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Yamareco

記録ID: 6436982
全員に公開
ハイキング
関東

浜街道・絹の道 最終回(鶴ヶ峰〜山下町)

2024年02月08日(木) [日帰り]
 - 拍手
体力度
2
日帰りが可能
GPS
06:14
距離
17.5km
登り
89m
下り
122m
歩くペース
ゆっくり
1.31.4
ヤマレコの計画機能「らくルート」の標準コースタイムを「1.0」としたときの倍率です。

コースタイム

日帰り
山行
4:54
休憩
1:21
合計
6:15
距離 17.5km 登り 89m 下り 126m
9:54
4
相鉄線 鶴ヶ峰駅
11:00
11:05
25
11:30
70
12:40
12:41
9
芝生の追分
12:50
12:54
40
浅間神社
13:34
13:39
10
13:49
13:56
13
14:09
14:31
46
15:17
15:43
6
シルク博物館
15:49
15:53
4
15:57
16:04
5
横浜公園
16:09
市営地下鉄 関内駅
過去天気図(気象庁) 2024年02月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車
スタート:相鉄線 鶴ヶ峰駅  ゴール:横浜市営地下鉄 関内駅
その他周辺情報 【西区歴史さんぽみち】
https://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/shokai/kanko/courses/rekishisanpo/rekishikaido.files/0004_20181108.pdf
相鉄線鶴ヶ峰駅を出発
2024年02月08日 09:56撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 9:56
相鉄線鶴ヶ峰駅を出発
駅前商店街を北に抜けて、国道16号線脇の旧道に入ります
2024年02月08日 10:02撮影 by  F-51B, FCNT
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駅前商店街を北に抜けて、国道16号線脇の旧道に入ります
3分ほどで旧街道南側に「馬頭観世音」の標柱
2024年02月08日 10:05撮影 by  F-51B, FCNT
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3分ほどで旧街道南側に「馬頭観世音」の標柱
よく見ると草木に隠れるように馬頭観世音が。天保12年(1841)建立のもの
2024年02月08日 10:06撮影 by  F-51B, FCNT
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よく見ると草木に隠れるように馬頭観世音が。天保12年(1841)建立のもの
16号線に出て横断歩道を渡ると
2024年02月08日 10:11撮影 by  F-51B, FCNT
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16号線に出て横断歩道を渡ると
白根不動入口に道標を兼ねた不動尊。寛政9年(1797)に建てられたもの。
2024年02月08日 10:11撮影 by  F-51B, FCNT
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白根不動入口に道標を兼ねた不動尊。寛政9年(1797)に建てられたもの。
その先、旧道は右の細い坂を上がりますが、その入り口には「白根村道橋改修碑」
2024年02月08日 10:13撮影 by  F-51B, FCNT
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その先、旧道は右の細い坂を上がりますが、その入り口には「白根村道橋改修碑」
江戸の住人櫻井茂左衛門が破損した橋を改修し、往来の難儀を救ったことに由来するもので、元文4年(1739)に建てられたもの
2024年02月08日 10:13撮影 by  F-51B, FCNT
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江戸の住人櫻井茂左衛門が破損した橋を改修し、往来の難儀を救ったことに由来するもので、元文4年(1739)に建てられたもの
坂を上り、住宅街の中の急坂を下った交差点の先で青い愛宕人道橋を渡ります
2024年02月08日 10:18撮影 by  F-51B, FCNT
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坂を上り、住宅街の中の急坂を下った交差点の先で青い愛宕人道橋を渡ります
旧街道から16号線に出て5分ほど、興和台入口を右折
2024年02月08日 10:28撮影 by  F-51B, FCNT
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旧街道から16号線に出て5分ほど、興和台入口を右折
相鉄線の跨線橋を渡り
2024年02月08日 10:31撮影 by  F-51B, FCNT
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相鉄線の跨線橋を渡り
折り返すように新幹線の高架下をぬけ、東進する道が旧街道です
2024年02月08日 10:33撮影 by  F-51B, FCNT
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折り返すように新幹線の高架下をぬけ、東進する道が旧街道です
駅前商店街にあるという西谷不動尊を探してみましたが分からず。宅配のトラックが出て行った陰にやっと発見
2024年02月08日 10:46撮影 by  F-51B, FCNT
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駅前商店街にあるという西谷不動尊を探してみましたが分からず。宅配のトラックが出て行った陰にやっと発見
駅前通りを進み、郵便局左の小径が旧街道
2024年02月08日 10:58撮影 by  F-51B, FCNT
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駅前通りを進み、郵便局左の小径が旧街道
相鉄線のガードをくぐると16号線の向こうに大きな題目塔の立つ妙福寺
2024年02月08日 11:00撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 11:00
相鉄線のガードをくぐると16号線の向こうに大きな題目塔の立つ妙福寺
山門横には近隣から集められたものなのか、たくさんの石仏石塔が並びます
2024年02月08日 11:01撮影 by  F-51B, FCNT
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山門横には近隣から集められたものなのか、たくさんの石仏石塔が並びます
旧街道は妙福寺すぐ東側の坂を上りますが、その入口には元禄10年(1697)の庚申塔
2024年02月08日 11:06撮影 by  F-51B, FCNT
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旧街道は妙福寺すぐ東側の坂を上りますが、その入口には元禄10年(1697)の庚申塔
3分ほど先の高くなった駐車場隅に石仏と堅牢地神。堅牢地神には道路側から「寛政三年・・・左神奈川」の文字が読み取れます
2024年02月08日 11:09撮影 by  F-51B, FCNT
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3分ほど先の高くなった駐車場隅に石仏と堅牢地神。堅牢地神には道路側から「寛政三年・・・左神奈川」の文字が読み取れます
旧街道は正観寺前を通過
2024年02月08日 11:11撮影 by  F-51B, FCNT
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旧街道は正観寺前を通過
その先には新しい「旧八王子道」の道標(南側より撮影)。北面には「至 八王子」と刻まれている
2024年02月08日 11:13撮影 by  F-51B, FCNT
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その先には新しい「旧八王子道」の道標(南側より撮影)。北面には「至 八王子」と刻まれている
道標に従い、すぐ先の庚申塔の立つ角を左折。庚申塔は文化8年(1811)のもの
2024年02月08日 11:14撮影 by  F-51B, FCNT
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道標に従い、すぐ先の庚申塔の立つ角を左折。庚申塔は文化8年(1811)のもの
環状2号線の下を潜り、16号線に出て数分で杉山神社。創建は不詳ながら江戸期には上星川村の鎮守社となっていたとか
2024年02月08日 11:21撮影 by  F-51B, FCNT
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環状2号線の下を潜り、16号線に出て数分で杉山神社。創建は不詳ながら江戸期には上星川村の鎮守社となっていたとか
鳥居横の「堅牢地神宮」は寛政4年(1792)のもの
2024年02月08日 11:21撮影 by  F-51B, FCNT
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鳥居横の「堅牢地神宮」は寛政4年(1792)のもの
16号線を進み、JR貨物線の高架手前左側には「双体道祖神・庚申塔・堅牢地神塔」が並ぶ。双体道祖神には明和の文字が読み取れます
2024年02月08日 11:27撮影 by  F-51B, FCNT
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16号線を進み、JR貨物線の高架手前左側には「双体道祖神・庚申塔・堅牢地神塔」が並ぶ。双体道祖神には明和の文字が読み取れます
その先の歩道橋下にはフェンスに囲まれた「和田村道橋改修碑」。白根村同様、櫻井茂左衛門による橋改修に由来するもので元文2年(1737)の建立
2024年02月08日 11:35撮影 by  F-51B, FCNT
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その先の歩道橋下にはフェンスに囲まれた「和田村道橋改修碑」。白根村同様、櫻井茂左衛門による橋改修に由来するもので元文2年(1737)の建立
横浜新道の高架下を過ぎると、旧街道は左・右・左と16号を縫うように進みます
2024年02月08日 12:11撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 12:11
横浜新道の高架下を過ぎると、旧街道は左・右・左と16号を縫うように進みます
緩やかに坂を下り、宮田二丁目交差点を斜め左に入ると
2024年02月08日 12:32撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 12:32
緩やかに坂を下り、宮田二丁目交差点を斜め左に入ると
角の先には延命地蔵尊。この裏山一帯は古くからの埋葬場と云われ、保土ヶ谷宿で亡くなった東海道・八王子道の旅人をここに埋葬していたとか
2024年02月08日 12:33撮影 by  F-51B, FCNT
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角の先には延命地蔵尊。この裏山一帯は古くからの埋葬場と云われ、保土ヶ谷宿で亡くなった東海道・八王子道の旅人をここに埋葬していたとか
地蔵尊前をそのまま5分ほど進むと芝生の庚申塔
2024年02月08日 12:39撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 12:39
地蔵尊前をそのまま5分ほど進むと芝生の庚申塔
旧街道はここで旧東海道に合流
2024年02月08日 12:40撮影 by  F-51B, FCNT
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旧街道はここで旧東海道に合流
その角には、芝生追分の標柱が立っています
2024年02月08日 12:40撮影 by  F-51B, FCNT
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その角には、芝生追分の標柱が立っています
追分から旧東海道を東進。足元には旧東海道を示すプレート。ところで、このマークは何?
2024年02月08日 12:45撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 12:45
追分から旧東海道を東進。足元には旧東海道を示すプレート。ところで、このマークは何?
追分から10分ほど歩き、浅間神社に立寄り
2024年02月08日 12:49撮影 by  F-51B, FCNT
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追分から10分ほど歩き、浅間神社に立寄り
誠愛剣法発祥地?「己に勝つ事の出来る子供を育てる」という目的で宍戸三郎氏が昭和45年(1970) に「誠愛剣友会」を設立。その記念碑とか
2024年02月08日 12:51撮影 by  F-51B, FCNT
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誠愛剣法発祥地?「己に勝つ事の出来る子供を育てる」という目的で宍戸三郎氏が昭和45年(1970) に「誠愛剣友会」を設立。その記念碑とか
浅間神社は承歴4年(1080)源頼朝の勧請によって創建されたとか。社殿は関東大震災や戦災で焼失し、現在のものは戦後再建したもの
2024年02月08日 12:52撮影 by  F-51B, FCNT
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浅間神社は承歴4年(1080)源頼朝の勧請によって創建されたとか。社殿は関東大震災や戦災で焼失し、現在のものは戦後再建したもの
旧街道は浅間下交差点で旧東海道と分かれ、南東に向かいます。交差点から一本北東に進んだ先の道が横浜道の入口
2024年02月08日 12:57撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 12:57
旧街道は浅間下交差点で旧東海道と分かれ、南東に向かいます。交差点から一本北東に進んだ先の道が横浜道の入口
横浜道入口にある説明板。地図には旧東海道・横浜道・保土ヶ谷道の道筋が示されています
2024年02月08日 12:57撮影 by  F-51B, FCNT
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横浜道入口にある説明板。地図には旧東海道・横浜道・保土ヶ谷道の道筋が示されています
横浜道を進むと平沼橋の向こうにみなとみらいのシンボル・ランドマークタワーが見えてきました
2024年02月08日 13:05撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 13:05
横浜道を進むと平沼橋の向こうにみなとみらいのシンボル・ランドマークタワーが見えてきました
平沼橋の右側道を進むと、元平沼橋を渡った先で線路に突き当たります。ここにも横浜道の案内板がありました
2024年02月08日 13:09撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 13:09
平沼橋の右側道を進むと、元平沼橋を渡った先で線路に突き当たります。ここにも横浜道の案内板がありました
少し戻って平沼橋で線路を越えて、平沼橋商店街の中を進みます
2024年02月08日 13:16撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 13:16
少し戻って平沼橋で線路を越えて、平沼橋商店街の中を進みます
足元には横浜道のプレート。このマークは旧東海道・横浜道・保土ヶ谷道を表わしていたようです。こうなると保土ヶ谷道も気になってきました
2024年02月08日 13:20撮影 by  F-51B, FCNT
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足元には横浜道のプレート。このマークは旧東海道・横浜道・保土ヶ谷道を表わしていたようです。こうなると保土ヶ谷道も気になってきました
国道1号線を渡って5分ほど、戸部町4丁目交差点を左に入ると岩亀横丁。横浜の遊郭岩亀楼の遊女たちの寮がこの辺りにあったため、こう呼ばれたとか
2024年02月08日 13:27撮影 by  F-51B, FCNT
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国道1号線を渡って5分ほど、戸部町4丁目交差点を左に入ると岩亀横丁。横浜の遊郭岩亀楼の遊女たちの寮がこの辺りにあったため、こう呼ばれたとか
レトロな茶房の横の路地を入ると
2024年02月08日 13:30撮影 by  F-51B, FCNT
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レトロな茶房の横の路地を入ると
遊女たちの信仰を集めた岩亀稲荷がひっそりと祀られていた
2024年02月08日 13:31撮影 by  F-51B, FCNT
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遊女たちの信仰を集めた岩亀稲荷がひっそりと祀られていた
その先の角を南に入ると掃部山公園。その小高い丘の頂には、横浜の開港に貢献した大老、井伊掃部頭直弼公の銅像が立っています
2024年02月08日 13:39撮影 by  F-51B, FCNT
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その先の角を南に入ると掃部山公園。その小高い丘の頂には、横浜の開港に貢献した大老、井伊掃部頭直弼公の銅像が立っています
掃部山公園を出て県立図書館・音楽堂の前を過ぎ、紅葉坂に入ると
2024年02月08日 13:44撮影 by  F-51B, FCNT
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2/8 13:44
掃部山公園を出て県立図書館・音楽堂の前を過ぎ、紅葉坂に入ると
金星太陽面経過観測記念碑。明治7年(1874)、海軍吉田中尉らがメキシコ観測隊とともに野毛山・山手の2地点で
その観測に成功したとか
2024年02月08日 13:44撮影 by  F-51B, FCNT
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金星太陽面経過観測記念碑。明治7年(1874)、海軍吉田中尉らがメキシコ観測隊とともに野毛山・山手の2地点で
その観測に成功したとか
すぐ先には神奈川奉行所跡の碑。安政6年(1859)にこの地に設置されて戸部役所と呼ばれ、内国司法・行政を取り扱っていたとか
2024年02月08日 13:45撮影 by  F-51B, FCNT
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すぐ先には神奈川奉行所跡の碑。安政6年(1859)にこの地に設置されて戸部役所と呼ばれ、内国司法・行政を取り扱っていたとか
紅葉坂を上り、伊勢山皇大神宮へ。関東のお伊勢さまと呼ばれますが、その歴史は意外に新しく明治三年に神奈川県によって創建されたものです
2024年02月08日 13:50撮影 by  F-51B, FCNT
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紅葉坂を上り、伊勢山皇大神宮へ。関東のお伊勢さまと呼ばれますが、その歴史は意外に新しく明治三年に神奈川県によって創建されたものです
伊勢山皇大神宮を出て、野毛の切通しへ下ります。この切通しは、東海道筋と開港場を結ぶ横浜道として野毛山を切り開いたもの
2024年02月08日 13:55撮影 by  F-51B, FCNT
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伊勢山皇大神宮を出て、野毛の切通しへ下ります。この切通しは、東海道筋と開港場を結ぶ横浜道として野毛山を切り開いたもの
明治6年(1873)には切通しの切下げ工事が施工され、西側には明治23年(1890)〜明治26年(1893)に建築された「亀甲積擁壁」が見られます
2024年02月08日 13:59撮影 by  F-51B, FCNT
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明治6年(1873)には切通しの切下げ工事が施工され、西側には明治23年(1890)〜明治26年(1893)に建築された「亀甲積擁壁」が見られます
ここで野毛山公園に立寄り。ここには昭和の著名な女流俳人・中村汀女の句碑や
2024年02月08日 14:03撮影 by  F-51B, FCNT
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ここで野毛山公園に立寄り。ここには昭和の著名な女流俳人・中村汀女の句碑や
聴衆契約者百万人超えを記念した日本放送協会のラジオ搭
2024年02月08日 14:04撮影 by  F-51B, FCNT
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聴衆契約者百万人超えを記念した日本放送協会のラジオ搭
佐久間象山顕彰碑。象山は日本開国に際し、開港場として横浜が最適の地であることを強く主張し、横浜発展の下地を作ったという
2024年02月08日 14:07撮影 by  F-51B, FCNT
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佐久間象山顕彰碑。象山は日本開国に際し、開港場として横浜が最適の地であることを強く主張し、横浜発展の下地を作ったという
その先、野毛山動物園にも立寄り。私が子供のころは遊園地と動物園の複合有料施設であったが、現在は無料の小さな動物園となっている
2024年02月08日 14:10撮影 by  F-51B, FCNT
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その先、野毛山動物園にも立寄り。私が子供のころは遊園地と動物園の複合有料施設であったが、現在は無料の小さな動物園となっている
旧街道に戻り、野毛坂を下って行くと野毛三丁目公園内に日本近代水道最古の水道管が。明治20年(1887)、横浜に日本最初の近代水道が誕生したそうです
2024年02月08日 14:37撮影 by  F-51B, FCNT
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旧街道に戻り、野毛坂を下って行くと野毛三丁目公園内に日本近代水道最古の水道管が。明治20年(1887)、横浜に日本最初の近代水道が誕生したそうです
野毛坂を下り、都橋を渡って伊勢佐木町入口交差点まで進み、左折して吉田橋を渡ります
2024年02月08日 14:48撮影 by  F-51B, FCNT
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野毛坂を下り、都橋を渡って伊勢佐木町入口交差点まで進み、左折して吉田橋を渡ります
橋の途中には吉田橋関門跡の碑が立っています。開港、横浜道の整備により、交通の要所となりその治安維持のため橋のたもとに関門が設置されました
2024年02月08日 14:48撮影 by  F-51B, FCNT
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橋の途中には吉田橋関門跡の碑が立っています。開港、横浜道の整備により、交通の要所となりその治安維持のため橋のたもとに関門が設置されました
これにより、関門の内側となる馬車道側は関内と呼ばれるようになったとか
2024年02月08日 14:52撮影 by  F-51B, FCNT
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これにより、関門の内側となる馬車道側は関内と呼ばれるようになったとか
馬車道には当時のガス灯を模した街路灯が並んでいます
2024年02月08日 14:53撮影 by  F-51B, FCNT
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馬車道には当時のガス灯を模した街路灯が並んでいます
馬車道途中にある「写真師・下岡蓮杖顕彰碑」。日本写真の開祖である蓮杖は、慶応3年(1867)、この地に写真館を開いたという
2024年02月08日 14:57撮影 by  F-51B, FCNT
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馬車道途中にある「写真師・下岡蓮杖顕彰碑」。日本写真の開祖である蓮杖は、慶応3年(1867)、この地に写真館を開いたという
その先に見える県立歴史博物館は旧横浜正金銀行本店。開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引の改善のため明治13年(1880)に設立されています
2024年02月08日 14:58撮影 by  F-51B, FCNT
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その先に見える県立歴史博物館は旧横浜正金銀行本店。開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引の改善のため明治13年(1880)に設立されています
牛馬飲水槽は、大正6年当時、陸上交通の主力であった牛馬のために設けられたものと云われますが、この県立歴史博物館対面のものはレプリカだそうです。
2024年02月08日 14:59撮影 by  F-51B, FCNT
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牛馬飲水槽は、大正6年当時、陸上交通の主力であった牛馬のために設けられたものと云われますが、この県立歴史博物館対面のものはレプリカだそうです。
国道を渡った左側には横浜第二合同庁舎。この建物は関東大震災後の大正15年(1926)に2代目の生糸検査所として建てられたもの
2024年02月08日 15:03撮影 by  F-51B, FCNT
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国道を渡った左側には横浜第二合同庁舎。この建物は関東大震災後の大正15年(1926)に2代目の生糸検査所として建てられたもの
右折して海岸通りに入ると日本郵船歴史博物館。博物館は2026年10月まで?休館中です
2024年02月08日 15:06撮影 by  F-51B, FCNT
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右折して海岸通りに入ると日本郵船歴史博物館。博物館は2026年10月まで?休館中です
神奈川県警本部の先には、横浜三搭のひとつ、クィーンの塔の建つ横浜税関。現在の建物は関東大震災後、昭和9年(1934)に建てられたもの
2024年02月08日 15:08撮影 by  F-51B, FCNT
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神奈川県警本部の先には、横浜三搭のひとつ、クィーンの塔の建つ横浜税関。現在の建物は関東大震災後、昭和9年(1934)に建てられたもの
クィーンの塔とあかいくつバス。横浜らしい景色です
2024年02月08日 15:11撮影 by  F-51B, FCNT
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クィーンの塔とあかいくつバス。横浜らしい景色です
横浜開港資料館を過ぎ、右に入ると「日米和親条約締結の地」の標柱。開港資料館の建つ場所が、1854(安政元)年に日米和親条約が締結された場所とか
2024年02月08日 15:14撮影 by  F-51B, FCNT
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横浜開港資料館を過ぎ、右に入ると「日米和親条約締結の地」の標柱。開港資料館の建つ場所が、1854(安政元)年に日米和親条約が締結された場所とか
その隣の建物は、旧英国総領事館。この建物は英国工務の設計で昭和6年(1931)に建てられたものです
2024年02月08日 15:15撮影 by  F-51B, FCNT
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その隣の建物は、旧英国総領事館。この建物は英国工務の設計で昭和6年(1931)に建てられたものです
道を挟んでシルクセンタービル。開港100年記念事業として建てられた生糸貿易で栄えてきた横浜のシンボルともいえるビルです
2024年02月08日 15:16撮影 by  F-51B, FCNT
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道を挟んでシルクセンタービル。開港100年記念事業として建てられた生糸貿易で栄えてきた横浜のシンボルともいえるビルです
ビル内にはシルク博物館があり、絹知識の普及・啓発や服飾の工芸美を鑑賞する場、また体験学習の場が提供されています
2024年02月08日 15:21撮影 by  F-51B, FCNT
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ビル内にはシルク博物館があり、絹知識の普及・啓発や服飾の工芸美を鑑賞する場、また体験学習の場が提供されています
シルクセンターが建つのは英一番館跡。安政6年(1859)開港と同時に英ジャーディン・マセソン商会が横浜支店として貿易を開始した場所で外国人居留地の一番地
2024年02月08日 15:43撮影 by  F-51B, FCNT
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シルクセンターが建つのは英一番館跡。安政6年(1859)開港と同時に英ジャーディン・マセソン商会が横浜支店として貿易を開始した場所で外国人居留地の一番地
シルクセンターから海岸通りを戻り、日本大通りへ。神奈川県庁本庁舎には横浜三搭のキングの塔。さすがの貫禄です。竣工は昭和3年(1928)10月
2024年02月08日 15:48撮影 by  F-51B, FCNT
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シルクセンターから海岸通りを戻り、日本大通りへ。神奈川県庁本庁舎には横浜三搭のキングの塔。さすがの貫禄です。竣工は昭和3年(1928)10月
県庁舎はの南側・日本大通り沿いに立つ神奈川運上所跡の碑。「運上」とは江戸時代の税金を意味し、安政6年(1859)ここに運上所(税関)が設けられました
2024年02月08日 15:50撮影 by  F-51B, FCNT
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県庁舎はの南側・日本大通り沿いに立つ神奈川運上所跡の碑。「運上」とは江戸時代の税金を意味し、安政6年(1859)ここに運上所(税関)が設けられました
西方向に見えるのは横浜三搭のジャックの塔。横浜開港50周年を記念して建てられた横浜市開港記念会館で大正6年(1917)6月に竣工
2024年02月08日 15:50撮影 by  F-51B, FCNT
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西方向に見えるのは横浜三搭のジャックの塔。横浜開港50周年を記念して建てられた横浜市開港記念会館で大正6年(1917)6月に竣工
その先、横浜公園まで続く日本大通り(振返り撮影)。開港当初、この通りの南側は外国人居留、北側は日本人居住区で日本人街からの火災を防ぐ防火帯だったとか
2024年02月08日 15:57撮影 by  F-51B, FCNT
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その先、横浜公園まで続く日本大通り(振返り撮影)。開港当初、この通りの南側は外国人居留、北側は日本人居住区で日本人街からの火災を防ぐ防火帯だったとか
横浜公園は、開港当時、太田屋新田という開墾地の一部で、港崎町と命名され外国人接待の国際社交場として遊郭などが建ちならぶ花街だったとか
2024年02月08日 15:57撮影 by  F-51B, FCNT
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横浜公園は、開港当時、太田屋新田という開墾地の一部で、港崎町と命名され外国人接待の国際社交場として遊郭などが建ちならぶ花街だったとか
横浜公園の一角にある彼我庭園。慶応3年(1866)、日本人街の豚肉屋から発生した火災により遊郭街は全焼。跡地は彼我公園となり、今は庭園として名が残されている
2024年02月08日 15:58撮影 by  F-51B, FCNT
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横浜公園の一角にある彼我庭園。慶応3年(1866)、日本人街の豚肉屋から発生した火災により遊郭街は全焼。跡地は彼我公園となり、今は庭園として名が残されている
この彼我庭園には、国際社交場・港崎町の名残として遊郭・岩亀楼の石灯篭が置かれている
2024年02月08日 16:00撮影 by  F-51B, FCNT
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この彼我庭園には、国際社交場・港崎町の名残として遊郭・岩亀楼の石灯篭が置かれている
横浜公園を出て、関内駅で今日の旅は終わり。先ほどから気にかかる保土ヶ谷道は明日歩くことにした
2024年02月08日 16:08撮影 by  F-51B, FCNT
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横浜公園を出て、関内駅で今日の旅は終わり。先ほどから気にかかる保土ヶ谷道は明日歩くことにした
撮影機器:

感想

八王子から延々辿ってきた輸送路としての絹の道。しかし、浅間下交差点から横浜道に入ると、辺りの史跡は横浜開港・生糸貿易による横浜発展に関わるものが増えてくる。
中でも岩亀横丁・岩亀稲荷から繋がる岩亀楼の話はおもしろい。港の発展のために作った国際社交場としての遊郭街は外国人には好まれず、日本人街から起こった火災により全焼してしまった遊廓街を、外国人主導の復興整備により、日本大通りや横浜公園の成り立ちに繋がっていく、ある意味横浜の黒歴史を知ることもでき、非常に興味深い旅であった。
興味のある方はこちらを⇒https://kannai.jp/gankiro2/
明日は、横浜開港に関わるもう一つの道「保土ヶ谷道」を歩くことにした。

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