記録ID: 6361354
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ハイキング
奥武蔵
にわか秩父札所めぐり1(東秩父村坂本〜横瀬町横瀬)+大霧山
2024年01月10日(水) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 05:58
- 距離
- 20.9km
- 登り
- 900m
- 下り
- 842m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 5:05
- 休憩
- 0:53
- 合計
- 5:58
距離 20.9km
登り 910m
下り 846m
14:48
ゴール地点
天候 | 晴れ後曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
かえり:札所十番→(西武観光バス)→西武秩父駅→(西武秩父線・池袋線)→池袋駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・特に危険個所無し ・皆野町三沢(広町)に下る直下の個所で巻き道(土道)あり →ヤマレコでは、ルート表示されていないが、本来の巡礼道はこちら |
写真
東秩父村落合へ。
東秩父村域は秩父盆地にはなく、それを構成をする山(俗に言う外秩父)を隔てた東側にあり、村内を荒川水系都幾川最大の支流「槻川」が流れる。
近世、秩父札所に江戸から入る場合は、現在の東秩父村を経由するものが一般的であったようで、現在「江戸巡礼古道」と呼ばれている。
今回は「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道編」(秩父市)を参考に一番札所ではなく、秩父札所に入る道として東秩父を基点とした。
※参考:江戸巡礼古道(秩父観光ナビ)
https://navi.city.chichibu.lg.jp/p_walk/561/
東秩父村域は秩父盆地にはなく、それを構成をする山(俗に言う外秩父)を隔てた東側にあり、村内を荒川水系都幾川最大の支流「槻川」が流れる。
近世、秩父札所に江戸から入る場合は、現在の東秩父村を経由するものが一般的であったようで、現在「江戸巡礼古道」と呼ばれている。
今回は「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道編」(秩父市)を参考に一番札所ではなく、秩父札所に入る道として東秩父を基点とした。
※参考:江戸巡礼古道(秩父観光ナビ)
https://navi.city.chichibu.lg.jp/p_walk/561/
寛政三年(1791年)二月吉日建立の「庚申塔」、坂本村講七人によるもの。
遠くこれから向かう大霧山の稜線が見えてきた!
※庚申塔とは…旧暦で60日に1度巡ってくる庚申(かのえさる)の日の夜に行う祭事「庚申待」を3年の間18回続けた記念に建立したもの。近世には、庚申講が各地で組織され、夜通し徹夜で酒食が出て歓談する社交や情報交換の場となった。
遠くこれから向かう大霧山の稜線が見えてきた!
※庚申塔とは…旧暦で60日に1度巡ってくる庚申(かのえさる)の日の夜に行う祭事「庚申待」を3年の間18回続けた記念に建立したもの。近世には、庚申講が各地で組織され、夜通し徹夜で酒食が出て歓談する社交や情報交換の場となった。
元禄十五年(1702年)の「南無阿弥陀仏塔」で、「みぎハ大ミや、ひたり志まんふ」の記載。
これは「心求・はまの道標石」と呼ばれるもので、「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道編」によれば元禄十五年(1702年)から宝永二年(1705年)にかけて、秩父札所巡礼道上で多く建立されているものの一つとの事。
ちなみに心求は高橋喜兵衛という人物の法名で相模国三浦郡小坪(現・神奈川県逗子市)の住人。はまは心求の家族と考えられている。
これは「心求・はまの道標石」と呼ばれるもので、「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道編」によれば元禄十五年(1702年)から宝永二年(1705年)にかけて、秩父札所巡礼道上で多く建立されているものの一つとの事。
ちなみに心求は高橋喜兵衛という人物の法名で相模国三浦郡小坪(現・神奈川県逗子市)の住人。はまは心求の家族と考えられている。
装備
個人装備 |
折り畳み傘
雨具
防寒具
着替え
携帯電話
薬
熊よけ鈴
充電器
財布
トレランシューズ
行動食
非常食
昼食
|
---|
感想
「俄(にわか)」
・物事が急に起こるさま。
・また事態が急変するさま。
・急激で荒々しいさま。
・だしぬけ。
・突然。
出典:『日本国語大辞典』(小学館)より
どうやら秩父にも札所があるらしい。
当方そこまでの信仰心があるわけではないが、歴史の積み重ねを感じながら、かつて四国を歩いた(四国遍路を1/10程)ように、普段着のまま思い立ったが俄(にわか)スタイルで巡礼してみんと欲す。
というわけで秩父札所について色々と調べてみると、正式名称は「秩父三十四観音霊場」の札所巡りというらしい。この起源は古く文暦元年(1234年)に遡り、戦国期迄には秩父札所が定着し、近世には江戸からこぞって人々が巡礼に訪れたそうである。
今回のルートは、「ちちぶおもてなしマップ 江戸巡礼古道編」を参考に、近世当時、江戸から秩父に入るルートとして一般的であった、東秩父村から入るルートを通り札所めぐりに入る事とする。
恥ずかしながら東秩父村という村がある事を知らなかったが、この村は秩父と冠するが秩父盆地をとりまく東側の山(俗に言う外秩父)を隔てたさらに東側にある。まずは、外秩父の稜線の鞍部・粥新田峠を目指すが、六十六部塔や馬頭観音像、庚申塔等の近世の痕跡がよく残っている。
ここからは当初行く予定はなかったが、粥新田峠の南側に大霧山という眺望に優れた山があるとの事なので登頂したが、想像以上の素晴らしい眺望であった。秩父盆地へ降りて、この日は一番から五番まで。
次回は五番から先の道を歩むとしよう。
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