記録ID: 6400096
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ハイキング
九州・沖縄
登城の道と周りの2座(コシトヲ・高崎山・コシロヲ)
2024年01月27日(土) [日帰り]
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 05:44
- 距離
- 20.4km
- 登り
- 936m
- 下り
- 939m
コースタイム
天候 | 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス | 大学の付近まで徒歩で移動しそこからスタート。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
旧登山道はそれなりに荒れており、一部は植林の影響で無くなっています。 だけど、大部分はそれなりに残っていて意外と歩けました。 |
写真
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
針金
テーピングテープ
細引(設営用)
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
飲料
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
マグライト
予備電池
ポータブル充電機
GPS
筆記用具
常備薬
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ナイフ
カメラ
ストック
ビーコン
サバイバルシート
ツェルト
ペグ8本
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感想
今日は以前から計画していた高崎山の旧登山道を歩く企画。今の新登山道ができる前は、実際にお城が使われてきた時代の登城の道である「七曲がり」といわれる九十九折りの道が山頂まで続いたらしい。昔の航空写真見てみるとたしかに山頂までギザギザの道が見え、古地図にもしっかりと書かれている。
今日はこの登城の道を城ノ腰集落から登ってみました。このあたりには「姥が水」という言い伝えがあり、高崎山山頂は水が出ないため、おばあさんが敵の目をかいくぐってこの登城の道を水を持って登っていたらしいです。途中には敵に見つかって殺されてしまった姥のお墓があるのだとか。
実際に登ってみると、入り口付近は確かにわかりにくいですが、たくさんの遺構が残っており、GPSを見ても確かに九十九折りの道になっていました。人工林部分は植林によって道の痕跡がなくなっている部分はあるものの山頂まで無事につなげられ、長年の夢が叶いました。
今日はこれから当直なので大学に向かいます。やっぱり時間制限ある日の20km企画は心臓に悪いですね。
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ヤマレコに記録をつけるようになって初めて高崎山に登った2017年02月26日のことです。高崎山山頂にて出会った方から大分緑山岳会発行の登山地図:高崎山、霊山、本宮山を見せられ「府中より弐里」の道標石は確認したが「姥が墓」はあるのだろうかとの話題が出ました。
その後気になって同地図を入手し道標石から付近の廃屋周辺を彷徨き、まずは「姥が隠れ水」を探そうと若干試みたことがあります。当時は廃屋の生活用水かと勝手に理解していた可能性もあり、薮に阻まれてやめてしまいました。
その後も一般道から旧道に行ってみようと考えたこともありましたが、実際には下山ということもあり、やめていました。今後機会があれば姥が墓を訪れたいと思いました。同地図の353ピーク付近の巨石群も気になっていたところです。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
今回何回かの斥候、入念な古地図の分析でなんとかたどり着くことができました。高崎山の城ノ越からの道は今の国土地理院の地図だと二本の破線になっていますが、1914年の地図からはギザギザの1本のみであり、今回歩いていないもう一本の道は後世の2代目登山道ではないかとにらんでいます。(また今度調べに行きます。)
「姥が墓」の位置はわかりましたが、「姥が水」の場所はまだわかりません。でも七曲がりを登る前の城ノ越にあるとすれば清心寺の場所ではないかと思います。平成になってから再発見された「不動の瀧」と言われる岩羶紊姥が水ではないかと。
高崎山周辺はまだまだ知られていない歴史が埋まっていそうなので、また探検に出かけたいです。
「姥が水」の推理、なるほどと思いました。僕は前述の地図に記載された場所に定まっているものと誤解していました。
以下などを確認すると、推理を裏付けている気がしました。
http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/bs00813.pdf?file_id=29
また昭和58年12月(1983年)の市報おおいたNo898に新登山口も含めた登山口が掲載されていました。
当時の路が史跡とともに埋もれてしまうのは残念です。ぜひ探検で掘り出してください。
https://www.city.oita.oita.jp/o029/shisejoho/kohokocho/koho/shihooita/documents/0898-s58-12-01.pdf
資料拝見しました。
姥が水は「井戸」なんですね。となるともう一度調べてみる必要がありそうです。
大分観光協会の看板でしたら、姥を殺したのは敵軍とのことですが、他資料には自軍とのこと。(梅木氏の著書「大分の伝説」にも城主の反感を買って殺されたと書かれています。)このあたりはやはり伝承の混乱があるようですね。
近いうちにもう一度偵察に行ってきます。
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