トイシ谷〜岩湧山〜ボ谷
- GPS
- 06:51
- 距離
- 17.2km
- 登り
- 978m
- 下り
- 980m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
山キャンプのために同じような山を歩いて訓練をする日々。今日はザック16kg、距離16kmで。しかしもう数日で予定日であることに戸惑っている。決して行きたくてワックワクではないのだ。オレの山登り、おかしなことになっている。
俳句とも川柳とも言えないような五七五を作って遊びながら登る。
そっちから逃げてくれるかヤマカガシ
急登のほべたの汗に秋の風
うっせいわあなたが思うより健脚です
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
憎きアブ払いながらの平ら道
町はまだ夏も山には秋があり
湧水に甘露甘露は父の言
湧水に手を浸すのみ贅沢感
紙切れに季語を気にせず殴り書き
五ツ辻ここでもザック下ろしたり
岩湧の頂まさにこれぞ秋
下り道足の付け根が痛みだす
携帯の電波入らず帰り道
パイン味炭酸ジュースを飲みきれず
天見にもミニスカギャルが生息す
(帰宅後) 横になるもこむら返りで眠られず
根古峰あたりの均された道で、ふと、昔から疑問に感じていたことが頭をもたげた。
正岡子規の「三千の俳句を閲し柿二つ」という句。子規は新聞社から送られてくるたくさんの俳句をすべてに目を通し評価することが本当に楽しかったのだろうかという疑問。
つらつら考えていて思いついたことは、「俳句」という自分が創始した文芸に多くの人が熱中し、自分を神のように扱ってくれることに喜びを感じなかったわけはない。いい句を選定することは使命だと感じていただろうし、面倒くさいという気があっても、それを表さずにオーソリティ然とどっしりと構えるところを示すべきと考えていたに違いない。そういやそもそも弟子に数十句くらいにまで絞らせていたかも。
勝手知ったる山道がいろいろと考えさせてくれ、有意義だった。
※ちなみに江戸時代の松尾芭蕉らの句は「俳諧連歌の発句」。明治期の子規が発句を独立させて「俳句」を創始した、と言っていいと思います。
写真のコメントを全部 17文字にするの大変だった…。
しょーもない凝って時間を浪費する
なお「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」は大日本帝国憲法より。 五七五になっていることを故 上岡龍太郎が話していて印象に残っている。
「プロペラ…」はかわいいファンタジーやね。おれは「ヤママユ」か「甘露甘露」かなぁ。
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