小笠原Day11-12 大神山
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- GPS
- 00:40
- 距離
- 1.6km
- 登り
- 58m
- 下り
- 85m
コースタイム
天候 | 曇 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
船
BONIN WAVE 06:00 起床 07:00 朝食 09:00 ローカルベーカリー 09:20-10:50 荷造り 11:00 チェックアウト 散歩 11:00 BONIN WAVE 11:30 二見桟橋 11:40-12:30 あめのひ食堂 13:00 二見桟橋 13:30 搭乗券引換 小笠原海運おがさわら丸 14:15 乗船開始時間 14:40 乗船 15:00 二見(父島) 17:00-18:30 感想執筆 18:30-18:50 昼食 20:00 就寝 03/07 小笠原海運おがさわら丸 06:00 起床 07:05 歯磨き 07:15-07:30 朝食 09:00-10:50 昼寝 12:35 外部deck開放 13:00-13:15 4deckレストラン 15:45 竹芝(東京) 45分遅れ 15:55 下船 JR京浜東北・根岸線 16:07 浜松町 16:14 東京 JR東北新幹線 17:20 東京 20:40 新青森 JR奥羽本線 20:50 新青森 21:30 弘前 |
写真
荷物をザックに詰め込む。来た時は一眼レフのカメラが入るポーチを肩にかけていたのに、そのポーチ分のスペースが生まれていた。そのスペースにあった持ち込んだ行動食は昨日で全て無くなった。
朝は太陽が見えるけれど、これから雲が優勢になって雨が降るんだろうなと思うようになった。
ザックはオーナーが港まで運んでくれるので、ボディバッグひとつを持って、小笠原での最後の記録を開始した。
小笠原に来て初めて蒸し暑いと思う。
ウィンドブレーカーを脱いで、腰に結びつけて肌に風を当てる。
歩き慣れ始めた坂を登り、大村地区で立ち入っていなかった大神山公園へ。
小さな山といえど、坂は結構急。
海から吹く風が気持ちいい。
大神山の東側にあるこの展望台は、パノラマと名が付いているように、二見港と兄島方面を眺めることができる。
雨が降ったら行こうと思っていた、あめのひ食堂で昼食を取る。店内はほぼ満員で、空いていたカウンター席の下にある空間にボディバックと帽子を押し込んで着席。
・島魚(メカジキ)のソースカツ丼 1800円
待合所窓口が再開したので、事前に印刷しておいた紙と引き換えに、乗船券を貰う。
待合所の空間は大きくベンチも多いが、乗船待ちの人でごった返していて、休めるような場所がないので、少し離れたこの東屋で乗船時間まで待つ。
雨脚がゆっくりと、されど強く地面を濡らしていく。
7deck~5deck搭乗開始すると、人が多く並ぶ。小中学校の離任した先生が小笠原を発つ日だったのか、ランドセルを背負った子供たちが大人たちを囲んで「さらばだ〜」と写真を撮っていた。
復路のおがさわら丸も前線にぶつかり、時化る海を進んでいく。外部deckは朝になっても閉鎖されたまま。それでも往路の揺れに比べたら大したものでは無く、安眠できた。10時間寝ていたのがその証拠。
東京湾に近づいた12:35に外部deckが開放された。
島塩ラーメン 950円
小笠原でラーメンを食べるより、地元ならではな食材を味わいたい思いで、レストランやメニューを選んでいた。
しかし最後の食事なので、往路から目に入っていた、島の塩を使ったラーメンを食べることに。
ラーメンを食べた後に、半袖シャツのまま外部deckに出た。時化や雨の影響で甲板は濡れている。幾ら東京といえど、小笠原から見たらかなり北なので肌寒い。三浦半島を目視して直ぐに船内に戻った。
45分遅れでの東京到着。
最高気温20℃を超える小笠原から、10℃を下回る東京に着いて、冬は寒いことを思い出す。これから青森県に行くことは考えたくも無い。弘前に到着する21時の気温を確認すると、氷点下。日本は広いね(現実逃避)。
目の前には新しい車が通り抜け、コンビニやスタバ、牛丼店などが立ち並ぶ。見上げればモノレールや東海道新幹線が走り、高層ビルが空を削っている。
歩行者用信号機の点滅に気づき、横断歩道を急足に渡る。下船した黒い人並みは浜松町駅へと流れていく。乗船した時は半袖姿で色とりどりだったのに、冬の寒さに当てられて皆コートで色を覆い被してしまう。
帰ってきたのだ、日常に。
装備
個人装備 |
ボディバック
財布
|
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感想
小笠原村の旅行記を読んで頂きありがとうございます。
この旅行記はここで終わりです。拙い文章を最後まで目を通したあなたに感謝を申し上げます。
今回、小笠原群島に行こうと思い立った理由は幾つかありますが、2年前の12月に千葉県鋸山に登ったことが最初のきっかけでした。
鋸山周辺の海岸線には、ヤシの木が多く植栽されていて、東京近郊に南国気分を味わえることに強い衝撃を受けました。当時の私は、亜熱帯性植物を見るには、植物園等の施設を除いて、出身地北海道から遠く離れた沖縄まで行かなくてはならないと思っていたのですから。今でも夕暮れの浜金谷駅から見たヤシの木と富士山の風景を思い出すことがあります。この件を境に、海の向こうにある同じ東京でありながら亜熱帯性植物が繁茂する小笠原に行きたいと思う様になりました。これが鋸山に登った1ヶ月後の、昨年の1月のことでした。
時を進めて、昨年の10月に内定式が東京でありました。懇親会で社員らが口を揃えていうのは「遊んでこい」、「海外に触れることも大切」。加えて、数人の同期の自己紹介に映る写真は海外で、趣味は海外旅行。それ自体を否定するつもりはありませんし、寧ろ私も日本と異なる海外の文化自然環境を体感したいと思っています。しかし、心のどこかにはいつも「私は日本人でありながら現代日本すら知らないのでは?」という考えが居座っているのです。この感覚を言い換えるならば、ジムバッチ8つを集めずに四天王へ挑戦する様なものなのです。
これは道民の気質も関わっているのかもしれません。私自身、経費で北東北以外に行く機会はあります。しかし、恐らく多数の道民にとって、都道府県境や地方越えの観光でさえビックイベントで、相当の準備をかけて楽しむものです。6年道外にいる私ですら、今でもその心理的なハードルを抱えています。
波乗りバグは使いたくない気質の私は、コロナ禍以降の3年間でまず、居住地周辺の北海道・北東北を重点的に回って、なるべく自分の脚で移動してきました。峠を越えると気候が変わること、田圃の小さな葉から稲穂の首が垂れるまでの過程を見れたこと、年寄の方言は本当に聞き取り辛いこと、住民は何もないと言いながら自分の土地の良いところを教えてくれること、見ず知らずの人間を助けようと行動する人は思っていたよりも多いことなどを知ることができました。
そして、卒業旅行の言葉が聞こえ始めた昨年12月に、東京都区内から24時間の航海を経てたどり着き、便数も1週間に1度程度しか無く、まとまった休みが無ければ行くことすら叶わない、生物地理区的に内地とは異なるオセアニア区に属する東京都小笠原村を年度末の旅行先に決めました。日本の最果ての島・小笠原を体験するために、歩いて潜って見て話して食べて回ろうと思ったのでした。
この旅は2月20日の05:26始発で弘前を出ることから始まりました。東京で3日間研究の引き継ぎを行い、学部で卒業した同期と会ったり、D論公聴会を聞いたりしていました。その足で25日竹芝桟橋からおがさわら丸に乗り込みました。ザック下部の衣服は変わらないですが、上部スペースに必要な道具を入れて東京に来ました。それが小笠原旅行前に食料スペースになり、帰りはお土産スペースに進化しました。17日間に渡る旅程を経て、「旅せよ平日!JR東日本たびキュン♥早割パス」を利用して、弘前に帰ってきました。3月で卒業なので、帰るという表現もあと数日ですけれど。
感じたこと・思ったことは各山行記録で書いたのでここでは割愛します。総じて言えるのは、「行ってよかったな」という感慨だけが、今この文章を書いている、おがさわら丸の2等寝室で去来しています。それに、私にとっての「むげんのチケット」はこの航路なんだろうなと、確信に近い何かを感じています。母島に2つほどポケモンマンホールを追加してくれないかな。
今回の小笠原群島旅行で、持ち込んでよかったもの・持ち込みが必要ないもの、役立つ情報などを日記にまとめました。小笠原へ行こうと考えている方の助けになると思います。また、今回のGPSデータから展望台や観光スポット等の位置を確認して、22の「山の地名」を新規登録と6の「山の地名」の修正を行いました。この後に小笠原群島へ遊びに行く方の助けになれればと思います。
この旅で出会った全ての方へ感謝を申し上げます。そして、彼等に幸多からんことを願っています。
日記: 小笠原のチェックリスト
https://www.yamareco.com/modules/diary/454051-detail-323901
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