奈良葛城2:首切り地蔵・三輪山・桜井市埋文センター・纏向遺跡・古墳巡り

- GPS
- 13:03
- 距離
- 56.3km
- 登り
- 904m
- 下り
- 910m
コースタイム
- 山行
- 12:23
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 13:03
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2015年08月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
| 個人装備 |
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
雨具
靴
ザック
サブザック
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
カメラ
|
|---|
感想
昨晩は馴染みの小料理屋でおいしい鹿児島の焼酎をロックで飲みすぎ、4時過ぎ起床のつもりが5時になり、急いで支度をして外に出ると5時半に出発。宿から新薬師寺方向に向かってチャリを走らす。昨年訪問した「頭塔」前を通過してなおも進むと山の辺の道+新薬師寺分岐に出る。さらに直進し、少し先で春日大社造位の車道と合流、その少し先で柳生街道と春日山原生林遊歩道との分岐に出る。ここで樹分のMTBをもってきていれば柳生街道を選んだかもしれないが、チャリなので遊歩道の上り坂がやや緩い遊歩道に進む。今回はチャリで坂道を登る体力チェックと首切り地蔵から昨年いけなかった石窟仏を見に行くことだが、予定より遅れたのでとりあえず首切り地蔵まで行ってみる。昨年は春日大社の北側にある遊歩道をMTB風のチャリで登って猿沢池から6.6辧¬1時間で遊歩道から若草山に至った。今回は昨年より体力が落ちているはずなので心配だったが、猿沢池付近から約一時間で首切り地蔵まで到達した。距離や標高はほぼ同じと思われる。まあ、昨年は大半を漕いで登ったが、今年は押しが多かったので、少し体力が落ち泥ると分かる。首切り地蔵には6時40分に到着、先が長いし、ある程度チャリでの山登りもできそうだと分かったので、石窟仏はまた次回以降の楽しみとして、すぐ下ることにした。柳生街道はMTBでないので使わず、往路をゆっくり下った。7時半にホテルに戻り、バイキング朝食。京都で増えた不要な荷物などを宅急便で送り、ホテル出発は結局8時半になった。予定より1時間も遅れている。まず天理を目指して一気に南下、昨年は灼熱の山の辺の道を柳本付近まで走り、黒塚古墳から纏向に、向かった。今年は山の辺の道には入らず、昨年訪問できなかった辻地区周回や、ホケノ山、茅原大墓などの古墳を回り、また三輪山を登る予定。天理に到着したのは9時過ぎ、天理参考館の開館は9時半で、迷ったが、参考館に入るとその後のスケジュールをカットせざるを得なくなりそうなので、あきらめて、最初に桜井埋蔵文化財センターを訪問。天理を過ぎると登りが増えて予想外に時間がかかり、10時にようやく桜井市埋文センターに到着。ここにはあらかじめ質問票をFAXしておいたので、学芸員さんに纏向関係遺跡の場所確認と遺物の展示品の確認をした。残念ながらホケノ山や桜井茶臼山、メスリ山その他古い発掘に関しては多くは橿考研が行っていて、遺物の多くはそこにある。ここでは最近の纏向関係などの調査以外はレプリカや橿考研からの借り物が多かったが、学芸員さんがこちらの質問に一つ一つ答えてくださり、ありがたい。昨年買わなかったいくつかの資料や最近の出版物を購入し、郵送していただく。
1時間半近くをここで過ごし、桜井の旅館に向かう。駅前の旅館に到着し、荷物を預けて三輪神社に向かう。旅館はだっれも出ないので不要な荷物をついたての影において出かけた。まず三輪山の大神神社に向かうが、大神神社が近所に複数あり、ナビが別の大神神社を指していたので少し道に迷いながら三輪駅に出る。普段使っているGPSを使えばこんな簡単なところで間違えないのだが、最近使い始めたスマホのナビがあまりにも便利なものなので、依存しすぎる傾向にあってーーよくないなーー??結局、今はスマホのナビ、GPS,通常の地形図や場所によっては市街地図などを組み合わせて、いいとこどりで使うようにしているのだがーー。駅から大神神社に向かう途中に造り酒屋と三輪そうめんなどを食べさせる店がいくつかあり、戻って昼食にする。そうめんを食べて、店のご主人に近所の造り酒屋のことを尋ね、またそうめんを二セット、家に送るようお願いした。製造元から直接送っていただくことになった。12時半ころ店を出て大神神社の駐輪場所に自転車を止める。先の酒造は神社前の参道に出店を構えていた。まず大神神社を参拝し、左の狭井神社に向かう。途中磐座が祀ってある。ここは古くは磐座がご神体だったという記事をいくつか見かけていた。桜井市もこの山周辺の山の神や磐座の発掘をして、古い時代の三輪山の祭祀の姿を調べているし、桜井市埋文センターにもそうした祭祀具や遺構、遺物の展示や調査記録の冊子、図録、ガイド地図があったので、いくつか購入した。その三輪山を歩くを見ると、三輪山周辺には多数の祭祀遺跡があり、とりわけ多くの磐座があるようだ。狭井神社で三輪山登山の許可をお願いし(200円払い、鈴の付いた参拝のタスキをかけ、入口で各自お祓いして登山道に入る。登山口出発1時だった。神社では基本、往復二時間としており、とりあえず1時間半で歩くことを目標に進む。登り始めて15分くらいで小さな滝のある休憩所に出る。何人かが下山中ぐったりの様子で休憩していた。暑いので顔を洗って進む。しばらく進むと磐座に出る。少し回り込んでロープの歯ってある小ピークを見上げると大きな岩がごろごろしていて、その一つにしめ縄・御幣が見える。さらに登ると、前にタスキだけでなく祓具を持って歩いていく女性が目に入る。売店で祓具を買ったのか尋ねると、登山口にあったものを持って来たのだという。祓具は登山口で入山者がお祓いをするもので持って入っては祓具が足りなくなってしまう。杖とは異なる扱いだが、その女性はうっかり間違えたらしい。結局その女性は祓具を持ったまま登り、帰りに返すようだった。何組かを抜いて山頂に向かう。登山口から小一時間で8合目の祠に出て、参拝し、そのまま山頂に出る。山頂にも磐座があり、大きな岩がごろごろ転がって注連縄や幣がかかっている。奥まで行ってみたが行き止まりになっている(立ち入り禁止区域)ので、下山する。ゆっくり下ったので目標の二時半には下山できず、8分ほど過ぎてしまう。下山するとすでに入山受付は終了していた。早めに(二時ころまでには)受付を通過しないといけないようだ。また暑いので熱中症にはくれぐれも注意するよう、体調の不調を感じたらすぐに下山するよううるさいほど注意されたので、そういうケースがあるようだ。
さて、下山して駐輪場でチャリを回収し、古墳や纏向遺跡に向かおうとしたが、疲労の成果暑さのせいか、坂道を登り始めると足が痙攣しそうになったので、慌てて引き返し、しばらく休憩することにした。三輪駅付近の造り酒屋を見学しようと酒造まで行ったが誰もいない。仕方なく、宅急便の用紙に注文したい酒の名前を記して、再度三輪神社参道にあった出店に向かう。同じく訪ねてきた客が、参道の出店なら試飲もできるといろいろ話してくれた。本店では試飲はないそうだ。出店に戻って少し試飲させていただき、注文する。駅付近で見かけたかき氷の店で休憩しようと思ったが、造り酒屋を行ったり来たりしているうちに小一時間過ぎてしまったので、休憩は終わりにして、まず茅原大墓古墳に向かう。ゆるやかな坂を登っていくと、他にも史跡巡りをしているような姿のグループやバイク、車で回っている人々を見かけた。古墳も著名なものは地形図にも出ているが、どこがアクセスポイントか。どの道から入口に近づけるかが問題だ。ここは桜井市埋文センターで教わったので容易にわかった。茅原大墓古墳は国指定史跡で看板が出ていた。上は藪状態でマムシ注意の看板。事前に観光ガイド協会に確認したら、夏は藪と蝮で墳頂に上がるのはやめた方がよいと言われたが、マムシを恐れては山歩きや遺跡歩きはできないというもの。昼間、マムシはめったの活動しないし、踏んづけたりしなければまず大丈夫。足元を注意すればかまれる心配は少ないと思う。かつて、飯豊の朳差に大石ダムから沢沿いに大石小屋経由コースで歩いた時、へつり道の途中でマムシに出会ったことがあるが、危うく踏みそうになったことを思い出す。しかし踏まなければ向こうから去っていくのが普通だ。近づきすぎないことだ。踏跡を注意深く探して上に登る。やはり見晴らしがよく、三輪山や近くの箸墓古墳をはじめ、遠くは耳成山、天香久山などがよく見える。良い天気ならば多分葛城山系の山々も見えるだろう。近年(4~5年前)この古墳を桜井市で再調査し、印象的な姿の盾持人埴輪が出土して話題になった。埋文センターで尋ねたら、また補修、保存段階で陳列展示をどうするか決まらず、展示はしばし先という。残念だった。
次にホケノ山古墳に向かう。ホケノ山はナビでは出てこない。GPSのウエイポイントと地図が頭の中に入っているので進むと、それらしき小山が左手前方〜目の前に現れた。少し回り込んで進むと復元された埋葬施設と解説板がある。しかし古墳名は書かれていない。この古墳の埋葬施設には組合せ木棺が使われていた形跡があり、底に穿孔のある広口壺が置かれていたという。盗掘などで副葬品はほとんど残っておらず、周溝から出る土器などから3世紀後半の施設と考えられているようだ。ただし、最近、橿考研の研究者がホケノ山の再調査で出た木の枝などのC14分析から4世紀という年代が出て、ホケノ山古墳の年代観が揺らいでいる。埋文センターの学芸員に尋ねたが、その論文は読んでいなかった――ノンキやな――??−−やはり藪と蝮注意の看板を見て藪をかき分けて登り、少し違う角度から茅原大墓同様の風景を見る。写真で見たときは看板があったと思われるが、今は藪の中だろうか?墳頂から降りるとバイクで古墳巡りをしている人がやってきた。看板がないが場所から見て間違いないはずだと思うがと尋ねると、その人も同様の考えだった。藪の中の不調を見上げて驚いていたので、藪の中の踏み跡を登ると墳頂に行けるとアドバイスし、先を急ぐ。道端の田畑の中に墳丘の滑降をした小さな島のようなものが見える。多分小川塚古墳などだろう。散歩中の住民とすれ違ったので巻野内の場所を訪ねると、すぐ次の道路先から巻野内だという。次の辻の左に小山があり、巻野内石塚古墳が見つかった。看板があった。ここは時間をかけずにすぐ巻野内地区を進み、工房跡はわからないので、前方に見える大きな渋谷向山古墳(景行天皇陵)近くまで行き、道標に従って珠城山古墳に向かう。その1卆茲砲倭衙仗声劼あるらしい。入口にチャリを置いて珠城山古墳の糞帳に登る。3号墳は墳頂は削られ、今は藪になっている。その先の尾根のような道を進むと階段があり、下には先のものより立派な案内板があった。別のグループが別の入口から登ってきた。案内板に従い、さらに一号墳の下に降りると古墳群の石室や出土品の解説板があった。1号墳は墳丘と石室が残され、二号墳は不明、3号墳は墳丘は失われたが金銅製の馬具や冠頭太刀などが出たようだ。最後に綺麗に石積みされた横穴式石室を見て纏向遺跡に向かう。すでに4時40分を過ぎている。珠城山古墳群への道を戻ってまっすぐ進むと纏向駅近くに出る。駅手前の纏向遺跡の案内板を見て、その先の辻地区の案内を見る昨年は辻地区を回らなかったので纏向古墳でなく大型建物跡・住居跡などの出た辻地区を回る。道標に従いぐるっとまわると、線路手前の空き地のような場所が見えたので狭い入口を入っていくと、解説板が見えたので見学する。辻地区からは3世紀前半〜中頃とみられる3棟の大型建物遺構が検出され、軸線をそろえる建物遺構としては最古のもので、ヤマト政権形成期の居館域の遺跡として注目されているという。これが果たして魏志倭人伝などの記述と符合するような遺跡かどうか、今後の研究を俟つしかない。辻地区を一周して纏向駅前に戻り、ここで今日の纏向遺跡巡りを終了し、途中もう一度酒造に戻って、スパークリング酒を購入して旅館に戻る。旅館でチェックイン、部屋に荷物とお酒を置き、老婆に尋ねると、電話場に貝は何もできなない、台所も冷蔵庫も家族が使うので水も氷も出せないという。部屋にはお湯の入ったポットとお茶、お茶菓子、急須、湯呑はあり、お風呂はついている。夕食などはコンビニなどで買ってくれということだった。なおコップは貸すという。これで5千円取るとはーー奈良市内だと2千円~3千円で素泊まりの施設はある。車は二台あるので息子さんは住んでいるようだが、長年経営してきた旅館はお婆さんだけが守っているということらしい。他の宿は一杯なので仕方ない。さて、夕食の買い出しに行く前にまだしばらく明るいのでーー桜井茶臼山古墳の見学に行く。
国道165号線を進むと左側にこんもりとした丘があり細い道を進んで犬の散歩中の女性住民に確認すると、道の左側の丘でなく右奥だという。上都してさらに狭い私道のような道を進むと正面に住宅があり、先ほど道を尋ねた女性の家のようだった。その女性が家の右わきの細い路地を指してそこを道なりに進むと古墳に出られると教えてくれた。路地を進むと墳丘が見えてきて、そこにも犬の散歩の男性が歩いていて、入口を教えてくれた。解説板があり、その先をぐるっと回ってみたが、墳頂に至る踏み跡がなヵったので、今回はこれで終了とする。もしかしたら反対側に道があるやもしれないが――。茶臼山古墳からは、初期の発掘で埋文センターでレプリカを見たような玉杖などが出ているが5年ほどまえの再調査で、80面に該当する銅鏡の破片が出たとして、しかも卑弥呼とほぼ同時代ということで話題になった。しかし年代に関してはまだまだ確定的ではなさそう。
駅前に戻り、スーパーで夕食やビールなどを買い、旅館に戻って夕食をとり、明日の支度をしてやすんだ。。
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