槍ヶ岳 槍沢経由 飛騨群発地震初日入山
- GPS
- 76:00
- 距離
- 36.8km
- 登り
- 1,923m
- 下り
- 1,918m
コースタイム
8/8 槍沢キャンプ地-大曲-(槍沢)-槍ヶ岳山荘-槍ヶ岳-(以下ピストン復路)-槍沢キャンプ地
8/9 槍沢キャンプ地-横尾-小梨平キャンプ場
8/10 小梨平キャンプ場-上高地BT
天候 | 8/7 雨のち曇り 8/8 晴天。かんかん照り 8/9 晴れ時々曇り 8/10 曇天だったかな。 |
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アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
下山後に小梨平キャンプ場に預けていた荷物を受け取り上高地アルペンホテルで入浴。 |
写真
感想
(恥ずかしいですが、昔に記載したものを転記しています)
学校のサークルの合宿として登ってきました。私が行ったときも天気は最悪で始まりました。到着時は雨で、どうしようもなかったので雨宿りしてから出掛けました。左は出発前の一枚。雨…。
とにかく天候不順な夏でした。7月の中旬には高山植物の花は咲き始めてしまい、海の日あたりがベストとなっていました。
春の雪解けが早かったのが原因らしいですが、当初白馬に登る計画を立てていたのに、結局取りやめざるを得なくなりました…。
8月になると雨が多く、上高地では8月中、5日間しか晴れなかそうです。
しかし、どうでしょう、歩き始めるとなんとだんだんと雨がやんで晴れ間が広がっていくではありませんか。どこかに晴男か晴れ女がいたにちがいない。ちなみに私はあまり影響しない様でいろいろです。
明神、徳沢、横尾と過ぎて、槍見河原となだらかな道、ほぼ平坦な道を快調に歩いて行きました。
二ノ俣谷の吊り橋を全員が渡りきった時でした。なんと地面が揺れているではありませんか。私はその前にも歩いている最中に多少、揺れているのかと感じましたが、回りは気づいていなかったので気のせいだろうと片づけていました。しかし、今回は本格的。全員びっくり状態。まさかこんなところで地震にあうなんて、思いもよりませんでした。下界なら「あ、地震。」で終わるのでしょうが、何せ特殊な状況下で、心理状態も普通ではないので、ほんとにびっくりしました。
とりあえず地震については、そのときは大したものではないと考えていました。
やがてちゃんと登りはじめ、そろそろ疲れたかな、というところで槍沢ロッジに到着。たくさんの登山者、特に中高年のロッジ宿泊者が先に到着していました。一休みして、再び槍沢キャンプ地へと向かいました。勾配としては槍沢ロッジまでと大差ない状態で、荷物が多少重くてもあまり気にはならない程度でした。と、いっても、なにせ私の荷物は明らかに他のメンバーより軽いんですけどね…。
槍沢キャンプ地に到着。ここは確か昔ロッジがあった場所で、雪崩だったかでつぶれた、という話を槍沢ロッジの時点で話していたのですが、確かにその通りらしく、災害跡のロッジの土台がきちんと残っていました。
到着時、すでに人はたくさん。さすがにここには比較的若い人が多く、にぎわっていました。その中で何とか場所を確保しました。後から来た人は、しまいには河原の部分にテントを張る始末で、場所は決して広くはありませんでした。
翌日、早朝から登り始めました。とにかくすごい晴れ。ガンガン太陽が降り注ぐ中、とにかく登りました。で、登頂中。焼けちゃいました。
何せ、ベースキャンプ状態で、荷物はほとんど下に置いてきて身軽。すさまじいスピードで登り続けました。さすがに最後はしんどくなってペースダウンしましたが、相当早かったと記憶しています。この道を80リットルはありそうなリュックをしょって登る女性グループも見かけました。
槍岳山荘で一息入れた後、槍に挑みました。梯子がかなりきちんとしていて予想に反して、かなり楽でした。
下りは行きに増して快調。早々にキャンプ地にたどり着き、のんきにしていました。今回、困ったのはキャンプ地のトイレ問題。済みません、汚い話になりますが、端的に言うと「行けない」状況になっていたらしいのです。あふれていたそうで…。私はついに一度もここを利用しませんでした。恐ろしい…。夏にどうしても集中してしまうのでこういう状態になり得るんですね…。
さらに恐ろしいことがありました。地震です。あのはじめの一撃の後、地震は続いて起きていました。地鳴りのような「ゴゴゴ……」という音の後、地面が「ジジジ…」または「グラグラ」と揺れるのです。登る前は、「槍の穂先がおれません様に…」なんて軽く言っていましたが、冗談事ではなくなっていました。戻って夕飯を食べ、あたりがかなり暗くなった時でした。例の音と揺れの後、世にも恐ろしい音が聞こえてきたのです。「ガラガラ…ガラガラ…」かなり大きい音で、どこから聞こえてくるのか分かりません。私たちはテントを飛び出しました。他のテントからも人がでてあたりを見ています。 その中の一人が「向こう側だ」と、川の反対側の山肌を指さしました。私はついに確認することはできませんでした。
そのあと、夜に万一キャンプ場のすぐ上の斜面で崩れたらどうしようか、と話したことは言うまでもありません。ここはかのロッジ跡…。
とにかくシャレにならないと、一時はテントを河原側に移そうかとまで考えました。結局、祈るような気持ちで、もし音が再び聞こえてきたらすぐに飛び出せるように、と気持ちの準備をしつつ眠りにつきました。でもとにかく疲れていたので、熟睡してしまいましたが…。(熟睡できなかった人ももちろんいました…)
無事に朝を迎え、早々にキャンプ場を離れ、すさまじいペースで山を下りました。槍見河原で槍に最後のお別れを言って、登山の最後のお楽しみ、温泉に向かってばく進。ペースも何もない状態でした…。地震の影響で、徳沢、明神、横尾のあたりの道では崩れた石がごろごろしていて、かなり大きいものも…。しかし天気はこの日も良く、かなり楽々。3泊目の小梨平キャンプ場について、他のサークルメンバー分の場所取りもし、温泉へ。温泉はとにかく極楽。大好きです。
しかし、地震の話はまだ続きます…。揺れる揺れる。温泉に入った後、河童橋のところでまたしても地震がありました。その直後、六百山側の斜面から土煙が上がりました。崩れたのは20秒間ぐらいでしょうか。かなり派手に崩れていました。
後日談になりますが、その後も地震は続いて、かなり登山道も痛んだようでした。私たちの後に山に入った人たちはかなり苦労されたのではないでしょうか…。本当に忘れがたい山行になりました。
この時の地震の事を以前からネットで見てましたが殆ど探す事が出来ず
たまたま、たどり着きました。
過去の事を書くことが出来るんですね。
komadoriさんの書き込みを見て私もYAMAPの方でやってみます。
8日に地震に会われたんですね。
私は立山8日から上高地15日に向かってましたので9日位から何か遠くで地震の音がするのを聞いてました。
あの地震の時 あんなに沢山の人がいたのに 初めて書き込みを見つける事が出来ました。
本当に怖かったですね。今でもあの揺れをよく覚えています。
私は1998年8月14日(金)の14時過ぎ頃だったでしょうか槍の小屋から殺生のテン場に向かう時に地震に会いました。
槍が崩壊するかと本当に思いました。崩壊したら今私は生きてなかったと思います。
こんな昔の記事にコメントいただき、ありがとうございます。
昔のことではありますが、記録の一つとして残しておきたいと思える印象的な山行になりました。
未だに河童橋付近に行くと、ガラガラと山肌が崩れたこの時のことを思い出します。
槍の小屋から殺生のテン場間ですか!かなり恐ろしいですね!!
お互いに無事であったこと、よかったです
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