峰入り古道

- GPS
- 11:24
- 距離
- 29.1km
- 登り
- 1,848m
- 下り
- 1,849m
コースタイム
- 山行
- 10:36
- 休憩
- 0:48
- 合計
- 11:24
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2013年02月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
九州の夜明けは遅く今日の日の出は7時05分。まず登山口までは車道歩き7劼△襪里巴録泙盡えない真っ暗な中ヘッドライトも点けずに、英彦山に登る国道500号線を歩き出した。この道は平成18年に犬ヶ岳から縦走し彦山駅まで最後に歩いたのだが余り記憶が戻らない。暗さのせいだろうか? 歩いた道は旧道で、鍛冶屋で分れた。シャクナゲ荘の前から林道に入り汐井川沿いに遡った。今日は冷え込んだ田川市で氷点下3℃だったのでこの辺りだと更に3℃くらいは低いだろう。道路脇の岩盤から浸み出した水が完全に凍り長いツララが垂れ下っていた。玉屋神社登山口には駐車場があり登山者の物であろう車が1台止められていた。歩き始めた時は真っ暗だったが鬼杉登山口(標高700m)に着く頃にはもうすっかり明るく指導標に導かれ登山道に入って行った。
少しガスっているようだが晴れている。そして峰を見上げると霧氷が付いているようだ。山頂が楽しみだ。杉木立のなか一際太い杉が現れた。「鬼杉」と呼ばれる樹齢1,200年の大物で、地形図にも「英彦山の鬼スギ」と書かれている。ここは前回も通った。その時は英彦山から下りてきて玉屋神社へと抜けて行った。今日歩くこの先のルートは彦山への道から分岐して籠水峠を目指す。指導標などはなく怪しげに着いた赤テープの処から踏み込み微かな踏み跡を辿った。踏み跡はどうも英彦山へ向かっているようでコンパスの示す方へトラバースした。道らしいものはなく小動物のトレースが幾分参考になった。途中切り倒された大木の芯から水が滴り落ちている。何んと水道管のようになっているではないか! 自然とは思わぬマジックを見せるものだ。
籠水峠(こもりみずとうげ標高970m)は福岡県と大分県の県境で指導票があり「↑裏英彦山、↓鬼杉、猫ノ丸尾・岳滅鬼峠→」とあった。猫ノ丸尾・岳滅鬼峠の下には「※断崖をへつる難所あり」とおまけ付き。裏英彦山は何だろうと気になったがどうやら英彦山南岳・北岳の南山麓を巻いて薬師峠に到る道のようだ。北側を見上げるとP1071の絶壁が凄い。西の方を見ると昨年11月に登った古処山や馬見山が望めた。峰入古道は地図を見るだけでもアップダウン激しく気が引き締められる。稜線に出ると風があり寒い、長居は無用だ。
南の稜線に取り付き顕著な小ピークに達すると少し開けて英彦山南岳(1,200m)と北岳(1,180m)が望めた。木々に霧氷が付いて素晴らしい。此処の周りの木や草も霧氷で白くなり暫し時間を忘れた。次の1,044mのピークは縦走路が直角に折れ曲がっている。南側は伐採地で展望抜群、斜面に雪を持った稜線の先に岳滅鬼山が望めた。ふと横の木を見ると「猫ノ丸尾1,044m」の標識が掲げられていた。昭文社地図ではこの先の石楠花の頭の位置に山名が書かれていたが間違っていたようだ。伐採地の縁を東に進み次のピークに登り返した。また方向を南に変えると右手に猫ノ丸尾が見通せた。小ピークをもう一つ越えると「最低鞍部」の標識があり西方に鬼杉下、湯の山への“避難路”が案内されている。標高は約925mで東側は道があるかどうかは分からないが下れば耶馬渓に到る。
石楠花の頭(1,20m’)は展望もなくやはり「猫ノ丸尾」ではなかった。おや人の声がする。男性二人がやってきた。岳滅鬼峠から鬼杉へ周回するようで玉屋神社登山口にあった車の主だった。急傾斜を下り添田町・中津市・日田市の3市町界のピークに達すると「上塚山→」の指導標があり大分県側中津市・日田市の境界尾根にも道があるようだ。振り返ると猫ノ丸尾の向こうに霧氷の英彦山が美しい。険しさは徐々に増して最大の危険地帯に到った。岩稜の南を巻いて通るが左側は急な谷、張り出した岩をへつった。固定ロープがあるが足元も危うい。籠水峠の指導標にあった難所はここだ。P998から急斜面を50m下ると岳滅鬼峠に達した。指導標には「←籠水峠、難・荒路 岳滅鬼山→、東峰まで急登」と書かれていた。傍らに大きな石碑があり「従是北豊前國小倉領」と江戸時代の境界標があった。まだ10時半だがお腹が空いて昼食タイムにした。
岳滅鬼山(がくめきやま)とは何んと仰々しい名前だろう。昔、山伏がこの山の岩場で餓鬼道を取り去る修行をした。この「餓鬼の心を滅する」修行と云うのが山名の由来らしい。地図でも分るピークを3つ越え、岳滅鬼山(1,040m’)に到った。山頂標識には「岳滅鬼岳」とあった。山頂域は石楠花の林で展望はない。峰入古道の指導標に導かれ南西に進むと岳滅鬼山西峰(1,037m)があった。こちらには3等三角点「岳滅鬼」があり、日田市ではこちらを岳滅鬼山山頂としているようだ。ただ山頂標識には標高1,036mとあるが最新の基準点成果では1,036.81mあり四捨五入すると1,037mが正しい。北西方向に見える障子ヶ岳(948m)は杉の林が茶色く染まり、気温が上がれば一気に放出されそうな花粉満載と云う恐ろしさ。しかし飛散はもう始まっているようで鼻がヒクヒクしている。岳滅鬼山西峰は東側の展望がよく、東峰や英彦山、石楠花の頭の後方には犬ヶ岳(1,131m)の姿も見えた。此処まで英彦山南岳の後に隠れていた中岳が姿を現し、英彦山神宮上宮が天空に鎮座しているのが見通せるようになった。
西峰を過ぎると幾分険しさが和らぎ三国境までは驚くほど早く着いた。今日唯一のピストンで浅間山(832m)を目指した。三国境は豊前・豊後・筑前の国境が接する。南西に張り出した筑前・豊後の国境尾根を下り直角に南に折れて登り返すと山頂に達した。4等三角点「浅間」があり南が開け、宝珠山川の谷が俯瞰できた。右岸に城ヶ迫(546m)の鋭鋒が望めた。三国境に戻るが帰りの方が登りになっている。三国境を下ると直ぐ「深倉越」の表示があり宝珠山林道へ下ることができる。本来の深倉越は、地形図で点線道が越える地点で400mほど先の地点が正しそうだ。次の目標は屋椎三角点、西に張り出したピークで稜線の転換点で分かり易く「ここは屋椎三角点」と標識まであるので探し回ったが三角点は見つけられなかった。
次のP814からは南の展望があり先程寄って来た浅間山を対面に見ることができた。湯谷越では南側にだけ道があり宝珠山林道に下っている。湯谷越の直ぐ下には別の林道が見えるが地形図には載っていない。比較的なだらかなP830を過ぎるとまた急登が始まり釈迦ヶ岳(844m)に達した。2等三角点「宝珠山」があり山頂から見る英彦山は中岳と南岳が完全に双耳峰の姿を見せ、今日歩いて来た猫ノ丸尾からの峰入古道の稜線の全てを見通すことができた。南の方には城ヶ迫(546m)、台山(726m)、北西方向には古処山系と素晴らしい展望が広がっていた。
釈迦ヶ岳の西面も等高線が詰り険しい。斫石峠(きりいしとうげ)へ僅か400m程の距離で200m下降した。登り返す大日ヶ岳は830mで登り返しもキツイ。3つ前衛峰があり南に方向を転じたところが大日ヶ岳山頂で4等三角点「竹」が置かれていた。展望はよろしくなく隙間から辛うじて英彦山が見えるだけだった。峰入古道はこの先、添田町と東峰村の境界尾根を進み小石原の行者堂に到る。予定では南に進み台山を経由して日田彦山線の筑前岩屋駅に行こうとしていたが時刻は14時を過ぎでその稜線には道もないので冒険は諦め、道成りに峰入古道を進むことにした。
やがて地図にない林道に飛び出し、行者堂への峰入古道は道路の反対側に登山口があり続いているが、このまま進むと行者堂に着く頃には暗くなりそうだ。しかも国道500号線を歩いて彦山駅に戻る道は昨年11月の古処山山行時と同じ道で面白くない。林道には指導標もなく右に行くべきか左に行くべきか判断に迷った。
東峰村側に下れば途中まで書かれている林道に繋がりそうだがその後筑前岩屋の更に先の駅大行司まですごい距離を歩くことになる。北に下ると恐らく斫石峠を越える県道に出て彦山駅に到るのではないかと予想するが繋がっているかどうか確信はない。まあ最悪藪を漕いでもと決心し彦山へと下りだした。直ぐに倒木が道路を塞ぎガードレールを越えて迂回、これで車は通っていないことが明白になった。谷を巻くように林道が続き県道に続いていそうだ。1.5卻發と期待通り県道に合流しひと安心した。然しまだ駅まで5.6辧長い車道歩きだ。車の通行量は極僅かで気楽に歩けた。林道からは大日ヶ岳や釈迦ヶ岳、障子ヶ岳の姿を望むことができ楽しめた。小石原からの国道500号線に合流するとここからは嘗て歩いた道、日田彦山線が彦山川を渡る橋梁はコンクリートのアーチ橋で時代の古さを感じさせられた。明るいうちに彦山駅に辿り着くことができ、駅前の食堂で“やまめ定食”と生ビールで夕食を取り18:19の列車で田川伊田の宿に戻った。
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