230115の(2) 風戸峠から往復した石尊山と赤穂浪士の石像
- GPS
- 00:28
- 距離
- 1.2km
- 登り
- 81m
- 下り
- 62m
コースタイム
- 山行
- 0:27
- 休憩
- 0:02
- 合計
- 0:29
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | 甘楽PA |
写真
感想
本日2座目の「ぐんま100名山」にやってきました。雨が降り出すまでにまだ少し時間がありそうなので、せっかくだからもう一つ行っておきましょうという感じです。ここで、一つ行っておくかどうかで後日何か変わるかもしれない、その可能性があるんだったら行っておくべきでしょう。
石尊山は、周りの山も含めて半日かけて味わうか、山頂ピストンで登ってしまうことができるのでそうするか分かれる山だと思います。地元の人であれば、この辺りの山や観光なども含めて半日かけてみるでしょうし、場合によっては赤線繋ぎもあるかもしれませんね。
私は、とにかく山頂にたどり着いたという事実が欲しいので、山頂近くにある駐車スペースに車を置いてピストンしてしまいます。今回も、あっという間に山頂まで辿り着きました。
山頂では、階段の方から登ってこられたご夫婦の方と少々話をしました。ご夫婦もさんちょうぴすとんですが、階段を使った高低差があるコース。私は尾根道のコースでした。コースとしては尾根道のコースの方が圧倒的に楽です。
山頂は歴史がある雰囲気、祠などがあり、この地域でよく知られている山であろうことは容易に想像できました。三角点は四等三角点で可愛らしいものでした。
このレコのメインは、下山してから訪れた「元助」さんが作った赤穂四十七士の観音像です。
この地で生まれ、赤穂浅野家の家臣に下僕として支えていた元助さん、忠臣蔵事件で主人も亡くし、この地で主人を含む赤穂浪士の霊を慰めるために観音様を掘り並べていきました。ここが、観光地になっていました。
忠臣蔵は有名な事件ですのでそれについてとやかく書くことはしませんが、そこから派生する物語が日本中に広がっているのだなあと感心しました。
また、元助さんは、その後「向西坊」と名を変え、全国各地を巡礼し赤穂浪士の供養と仏道による民の救済を行なっておりました。
たどり着いたのが、房州和田浦で、烏場山の花嫁街道・花婿街道ハイキングコース近くにある岩窟で断食ののち入定しました。現在は、房州和田浦長香寺に供養塔が建てられています。
花嫁街道・花婿街道ハイキングコースはかつて行ったことがあるところです。そんなところにこの物語が繋がっている事に驚きました。
その後、、昼食をとり、パーキングエリアで休息しながら帰宅しました。
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