【里山】祭畤山(まつるべやま)
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- GPS
- 03:19
- 距離
- 5.1km
- 登り
- 582m
- 下り
- 587m
コースタイム
- 山行
- 3:12
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 3:19
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
踏み跡はしっかりしているので道迷いはない。 ところどころシダや笹で覆われているところはある。 頂上付近の藪だけ平泳ぎ。 |
その他周辺情報 | 祭畤温泉かみくら |
写真
感想
※過去ログ
気になっていた岩手県の祭畤山(まつるべやま)
この山の頂上付近には縄文時代の祭祀場があって、それは少なくとも8000年前のものだという。
麓の「祭畤温泉かみくら」の近くに立っている説明板にはそう書かれている。
ま、とりあえず行ってみましょう。
祭畤スノーランドスキー場の駐車場に車を止めてスタート。
低い山で時間もかからないだろうとのんびり家を出たけど、車から出たら暑い。
そうだった、夏は暑いんだった。夏こそ朝早く行動しなきゃいけないんだった。
まずはスキー場のゲレンデを登っていく。暑い。
途中で森の中を進むルートを発見。少しは涼しいはずと逃げ込む。
しかし程なくまたゲレンデ に出される。
リフトの終点近くで再び登山道に入る。
森の中の道はゲレンデ より涼しいけど虫が多い。主に蚊。さらに大きな虻もまとわりつく。
小さな沢を渡渉すると足元はシダ類で覆われているけど、しっかり道はある。
ただ、蚊が増える。これには参った。夏に来る場所じゃなかったか。
森の中の道を快調に進む。
しかし残り標高差350mから急登。
エゲツない急登。ロープなし。
踏み跡はしっかりしている。
笹藪が深くなる場所もあるけど、これが却って助かった。帰りにロープがわりになった。
とにかくアキレス腱を最大限に伸ばしながら登る。
休むと蚊が襲ってくる。ハッカスプレーで遠ざかるのは一瞬。
ずーっと耳のそばで羽音がする状態。
だから足早になる。するとすぐ疲れる。休む。襲われる。足早になる。
やっぱり秋に来るんだった・・・
とか考えてるうちに急登が終わった。
そのちょっと手前で写真で見た縄文遺跡に似たような石組みがあった。
ただこれは自然のもののように見える。
そしてすぐに縄文遺跡発見。
なるほど、これか。
確かに人工的に見える。
一部に穴が開いているが深くはない。
思ったより大きくはない。
見えている部分は高さ約2m、幅は5〜6mくらいか。
確かに突然これがあるのは不自然。自然にできたものではないように見える。
この石をもし縄文人が麓から運んだというなら、相当な労力だったはず。
とにかくあの急登だ。一つの石が何百キロか分からないけど、運んだのならどうやって運んだのだろう?
これ以上考えても、ボクに答えを導く知識はないので先に進む。
遺跡より先は踏み跡はしっかりしているけど背の高い笹藪。
平泳ぎで進む。2〜3年くらい前に刈り払いはされているようだけど、笹はたくましいね。
そして登頂。
一関方面が見渡せる。他三方は林。
蚊も虻も減らない。どころか増えてる?トンボも少ない。
この標高だとトンボはこれからなんだろうな。だからまだ蚊や虻の天国な訳か。
大して休憩もできずに撤収。
帰りは笹をロープがわりに後ろ向きになったりしながら快調に下る。
かなり急なので足元注意。一度ズルッと滑って脇を地面に打ち付けた。
シダの道に着いて急坂は終わりで一安心。だけど虫はさらに増えてる感じがする。
帰りは途中で別れる森の道で下ろうと思ってたけど、こりゃだめだ。
急いでゲレンデ に向かう。ゲレンデなら暑いけど虫は少ない。
そんなこんなで1時間かからずに下山。おかげで体が熱い。
すぐに祭畤温泉かみくらで汗を流す。
綺麗で良い宿ですよ。泊まりに来たい。
東北六県在住者なら、9月末までは3000円引だそうです。
■縄文遺跡
麓の説明板の内容を要約するとこんな感じ。
・栗駒山で天の御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)を祀り、盛大な大祭を営んだことが伝えられていて、その祭祀場が外輪山である祭畤山である。
・築造年代は8000年前と類推される、最古の皇大神宮(伊勢神宮の根源)。
どうもね、腑に落ちないんですよ。
この説明板が正しいなら、8000年前にすでにこの神々が縄文人によって祀られていた、ということになる。
しかし、これらの神々は日本書紀や古事記に出てくる。日本書紀が完成したのは西暦720年。
その目的は、中国などの外国に対し、朝廷が日本の正当な支配者で、その経緯はこうですよと伝えるためのものだったとボクは思っている。
そしてその朝廷をつくったのは大陸系弥生人で、その大陸系弥生人たちが日本に渡来してきたのは3000年くらい前から。
8000年前の縄文人たちが3000年前にやってきた大陸系弥生人の神々を祀ってたというのは、やっぱり考えづらい。
それでも強引に辻褄を合わせるのなら、神々は実際に8000年以上前から存在し、縄文人によって祀られていて、さらに「国譲り」によって大陸系弥生人が引き継いだ、ということになるのかな。
・・・ないよなぁ。
なので、ボクがボクなりに推測するのはこんな感じ。
1、遺跡が8000年前の物だとすれば、皇大神宮とは関係なく、縄文人の神々を祀った場所か、何かの儀式を行った場所。
2、皇大神宮に関する物だとすれば、大陸系弥生人の子孫がこの地に来た時に作った物。ただ、それは坂上田村麻呂以降で、その時代には既に仏教によって国を納めていたので、こんな山の上に原始的な祭祀場を作るとは思えない。
3、そもそも、自然の造形
まぁ、批判するつもりはないです。本当のことが知りたい。
祭畤温泉かみくらのスタッフによると、まだ学術的な研究が行われたこともなく、重要な人工物が出土したこともないそうだ。
つまりまだロマンの域を出ていない。
岩手大学あたりが研究調査してくれないかなー。
これが本当に縄文遺跡だとなれば、直ちにしっかりと保存しなければならないし、大きな観光資源にもなるでしょう。
ただ、縄文遺跡じゃないという可能性もあるけどね。それならロマンのままの方が良いのか。
この説明看板を書いた赤羽根広重氏をネットで検索してみると、「日本太古事典」という本を書いていて、国立国会図書館に納められているみたいですね。
それ以外の情報は出てきませんでした。
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