記録ID: 6571960
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ハイキング
奥武蔵
カタクリを探しに鐘撞堂山ハイキング
2024年03月20日(水) [日帰り]
![情報量の目安: B](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_B2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 04:40
- 距離
- 12.9km
- 登り
- 529m
- 下り
- 507m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 3:38
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 4:38
距離 12.9km
登り 529m
下り 513m
天候 | 曇り→時々小雨→晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
OUT:波久礼駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険箇所なし。色々歩けるコースがあるため、ピンクテープも豊富だが、分岐では目的地の方向を確認するのが良い。 |
その他周辺情報 | 温泉: 立ち寄りなし。亀の井ホテル 長瀞寄居で日帰り温泉が入れますが、受付は14時00分までです。 食事: 秩父では立ち寄りなし(高田馬場で打ち上げ)。手打ちうどん とき、焼肉たてがみなどが候補になりそう。 |
写真
鐘撞堂山
ここは寄居町、花園町、美里町の分岐点で、標高330.2メートルの山です。
戦国時代は鉢形城の見張り場で、事あるときには鐘をついて合図したこと。 からこの名が付いたといわれています。この鐘撞堂は、北条氏邦の義父、康 邦が造ったものといわれています。
一説には、鎌倉時代に建造されたものだとか、猪股小平六範綱による造堂 ともいわれています。
この鐘撞堂の堂守は鐘打鐘阿弥で、この鐘阿弥は飛脚も兼ねており、天正 年間には鐘打は20人で、敵襲来!ともなれば、戦時編成の守備隊によって、 命令一下、鐘阿弥をしてこの鐘が撞き出されました。そして、鐘から鐘へ信 号が伝達され、隣接の諸城
にまで非常事態勢に入る仕組となっていました。 天正18年、豊臣秀吉の小田原城征伐のとき、前田利家、本多忠勝などの 軍勢などに攻撃され落城した折、ここの鐘も取り去られたといい伝えられで います。
寄居町・埼玉県
ここは寄居町、花園町、美里町の分岐点で、標高330.2メートルの山です。
戦国時代は鉢形城の見張り場で、事あるときには鐘をついて合図したこと。 からこの名が付いたといわれています。この鐘撞堂は、北条氏邦の義父、康 邦が造ったものといわれています。
一説には、鎌倉時代に建造されたものだとか、猪股小平六範綱による造堂 ともいわれています。
この鐘撞堂の堂守は鐘打鐘阿弥で、この鐘阿弥は飛脚も兼ねており、天正 年間には鐘打は20人で、敵襲来!ともなれば、戦時編成の守備隊によって、 命令一下、鐘阿弥をしてこの鐘が撞き出されました。そして、鐘から鐘へ信 号が伝達され、隣接の諸城
にまで非常事態勢に入る仕組となっていました。 天正18年、豊臣秀吉の小田原城征伐のとき、前田利家、本多忠勝などの 軍勢などに攻撃され落城した折、ここの鐘も取り去られたといい伝えられで います。
寄居町・埼玉県
感想
もうハイキングの季節です。直前に何名か欠席になってしまったけど、まったりハイキングを楽しめました。
もう少し経つと、カタクリを始めとした草花を楽しめそうです。歩荷練習も出来ました。
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