記録ID: 596581
全員に公開
アルパインクライミング
谷川・武尊
谷川岳 冬の”一ノ倉沢” 中央稜
1972年12月15日(金) ~
1972年12月16日(土)
![情報量の目安: A](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_A2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
![](https://yamareco.info/include/imgresize.php?maxsize=90&crop=1&fname=%2Fuploads%2Fypb406183811e8d07.jpg)
- GPS
- 32:00
- 距離
- 11.8km
- 登り
- 1,505m
- 下り
- 1,364m
コースタイム
天候 | 1972/12/15 (金)快晴 1972/12/16 (土)曇り後 雪 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車
一ノ倉沢 自体も金曜日と言う事か、トレースは無かった。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
2021/09/13 当時のネガが見つかったため、全ての写真を更新した。 1972/12/15(金) 土合駅から一ノ倉沢出会いまでは林道を歩くが、雪が深い所で膝位。 出会いからテールリッジの取りつきまでも雪の量は比較的少ない。 テールリッジは岩の上に腰位まで雪が被っており、慎重に登る。 中央稜の取りつきに到着したのが昼頃。 中央稜はリッジと言うこともあり、雪の付きは少ないが、テラス等に溜まっており時間を食う。 4P登った所で日没となり、腰を掛けるだけのビバークとなったが、気温がそれ程低くなかったので助かった。 1972/12/16(土) 翌日は曇り空の中 出発するが、出会いから2パーティが登って来る。 1パーティは中央稜へ、もう一パティは2ルンゼに向かった(都立南高校の先輩)。 中央稜のパーティは我々の残したトレースを使い、早いスピードで登ってきた。 雲行きが怪しくなって来たので先を急ぐ。 昼前に終了点に到着した。後続の二人は2P下に居る。一ノ倉岳に向かうが視界が怪しい中、4名でラッセルを交代しながら慎重に歩く。 一ノ倉岳から、稜線を歩きオキノ耳、トマノ耳、肩の小屋を経由し西黒尾根を下山した。 稜線、西黒尾根に関しては記憶が無い。 |
写真
感想
この記録は1972年12月の物で今から43年前になる。
同行の横浜市大OBのHさんは、私の高校の先輩(横浜市大OB)の友人であり、何回か山に行くようになった。
今回は正月の屏風岩鵬翔ルートの訓練を目的としていた。
我々の登攀は快適そのものだったが、12/16(土)の吹雪の中の2ルンゼは厳しかったと思われる。(中央陵でのビバークの翌朝、ニルンゼに向ったのが私の高校の先輩)
一ノ倉岳から肩の小屋まで稜線を歩いたが、直ぐ下で悪戦苦闘しているとはつゆも知らずであった。
2ルンゼパーティは12月17日(日)も戻らず、関係者は土合山の家に待機、捜索に行ったかどうか記憶にないが、夜半に戻ってきた。(私は土曜日に帰宅したが、先輩がニルンゼから戻らないとの知らせが入り、再び土合へ赴いた)
先輩は1990年 天山トムール峰で雪崩に合い帰らぬ人となった。
別のエピソードとして、一ノ倉岳山頂で別パーティの顔をよく見ると見覚えがあった。何時だったか、凹状壁の登攀で先を行くパーティの落石で我々のザイルが切れた事が有ったのだが、その時のパーティのリーダーだった。最後の写真の右端の人。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:5734人
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する