記録ID: 5096290
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ハイキング
六甲・摩耶・有馬
歴史悲話を辿る・丹生山系縦走!
2023年01月15日(日) [日帰り]
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:03
- 距離
- 15.6km
- 登り
- 1,044m
- 下り
- 935m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:19
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 5:55
過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
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アクセス |
写真
撮影機器:
感想
今回は前から気になっていた丹生山系の歴史を訪ねての縦走です。冬の肌寒い曇天の中、六甲山系越しに明石海峡から淡路島を眺めながら、清盛、義経、秀吉にまつわる丹生山から稚児ケ墓山、花折山を辿る充実した山行でした。以下、参考文献を元に山の歴史秘話を私見を交えて要約してみました。
◇丹生山
平安末期の"丹生山田の里"は清盛の所領の荘園で"丹生山"山頂に明要寺を再興。清盛の死後、後白河上皇から平家追討の命を受けた義経は丹波から"三草山"を経て"丹生山"で平家を討ち負かし、一気に"鵯越え"をして"一ノ谷の合戦"へ。丹生山の"義経道"は平家滅亡への足跡の一部です。"帝釈山"の山頂からの眺望は義経の足跡を追うことが出来ます。
◇稚児ケ墓山
戦国時代末期、信長に叛いた別所長治の三木城攻めの命を受けた秀吉が、兵糧を三木城に送る途中、別所側についた"丹生山・明要寺"にいた僧兵達を焼き討ちにしました。明要寺にいた稚児達は尾根伝いに逃げましたが捉えられ容赦なく殺されました。これを哀れみ里人がねんごろに葬り、椿を傍らに植えたのが"稚児ケ墓山"です。山道の途中、白い幹の椿が群生していて足元の枯葉の上に真っ赤な鮮やかな"椿"の花が散っていました。
◇花折山
稚児ケ墓山に続く東の山は、稚児の墓に添える花を手折ったことから"花折山"と名付けられました。
山田民族保存会によって"椿"が植樹され、石碑には
「里山の手向けの椿 咲くらんか
稚児の山並み 春霞みたる」が刻まれています。
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