京阪電車・石山坂本線「近江神宮前駅」、ここが今日のミニハイク「近江大津宮跡を歩く」のスタート地点です。
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京阪電車・石山坂本線「近江神宮前駅」、ここが今日のミニハイク「近江大津宮跡を歩く」のスタート地点です。
いい天気になりました。踏切を渡って西側の「坂本方面行ホーム」側に回って来ました。ホーム裏側の道を画面の奥方向(北方向)に進みます。道の左側は住宅街です。
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いい天気になりました。踏切を渡って西側の「坂本方面行ホーム」側に回って来ました。ホーム裏側の道を画面の奥方向(北方向)に進みます。道の左側は住宅街です。
ホームの柵に、「住所地番図」が掛けられていました。これで見ると大津宮跡の中心部は、石山坂本線・線路から下側(西側)の錦織二丁目8番、9番地。そして県道47号線を挟んだ西側の錦織一丁目1番、7番、8番、9番地付近と想定され、「現在地」も含まれているようです。
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ホームの柵に、「住所地番図」が掛けられていました。これで見ると大津宮跡の中心部は、石山坂本線・線路から下側(西側)の錦織二丁目8番、9番地。そして県道47号線を挟んだ西側の錦織一丁目1番、7番、8番、9番地付近と想定され、「現在地」も含まれているようです。
ホームの終端付近まで来ると、左手(西側)にポッカリと空き地がありました。入り口に、「史跡 近江大津宮錦織遺跡 第4地点」の小さな案内標識がありました。
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ホームの終端付近まで来ると、左手(西側)にポッカリと空き地がありました。入り口に、「史跡 近江大津宮錦織遺跡 第4地点」の小さな案内標識がありました。
入ったところにある「史跡 近江 大津宮錦織遺跡 第4地点」(昭和62年12月25日追加指定)の説明板です。テーブルに緩い傾斜を付けたような形で南向きに設置されているので、近づくと影が映り写真を撮る時苦労します。ここからは、南北に延びる塀跡と思われる柱跡3基が発見されました。
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入ったところにある「史跡 近江 大津宮錦織遺跡 第4地点」(昭和62年12月25日追加指定)の説明板です。テーブルに緩い傾斜を付けたような形で南向きに設置されているので、近づくと影が映り写真を撮る時苦労します。ここからは、南北に延びる塀跡と思われる柱跡3基が発見されました。
「説明板」の地図。
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「説明板」の地図。
「第4地点」に、この色塗りされた「遺跡地図」があるという事を聞いていて探してましたが、今はもうありませんでした。スマホで「大津宮遺跡地図」を検索して見つけましたので、この地図を参考にして遺跡巡りをします。右下のピンク色の区画が、この「第4地点」です。続いて黄色の区画を、「第8地点〜第1〜第2〜第7〜第9〜第3〜第5〜第6地点」の順に巡ります。
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「第4地点」に、この色塗りされた「遺跡地図」があるという事を聞いていて探してましたが、今はもうありませんでした。スマホで「大津宮遺跡地図」を検索して見つけましたので、この地図を参考にして遺跡巡りをします。右下のピンク色の区画が、この「第4地点」です。続いて黄色の区画を、「第8地点〜第1〜第2〜第7〜第9〜第3〜第5〜第6地点」の順に巡ります。
「第4地点」から駅ホーム沿いの道を駅前踏切まで戻り、右折して西方向に少し歩くと「第8地点」です。西側には、南北に県道47号線が通っています。
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「第4地点」から駅ホーム沿いの道を駅前踏切まで戻り、右折して西方向に少し歩くと「第8地点」です。西側には、南北に県道47号線が通っています。
「大津宮錦織遺跡 第8地点」に入ります。平成11年1月14日に、追加指定されました。
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「大津宮錦織遺跡 第8地点」に入ります。平成11年1月14日に、追加指定されました。
ここは未発掘ですが、位置関係から「内裏南門」の一部と考えられています。西側を走る県道47号線は、大津宮の南北中軸線に相当しているようです。次は県道を北方向に歩いて、「第1地点」に向かいます。
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ここは未発掘ですが、位置関係から「内裏南門」の一部と考えられています。西側を走る県道47号線は、大津宮の南北中軸線に相当しているようです。次は県道を北方向に歩いて、「第1地点」に向かいます。
「大津宮錦織遺跡 第1地点」の入り口です。
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「大津宮錦織遺跡 第1地点」の入り口です。
ここは、広く大きな遺跡です。
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ここは、広く大きな遺跡です。
ここからは、回廊と柵の跡が発掘されました。昭和54年7月2日、国史跡に指定。
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ここからは、回廊と柵の跡が発掘されました。昭和54年7月2日、国史跡に指定。
説明板。「大津宮」は、天智天皇によって西暦667年3月に飛鳥から遷都された都ですが、「壬申の乱(672年)」で近江朝廷側が大海人皇子軍に敗れた事により、再び飛鳥に遷都され廃都となってしまいました。約5年5カ月間という、短命の都でした。
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説明板。「大津宮」は、天智天皇によって西暦667年3月に飛鳥から遷都された都ですが、「壬申の乱(672年)」で近江朝廷側が大海人皇子軍に敗れた事により、再び飛鳥に遷都され廃都となってしまいました。約5年5カ月間という、短命の都でした。
北側の一段高い場所に「志賀宮址」碑がありました。明治28年(1896年)に、当時の滋賀県知事と官幣大社日吉大社宮司の連名の元、大津町長により建立されました。「天智天皇が飛鳥から大津宮に移り、国を治めた」という伝承の記された大きな石碑。昭和49年以降の発掘調査により「大津宮跡」が伝承でなく、実在した事が証明されました。
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北側の一段高い場所に「志賀宮址」碑がありました。明治28年(1896年)に、当時の滋賀県知事と官幣大社日吉大社宮司の連名の元、大津町長により建立されました。「天智天皇が飛鳥から大津宮に移り、国を治めた」という伝承の記された大きな石碑。昭和49年以降の発掘調査により「大津宮跡」が伝承でなく、実在した事が証明されました。
左手に、大津宮跡を訪れて詠んだ「柿本人麻呂の歌碑」。
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左手に、大津宮跡を訪れて詠んだ「柿本人麻呂の歌碑」。
柿本人麻呂の歌碑の説明文です。ひと通り見た後、県道に降りて「第2地点」に向かいます。
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柿本人麻呂の歌碑の説明文です。ひと通り見た後、県道に降りて「第2地点」に向かいます。
北方向に少し歩くと、「大津宮錦織遺跡 第2地点」です。入り口に、この地域の地名「錦織(にしこおり)」についての説明板がありました。
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北方向に少し歩くと、「大津宮錦織遺跡 第2地点」です。入り口に、この地域の地名「錦織(にしこおり)」についての説明板がありました。
県道から石段を登って、見学します。この付近の県道47号線は道路勾配の関係で、扇状地の低い丘陵部を横断する形で掘削し、整備されました。その為両側の住宅地とは、段差(高低差)が見られます。
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県道から石段を登って、見学します。この付近の県道47号線は道路勾配の関係で、扇状地の低い丘陵部を横断する形で掘削し、整備されました。その為両側の住宅地とは、段差(高低差)が見られます。
この「大津宮錦織遺跡 第2地点」は、天智天皇が政(まつりごと)を行った「内裏正殿」跡と考えられています。
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この「大津宮錦織遺跡 第2地点」は、天智天皇が政(まつりごと)を行った「内裏正殿」跡と考えられています。
発掘された柱列跡が、復元されています。西方向を見ると、植垣終端の一段下には県道47号線が南北に通り、その向こう側の一段上には「大津宮錦織遺跡 第7地点と、第9地点」が見えます。そこまで、内裏正殿の建物が拡がっていたと考えられています。次は県道に降りて、向かい側の「第7地点」と「第9地点」に向かいます。
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発掘された柱列跡が、復元されています。西方向を見ると、植垣終端の一段下には県道47号線が南北に通り、その向こう側の一段上には「大津宮錦織遺跡 第7地点と、第9地点」が見えます。そこまで、内裏正殿の建物が拡がっていたと考えられています。次は県道に降りて、向かい側の「第7地点」と「第9地点」に向かいます。
東方向を、振り返って見ています。画面奥右手の「第2地点」から県道47号線を渡り、西方向に向かう坂道を登って、ここまで来ました。右手(南側)は「第7地点」。左手(北側)は「第9地点」です。
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東方向を、振り返って見ています。画面奥右手の「第2地点」から県道47号線を渡り、西方向に向かう坂道を登って、ここまで来ました。右手(南側)は「第7地点」。左手(北側)は「第9地点」です。
県道西側の「大津宮錦織遺跡 第7地点」前です。ここはフェンスで囲まれて、入る事が出来ませんでした。
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県道西側の「大津宮錦織遺跡 第7地点」前です。ここはフェンスで囲まれて、入る事が出来ませんでした。
ここは未発掘ですが、位置関係から「内裏正殿」の西南部と、考えられています。
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ここは未発掘ですが、位置関係から「内裏正殿」の西南部と、考えられています。
拡大「第7地点の説明板」。
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拡大「第7地点の説明板」。
道を挟んだ北側は、「大津宮錦織遺跡 第9地点」です。こちらは、「内裏正殿」の西部と考えられています。次は「第3地点」に向かいます。
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道を挟んだ北側は、「大津宮錦織遺跡 第9地点」です。こちらは、「内裏正殿」の西部と考えられています。次は「第3地点」に向かいます。
少し西方向に歩いて、次の四辻で左折し、南方向に歩くと道が右カーブして行きます。少し進むと左側に分岐があり左折すると、その先が「大津宮錦織遺跡 第3地点」です。
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少し西方向に歩いて、次の四辻で左折し、南方向に歩くと道が右カーブして行きます。少し進むと左側に分岐があり左折すると、その先が「大津宮錦織遺跡 第3地点」です。
「第3地点」の様子です。
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「第3地点」の様子です。
ここからは、内裏南門の西側に続く塀跡が発見されました。これと同じような塀跡は、東側にある「第4地点」でも発見されました。
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ここからは、内裏南門の西側に続く塀跡が発見されました。これと同じような塀跡は、東側にある「第4地点」でも発見されました。
「第3地点」から前記の四つ辻まで戻り、更に北方向に進み「大津宮錦織遺跡 第5地点」前に着きました。ここは駐車場として利用されていました。
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「第3地点」から前記の四つ辻まで戻り、更に北方向に進み「大津宮錦織遺跡 第5地点」前に着きました。ここは駐車場として利用されていました。
「第5地点」の説明板等を探しましたが、見つかりませんでした。北西隅まで来ると、通路を挟んだ北側に「大津宮錦織遺跡 第6地点」が見えます。しかも通路に降りる出入り口があり、近道となるので利用させて頂きました。
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「第5地点」の説明板等を探しましたが、見つかりませんでした。北西隅まで来ると、通路を挟んだ北側に「大津宮錦織遺跡 第6地点」が見えます。しかも通路に降りる出入り口があり、近道となるので利用させて頂きました。
「大津宮錦織遺跡 第6地点」です。ここも広々としています。奥の家屋の向こう側には、道路を挟んで柳川が流れており、柳川の向こう岸は近江神宮の境内になります。探しましたが、ここも説明板等は見つかりませんでした。以上で、計9か所 の「大津宮錦織遺跡」巡りを終えました。ここから西側の山裾を通る「東海自然歩道」等を歩き、皇子山古墳〜皇子が丘公園〜新羅善神堂〜弘文天皇長等山前陵を目指します。
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「大津宮錦織遺跡 第6地点」です。ここも広々としています。奥の家屋の向こう側には、道路を挟んで柳川が流れており、柳川の向こう岸は近江神宮の境内になります。探しましたが、ここも説明板等は見つかりませんでした。以上で、計9か所 の「大津宮錦織遺跡」巡りを終えました。ここから西側の山裾を通る「東海自然歩道」等を歩き、皇子山古墳〜皇子が丘公園〜新羅善神堂〜弘文天皇長等山前陵を目指します。
住宅街の急な坂道を登り、小高い丘の上にある「皇子山古墳」の登り口までやって来ました。皇子山古墳は古墳時代の初めに造られ、近江では最も古いと言われています。
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1/20 11:52
住宅街の急な坂道を登り、小高い丘の上にある「皇子山古墳」の登り口までやって来ました。皇子山古墳は古墳時代の初めに造られ、近江では最も古いと言われています。
皇子山古墳への登り口。結構段差のある階段です。
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皇子山古墳への登り口。結構段差のある階段です。
ジグザグに登って行きます。久し振りの丸太階段です。
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ジグザグに登って行きます。久し振りの丸太階段です。
結構!、急な登りです!。
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1/20 11:56
結構!、急な登りです!。
葺石で覆われた大きな古墳前まで、登って来ました。名称は「皇子山1号墳」。全長約60mの前方後方墳、前方部25m、後方部35mで、四世紀後半頃の築造と考えられています。
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葺石で覆われた大きな古墳前まで、登って来ました。名称は「皇子山1号墳」。全長約60mの前方後方墳、前方部25m、後方部35mで、四世紀後半頃の築造と考えられています。
古墳の前には、東側・琵琶湖方面の展望図が設置されていましたが、今は樹木が茂り過ぎ展望がききません!。休憩用のベンチもありました。
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1/20 12:00
古墳の前には、東側・琵琶湖方面の展望図が設置されていましたが、今は樹木が茂り過ぎ展望がききません!。休憩用のベンチもありました。
古墳を見上げながら、登り口に向かいます。今見えている姿は復元した展示用で、実際の古墳上全体に保護用の盛り土をして、同じように葺石を敷き詰めたものです。少し外形は高く長くなりますが、見た目には変わりません!。安全に永く保存出来るので、いい方法ですね!。
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古墳を見上げながら、登り口に向かいます。今見えている姿は復元した展示用で、実際の古墳上全体に保護用の盛り土をして、同じように葺石を敷き詰めたものです。少し外形は高く長くなりますが、見た目には変わりません!。安全に永く保存出来るので、いい方法ですね!。
登り口まで来ました。この階段も、盛り土の上に造られたものです。
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登り口まで来ました。この階段も、盛り土の上に造られたものです。
古墳上に、登って来ました。玄室部を示す枠組みが見えます。
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古墳上に、登って来ました。玄室部を示す枠組みが見えます。
ひと回りします。
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ひと回りします。
東方向の眺めです。西大津のランドマークタワー、やはり、写っていますね!。
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東方向の眺めです。西大津のランドマークタワー、やはり、写っていますね!。
北西方面。右側のピークが、宇佐山と宇佐山城址です。下は、湖西道路。
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北西方面。右側のピークが、宇佐山と宇佐山城址です。下は、湖西道路。
西南方向、長等山方面です。千石岩は、山影になるのか見えません。
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西南方向、長等山方面です。千石岩は、山影になるのか見えません。
同上。山の中腹に千石台団地。
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同上。山の中腹に千石台団地。
西方向。水車谷方面。谷あいを登って行くと、如意が岳〜大文字山に繋がり、銀閣寺前に降り立ちます。直線距離だと、10劼發△蠅泙擦鵝。画面中央の右寄りの山上に、比叡平団地のビルが見えます。昭和の良き時代、比叡平や千石台の高台に住むのがステータスと言った風潮がありました。
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西方向。水車谷方面。谷あいを登って行くと、如意が岳〜大文字山に繋がり、銀閣寺前に降り立ちます。直線距離だと、10劼發△蠅泙擦鵝。画面中央の右寄りの山上に、比叡平団地のビルが見えます。昭和の良き時代、比叡平や千石台の高台に住むのがステータスと言った風潮がありました。
古墳上から北東方向の眺めです。下に「展望図」やベンチが見えます。こうして見ると、奇麗なススキ原です。復路はベンチ横に下る道があり、そこを通って「皇子山2号墳」に寄り道します。
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1/20 12:11
古墳上から北東方向の眺めです。下に「展望図」やベンチが見えます。こうして見ると、奇麗なススキ原です。復路はベンチ横に下る道があり、そこを通って「皇子山2号墳」に寄り道します。
下る途中で振り返ると、古墳の全景が見えました。
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1/20 12:13
下る途中で振り返ると、古墳の全景が見えました。
「皇子山2号墳」前です。円墳ということですが、ススキが生い茂り、輪郭がつかめません!。
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1/20 12:16
「皇子山2号墳」前です。円墳ということですが、ススキが生い茂り、輪郭がつかめません!。
「皇子山2号墳(円墳)」。東西径 約20m。南北径 約23mの円墳です。弥生時代の築造と考えられています。
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1/20 12:16
「皇子山2号墳(円墳)」。東西径 約20m。南北径 約23mの円墳です。弥生時代の築造と考えられています。
下るにつれて、また視界が出て来ました。
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1/20 12:17
下るにつれて、また視界が出て来ました。
琵琶湖対岸の左手に津島山、右手に三上山(近江富士)が見えます。
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琵琶湖対岸の左手に津島山、右手に三上山(近江富士)が見えます。
皇子山古墳から降りて、高台の道を西南方向に歩いて行きます。この付近の眺めは最高です!。
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1/20 12:31
皇子山古墳から降りて、高台の道を西南方向に歩いて行きます。この付近の眺めは最高です!。
皇子が丘公園に入り南方向に歩いていると、早尾神社や山上不動尊に登る石段前を通ります。確か石段は85段程あったと思います。ここも千石岩や、長等山テラス〜三角点〜如意が岳〜大文字山方面への登山道としてよく利用されています。
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1/20 12:38
皇子が丘公園に入り南方向に歩いていると、早尾神社や山上不動尊に登る石段前を通ります。確か石段は85段程あったと思います。ここも千石岩や、長等山テラス〜三角点〜如意が岳〜大文字山方面への登山道としてよく利用されています。
大津市営のテニスコートを左下に見ながら、歩いて行きます。右手にある大津市営の弓道場を超えて少し行くと、道は左カーブして行きます。道なりに歩いて行くと小さな空き地の様な広場に着きました。次はどう行くのか?思案していると、東端に階段の鉄製の手摺が見えます。行ってみると下っていく階段があり、その先は石畳の小道が続いていました。この石畳道はこの付近にしかありません!。そして前には、「新羅善神堂」と「弘文天皇陵」を囲む大きな森が拡がっていました。階段を降りて、石畳道を歩き「新羅善神堂」に向かいます。
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1/20 12:42
大津市営のテニスコートを左下に見ながら、歩いて行きます。右手にある大津市営の弓道場を超えて少し行くと、道は左カーブして行きます。道なりに歩いて行くと小さな空き地の様な広場に着きました。次はどう行くのか?思案していると、東端に階段の鉄製の手摺が見えます。行ってみると下っていく階段があり、その先は石畳の小道が続いていました。この石畳道はこの付近にしかありません!。そして前には、「新羅善神堂」と「弘文天皇陵」を囲む大きな森が拡がっていました。階段を降りて、石畳道を歩き「新羅善神堂」に向かいます。
石畳道の様子です。石畳道は、反対方向(西方向)にも続いており、「新羅三郎義光の墳墓〜三井寺」方面に行くことが出来ます。
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1/20 12:49
石畳道の様子です。石畳道は、反対方向(西方向)にも続いており、「新羅三郎義光の墳墓〜三井寺」方面に行くことが出来ます。
新羅善神堂の参道入り口まで、歩いて来ました。古く大きな石鳥居をくぐって、お参りします。
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1/20 12:55
新羅善神堂の参道入り口まで、歩いて来ました。古く大きな石鳥居をくぐって、お参りします。
参道の周りは古い鬱蒼とした森で、神秘的なものを感じました。道なりに右折すると石段があり、その先には空が開けていました。
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1/20 12:51
参道の周りは古い鬱蒼とした森で、神秘的なものを感じました。道なりに右折すると石段があり、その先には空が開けていました。
古びた石段を登ると、「新羅善神堂」でした。
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1/20 12:52
古びた石段を登ると、「新羅善神堂」でした。
国宝「新羅善神堂」の説明板。三井寺の鎮守社のひとつです。お参りし参道を戻って大鳥居を出ると、すぐ前は「弘文天皇陵」への入り口でした。
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1/4 12:26
国宝「新羅善神堂」の説明板。三井寺の鎮守社のひとつです。お参りし参道を戻って大鳥居を出ると、すぐ前は「弘文天皇陵」への入り口でした。
「弘文天皇 長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)」の入り口です。大友皇子は、「山前(やまさ き)」で亡くなったとの記録があり、地名なのか?。山の前(まえ)、すなわち山の先(さき)なのか?、議論されましたが不明のままでした。しかし御陵地選定にあたり、宮跡に近い長等山の前まで来て亡くなったとの説が有力となり、この地に決まりました。
「参拝します。」
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1/20 12:59
「弘文天皇 長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)」の入り口です。大友皇子は、「山前(やまさ き)」で亡くなったとの記録があり、地名なのか?。山の前(まえ)、すなわち山の先(さき)なのか?、議論されましたが不明のままでした。しかし御陵地選定にあたり、宮跡に近い長等山の前まで来て亡くなったとの説が有力となり、この地に決まりました。
「参拝します。」
玉砂利を踏み締めて!。
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1/20 13:00
玉砂利を踏み締めて!。
「弘文天皇 長等山前陵」です。
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1/20 13:00
「弘文天皇 長等山前陵」です。
参拝を済ませて、御陵から出て来ました。北方向に少し歩くと瀟洒な「フリアン 山ノ上迎賓館」前です。ここで右折して県道47号線に出て、ゴールの「JR湖西線・大津京駅」に向かいます。
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1/20 13:03
参拝を済ませて、御陵から出て来ました。北方向に少し歩くと瀟洒な「フリアン 山ノ上迎賓館」前です。ここで右折して県道47号線に出て、ゴールの「JR湖西線・大津京駅」に向かいます。
県道47号線に出て来ました。この付近では、大津市役所前を南北に通っており、歩道の植え込みには大津名物の「大津絵」が、説明付きで展示されており、歩くと自然に目に入ります。
大津絵「大黒と外法の角力」松山 作
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県道47号線に出て来ました。この付近では、大津市役所前を南北に通っており、歩道の植え込みには大津名物の「大津絵」が、説明付きで展示されており、歩くと自然に目に入ります。
大津絵「大黒と外法の角力」松山 作
次の植え込みに、「大黒」。
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次の植え込みに、「大黒」。
続いて、「猫と鼠の酒盛り」。
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1/20 13:08
続いて、「猫と鼠の酒盛り」。
続いて、「鬼の寒念仏」。
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続いて、「鬼の寒念仏」。
有名な「藤娘」。
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有名な「藤娘」。
「長刀弁慶」。
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「長刀弁慶」。
「大津絵」を楽しみながら歩いて、次の交差点で右折。京阪・石山坂本線の踏切を超えて左折し、坂道を下って来ました。JR湖西線「大津京駅」前に、無事ゴールイン!。
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「大津絵」を楽しみながら歩いて、次の交差点で右折。京阪・石山坂本線の踏切を超えて左折し、坂道を下って来ました。JR湖西線「大津京駅」前に、無事ゴールイン!。
※おまけ 「ヤマレコアプリ」サービスの歩行データーです。
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※おまけ 「ヤマレコアプリ」サービスの歩行データーです。
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