山陰お城巡り☆米子城、松江城、月山富田城


- GPS
- 02:02
- 距離
- 5.2km
- 登り
- 266m
- 下り
- 264m
コースタイム
天候 | 9月14日晴れ 気温36度 9月15日晴れ時々雨 気温33度 |
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過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
スタンプは米子市立山陰歴史館 御城印販売あり 駐車場は米子市役所駐車場(2時間まで無料) 月山富田城 日本100名城 道の駅広瀬・冨田城駐車場 スタンプは安来市立歴史資料館 御城印販売あり |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所は無し |
写真
下段の石垣で囲われているところが、山中御殿平というところで、城主の居館などがあったところです。
普段は下で生活していて、有事の際は上の山頂部に登るんですね。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
ザックカバー
飲料
コンパス
笛
ヘッドランプ
予備電池
GPS
ファーストエイドキット
常備薬
保険証
携帯
時計
タオル
カメラ
携帯トイレ
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感想
ヤマレコではなくて、完全にお城レコです🏰
大山登った後、そのまま帰るのはもったいないので、周辺のお城に行くことにしました。
まずは、米子城。続100名城です。
こちらは4年前に一度訪れているのですが、到着したら雨が降って来ましたので、スタンプだけ押して帰ったという、インチキしたお城です。(ほかにもインチキしたお城はたくさんあります)
こちらは、あの吉川広家が築城を始めたお城でしたが、完成する前に関ケ原の戦いがあり、岩国へ転封になってしまいます。
その後、中村一忠が城主となりますが、急死してしまい中村家が断絶。その後、美濃の黒野城主だった加藤忠貞泰が米子城主となりました。(加藤氏はその7年後に伊予大洲に転封になってしまいすが)その後は、鳥取藩の預かりの城だったそうです。
標高90mの湊山に、五重の大天守がある規模の大きなお城だったそうですが、今は石垣が残るのみですね。
登山道はよく整備されていて、ハイキングコースみたいになってました。
10分ちょっとで山頂でした。
山頂からは目の前に大山がドーンと。最高の眺めでした。
暑くて誰もいないかと思いましたが、お城ファンと思われる方が何人も上がってきました。
次の日は、国宝の松江城に行った後に、月山富田城へ。日本100名城です。
こちらも、16年前に来てますが、スタンプだけ押してインチキしたところです。その後、テレビで何回も特集をやっていたので、来てみたいと思ってました。
こちらは出雲の国を治めていた尼子氏の拠点だった城で、かなりの規模の大きさを誇る山城だったそうです。そして、月山の山頂部に本丸を築いて、有事の際にはこちらで防御するお城で、急峻な山の上にあるので、攻め落とすことは不可能だったそうです。
結局、毛利氏との戦いで秤量攻めに遭い、尼子氏は滅亡していまい、その後は毛利氏の山陰の拠点の城となったそうです。関ヶ原以降は、堀尾氏が治めたそうですが、冨田城は手狭になったため、新たに松江城を築いて、月山富田城は廃城になったそうです。
こちらのお城はとても整備されていて、斜面の木も伐採されてました。
城跡はたくさんありますが、なかなか木まで切っているところは余りないです。
木を切っていると、当時の様子がよく再現されますので、良いですね〜。
暑くて、山頂まで行くと、汗がだくだく。これは、山頂まで行って攻め落とすのは無理や〜。
それでも、普通の恰好の人が、何人も登って来ました。お城ブーム恐ろしや。
この後、鳥取城にも行く予定でしたが、暑くてバテたので、これで帰ることにしました。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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伯耆大山のあとで🏯巡りする体力とバイタリティが凄いですね!😺
やっぱり、🏯大好きなのですね!😺
松江城の木材とか見られるのが素晴らしいですね!😺
石垣とかしっかり組まれているのも残っていて素晴らしいですね!😺
大山登った後はクタクタでしたが、せっかく来たので🏰に行かないとと思い、何とか登りました。暑いのが辛かったです🥵9月なのに、この猛暑は無いです。
松江城は現存天守なので昔のままの木材が見られるのが良いですね。現存している天守は日本に12
しか無いので、貴重ですね〜。
石垣も年代によって、石の積み方が違って、時代が進むほど石をきれいに加工できるようになり、ぴったりと組まれた石垣になりますね。石垣も見ているといろいろな積み方があるので、面白いですよ。
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