記録ID: 5397592
全員に公開
ハイキング
近畿
大阪50山(26)神於山と水間観音
2023年04月23日(日) [日帰り]
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 02:33
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 281m
- 下り
- 311m
コースタイム
天候 | 大阪府岸和田市 晴れのち曇り 21℃/7℃ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
○登山道 ・道幅30cm〜2m。全区間綺麗に整備されています。 ○道標 ・要所に道標があります。 ○草刈り ・草刈りされています。 ○通報プレート ・ありません。 ○トイレ ・道の駅愛彩ランドのバス停そばにあります。 ・神於山には2ヶ所あります。 ○注意事項 ・ありません。 ○危険箇所 ・ありません。 |
写真
神於山の概要。
大阪湾と大和葛城山の間にある独立した山塊。
信仰の山として周囲に古い寺社がありそれらを中心とした集落も散在する。近年は放棄竹林や不法投棄により荒れていたがボランティアにより里山として再生されたとか。
大阪湾と大和葛城山の間にある独立した山塊。
信仰の山として周囲に古い寺社がありそれらを中心とした集落も散在する。近年は放棄竹林や不法投棄により荒れていたがボランティアにより里山として再生されたとか。
神於寺本堂。
ご本尊は大日如来です。
『神於寺は神於山の南麓に位置する天台宗寺院。神於山は古来神体山として崇敬され、山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。かつて当寺に伝わった神於寺縁起絵巻(南北朝期)は中世の縁起絵巻の優品として有名ですが、絵画部分が寸断されて米国や国内のコレクター、美術館などに分散して保管されています。縁起によれば役行者の開創で新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、一旦荒廃したのちに百済僧光忍が奈良期に中興したそうです。
また、修験道との関わりが強く、葛城修験の一霊場として発展しました。中世にはしばしば戦場ともなり、織田信長が紀州攻めの際に付近に逗留したこともありました。』(岸和田市ウェブサイトより)
ご本尊は大日如来です。
『神於寺は神於山の南麓に位置する天台宗寺院。神於山は古来神体山として崇敬され、山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。かつて当寺に伝わった神於寺縁起絵巻(南北朝期)は中世の縁起絵巻の優品として有名ですが、絵画部分が寸断されて米国や国内のコレクター、美術館などに分散して保管されています。縁起によれば役行者の開創で新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、一旦荒廃したのちに百済僧光忍が奈良期に中興したそうです。
また、修験道との関わりが強く、葛城修験の一霊場として発展しました。中世にはしばしば戦場ともなり、織田信長が紀州攻めの際に付近に逗留したこともありました。』(岸和田市ウェブサイトより)
楠神社(西葛城神社)参道。
この道を真っ直ぐ行くと神社があるようです。
『もとは深谷神社と称し観音寺の鎮守。
明治43年(1910年)に国の一村一社の令により旧西葛城村の全神社が合祀され現社号に改称
大正6年(1917年)には今の国宝である釘無堂がある孝恩寺の地から現在の元楠神社跡地に移された。楠神社は現在は当社相殿に祀られている。
当地にはもともと楠本神社(楠本稲荷。倉稲魂命)があったが、楠神社は南北朝時代、楠木正成の戦死の後、松浦氏之がこれを追慕して楠明神を奉斎したもの。
松浦氏之には子がなかったが、この楠明神に祈願して、ようやく一子を得たという。そのため、古来より子授けの楠大明神社として崇敬された。
平成23年(2011年)本殿を修復し相殿が再造営され境内の整備が完了した。
天照大御神、大国主命、大巳貴命、須佐之男命、楠木正成公ほか多数の神々を祀る。』
この道を真っ直ぐ行くと神社があるようです。
『もとは深谷神社と称し観音寺の鎮守。
明治43年(1910年)に国の一村一社の令により旧西葛城村の全神社が合祀され現社号に改称
大正6年(1917年)には今の国宝である釘無堂がある孝恩寺の地から現在の元楠神社跡地に移された。楠神社は現在は当社相殿に祀られている。
当地にはもともと楠本神社(楠本稲荷。倉稲魂命)があったが、楠神社は南北朝時代、楠木正成の戦死の後、松浦氏之がこれを追慕して楠明神を奉斎したもの。
松浦氏之には子がなかったが、この楠明神に祈願して、ようやく一子を得たという。そのため、古来より子授けの楠大明神社として崇敬された。
平成23年(2011年)本殿を修復し相殿が再造営され境内の整備が完了した。
天照大御神、大国主命、大巳貴命、須佐之男命、楠木正成公ほか多数の神々を祀る。』
下木積交差点の道標南面。
「右 道陸神社 二十丁」
『戦国時代の蛇谷城主・松浦氏が城内に祀っていたのを廃城後に木積畑の人々が現在地へ移したと伝える。城兵が湧き水により足の傷を治したことから道祖神のご利益であるとし「どうろくさま」と呼び、足の健康を祈るように。和泉葛城山の登山道に位置する』(貝塚市HPより抄出)
「右 道陸神社 二十丁」
『戦国時代の蛇谷城主・松浦氏が城内に祀っていたのを廃城後に木積畑の人々が現在地へ移したと伝える。城兵が湧き水により足の傷を治したことから道祖神のご利益であるとし「どうろくさま」と呼び、足の健康を祈るように。和泉葛城山の登山道に位置する』(貝塚市HPより抄出)
水間観音、本堂と三重塔。
水間寺は天台宗の別格本山。山号は龍谷山、本尊は聖観世音菩薩。聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創、織豊期に豊臣秀吉の根来攻めで焼亡、のち岸和田藩主岡部氏により復興。
水間寺は天台宗の別格本山。山号は龍谷山、本尊は聖観世音菩薩。聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創、織豊期に豊臣秀吉の根来攻めで焼亡、のち岸和田藩主岡部氏により復興。
撮影機器:
感想
△総評△
3月末からずっと不調で山に登る自信がなく、西国街道を歩いて体力をキープしていました。
最近体調が戻ってきたので、神於山で復帰トレーニングすることにしました。
・反省点…特になし。
・よかった点…復帰トレーニングに神於山はベストでした!歩きやすい!
△神於山△
山行感想:☆☆☆☆★
とにかく全山よく整備されていて楽しいハイキングでした。安心して歩ける登山道です。
様々なルートがあるのと、神於山の周囲に古い神社やお寺がたくさんあって、何度も来たくなる山だと思いました。
(登山客:4人)
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:202人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する