記録ID: 6252514
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ハイキング
東海
山よりマグロ^_^)、焼津三山から小川港魚河岸食堂。
2023年12月05日(火) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 03:59
- 距離
- 11.1km
- 登り
- 908m
- 下り
- 912m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:52
- 休憩
- 0:06
- 合計
- 3:58
距離 11.1km
登り 922m
下り 921m
10:50
ゴール地点
天候 | 高曇りで眺望はあり。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
大変良く整備された登山道。 |
写真
高草山は、おもにアルカリ玄武岩の枕状熔岩から成り、かつて四国海盆に生まれ、その後本州に付加した海山だと考えられているそうです。
次に、高草山には、神社や慰霊碑などがあり、古くから信仰の対象となってきたことがわかります。高草山の神社は、高草山権現と呼ばれ、その祭神は大山祇神と火雷神です1。高草山権現は、江戸時代には徳川家康の信仰を受け、その後も多くの人々に崇敬されてきました2。また、高草山には、日露戦争や太平洋戦争で亡くなった焼津市の戦没者を悼む慰霊碑も建てられています3。
さらに、高草山には、春に咲く絶滅危惧種のキスミレや、約1300種の植物が自生していることが知られています1。キスミレは、高草山の特産であり、地元の人の手厚い保護によって咲き続けています。また、高草山の植物は、山頂から海岸までの標高差や気候の変化によって多様な種類が見られます。
by Bing
謂れ多き「日本坂峠」。
By Bing
いくつかの説があります。一つは、この峠から東京湾を望むことができ、江戸時代には日本の中心地であった江戸を意識したことから、日本坂と呼ばれるようになったという説です。もう一つは、この峠から西に向かうと、日本の本州の大部分が広がっており、日本の大地を感じることができたことから、日本坂と呼ばれるようになったという説です。また、この峠には、日本坂峠の碑という石碑があり、その上には「日本坂」という文字が刻まれています。この石碑は、明治時代に建てられたもので、東海道の道標として機能していました。
By Bing
いくつかの説があります。一つは、この峠から東京湾を望むことができ、江戸時代には日本の中心地であった江戸を意識したことから、日本坂と呼ばれるようになったという説です。もう一つは、この峠から西に向かうと、日本の本州の大部分が広がっており、日本の大地を感じることができたことから、日本坂と呼ばれるようになったという説です。また、この峠には、日本坂峠の碑という石碑があり、その上には「日本坂」という文字が刻まれています。この石碑は、明治時代に建てられたもので、東海道の道標として機能していました。
感想
まぁ、結局、貴方はマグロ丼が食べたいから焼津アルプスに行くのね?と問われると否定出来ない。
でもまぁあるじゃ無い。
キタダケソウを見たいから、梅雨時の北岳に登る。高山植物が動機になるように、マグロ丼でも良いじゃない、ちょっと欲望的になるけどね^_^)。
言い訳しときますが、キスミレを見たくて高草山に登ったこともありますよ!
追加)初めて高草山のキスミレを、の時、帰りに、ヤッパリ、マグロ丼食べに行ってました^_^)。
平日だったら、焼津港の地魚定の握り寿司ランチがお勧めでした。
数限定ですが今度は是非寄ってみてくださいね。
鯵、鯖に期待。
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