行者山〜でべそ山〜城山〜経小屋山
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- GPS
- --:--
- 距離
- 8.7km
- 登り
- 767m
- 下り
- 759m
コースタイム
- 山行
- 3:45
- 休憩
- 1:55
- 合計
- 5:40
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
大野IC前を通過した先に『妹背の滝公園』第一駐車場、第二駐車場あり。 大頭神社参拝客が利用するため、七五三、秋祭り等と重なる日は駐車量増加に注意。 ※アクセスの容易さでいえば、高速を利用して大野ICから向かうのが便利。 なにせ、インターを出て前方の信号を右折すれば10秒で到着。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
『大頭神社〜行者山』 踏み跡はあるものの、全体的に不明瞭。 『行者山〜城山』 『でべそ岩』から少し下ると十字路のような分岐点があるが、城山に向かうには直進。 更にその先、シダに隠れて見えにくいが、登山道にポッカリと穴が開いてる箇所有(写真) 『城山〜経小屋山』 特になし。 |
写真
感想
育った町、広島県佐伯郡大野町(現廿日市市)の山に久しぶりに登ってみようと思い立つ。
昔住んでいた家の裏にあった山、当時、私を含めた子供たちは、その山を『でべそ山』と呼んでいた。
何故なら、山頂に出べそのような丸く大きな岩があったから。
そして、その岩を『でべそ岩』と呼んでいた。
今から30年以上前。
小学生はインターネットもTVゲームもなく自然の中で遊んでいた(笑
学校が終われば野山に駆け出し、夕暮れまで遊ぶ。
その場所のひとつがこの『でべそ山』や『城山』だった。
山頂から見る下界はまるでミニチュアのようで、自分たちが普段自転車で走り回って遊んでいるエリアがあっさりと一望出来てしまう。
自転車でも10分20分とかかる道も山の上からだと、ほんのわずかな距離に見えた。
あの頃、一度だけ親父と一緒にこの山に登り、でべそ岩へ登ったことがある。
岩へは登ったというより登らされたというほうが適切だったかもしれない。
まるっこい岩には充分な足場は無く、親父に「そこへ右足を置いて、手をもっと上げて割れ目を掴め」
そんな風に指示されるも、滑り落ちるかもという恐怖と戦いながら這い登らなければならなかった記憶がある。
結果、親父の手助けを借りて登った岩だったが、下りる時も怖かったことを覚えている。
※もちろん、その後、友人たちとこの山にも何度となく登って、でべそ岩にも数回登ったことはある。
あの頃の景色を見てみたい。
そして、親父と一緒に登ったあの時、自分独りでは登れなかった岩に今なら登れるのか。
それを確認してみたかった。
今月4日に父が他界、その実感もまだ湧かないこの日、実家へ帰る途中の山行でした。
出発は大頭神社。
子供にとって一大イベントの秋祭りにはごった返す参道も、この日は静か。
ただ、20数年前に開通した山陽道(広岩道路)が参道上を通っているため、残念ながら風情はガタ落ちとなった。
初詣も七五三もここに参拝した。
本殿で登山の無事を祈願して登山口へ向かう。
...といっても、登山口は本殿のすぐ横にあった。
この登山口『行者山登山口』から行者山への道は、元は山岳修験の地の参道で、長い間、その所在が不明になっていたものだそうだ。
http://www.l-co.co.jp/times/backnumber.php?id=843
なので私もこのルートは初。
「では子供の頃はどのコースで?」という話になるが、現在ある城山の主要コースではなく、おそらくもう廃れてしまったものと思われる。
私の登ったコースの登山口は西小学校の北、小山三郎荒神社の付近にあった。
さて、行者山までは道も細く急登で、足を踏み外すとちょっと危ないかもという感じの箇所もある。
登る人も少ないのであろうか、はっきりとした踏み跡ではない。
とはいえ、ルートをロストするほどの厳しいものではない。
15分で行者山に到着。
続いて、でべそ山へと向かう。
あちこちにイノシシのものと思われる食事の痕跡(土を掘り返した跡)がある。
行者山から約20分で『でべそ山』到着。
『でべそ岩』も変わらずそこにあった。
子供の頃、とても大きく感じた岩も、大人になれば「あれ?こんなもんだったっけ?」と感じるのだろうなと思っていたが、その予想は外れた。
「...でかい!」
あの頃と同じ感覚を呼び起こす大きさだった。
「もしかして、この岩...成長してるんじゃ?」と思うほどだ。
ひとつびっくりしたことがある。
この岩は『だんご岩』と呼ばれているらしいのだ。
岩の傍にも消えかかった字で「だんご岩」と書かれた木板があった...
当時、麓にある西小学校に通っていた子供たちは皆「でべそ岩」と呼んでいた。
もしかして、子供たちだけで通用してた名称だったのかと思ったが、私は異を唱える!
たしかに、だんごのような丸っこい岩だ。
しかし、それは山頂で見る場合においてのみ通用する表現だ。
麓から見ると、とてもだんごには見えない。
子供達は麓の小学校の校庭から山を見上げて、山頂にポコッと飛び出す岩を見て「でべそみたいだ」と感じた。
なので「でべそ山のでべそ岩」と子供たちは呼んでいた。
広い視野で山を見ていた子供たちの呼称である『でべそ岩』を私は推したい。
閑話休題
でべそ岩に登れるのは1箇所(ボルダーを除く)、当時倒れかかった松の木を使って途中まで登るのだが、その松の木が枯れて腐ってはいるものの、まだ現存していることに驚いた。
今回もその枯松を使って途中まで登る。
斜めに入ったクラック、誰かが彫ったのであろう指掛け穴も当時のまま。
幾らかの苦労はしたが、なんとか自力で登ることが出来た。
「親父、泣き言も言わずでべそ岩に登ったぞ」
当時、岩に登ればそれこそ大野の町はもちろん、対岸の厳島(宮島)、大竹や岩国のコンビナート群も見えた。
麓の小学校も、自分の住んでた家、友達の家もよく見えた。
が、当時低かった木々は大きく成長し、視界を遮っていて、展望は僅かな方向にしか開けていなかった。
少しがっかりしたが、気を取り直して城山へと向かうことにした私は岩を降りる...
「た、高い...」
登る時はなんとか登ったが、下りる時は登る以上に難しいことを忘れていた。
へっぴり腰で足の置く場所を何度も変え、腐っていつ折れてもおかしくない枯松を信頼すべきか否か躊躇する。
なんとも情けない状況だったと思うが、なんとか自力で降りることが出来た。
「親父、泣き言も言わずでべそ岩から降りたぞ」
...(モウイイ
『でべそ岩』擁する『でべそ山』を後にして、目指すは『城山』
母校、大野西小学校の校歌にもある。
♪緑に映える城ノ山 白い校舎の窓窓に 希望溢れる陽の光 喜び学び励み合う
嗚呼 麗しの大野西小 われらの母校〜
閑話休題 part2
当時、城山に登る人は然程おらず、あまり明瞭な道でもなかったため、子供だった私は数回しか登った記憶が無い。
城跡ということで、どこか不気味な山という印象を少なからず持っていた。
UFOの基地があるといった与太話も、こういう山にはつきものであった(笑
対岸の宮島の裏にUFOが降りて行くのを見たとか、経小屋の南斜面の巨石群が巨人に見えるとか、
そういった話は子供たちの創造力の賜物であったのだろう。
とまぁ、そんな城山に向かうには、ぐるっと北側から回り込む形で登って行く。
子供の頃はでべそ岩から真っすぐ向かう直登ルートがあった気がするが、記憶は定かではない。
山頂に着くと三角点と城跡の案内板があった。
当時はこんなに開けてなかったけどなぁ。
でも、いいことだ。
『馬のたらい岩』にも行ってみた。
もしかすると、これは初めて見たかもしれない。
馬の水やりに使ったのかな?
それとも、ここにあった城で使う飲料水確保のため?
そういえば、この山には巨石が多く、城跡という人間との関わりもあることから
山口市徳地にある『白石山』と何所か雰囲気が似ている感じを受けた。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-243025.html
城山を過ぎ、残すは『経小屋山』のみ。
地元では「きょうごや」と呼び、「きょうごやさん」とは呼んでなかった。
まぁ、どうでもいいけど。
そういえば「経小屋のように大きく育ってほしい」という願いを込めて、恭子(キョウコ)と名付けられた同級生がいた。
それほど、大野町民に親しまれた山である。
城山を下り、鞍部の分岐を二つ通過した後、ゆるやかに登り、平坦な道がしばし続く。
「気持ちいいなぁ」などと油断している反面、こんな楽な道だったっけ?と訝しがる。
すると、前方に斜面登場。
まぁ、こんなもんでしょと進むが、そのうち息が上がり、足は上がらない(笑
シャリバテ状態で小休止。
景色の眺められる場所でパンとゼリー飲料を頬張る。
その後、登山道は階段へと変わる。
そうそう、階段になったら残すはあと少しなんだよな!
当時の記憶を掘り起こしながら歩く。
鳴川へと降りるコースに『あずま屋展望地』というのがあると案内板があったので行ってみた。
たしかに、展望は最良であった。
テントも張れそうなスペースもある。
ここから見る夜景や星空は綺麗だろうなぁ。
ただ、焚火跡があったことが残念だった。
経小屋は過去に何度か、麓の焚き火などで山林火災に遭っている。
こんなところで焚き火をしたら、再び経小屋が黒くすすけた山になってしまうかもしれない。
で、経小屋山(596.6m)山頂に到着。
山頂周辺は広くなだらかで公園となっており、整備が行き届いている。
麓から車でも登って来れるのだが誰も居ない。
三角点を探して高みを目指す。
岩の奥に三角点を発見。
そういえば、当時、頼りないハシゴが付いた赤色の火の見櫓みたいな展望櫓があったけど...
麓からも見えてて「今日は櫓が見えた」とか言ってたなぁ。
登ると少し揺れて怖かったなぁ。
などと思い出しながら周辺を探すが櫓は見当たらない。
どうやら撤去されたようだ。
山頂広場の東屋でブランチを食べた後は妹背の滝方面へ向け下山。
途中『東の展望岩』なる場所へ向かう。
じゃんけんの「グー」のような形をした大きな岩があり、そこからの眺めも素晴らしかった。
登りの苦労を忘れさせるように快調に降りて行く。
中学の頃、この辺で松茸を採ってたことを思い出した。
この山域だけじゃなく、大野町の町有林で毎年これくらいの時期から松茸を採っていた。
早朝まだ暗いうちから親父と山に入って掌の感触と香りを頼りに。
昔はまだ山も荒れてなくて毎シーズン100〜200本は採れていた松茸も年々減少。
今回もひょっとしたら見つかるかな?と思っていたが、結果は残念でしたー。
まぁ、探すつもりで山に入ってるわけじゃないので、ひょっとしたらある所(しろ)にはあるかもしれませんが
そんなこんなで帰路は林道(とはいえ、荒廃が進んでます)を歩いて、大頭神社の上流にある『妹背遊園』に到着。
ここでもまた、家族で出掛けたあの頃を懐かしむ。
「営業中」の看板が出てたけど、今もホントに『妹背遊園』のお店ってやってるのかな?
その後、大野町民の憩いの場であり、シンボルでもある『妹背の滝』を眺めて大頭神社に戻りました。
無事の下山と素晴らしい景色、そして遠い記憶を呼び起こしてもらったことを神前で感謝し、今回の山行を終えました。
もちろん、実家に帰ったら亡き父の遺影に手を合わせ、でべそ岩に登ったことを報告しました。
故郷ってのはいいですね。
【松の謎の模様についての答え】
第二次大戦中、充分な燃料が無くなった日本は、戦闘機の燃料にするため、松の木に切れ込みを入れて油脂を採取し、生成して燃料として使ったのです。
※当時、小学校の経小屋遠足時にこのように習いましたが、「戦闘機の燃料」という部分はもしかすると自動車だったりするのかもしれません。
この滝は見てみてみたい!と思いました。
これまで知らなかったのが不思議なくらいの立派な滝です。
もっと知られてもいいに!?
この山は広島に行く途中、高速から左に見える岩がちの山でしょうか?
故郷の山というのはいいですね。特に子供の頃の遊び場であればなおさら。
そして厳島をはじめ海の眺められる山っていいと思いますね。
今度県内の海岸沿いの山を順に歩こうかと考えてますよ(笑)
こんにちは!
妹背の滝には雄滝と雌滝とあるんですが、やはり迫力は雄滝のものです。
落差は雌滝のほうが倍以上あるんですけど、水量が少ないのでちょっと残念です。
大雨の後なんかはいいかもしれないですけどね。
大野ICからすぐですから、山行じゃない時でも寄り道可能ですよ。
ちなみに経小屋は山陽道や国道2号から見える、山肌に岩がぼこぼこ見えるあの山です。
大竹IC〜大野ICの間、宮浜温泉の裏山と言えば、もっと判りやすいかも?
ホント、子供の時以来って感じでしたが、意外と良い山でびっくりしました(笑
標高も適度、ルートも色々、眺めも良し、右田ヶ岳と東鳳翩山と大海山と足して割った感じです。
県内海沿いの山巡り、面白そうですね
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