《天子山脈》内船【佐野川、天子ヶ岳、長者ヶ岳】田貫湖(9h)


- GPS
- --:--
- 距離
- 18.1km
- 登り
- 1,826m
- 下り
- 1,260m
コースタイム
天候 | 曇り時々陽光 |
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過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰り バス 休暇村富士17:00 富士宮17:45 840圓 身延線 富士宮 18:22-甲府 19:59(ワイドビュー)ふじかわ11号 2670圓 |
コース状況/ 危険箇所等 |
内船〜佐野峠 車一台分の狭い舗装道路 佐野峠〜上佐野 上部は皆伐斜面で、迂回路はあるけど、降り口が不明瞭 上佐野〜天子ヶ峰 20年ほど前に整備した登山道のよう。その後の補修は十分でなさそう |
その他周辺情報 | 国民宿舎富士の風呂は14時までだそう。ビールは4階の自販機にあり長缶420圓 |
写真
装備
個人装備 |
ハーネス+メット
スパイク地下足袋
シュリンゲ+ビナ+確保器
防寒具
シュラフカバー
小マット
その他沢個人装備
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共同装備 |
ツエルト
ノコ
焚き火セット
ザイル8mm30m
小鍋
バイルハンマ
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備考 | 沢登りのつもりで装備を持ったが、どの沢もあまり入る気がしないヤブヤブで、結局全部道歩きになった。足はスパ地下、荷物8キロ |
感想
まだ知らない山域、天子山地の南部は、佐野川が山地を二列に割り、その最奥には集落がある。富士川から富士山麓への横断を試みた。はじめ、沢をつなごうかと思ったが、内船(うつぶな)、佐野、田貫湖畔をつなぐ古くからの峠道があるようなので、それを辿った。日帰りなら、それで時間読みはぎりぎりだった。
こういう山行は初めてという梨大山岳部員のイワッチと身延線一番列車に乗って内船へ。富士川下ると青空に。内船は小さな村落だ。集落上の内船寺の階段を抜けて上の集落へ。本堂と大木と庭が立派である。内船寺上段の富岡にあがると、またいい雰囲気の坂道を登る。お墓の横の道を近代工法で治していた。道路や石垣の普請は、「昔は人任せにゃしねえもんだった」と古老が行った話を読んだのを思い出す。もう自前で道を治せる世代は失われているのかもしれない。
はじめ佐野峠への登りは沢を行こうと思っていたが、薮が覆い被さり障害物だらけの谷底を見て、やめる。峠への道は車一台がやっと通れる狭い道で、すれ違いも難しい幅のまま佐野峠へとあがる。峠北側で伐採しているようで林業の車が何台もあがっていく。みな「作業しているので気をつけて」と言ってくれる。昔だったら登山者は邪魔者扱いで睨まれたものだ。峠は近代工法で整備された東屋つき公園風の広場。伐採車両が沢山停まっていて工事現場みたい。むかし、この峠を越えて佐野と内船を行き来した往時の馬丁の気持ちになってみたかったが諦めた。対岸に天子と長者が霞の中に見えた。佐野集落の赤いトタン屋根なども。
下りの登山道入り口は見つけられず、北に向かうトラバース車道を少し歩いてから東の杉の急斜面を下る。すぐに登山道に乗る。皆伐の斜面は、丸裸だ。パワーショベルノコギリ付きみたいな特殊車両が、ばんばん仕事している。でも長く手入れされていなかった杉林のようで、切った材はどうするのやら。切った山肌には何を植えるのやら。甲斐国志(18世紀)によると、佐野川源流域は幕府の御料林でその保持管理のために佐野には40軒の集落があったそうだ。いま見かける山はそれほどの美林ではない。皆伐斜面を避けるように臨時の迂回路が設けられている。「東海自然歩道」として整備されている官営の道だし、無かったことにはできない雰囲気のようだ。道中、景気が良かった20年前に建てたと思われる立派な標識や腰掛けなどが各所にある。
山を降りて佐野集落にくだる。峠から村へ降りていくこの時間が好きだ。お嫁入り、出征兵士の帰還、物資の行商、過去幾多の人々の記憶を想像する。
イワッチはヒマラヤ山麓のトレッキングをしたいと言っているので、アンナプルナやランタンのトレッキングがまさにこんな感じだよという話をする。村落では茶畑で働いている人が遠くに見えた。とある民家のトタン屋根のペンキを塗っていたおじさんが話しかけて来て、イノシシのワナ猟についてたくさん話を聞いた。おじさんは佐野の人ではなく清水から来ているペンキ屋さんとのこと。今回は住民と話す機会が無く残念だった。茶畑の中のかわいい祠や、戦没者慰霊碑などを見る。空き家にはサルの群れ。マムシ養殖場の看板。集落を抜け、小草里から先を思案する。ここも、長者ヶ岳直登沢ではなく東海自然歩道を行く事にする。
道は始め沢沿いで、苔むした水辺で飲み放題。気温が上がって、いくら水を飲んでも汗が出る。小尾根を跨いでからは道は傾斜緩く、長く作ってある。橋や段々など、かなり前に整備されたものがそのままだ。多分80年代終わりころから90年ころの整備だと思う。
展望は一切無いが樹林の中をいろんな話などしながら登る。途中、威嚇するマムシを発見、少し遠回りしてやりすごす。
天子、長者とも、どこが山頂だかわからない緩やかな尾根の上だ。天子ヶ岳の山頂が静岡県側に飛び出していて、それで山梨百名山に入っていないのを、山頂で知った。長者の山頂にある東海自然歩道マネーの立派すぎるテーブル椅子で大休止。長者伝説の瓔珞躑躅は見つからず、富士山もきょうは全く姿を見せず。
田貫湖畔の国民宿舎は休日でお客が多かった。五時のバスまで40分あったのでお風呂でも、と思ったが、14時までだそうで。ビール自販機を探して乾杯。きょうかいた汗は何リットルかねえ。路線バスで富士宮へ。白糸の滝からシーク教徒のターバンインド人が乗って来た。薄桃色のイカしたターバンだ。富士宮駅前のきれいな感じの中華料理店で確かな味の満腹定食と酸辣湯麺を注文する。初めての富士宮駅前は、整備しすぎて殺風景な感じの町。あるときから猥雑味は駆除されてしまったのかな。
甲府行き特急でぐったり眠る。身延線も乗り馴れて来た。
行動中はなんともなかったが、深夜になって、腰痛が激しくなり、居ても立っても横臥しても激痛で、朝までまんじりともしなかった。泊まりの山に行かなくてよかった。これでは自力下山不能だ。もうトシなのか。
コメント
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天子山塊は関東にいたころ行ってみたくて行けなかった未踏の山域です。
意外と標高もあって良さそうですよね。天子山塊や愛鷹、御坂と富士山周辺の山塊はじっくり取り組んでみたくなります。
地形図見ていると気になる山脈ですよね。この谷の奥に、人住んでいるんかいーっ?是非とも徒歩で訪ねたく、なったのです。いつか関東に住んだら。でもね、高齢山村集落は、10年も持たずに人が居なくなりそうです。
天子と御坂は、富士山噴火前からある古い山脈だけど、なぜ、外輪山ではないのに外輪山のように囲んでいるのか。
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