日の出山(青梅柚木苑池駐車場から周回)
- GPS
- 05:18
- 距離
- 19.0km
- 登り
- 1,223m
- 下り
- 1,219m
コースタイム
- 山行
- 4:54
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 5:16
天候 | 晴れ。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
急登、危険箇所なく、歩きやすいよいコースでした、 |
写真
感想
雪面から突き出た一本の、後にして思えば見るからにひ弱そうな細い枝を掴んだのが誤りだった。つかんだ枝は握った瞬間に折れ、その刹那、8mほどの崖からほぼ宙を飛び一瞬にして転落。その落下時間はわずか1秒ほどで、ヤバい!と思った直後、沢沿いの岩に腰部から激突。あまりの衝撃と痛みに悲鳴を上げ、そのまま沢に体半分が水没した。すさまじい痛みと衝撃に襲われ、リーシュにつながったスキー板が絡まり、全く身動きが取れず、体はみるみるうちに雪解けの冷水に浸されていく。顔は水中にはなく呼吸はできるものの、もがいても体を動かせず、何もできないまま、同行者のSさんとNさんが一目散に飛んできた。何とか板を外し、ザックをどかし、水流から体を移動させ、まだ斜めの雪面に横たわった状態になった。すでに体の大半は濡れてしまった。このままでは低体温症になる。濡れたウェアをできる限り脱ぎ、自分のダウン、Sさんのダウンパンツ、サバイバルシート、分厚いグローブなどで保温を図る。
1月22日11時20分頃、仙ノ倉山滑走後、下山中、毛渡沢の高巻き、トラバース中の出来事だった。
岩への激突の瞬間、腰部であったため、死んだとは思わなかったが、腰が砕けたと思った。経験したことのない衝撃だった。
その後、仰向けになったまま、時間だけが過ぎていく。仰向けになったままならば、強い痛みは生じないが、それはつまりその場から動けないということである。事故の瞬間、死ななかったことはわかったが、同時にヘリ救助されるしかないのかと思った。
当日は晴れており気温がそれほど低くないのが救いで、体は多少暖まってきて、発生から1時間ほどが経過。これ以上、このままでいるわけにはいかない。電波が通じないので、ヘリの救助要請のため、一人が下山コースを駆けるか、全員で自力下山を試みるか、決断のタイムリミットが迫っていた。1時間安静にしていたせいか、立ち上がることができれば、残りルートの地形を考えると、何とかなるかもしれない。ヘリの世話には絶対にならない、そう心に決め、自力下山を決断した。しかし、一度脱いだブーツは、インナー、ソックスがびしょ濡れで足が入らない。足に力も入らず、どうしても履けない。そこで、渡渉用にと持ってきたビニール袋を足にかぶせて摩擦を小さくすることでブーツを何とか履くことができた。そして、2人に介助をお願いし、痛みをこらえ、何とか、立ち上がる。ザックは持ってもらい、スキーは滑走モードで下山を開始する。残り7km以上、概ね非常に緩やかな下り勾配メインの沢沿いを進むのだが、スキー場ではないので、そう簡単ではない。できることは重力に身を任せ滑り降りるのみ。そこへ、途中、短いながらも、急勾配の登りと下りの区間が現れた。ほんのわずかでも姿勢に無理がかかると激痛に襲われるため、下手をすれば、また、斜面を転げ落ちたり沢に転落する可能性がある。二人にできるだけ安全なルートを見出してもらい、シールをつけ、とてつもなくゆっくりと少しずつ進み、何とか難所を越え、さらに、いつ終わるともわからない下山コースをいく。
下山路は、ずっと下りではなく、緩やかな上りが無数に現れる。スキーは滑走モードのため、登り坂では、そのまま進むと後ろに滑って後退してしまう。普通なら斜めにしたり、勢いをつけたりして難なくこなせるのだが、その体ではほんのわずかな登り勾配でも処理ができないため、その都度、板を脱ぎ、ブーツで歩いて登りを終え、板は運んでもらう。その動作を何度も何度も繰り返す。進みが非常に遅いため、進んでも進んでも進んでいる気がしない。永遠とも思える時間が過ぎ、ようやく上越線の鉄橋が見えたとき、助かったと感じた。そして、夕闇が迫る17時過ぎ、満身創痍で車に到着、その場に倒れこんで動けなくなった。助かった。よかった。ヘリ救助を求めず、気合と精神力、そして、何よりも2人の全力サポートのおかげで生還できた。本当に文字通り、命の恩人である。感謝してもしきれない。もし、単独であの状況に陥っていたならば、夜を越せず、低体温症で死んでしまった可能性が高く、良くて、翌日以降、死んだままココヘリで発見されていたかもしれない(当日、後続はいなかった)。
さて、車まで戻ったはいいが、その後、まだ、東京へ戻る4時間の運転が待っている。新潟の病院に行ってそのまま入院となると非常にまずい。気絶しそうになりながらも、200km、渋滞込みで4時間何とか運転して、都内、自宅近くの赤十字病院にたどり着いた。息子にタクシーで来てもらい、そのまま入院。初見のCTでは骨折症状は認められず、痛み止めを処方され、翌朝、救急病院である赤十字病院から実質、追い出されるように退院。しかし、本当のつらさはここからだった。退院以降、腰をあるポイントにまで動かすと、想像を絶するほどの激しい痛みに襲われる。寝返りはおろか、手足の動作、ほんのわずかな体の動きでもその激痛に絶えず襲われる。その度に歯を食いしばり、何かを全力で握り、痛みをこらえる。そんな日が何日も続く。息も絶え絶えで、こらえきれず、近所の行きつけの整形外科を受診。MRI検査の結果、腰椎圧迫骨折と診断された。第二、第三腰椎に圧迫(潰れ)所見があり、また、腰椎内部では出血が見られ、それが激しい痛みになっているとのこと。
ギプス固定処置がなされ、とにかく日々安静にして過ごすのみ。どうにかくそんな風に過ごして、7日ほどが過ぎると、初期の激痛症状はやわらぎ、日常生活を送ることができるようになった。1ヵ月ほど在宅勤務を続けたのち、リハビリを兼ね時差出勤で混雑を避け、毎日、歩く距離を伸ばしていき、ついに、3月31日の受診で治療完了となり、登山の許可が出た。
ただ、その直前までは山はもうやめるつもりだった。事故から今まで、ヤマレコはもちろん、山の情報の一切をシャットアウトしてきたことで、山に登りたい気持ちが完全になくなってしまっていた。そもそも、自分は登山に向いていない、適性がないとも思った。しかし、3月下旬、ある山友から、調子はどうですかとLINEがきた。山やめるかもと伝えたところ、○○さん(自分のこと)と一緒に登る(滑る)のが楽しかったので残念です、また、その人の友達(これはSさん、そして共通の友人のNさん)も心配していましたよとも言われ、自分にもそんなふうに思ってくれる友達がいたんだと知った。そんな中、3月31日、医師からゴーサインが出たので、重い腰をあげて今日、リハビリ登山に出かけてみた。登ってみると、意外にすんなり以前の感覚が戻ってきた。まだ、たかだか2-3ヵ月しか経っておらず、それほど感覚は鈍っていないようだ。以前のようにスタスタとは歩けないし、以前の頻度、強度に戻るのかもわからない。ただ、完全に山をやめてしまうようなことにはとりあえずはならないようだ。
今回、このレコを読んで、奥多摩ハイキングで何の話?と、意味の分かる人はほんの数人程度しかいないと思うが、心配してくれている人がいることを知り、公開をためらったが、そんな人たちへの感謝の気持ちを込めて近況報告を兼ね、当時の状況を詳細に記すことにした。
今後、継続して登山を続けるのか、また山スキーをするのか、そして、ヤマレコを続けるのか、今はまだわからないが、そんな貴重な友達がいる間は、そんな彼らとまた一緒に山に行けるかもしれない日が来るといいなと思い、本当に幸運にも、ほぼほぼ事故前の状態に戻りつつある体をこれからも大切にしていきたいと思う。
医師からの登山許可が下り、山歩きができるまでに回復して本当に良かったです。
hareharawaiより
何ヵ月もヤマレコやってなかったのに、レコをあげたとたんにこれ(山スキーレコでもないのに)に気づいてコメントをくれるhareharawaiさん、さすがです。ありがとうございます。
私も白鳥山でのKさんの滑落事故を思い出して、事故後、すぐに見にいきました。
沢のトラバースは特に山スキーではしょっちゅう、出くわすシーンですが滑走を終えて気の緩みがあったのだと思います。
障害が残らず治癒しそうで幸運が重なり、二人のお陰もあって命拾いしました。
ご連絡いただき本当にありがとうございました。
仙ノ倉で何があったのだろうと思っていましたが、ずっと山行記録が上がらなかったので
私が想像しているより、きっともっと大変なことになっているのだろうと心配していました。
このレコを拝読し、「もっと大変なこと」以上に大変だったことがわかりました。
運が悪ければ、命に係わる状況だったにもかかわらず
murphyさんが気丈な方だったこと、頼りになるお仲間がいたこと、幸いしましたね。
こうしてまた山に登れるほど回復されて、本当によかったです。
ご無沙汰しております。
ご心配いただきありがとうございます🙇。仙ノ倉山のレコではあえてケガをしたことは一言も触れなかったのですが、その後、一切レコが上がらなくなると、何か一大事が起こったのでは?と心配されてしまうものなのですね。ひっそりと存在を消したら気づかれないかと思っていましたが、ヤマレコのみなさんは本当にやさしくて思いやりがあって嬉しい限りです。ありがとうございます。
ヘリを呼ぶべきか三人で話したのですが、山スキーヤーへの世間からの風当たりが非常に強く、そんな理由もあり、何としても自力で下山しようと精神力のみで歩ききりました。でも、もし、単独だったら、サポートがなかったら、ほんの少し気温が低かったら、打ち所が悪かったら、たぶん、もっと重大な結果になっており、運が良かったのだと思っています。
ちなみに、おやじがバカなことをして治療している間、子供が無事、第一志望校に合格でき、4月から高校生になりました。何としても生還しなくてはと思ったのはその子供の存在が大きかったと思います。
ご心配いただき本当にありがとうございました🙇。
しばらくレコがあがってなかったので、どうしたのかな?っと
気になっていました。ケガ、大変なことになっていて本当に生きていて良かったです。
私も腰の圧迫骨折の痛み、わかります。痛かったですね。
私もその時murphyさんからのメッセージに助けられました。
今回私は何もできず申し訳ない気持ちです。
とにかく、無理せず焦らず歩いて行きましょう。
また一緒にゆっくりよろしくね。
気にしていてくださり、ありがとうございます。hapiraさんは妙義でケガをされて、私なんかよりもはるかに大変なお怪我だったと記憶しています。腰椎圧迫骨折、本当に痛いですよね。もう、痛いなんて通り越す痛さで。
いやいや、そもそも私がどうなってたかなんて誰も知らないですし、そんな申し訳ないなんて私が申し訳ないです・。
なんか、私、登山の素質がないみたいで自信もないんですが、これからますます無理のないように歩ければと思っております。
大変怖い思いをされたようで…
無事に生還され本当に良かった。
お身体のほうも随分回復されたようで何よりです。
またタイミングが合いましたら何処かご一緒させてくださいね!
実際にはこわいと言う瞬間はほぼなくて、激突の瞬間は、正直、もう終わった、やっちまったー!って感じでした。その後は、もう、痛みをこらえるのに必死でした。
体はだいぶ元どおりになりましたが、正直、自分は登山に向いてないようで自信がまったくなくなってしまいました。
とりあえず、のんびりハイキングを重ねたいと思います。
コメントいただき本当にありがとうございました🙇。
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