32.伯耆大山 「初夏の夜の夢」
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 969m
- 下り
- 968m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年06月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
○登山ポストは大山情報館向かいの交番にありました。 ○6月第一土曜日と日曜日は山開きイベントがあって、僕はそれを狙って登山しました。土曜日の前夜祭は松明行列があって、参加する価値はあるかと思います。 ○感想のところでも書きましたが、大山では山頂一帯の崩落が激しく、登山者各位に拳大の石を持って登って来て欲しいという呼びかけがあります。登山者が担いで持って来た石が崩落を食い止め、緑を取り戻すことにもつながりますので、荷物に余裕があれば、一石持って登って頂きたくご協力願えたらと思います。 ○登山後に境港に寄りましたが、「鬼太郎ロード」は一見の価値はあるかと思います。 |
写真
感想
第32座 初夏の夜の夢
話は1993年1月1日に島根県松江市を訪れたところまで遡る。一人旅でここに来た際に、地元でミニコミ誌を発行しているA君が観光案内を買って出てくれたのだ。僕は彼の案内で松江城や小泉八雲記念館などを観光した。その途中、富士山に似た山容の山を見つけた。
「おや? 富士山?」
「違うよ。あれは大山っていって、別名を伯耆富士っていうんだよ」
それが僕と大山との最初の出会いであったが、確かにきれいな山だとは思ったが、登りたいとまでは思わなかった。
そしてあれから15年の歳月が流れた。6月8日の昼過ぎに登山口である大山寺という集落に着いた。ここのところ、クルマでの移動が続いているので、今回は新幹線や特急やくもや路線バスを利用した。電車での移動は乗換えの煩わしさが多々あるが、道中、居眠りしたり、ビールを飲んだり出来るので、それがこの交通手段の利点かな。
予約した民宿に着くと、個室に案内された。山開きのイベントがあるのでどこも満室だろうと大部屋を覚悟していたが、これには助かった。しばらく部屋で明日の準備をして、しばらくまったりしていたら、夕方になった。僕はたいまつを受け取りに散歩がてら、受け取り場所へと向かった。その受け取り場所は大山寺の参道の途中になるのだが、難なく一本ゲットした。これで夜になるのを待つのみだ。
夕食を終えて登り坂の参道を歩いていると大神山神社に向かう人々がぞろぞろと歩いていた。大山寺の山門の左側に大神山神社に向かう参道に入ると、自然石で敷き詰められた石畳が続いていた。距離は知らないが、長さは日本一なのだとか。よくもまぁ、こんなに長く作ったものだと思いつつ、15分石畳を歩いただろうか? ようやく大神山神社の境内に着いた。
神社の中では既に神事が始まっており、境内にはたいまつを持った約二千人の人々が仲間と談笑しながらたいまつ行列の始まりを待っていた。ふるまい酒もやっており、僕も退屈しのぎに何杯もお代わりをしてしまった。いくら無料だからといって、調子に乗り過ぎたかなぁ〜。集っている人々を観察すると、明日大山に登る雰囲気を持った中高年の団体もいたし、大学の山岳部、探検部や、欧米系の外国人の女性の団体、課外授業の一環なのか? 学校指定のジャージを着た中学生たちもいた。
神事が終わったのか、境内の中央付近のたいまつが次々と点灯され、次々と参道の階段を降りていった。僕は境内が空き始めた頃合を見計らってかがり火にたいまつを点灯させた。たいまつは竹で、中央の空洞には油を含んだ布を詰め込んでいるためか、簡単に点灯した。僕はそれを見て、階段を降り始めた。前を見ると延々と続く炎の群れ・・・・。月並みな表現だが、幻想的だという表現しか思い浮かばない。そして僕もその炎のひとつなのだ。僕はゆっくり歩いたり立ち止まったりして、僕なりにたいまつ行列を楽しんだ。祭りって、観るより参加するに限るよなぁ〜。
大山情報館前の駐車場に設けられたメイン会場がたいまつ行列の終点である。僕が持っているたいまつを大きな焚き火の中に放り投げた。しばらくして、パンパンと何かが破裂する音が聞こえた。メイン会場では、またイベントが続いていたが、僕は明日の登山に備え、民宿に戻り、風呂に入って、早めに寝た。夢を見ては目が覚めての繰り返しで、あまりよく眠れなかったなと思いつつ起きたのが2時半頃だった。目をつぶって横になれただけでも寝たうちに入ると思い、気にはしなかった。まぁ、いつものことだから。
民宿で用意してもらった弁当を部屋で食べ、着替えとストレッチをして、4時50分に民宿を出た。大山情報館前にある交番で登山届を提出して5時5分に大山情報館からスタートした。参道を登ってI旅館のところで右に曲がると、大山寺橋の向こうにはこれから登る大山がそびえていた。曇ってはいたが、天気は大丈夫そうだ。「夏山登山道」の道標に従い、登山道に入ると、薄暗い森の真中に石段が緩やかに続いており、快調に高度を稼いでいく。
やがて登山道も石段が整備されているものの、傾斜がきつくなった。そんな傾斜を駆け降りてくる若者がバラバラと降りて来た。彼らは昨日のたいまつ行列で見た顔だった。どこかの大学の冒険部のメンバーだった。靴は運動靴だったし、装備も空荷に近く、中には500mlのペットボトル一本を片手に持っただけの「剛の者」もいる。どうやら彼らは夜のうちに出発して、山頂までいって降りて来る途中らしい。うーむ、若いっていいなぁ〜。
このあたりはブナの天然林であり、ブナの新緑の明るさが初夏の訪れを感じさせた。僕はやがて五合目を過ぎ、六合目避難小屋まで登ると見晴らしが良くなってベンチもあって、僕はここで休憩することにした。曇ってはいるものの、下界は眺めることが出来た。ここを過ぎると、ブナ林は終り、今度は特別天然記念物のキャラボクの自生地帯に入った。この木は人の背丈ほどしかなく、鮮やかな緑の葉がまぶしく感じた。このあたりで登山道は木道になり、傾斜も緩やかになって来た。九合目も過ぎた。山頂は近いぞ!
7時40分、大山の山頂、弥山(1709m)に着いた。この一帯も木道が敷かれており、この木道を作るのも維持するのも大変なんだろうなぁ〜と思った。最高点は剣ヶ峰(1729m)があるのだが、崩落が激しく現在は通行禁止である。ともあれ、空を見るとうっすらと太陽が出ており、これから暑くなるだろうし、これからここで山開きの神事がおこなわれるので、登山者も多くなるだろう。僕は記念撮影を早く済まして、近くに建っている頂上小屋の中で甘納豆などを食べてしばらく休んだ。
20年以上前の山頂一帯は草木も生えない禿山だったそうだ。多くの登山者が山頂一帯を歩き回った結果、そうなったらしい。地元の有志が木道を作り、草木を植え、今日、山頂一帯に緑が戻ったが、それでも、ところどころで崩落が進んでいるのが現状のようである。その崩落をいかに最小限に食い止めるかなど、課題は多いと思うが、登山道を整備したり、草木を植えたりして、故郷の山、大山を守ろうと活動を続けるボランティアの地道な活動に頭が下がる思いである。
8時15分に下山を開始した。恐らく10時から始まる神事に間に合うために登って来る登山者だと思うが、次から次へと、10人前後のパーティーが登って来る。登山者だけではなく、どこかのテレビ局のスタッフらしき一行がカメラで登山者の姿を撮影しながら登っていた。天気も良くなりつつあるので、山頂一帯は登山者で一杯になるだろう。僕は駆けるように六合目避難小屋の真下にある分岐まで降りていった。
この分岐で登ってきた夏道コースではなく、行者コースを選んだ。このコースは逆に登る場合、遠回りになるので、ここまで降ると登って来る登山者はほとんど出会わなくなった。その分、ブナの新緑が陽に当たってまぶしく感じた。そのブナの森を寸断するようにガレ場が横たわっていた。「賽の河原」と呼ばれるところだ。ここで踏み跡が解らなくなって、対岸を見るとクルマが6台駐車していて、その近くにピンク色の紐が何かに結ばれ風になびいているのを目標に歩いたら、確かに登山道の入口だった。僕はそこから再び登山道に入った。
登山道に入ってしばらく歩いていると、大神山神社の境内にたどり着いた。たいまつ行列を待つ人々で賑やかだった境内も今や人気がなく静けさを取り戻していた。ここからはたいまつ行列と同じように大山情報館まで降っていけばいいだけだ。10時5分に大山情報館に着いた。到着予想時間より約1時間早く到着したことになる。その後、民宿に戻って風呂に入って汗を流して、部屋の中でしばらくまったりした後、少し早めに民宿を出て、大山情報館前の駐車場で開催されているイベントで販売されている地ビールを飲んだりしているうちに、米子行きのバスの発車時刻も近くなり、僕はそのバスに乗り、大山を後にした。
米子に戻った僕は、境港に向かうべく境線というローカル路線の電車に乗ったのだが、その車体には「ゲゲゲの鬼太郎」に出て来るねこ娘がたくさん描かれていた。車内にもいろんなポーズをするねこ娘が描かれていた。座席には何気に女子高生が会話していたりしていて、何か日常に溶け込んでいるんだなぁ〜と感じた。境港に着くと「水木しげるロード」といわれる道があって商店街のところどころに妖怪の銅像があったりして、僕が1992年末に隠岐島にいくのに、ここを訪れた時は何もない港町だったのに、それを考えると隔世の感ありだ。
今、「ゲゲゲの鬼太郎」のアニメが放映中ということもあって、子供たちの姿もあった。僕はねこ娘や子泣き爺や砂かけ婆など「鬼太郎ファミリー」と呼称される妖怪の銅像と記念撮影したり、水木しげる記念館に入館して、水木しげるの漫画の世界に触れたりと、以前からいって見たかった場所だけに、ここまで来て正解だったと思った。その分、帰宅が遅くなって12時近くに帰宅したが、さすがに帰りの電車の乗り継ぎは疲れた。クルマを運転するにせよ、電車を利用するにしても、どっちみち疲れるんだなと感じた今回の旅だった。
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