20.磐梯山 「雨音に誘われて」
- GPS
- --:--
- 距離
- 18.1km
- 登り
- 1,074m
- 下り
- 1,016m
コースタイム
天候 | 雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2005年08月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○山情報とは関係がないかも知れませんが、近くに野口英世記念館がありますので、ここの立ち寄りをお勧めします。英世の生家が保存されているだけでなく、英世に宛てた母シカの手紙は一見の価値有りです。 ○水場は弘法清水岡部小屋の前にあります。ちなみに岡部小屋は売店のみの営業で宿泊は出来ません。 |
写真
感想
第20座 雨音に誘われて
安達太良山からの続き・・・・
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-54412.html
安達太良山に登った後、そのまま猪苗代まで移動した。
猪苗代は今の千円札の肖像に使われている野口英世が少年期まで暮らしていた場所である。時間があったので野口英世記念館へ足を運んだ。
野口英世記念館は20歳の時、一度は入館しているが、今回は夏休みの自由研究の題材にするのか小学生が多く思えた。英世の遺品と業績が展示されており、それを見て僕は、千円札の肖像に選ばれるだけあるなぁ〜と思った。
その後に裏磐梯YHにバスで移動した。
8月15日早朝、ペアレントさんやヘルパーですら寝ている時間帯に僕は起床した。テラスでラーメンなどを作って食べた後、雨が降りしきる中、裏磐梯YHを後にした。
五色沼自然遊歩道を通って、まずは磐梯高原へ向かった。雨がひどくて五色沼に目をやる余裕がなかった。遊歩道を歩きながら考えていた。磐梯高原で終わるか、進むかを・・・・。
磐梯高原のドライブインで雨宿りしているうちに、うとうとして居眠りしてしまったようだ。
天気を見てみると、雨は前よりは弱くなったみたいだ。これで心を決めた。磐梯山に登ることを・・・・。
公道を歩いていくうちに、裏磐梯スキー場に入る。人影もないゲレンデを黙々と登った。登りきった所から、登山道が始まり、しばらく歩くと明治時代の噴火で出来た銅沼が見えた。
天気がいいと磐梯山の噴火口跡が見えるそうだが、霧で見えなかった。
ここから急な登り坂が連続した。登山道が川となって僕の足元を洗うように流れ落ちた。そんな登山道と悪戦苦闘しながらも、やっと弘法清水岡部小屋にたどり着いた。
弘法清水岡部小屋には水場があって、ここまで来るまでの間は、どうせ干からびているか、ちょろちょろと水を申し訳程度に流しているだけだろうと当てにはしていなかったが、目の当たりにすると、どうしてどうして。ホースから垂れ流し状態で流れていた。飲んでみると冷たくておいしかった。
続けて小屋の中へ恐る恐る入った。
「雨の中大変だったでしょう? ささ、入って、入って」
小屋のお母さんが手招きしながら僕を小屋の中へ誘った。ここは宿泊機能がないものの、飲み物やお菓子、簡単な軽食が出来る程度の小屋であった。
僕は暖かいお茶をご馳走になった。冷えた体を温めるのにはありがたかった。体が暖かく感じたところで、僕は山頂へと向かうべく、山頂へ登り始めた。
しばらくの間、急な登りが続いたが、30分程度で山頂にたどり着いた。山頂には誰もいるはずもなく、雨と霧で何も見えなかった。
僕は記念撮影をして、さっさと下山し、弘法清水岡部小屋でしばらくまったりとした後、行った道をたどるようにして下山した。足取りが思ったように重く感じ、裏磐梯スキー場のゲレンデを通ったのは、もうすぐ17時になろうとしていた。
磐梯高原に着いた時にたまたま待っていた路線バスに乗り、五色沼までの間をバスでエスケープした。裏磐梯ルートのバスは結構の本数が走っているので、これは助かった。
裏磐梯YHに着くと、濡れネズミのような僕の姿を見て、ペアレントさんは、
「結構、濡れましたね」
といわれた。確かに僕の体だけでなく、ザックの中までも見事なほどにびしょ濡れで乾いたものは何一つなかったほどだ。
その理由はレインウェアが雨を吸ったため、防水の役には立たなくなったからであり、次のシーズンには買い換える必要性が出てきた。
それ以前にたるんだお腹を何とかせい! という声もあろうが、ここは置いといて・・・・。
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