり食べてなかったようなので、もしかしたらハンガーノックかもしれない。大トチは次回かな。頭巾山もまた登りたい。
今回この山行で、綾部市境を周回できたことになる。全10日の行程だったが丸1日歩かなかった日もあるので、僕の足だと丸8日くらいで1週できたことになる。もう1周するとしたら、テント泊で1週間一気に回るのもいい。その場合は、湧水などから水を補給するなどのテクニカルな検討も楽しそう。あとは、もっとゆっくり歩いて道中をより細かく観察するのも悪くない。色々観察できたら地図を作るのも面白そう、などなど、妄想が止まらない。
綾部市境を一周しようと思ったのは、昨年1月に綾部に引越してきたのがきっかけだった。周囲を山に囲まれた借家に住みながら、家の窓から見える山を毎日眺めているうちに、その山の中がどうなっているかを知りたいと思ったからだった。もともと山を歩くのが好きだったので、近くの山を歩くだけでなく市境を一周すれば、自分の住むエリアの山だけでなく、周囲の山々の傾向が見えてくるかもしれないと思ったからだ。
市境を1周してみて、特に印象に残ったことがある。人の営みの痕跡を山の中にたくさん発見したことだ。稜線を歩いていると実にたくさんの古道を見かける。そこにはたくさんの人が通った痕跡や、かつて誰かが道を整備した痕跡があった。そうした道の半数以上は、国土地理院の地図すら載っていない。今の地元の人の記憶からも消えつつある、忘れ去られた道である。
山の道はもともと、山間部では交通のメインルートだった。谷に沿って移動すると川を何度も渡る必要があるから、実は山を超えた方が楽である。橋がなければ川を渡れないし、川沿いは大雨で道が荒れたり橋が流されることもある。渡船を使う方法もあるが、今度はお金や時間がかかってしまうし、川沿いはそもそも土地が狭くて通行できないこともある。
現代社会で暮らしていると、現在の舗装された道路を通るのが当たり前のことだとつい捉えてしまうのだが、舗装された道をマイカーが走るようになったのは今から40-50年前の話である。国道が整備され始めたのは明治以降で、舗装道路が本格的に普及したのは戦後になってからだという。1970年時点での自動車の保有台数は1,760台(4世帯に1台という記述もある)だった。僕より年上の方々は、田舎でも車がなかった時代の生活のことを記憶していらっしゃるだろうが、僕はその時代を体験していないし、誰かから直接話を聞いたこともないから実感が湧かない。車がない田舎暮らしをもはや想像することができない。
https://rekishi-memo.net/showajidai/mycar_boom.html
https://www.iatss.or.jp/common/pdf/publication/iatss-review/33-3-05.pdf
また、山道を歩いていると、山奥の谷間にあるちょっとした平坦な土地に、棚田が作られていた跡が多数見てとれたことも印象的だった。石積みによって形成された数々の小さな棚田を見ると、この谷でたくさんの人たちが、水田開拓のために働いていたであろうことが分かる。田植えや収穫の時期には多くの人が田畑に並び、農作業をしていたのだろう。そして田畑はやがて、時代の変遷に伴って植林されたスギ林となり、輸入木材自由化による材木価格の下落によって林業が維持できなくなり、一部は荒れ果てた林となっている。
今では過疎が進む綾部市だが、かつては山奥の谷でも人々が働いていた。稲刈り機がない時代には、平地の田畑にもたくさんの人が働いていただろう。その人たちは一体どこに行ったのか。この古道や棚田を作った人たちの子孫は、いまでもここにその跡があることを知っているだろうか。縄文や弥生時代の遺跡が発掘されても謎が多いのは当然だ。でもこの古道や棚田は50-100年前は現役だったのに、今ではその歴史や、その痕跡の存在すら忘れられている。
僕らが学校で学んだ歴史とは何だったのだろう。鎌倉幕府や徳川家康については知っていても、つい最近起きた身近な歴史のことを、僕らは驚くほど何も知らない。
コメント
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お疲れ様でした。全10日間ですが、さすがにお若いと足が速い。
それはともかく、紅葉は旬を過ぎてましたね。11月初旬の方がよかったかも。中旬ベストなんて言ってしまってスミマセン。
さて、2巡目の構想に入っておられるようで、2巡目も期待します。
ボクの方は、気になっている枝道、峠道を歩いてみようと思っています。
それではまた。
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